今夜はイノシシと衝撃
高山支部報恩講の法座。
勤行は、もちろん、お正信偈で、そのあとに、高山支部の名物のお斎が出た。
今回は、子供たちも合わせると、50名分もある。高山だけでなく、東海や北陸(福井・金沢)組だけでも、10名もあったが、そのお世話だけでもたいへんである。
みなさんの持ち寄りで、13品もある。中には、赤飯のもち米や小豆を提供くださる老婆もおられる。ほとんどが精進料理で、山国ならでは、ちょっと珍しい山の幸が、とてもおいしかった。これもまた、師走の楽しみのひとつになっている。
お斎の後は、ご法話と、座談会。2日間で、法話は、3座だ。今回のテーマは正信念仏偈に絞った。『三帖和讃講讃』に続いて、今度は、『正信偈』の解説本を計画しているので、華光誌にも講話形式のものを掲載している。それに合わせて輪読しながら、解説と法話である。もっとも全部はできない。それで、題名や意義について1座。全体の概観(構成)に1座。そして、「帰命無量寿如来、南無不可思議光」の帰敬表宗で、1座とした。それなりに詳しくお話したので、それでも時間不足。馴染みのあるお正信偈でも、知らないことや、初めて聴くことも多かったらしくて、新鮮にお聞きいただいた。ぼくも、いろいろとわが身に聞かせていただいた。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と始まり、その「南無阿弥陀仏」のおいわれが弥陀の救済、そしてそれをお示しくださった釈尊の教化、そこから七高僧方のご苦労があり、そしてそれを親鸞様が讃えてくださり、蓮如様のおかげで身近に味わわせていただき、そして先生方のご法話をいただいて、やっとわが身のところに届いてきたのである。ほんとうに有り難くて、勿体ない、ご恩徳のかたまりなのだ。華光誌の悟朗先生の講話がそうだが、単なる語句の解説や講義ではなくて、あくまでも我が身を通し、我が身が問われてくる(お経によって斬られてると表現されているが)、そこから出てくる味わいが、ほんとうに尊かった。
いろいろな意味でいいご縁をいただいた。
2日間の法座を終わり、前泊の方もあったが、後泊組もあったが、F家で分かれて、こじんまりした会食。でも、じっくりと話を聞けてよかった。
高山線の最終の特急に乗る。最近は、バス利用者が増えているのか、列車は空いている。この時期は、行き帰りとも指定をとらなくてもガラガラだ。単線なので、上下線のすれ違いなどで、待ち合わせも多くて、定刻よりも遅れることがある。それで、新幹線も自由席にしているが、定刻につくと、うまい時間にひかり号がある。
車内改札が始まって、ぼくの手前まで来た時に、軽い衝撃と、急ブレーキで急停車した。この感覚は経験している。ああ、またかである。前回は5月で、先頭の1号車だったので衝撃は強かったが、今回は、3号車なので、衝撃は軽いが、急停車の衝動はかなりあった。放送は、「飛騨一ノ宮あたりで、動物と衝撃しました」とのこと。最初は、「シカ」だったが、「イノシシとの衝撃」と変更になった。1年に4、5回しか乗らないのに、年に2度も、動物とぶつかる列車に乗るなんて、なんかついているのか、ついていないのか。
私たち人間にすれば、列車は遅れるし、死体の処置はたいへんだし、衝突する動物を迷惑だと思うのだが、よく考えてみると、動物たちの通り道を横切るように、鉄の固まりを走らせて、しかも、無慈悲にも、そのいのちまで奪っていくのだから、どちらがひどいかは一目瞭然だ。高速道路でも、河川の改修や、土地の開発でも、結局、私達人間は、自分たちのことしか考えていないのである。共生なんていっても、きれいごとごでしかないなー。
車両点検は30分はかかるだろう。これでも、一度、経験していると、焦ることもなく待ってるものだ。結局、40分遅れで出発したが、この程度ですんだとホッとした。列車が走り出すと眠気がやってきて、熟睡。珍しくよく寝ていたのに、車掌に起こされた。切符の改札の続きだ。遅れることは仕方ないけど、ここはもうちょっと融通がきかんのかなと、相手もお仕事と分かりながらも、こんなことでもブチ不機嫌になるのでした。
5月にぶつかったときの記事は以下で。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-7ee2.html
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コメント
かりもん先生、高山支部報恩講法座 お世話になりました。
御法座後のお食事会もありがとうございました。
私、なぜか報恩講さんが大好きなんですよね~
“南無阿弥陀仏”がこの私に届くまでの数々の御苦労なんて考えたこともなく、これから先もわかり得ることなどあり得ない、そんな私にかけられた如来さまの願いを聞かせていただくという不思議・・・。
阿弥陀さまから一直線に願われている私は、迷っているとも知らず、無力であるとも知らず、今が後生とも知らずに無明の真っただ中。
だから御恩徳の深いことも尊いこともわからないけど、これを先生や先輩・友同行からお聞かせいただき、仏智に照らされた自分を観させていただくほどに、「御苦労をおかけしております」との心までいただいて、これが“南無阿弥陀仏”と口から飛び出てくださいます。
その“南無阿弥陀仏”が、「早く来い!」とのお慈悲の勅命であり、それが御恩報謝になるとは・・・! 何から何までいただくばかりです。
南無阿弥陀仏
投稿: Nちゃん | 2010年12月 6日 (月) 15:31
先生、お世話になりました。ありがとうございました。もたれたら開くドアを一生懸命引っ張っている私。もう開いてるよとも教えて頂きました。うーん、うーん、うーん、それってどういうことかなあ(しばらく考えている)。
うーん。・・・あれ、私は何を考えているのだろう。うーん。それもわからなくなる。はぁ~・・・・(情けないため息)
ほんとうにたくさんの人に教えて頂きました。「なんでわかってくれないの」と、もどかしく悲しい思いをさせてしまいました。すみません。みなさんありがとうございました。
P.S. 先生、岐阜の会場は隣接のビルですが、やっぱり道案内がいると思います。
投稿: キャロル | 2010年12月 6日 (月) 17:50
Nちゃんさん>ようこそ。もしかして、コメント初登場だった? あれから、列車がイノシシにぶつかったので、もしかすると、バスと変わらなかったかもね。
そうだね。わからないから、教えていただく。そしてそれをお聞かせに預かるだけ。でも、そのお聞かせに預かることまでも、何を、どう聞くのかまで、1から10まで、みんな教えてもらっていくんだよね。全部、他力ではないものはないんですから…。無慈悲の、無明の上に、それが実現していく。勿体ない話ですね。
キャロルさん>自分の上の結果や成果だけで焦らないでね。恩は「因」に心だったですよね。私のよかった、悪かったではなくて、如来さまのご恩徳の高いことをお聞かせに預かっていけば、いいんじゃないかなー。あの手、この手のご方便じゃなかったですか。
東海支部、お世話になります。時間がわかれば、担当に方に連絡します。
投稿: かりもん | 2010年12月 6日 (月) 23:05