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輪読法座(正信偈の構成)

 輪読法座は、正信偈の大意(序論)の、2回目。全体の構成・組み立てのところ。一句・一句は味わっていても、全体の組み立てや、その句の全体での位置付けには、なかなか目が行かない。たとえば、序論(帰敬・表宗)・本論(真宗の教義)・結論(結讃と勧信)の大きく3分科(結論を本論の「依釈段」に收める見方もある)されるが、本論のところは、前半の大無量寿経に依っている「依経段」(さらに「弥陀の救済」と、「釈尊の教化」と二分科され、また次ぎ次ぎと細分化されていく)、後半は、七高僧に教説に依っている「依釈段」に大別される。その「依経段」・「依釈段」という表現でもそうたが、精密に分段された図表と、実際の正信偈にあたって確認していくと、「始めて聞いて感心した」という方が多くおられた。ほんの一部だけを簡単に紹介すると、

 まず、ご自身の体験告白であり、正信偈の要点でもある「帰命無量寿如来 南無不可思議光」で始まるが、これは真実が躍動し、この哀れな私をご覧になり、ジッとしておれんと現れてきてくださった姿である。(以下、因位の本願)、つまり、真実が法蔵菩薩に成り下がり、因果を示して現れてきてくださり(示現=法蔵菩薩因位時、在世自在王仏所)、それを完全無欠のものたらしめんとして善を修めてくださり(摂善=都見諸仏浄土因、国土人天之善悪)、諸仏浄土の世界から南無阿弥陀仏を完成させるために、お師匠さまの世自在王仏の御前でのご修行が始まり、五劫のご思案、兆載永劫のご修行が起ってくるが、それもすべて、私達に向かって廻向(=建立無上殊勝願、超発希有大弘誓、五劫思唯之摂受、重誓名声聞十方)してくださる。

 (以下が、果上の救済)、その回向される物柄が、光明と名号。つまり、光明(普放無量無邊光、無碍無対光炎王、清浄歓喜智慧光、不断難思無称光、超日月光照塵刹、一切群生蒙光照の十二光、光明は救済の縁)となり、私の本当の姿を照らし出し、そして私というものを光でもって育てあげた上で、南無阿弥陀仏のお名号が、ついに私の心を貫いた時に信心となり(本願名号正定業、至心信楽願為因・救済の因・行信)、平生業成によって浄土に往生させてもらうことができる(成等覚証大涅槃、必至滅度願成就・救済の果・証)。

 その南無阿弥陀仏という名乗りが、お釈迦さまのご説法となって、この地上に説き顕されてくる。つまりお名号の具体的な現れである『大経』によって明らかにされてくるのが、釈尊の出世本懐(=如来所以興出世、唯説弥陀本願海、五濁悪時群生海、応信如来如実言・出世の本懐)で、そこから、その弥陀の本願を信じた功徳を示す「信徳と勧信」(能発一念喜愛心~是人名分陀利華)である信心の五徳(=一念業成・帰入一味・心光常護・横超五趣・諸仏称讃)、さらに「難信と誡疑」、つまり勧信(=弥陀仏本願念仏、邪見驕慢悪衆生、信楽受持甚以難、難中之難無過斯・極難信の法)へと展開して、依経段が結ばれていく。そして、さらに三国の伝承へと続き、七高僧のご解釈とお勧めへと連なっていくのである。

 普段は、そらんじる様に何も思わず拝読しているが、実はお聞かせに預かれば預かるほど、聖人の腹底というか、その腸(はらわた)の宣布であると同時に、真宗教義のエッセンスが連なり、凝縮されて展開するのであって、ただただその深さ、広大さに脱帽し唸るばかりたった。これは、単なる教義の羅列ではないことは、明らかだ。すべてが、南無阿弥陀仏の活動、展開によるが、それが弥陀の本願に始まり、釈尊の教化とつらなり、七高僧の発揮、それが親鸞様によって明確となり、さらには蓮如さまが抜き出してくださったおかげがあり、それを代々の善知識方の具体的なお示しによって、いま、私のところに真実が届いてきているのである。まったくもって勿体ないことではないか。

 今回は、全体を大きくみたので、次回からは、その中味を細かく味わっていく。1月は、巻頭言なので、2月と3月と2ケ月かけて、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の一行であるが、序論でありながら、同時に、聖人の体験告白であり、全体の要点を示すもっとも肝要な一文といってもいい。皆さんと、輪読するのが楽しみだ。

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コメント

輪読法座いってよかったー、が感想。
長い時間をかけて行ったかいあり。
南無阿弥陀仏の活動が私に届くまでにどう展開して来たか、そのご苦労が私の身に痛いほどせまって来た。
親鸞様のお了解であると聞かせて頂いた。
これほどはっきりと深く広くお示しくださったおかげで、ようやく私のところへ届いたんだなと思わせてもらった。
1月も絶対行くと今は決心している。
御法に会う事だけがたのしみ。後は何を辛抱しても心は晴れやか。こんな老後もいいもんだ。勿体無い。
またお願いします。

投稿: ばば | 2010年12月31日 (金) 11:19

ばばさん、遠くからよくお出でくださいましたね。
どこまでも自己中心でしか見たり、聞いたりできない私が、如来さまのおこころを、こうして喜べる幸せを感じます。絶対にありえないことなのにね。不思議ですよね。

投稿: かりもん | 2010年12月31日 (金) 13:17

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