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1月の伝道研究会から「永劫の修行

 日曜礼拝と合同の「華光誌輪読法座」、「岡山仏教法座」、そして今夜は「伝道研究会」と、形態の異なる法座が、3日間続いた。

 形も、集まるメンバーもそれぞれ異なっていたが、いずれも15名までの少人数だったので、一方的は話では終わらずに、車座に座ってかかわることができた。

 伝道研究会は、真宗基礎講座というテキストをもとに進めている。6月からリニューアルしたが、まだ第1章「弥陀の発願」のところ。前回で「本願」のあらかたは済んで、今日は、「永劫の修行」の以下の一文から。

法蔵菩薩は、この四十八願を成就するため、不可思議兆載永劫に渡って、菩薩としての無量の徳行をの積まれた。この無央数劫に積劫累徳されたことを永劫の修行という。

 ただ読むだけでは、サラッと終わってしまう。少し解説を加えたが、一方的だとまた流れてしまうので、皆さんに問いかけをしながら進行した。

 「この兆載永劫のあいだ、法蔵菩薩はどんなご修行をされたのですか?」と。

 すると、「私に変わって功徳を積む為に、たんへんな修行をしてくださった」とか、「魚やお肉になってくださった」とか、お味わいとしては、皆さんしっかり答えてくださった。しかし、せっかく伝道研究会で、お聖教を持参しているのだ。仏教用語ではどうか問うと、かなりご聴聞されている方でも戸惑われていて、ちょっと驚いた。というのも、最近、何度かここのテーマでご法話をしていて、この顔ぶれなら、当然分かっておられると思ったからだ。

 法蔵菩薩は、五劫思惟と四十八願に続いて、兆載永劫のご修行に入られるのだが、五劫にしても、兆載永劫にしても、想像できる数字をはるかに超えて、茫洋とおとぎ話になってしまう。だから、「兆載永劫のご修行」という言葉は覚えていても、私のため大変なご苦労があって、とにかく有り難いのだろうという漠然とした味わいで終わってしまうことも多い。まず、聖教の上で簡単に押さえておくと、

1) 『大経』には、「自行六波羅蜜」とあるから、当然、六度の行と見ることができる。六波羅蜜の菩薩行とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧で、それぞれに応じたご文が出てくる。

 それ以外に、曇鸞様を受けられた親鸞様(『入出二門偈』)は、2)五念二利の行(礼拝・讃嘆・作願・観察・回向)だとみておられている。つまり、

「菩薩は五種の門に入出して、自利・利他の行成就したまへり。不可思議兆載劫に、漸次に五種の門を成就したまへり」

と、このあと五念門をだされているが、元来は、往生人の所修のものを、すべて法蔵菩薩の行だとみておれらるのだ。

 ほかにも、3)戒・定・慧の「三学」だという説もある。

 ただ、六度、五念門、三学のいずれにしても、會無一善の衆生を救わんがために、万善万行を修めらるために、あらゆる菩薩の行を修してくださったのである。しかも、それが量り知ることのできないほど長い年月をかけたご修行であって、そのあいだに、一瞬たりとも、疑いや、倦む心もおこらず、兆載永劫という果てしない時間、ひたすら精進し続けてくださったのである。

 では、なぜ、これほどの行をなし遂げることができたのか。そのお心はどこにあったか?
 なぜ、一念一刹那たりとも、疑いや倦む心が起ってこなかったのか?
 そして、そのなし遂げた万善万行をどのような形で、衆生に回向されるのか?
 その回向されるお目当ての衆生とは、一体だれなのか?

 別に正解を丸暗記しても、そのお心がわかるわけではない。だから、そのお聞かせに預かったところを、今度は、わが身のところに引き寄せて、そのお心を考えながら進んでいったが、いろいろと味わいもだされ、テキスト以上の膨らみある法座となったようだ。

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