朝寝坊
今朝、目が覚めた。
もうひと寝入りと思ったが、なんとなく時計を見た。ハァー? 9時55分! 目覚まし時計をかけ忘れたのか、無意識に止めたのか。今日は、10時30分から自力整体の予約がある。会場は、堀川七条(西本願寺)の手前なので、自転車でどんなに急いでも10分以上はかかるし、遅刻しては入れない。「どうしよう? いくらなんでも無理だな」と、ボッーとした頭で、善後策。今週はキャンセルして、明日の予定と今朝の予定を変えようかと、いろいろと思案。取りあえず、パソコンを立ち上げて、欠席のメール入れることにした。でも、待て待て。こんな時こそ、体のケアが大事だし、心の疵になっていることもあるので、とにかく出かけてみようと考え直した。大急ぎで身支度。ヒゲを剃り、荷物を準備をした。梅しょうが番茶を飲んだが、朝食抜きなのでこんな時は便利だ。布団を干しかけたが、雨模様の空で止めて中に入れた。事務所に仕事のメモをおき、急いで自転車を走らした。
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おおー 間に合った、間に合った。10時25分に教室に、無事到着。
なんのことはない。いつもより余裕で教室に着いているではないか。
体組成計に乗る。体内脂肪が増えて、体内年齢も若干アップ。どうやら、疲労物質が溜まっているようだ。4日連続での出張法座に続き、昨晩はせっかくのアメリカからのお客さんがあったのに、ぼくは会食を休んで、新年号の華光誌の作業をした。師走は、何かと慌ただしい。体は、ほんとうに正直だ。
ある人に、「某会の合宿並みの、朝の素早さですね」っと言われて、思わず苦笑。
時間さえ過ぎていなければ、なんとかなるということやなー。
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コメント
私も身支度は早いです。洋服着るだけなら先生に負けないかもしれません。
低血圧なのに、どんなに早朝でもボーっとすることなく、テキパキ動けます。
お出かけのときって普通は男の人が待ちくたびれて「お−い、まだかぁ?」というのが定番なのに我が家は逆です。
「待って、あと5分!」とか言って主人に待たされることはざらで、しかも5分ですんだことはなく、15分近く玄関で待たされるのです。
間に合ってよかったですね。
投稿: relax | 2010年12月 8日 (水) 22:33
はい、さすがは、某会で何十年も鍛えられた宿善の催しなんでしょうなー。
ぼくはいつもは、布団から起きられずに、モタモタするのが、得意です。
投稿: かりもん | 2010年12月 9日 (木) 00:26
朝寝坊された由、実は私も我が家に戻って以来、朝寝坊の連続です。私の場合は間に合わず、遅刻出勤が重なっています。目覚ましを止めて、「あと1分」が曲者です。不眠が解消されて喜ぶべきか。。。
その節は お世話になり、本当にありがとうございます。
大会では予想通り、居眠りをしてしまいましたが、それに懲りず、またお参りしたいと思っています。
よろしくお願いします。
投稿: チャン | 2010年12月11日 (土) 07:02
報恩講様も御参りさせて頂く予定です。宜しくお願い申し上げます。
先日、共同通信系の報道で、テヘランの国立博物館が、大英博物館から借り受けて展示しているキュロス2世(キュロス大王)の印章を巡って、イラン国内で、「イランの誇り」とする市民と、「反イスラーム」的だとする一部保守派の対立についての記事を読みました。キュロス大王と言えば、インド(特に、既成のブラーフマナ(波羅門)教の他に当時の新興宗教であるサマナ(沙門)教である仏教、ジャイナ教、アージーヴィカ教《ジャイナ教と同じニガンダ宗の分派で後にジャイナ教に吸収された。菩薩思想の起源の問題等で仏教史との関係も注目》)等も保護し、その後の発展に繋げたマウリヤ朝)の文化に大変大きな影響を与えたアケメネス朝の開祖であり、世界史上名高い「バビロン捕囚」を通じて、ゾロアスター教又はマズダ教の影響によるユダヤ教の一神教化に大きな影響を与えたとされる(エジプトのアクエンアテン《アメンホテプ4世》によるアマルナ宗教改革のアテン神信仰が、ユダヤ一神教の起源とする説もありますが)方で、世界(宗教)史上でも大変重要な人物です。
故ホメイニ師の「イスラームを受け入れる以前の歴史は歴史ではない」との歴史観には、「原理主義」の恐ろしさを改めて想いました。最近では、チベット仏教でも主にゲルク派内部で一部に原理主義の台頭があるとされます(ダライ・ラマ14世猊下はリベラル派です)。
最近、J・キャンベル先生の『神の仮面』(青土社)が面白かったので、上記のようなことを特に感じました。
佛書では、松本史朗先生の『法華経思想論』(大蔵出版社)を拝読させて頂きました。前にも記しました、伊藤先生や、勝呂先生、刈谷先生等の御著書の論と比較しながら読むと大変興味深いです。
『法華経』の梵本写本には、ネパール本、ギルギット本、中央アジア本の3種があり、其々微妙に内容や編集方針が異なるようです。現存写本以外の原典も存在していたようで、漢訳仏教圏でスタンダードな鳩摩羅什訳(『妙法華』)、現存最古の漢訳である竺法護訳(『正法華』)も、チベット訳も、其々対応する原典が異なっている可能性が強いようです。そうなると「原典批判」と言っても何だかな~という気になります。
『無量寿経』でも、二十四願経や、中期大乗色の強い『荘厳経』には当然、「別の原典」があったわけで、スタンダードな魏訳(伝統的には康僧鎧訳。現在では東晋の仏駄跋陀羅と宝雲共訳が通説?)にしても、現存写本(18本?)や、チベット訳と原典が同じかどうかは分らないわけだし・・・。
松本先生の浄土教や、密教に通じる「易行化」批判については、色々考えさせられるものがあります。松本先生の視点は一貫して、「差別思想」批判です。
又、一貫した方法は「言葉」による徹底的な批判です。それは大変、尊敬せざるをおれません。
一方で、松本先生の『仏教思想論・上』『法然親鸞思想論』(いずれも大蔵出版社)『釈尊と真理 法が先か仏が先か』(を巡る八木誠一先生の問答。『ブッダから道元へ』《東京書籍》所収)で言及なさっている「絶対他者」(カール・バルト的なそれとの異同については、よくわかりません)を求める信仰的な態度にも共感するだけに複雑な想いもあります。
その点(易行化=通俗化)については、勝呂先生の御著書に共鳴しました。もっとも、勝呂先生は、御自身の信仰的立場(日蓮宗)からか、『無量寿経』を菩薩乗形式の勝った経典として、『法華経』を、より佛乗形式の勝った密教経典と、浄土経典の間の中間段階として位置付けなさっておられます。
追伸、現在読んでおりますのは、トマス・ピンチョンの『逆光』(新潮社)です。その後は、『薔薇の名前』のウンベルト・エーコの待望の邦訳『バウドリーノ』を読む予定です。どちらも宗教論がたっぷりも盛り込まれています。
投稿: 縄文ボーイ | 2010年12月12日 (日) 16:53
チャンさん、縄文ボーイ、コメントありがとう。
チャンさんは、無事にご帰国で、なによりです。
縄文ボーイさん、すごいですね。ぼくの読んでいない本ばかりです。また教えてください。
数日間から、ネットの接続(理由は分かってる)が悪くて、接続したり切れたりで、返事か遅くなりました。いまは応急処置で対応なので、簡単でご容赦ください。
投稿: かりもん | 2010年12月13日 (月) 01:18
私は朝寝坊のせいで、S会を辞めました
まだ18歳でした(15年前の話)、求道6ヶ月目の私は毎週末
法座に出向きせっせせっせと宿善を積んでおりました(笑)。燃えておりました。
12月24日のある朝、何とした事か目覚ましが鳴らず、目が覚めず。
恥ずかしくて恥ずかしくて、S会から、法友から足が遠のくきっかけになりました。
完全に名利の為に仏法を求めていました。方向違いです。
が、悲しいかな、今も性根は変わりません。
ただ、方向違いは阿弥陀さんが教えて下さいました。
迷ってる私を南無阿弥陀仏が迎えに来てくださった。
街はクリスマスムード一色。嫁さんもクリスマスツリーが欲しいと言い出しました。
私は「仏法を聴くならツリーを買っても良い」といいました。
阿弥陀さんが焦っておられるのを感じます。(妄念です)
一体後どれくらい家族と一緒に暮らせるのだろうか?
一体自分はいつまで生きておられるつもりなのか?
南無阿弥陀仏じゃないと間に合いませんでした。
南無阿弥陀仏
投稿: 樹氷 | 2010年12月13日 (月) 12:18
樹氷さん、よかったですね。もし朝寝坊しなかったら、いまでに賢善精進だったかな?
絶対に目が覚めない日がやってくる。それまでに、迷いの目を覚ますことができたんですから…。
投稿: かりもん | 2010年12月14日 (火) 00:41
遅レスですが、前レスでミスが多かったので訂正します。
刈谷先生は、苅谷(定彦)先生の事です。名(名字)の誤り、申し訳ありません。
『バウドリーノ』は、上下巻で(岩波書店)で、『薔薇の名前』も上下2巻で(東京創元社)です。後、『神の仮面』『逆光』もいずれも上下2巻です。
後、キュロス大王の業績が、バビロン捕囚みたいな書き方になっていますが、正しくは、キュロス大王の業績は、「バビロン捕囚の解放」です。偉い違いですね(苦笑)。ユダの民衆が、アケメネス朝の解放により、ゾロアスター的教説を受け入れて、一神教を信受する前提となる(広義の)「末法思想」を受容する機情を調熟し、心理的土壌を醸成したのが、捕囚期間の困苦だと言うことです。
歴史上、「末法思想」の受容と社会情勢については、インドでも、中国でも、ヘレニズム社会でも、ヨーロッパでも、そして日本でも大体似ていますよね。
投稿: 縄文ボーイ | 2010年12月19日 (日) 11:51