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心開明を得たり

 やっと新年号の華光誌の作業が終わって、印刷所に渡せた。あとは完成を待つだけである。その「聖教のこころ」に書いたご文と、紙面の都合で触れられなかったその背景に少しだけ触れておこう。

 親鸞様が、「真実の教」とされた大無量寿経。浄土真宗の正依(正しい拠り所)の経典である。
 簡単に分科すると、上巻は、如来浄土の因果が説かれ、下巻は、衆生往生の因果が説かれている。その如来とは阿弥陀仏である。そこにもうひとつ加えて、下巻には、釈尊の勧誡(信心を勧め、疑い・躊躇を誡められる)が、最後に加えられている。

 大経は、釈尊の出世本懐-つまり、お釈迦様は、大経-阿弥陀様のご本願を説きたいがために、この世にお出ましになったということが、本文の冒頭に述べられている。その時の聞き手は、「如是我聞」の我-阿難尊者である。彼が、釈尊のいつもにもました光顔巍々(ぎぎ)たる威厳な姿を前に、問いを発するところから、釈尊の出世の本懐である、弥陀の本願が説かれることになる。

 ところが、下巻の釈尊の勧誡(指勧ともいわれる)に入ると、その聞き手が、阿難尊者から弥勒菩薩に代わり、お経のムードも厳しいものになる。その境が、「(浄土は)往き易くして、人なし」の言葉である。

 これほどのすばらしい弥陀の本願であるのに、なぜ、弥勒菩薩を始めとする世間の人々は、この教えを信じ聞かないのであろうかという、釈尊のいわばお小言が始まるのだ。 

 しかし釈尊のお小言は、凡夫の愚痴とは異なる。お小言そのままが、凡夫の姿そのもの を示された説教であり、いわば法蔵菩薩の目に映った、迷いの私の実相そのものなのである。そして、三毒・五悪に狂う悲惨な現実の姿に加えて、仏智疑惑の大罪を示されると共に、なんとか俗事を振り捨てて、凡夫が凡夫のまま救われいてく弥陀の本願を、どうか一筋に聞いておくれという、お勧めがあるのだ。

 そんな中で、今回選んだのは、私の貪欲・愼恚・愚痴に狂って、真実を求めない姿をつぶさに示された三毒段が終わった直後の、弥勒菩薩のお領解の一文である。

 「『仏は威神(いじん)尊重(そんじゅう)にして、説きたまふところ快く善し。仏の経語を聴きて心に貫きてこれを思ふに、世人まことにしかなり。仏ののたまふところのごとし。いま仏、慈愍(じみん)して大道を顕示(けんじ)したまふに、耳目(じもく)開明(かいめい)に して長く度脱(どだつ)を得(う)。仏の所説を聞きたてまつりて歓喜せざることなし。諸天・人民・蠕動(ねんどう=地にうごめくうじ虫)の類(たぐい)、みな慈恩を蒙(こうむ)りて憂苦(うく)を解脱す。
(略)
いま仏に値ひたて まつることを得、また無量寿仏の声(みこえ)を聞きて歓喜せざるものなし。心(しん)開明(かいめい)なることを得たり』と。」         『大無量寿経』下巻

  三毒の煩悩に狂う世間の人々の姿はまったくそのとおりであり、釈尊の説かれる真実の言葉(弥陀の本願)に頷かれた弥勒菩薩が、自らの領解(りょうげ)を述べられるが、その喜びは、それがそのまま仏徳讃嘆の言葉ともなっていくのだ。

 まさに大尊の真言が、私の心を貫き至って、仏恩も知らぬ無明の眼を見開かせ、仏智を疑い聞こうとしない閉ざされた耳にも、如来大悲の声が至り届いてきたのである。それは、弥勒菩薩と同様、末法濁世の我々の長い長い迷いの闇が晴れる瞬間といっていい。真っ暗闇の迷心が開き、闇が晴れる。末法の私達には、釈尊の説法を通し、七高僧の教示となり、親鸞様のご化導と、善知識方のご恩徳のおかげでないものはないのだ。そのお言葉の下に、今、まさに、うじ虫同然の迷いの身が、南無阿弥陀仏の雄叫びで貫かれていくのである。すると、迷いの目が開き、耳に明らかとなって、「心開明を得たり!」との歓喜の雄叫びをあげさせていただくのである。

 真実の言葉を聴いて、心が貫かれ、耳・目が開明し、歓喜し、心に開明なるを得る…。
なんという表現であろうか。何かを理解して分かったとか、何か納得できたとか、そう思うといった程度の話ではない。実際に、言葉に貫かれたものにしか表せない躍動的な表現なのである。これは、私の精神というか業魂(誤解のある表現だが)の飛躍であると同時に、弥陀の本願が、静止した死にものではなく、いま躍動する活動体としての現れだということなのだ。南無阿弥陀仏によって、迷いの心が貫かれ、心に開明を得る。

 それが浄土真宗なのである。

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