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2010年12月の25件の記事

雪の大晦日

Img_3774_2 大晦日。

 京都は、今年初めての雪だ。雪国の方には、なんの珍しくもない光景だろうが、このあたりでこれだけ降るのは久しぶりで、子供たちは大喜び。ずっと外ではしゃいで遊んで、冷えたので風呂に入ってから、また外で遊んで、夕方からは熱が出Img_3781て寝込むという、まことに子供らしいパターンで、カンロはダウン。

 昼すぎから、京都の前で名神も京滋バイパスも、阪神高速の8号線も、すべて通行止めとなっている。夕方に出発した名古屋の姉一家も、到着が大幅に遅れて、深夜になるという。夜には雪は止んだが、明日の修正会に影響がなければいいが、ちょっと心配だ。Img_3778

 夕方に、支払いや明日の買い物のために近所のお店をナナと回った。真っ白な公園で、雪だるまを作ったりして、少しだけ遊んだ。喜びすぎて、雪の中で、なぜか正座している? 
 見上げた東寺も雪景色で美しかった。Img_3787

 帰宅したら、すぐに仏壇のお荘厳。鏡餅を備える。写真は、2階と3階のお仏壇の分。昨年までは、ずっと父の係だったが、昨年はいろいろたいへんだったので、今年は、最初からぼくがやることになった。
Img_3790_4 明日の式次第などの修正会の準備をすませてから、やり残したいた家の中の大掃除にとりかかる。風呂やトイレを丁寧に洗ったり、水道の蛇口のそうじ(錆が溜まっていたのを取り除くと、すごい勢いで出てきたのでびっくりした)をしたりして、夜になってから、やっと自分の部屋も片づけたところ。

 今年も皆様、お世話になりました。

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来客

 年末も押し迫る。

 日曜日から、隙間時間を見つけては年賀状の一筆書き。今日は、ずっと最後の作業。

 年賀状といっても、法座案内に一言書くのと、日曜礼拝の子供会用のものが中心だが、あわせて、400枚ほどある。そこに個人のものが100枚程度あるので、合計で、500枚もある。印刷して送付するだけならすぐ終わるが、ほんの一行だけだが、全員に一言添えていく。スペースないので、だいたい同じような法語になるが、数パターンあって、その人の顔を思い浮かべて、少し添えて書く人もある。例年のことだが、けっこうたいへんだ。

 合間に、アメリカから、ご夫婦での来館。

 お母様には、父が米国布教中にたいへんお世話になった。ぼくも、アメリカに行ったときにはご自宅に泊めていただいた。ディズニーランドのあるアナハイムの、閑静な住宅街にある豪邸で、家の真ん中にはプールもあって、数部屋あるゲストルームも、とても素敵お家だった。

 本山で帰敬式を終えられたところだが、ご主人は、白人でクリスチャンだそうだ。奥様も、日本語でのやりとりはできても、華光誌を読むことは出来ないのだと、残念がっておられたが、仏教(真宗)を学びたいという意欲的だ。さすがに強信な念仏者の陶薫を受けておられることが、やはり尊いが、言葉の壁はなかなか難しいもがある。

 

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大掃除~「サラサ3」へ

 年末恒例の大掃除。

 事務所のT嬢は、一足早く年末年始の休みだが、仏青有志の皆さんがお手伝い。

 旧華光会館では、8月のお盆ごろに、衛生掃除と称して、大掃除があった。道場の畳をすべて上げるだけてなく、住居部分のタンスや家具も全部動かして、すべての畳を外に干した。まあ、いまから考えると超たいへんだったが、その後で、みんなで隣の銭湯に行き、会館で一杯飲むのが、楽しみでもあった。残念ながら、そんな大がかりなことは、もうできなくなった。それでも、日頃手の届かない外回りや高いところ、こまごました掃除してもらった。だいたい、京都や大阪に住む仏青の有志がお手伝いくださるが、例年、顔ぶれが少しずつ代わってくる。昨年にお手伝いくれた人も帰省や結婚で、今回は男性中心で、わりと外回りの仕事がおおかった。午後からは女性もひとり加わって、いろいろとお手伝いくださった。皆さん、お疲れさまでした。

Img_3020 終了してから、ちょっとした慰労会。今年は、三条商店街にあるcafeサラサ3へ。さらさは、京都では有名なカフェグループで、町家や銭湯を改造した店がある。ここは、たぶん元たばこ屋さんだったところで、奥に離れもある。ぼくも、ひとりランチでImg_3749用するが、料理もおいしいくて、リーズナブルなお得感がある。でも、奥の離れは初めて利用した。クツを脱いで、友達の部屋にでも遊びにきたようだ。慰労会から加わる人も増えて、会場としてはちょっと狭かったけれど、アットホーム名雰囲気でリラImg_3737ックスできる感覚はよかったし、料理やお酒もおいしかった。

  その席で、大そうじを法話会とひっつけて、もう少し遠方の皆さんにアピールしてはどうかという提案。確かに別院や寺院では奉仕活動としての清掃が恒例になっている。やっImg_3738てみたら面白いかもしれない。ただし、一般の寺院と違って、この時期はギリギリに華光誌の発送があって、その後も、最終の日曜日まで法座が詰まっている。修正会の準備もあるので、かなり慌ただしいので、逆に負担になるような集いImg_3760は難しいかもしれない。それでも、もう少し工夫したり、拡大した形でのお世話なら可能なので、またなんらかの形で、来年は計画してもいいだろう。

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海遊館

Img_3520_2 午後(といっても、もう3時)から、大阪天保山の海遊館へ。動物園や水族館は年に、1、2度は出かけているなー。

 カンロのクラブ活動(卓球部)の試合の都合で、出発は、3時前になった。高速を行くと1時間ほどで着く。ライImg_3515トアップやナイト営業を目指していたので、この時間でもちょうどいい。

 ところが、名神の京都南のICを入ったら、下りだけが大渋滞である。本線にも入れりない状態。年末の帰省にしては随分早いし、出かけに調べた時には渋滞情報はなかった。目の前をバトカーがバックで走ってきImg_3538た。どうやら直前に交通事故が発生したようだ。かすかに聞こえる道路情報では、20分ほど前に接触事故が発生し、その処理中だというのである。ノロノロ進んだり、止まったりしているうちに、やっと大Img_3623山崎手前の事故現場に。フロントガラスが蜘蛛の巣状になっているバンが1台。それほどの被害ではない。相手の車はみあたらないし、どこかにぶつかった様子もないのに、警察が3車線の中のImg_3665線に這いつくばって検分中だった。その事故現場を過ぎると、あの渋滞は何? というほどガラガラに空いてくる。
 後で、ニュースで知ったところ、高速道路の落下物(段ボールだっかたな)の処理をしていた高速隊隊員が、車と接触したというのである。道理で車が1台だけなのImg_3669に、職務中の警察官の人身事故なので、検分も時間がかかったのであろう。

 結局、1時間の予定が、阪神高速の環状線もImg_3662の渋滞もあって、2時30分ほどかかってて到着。なんかお疲れさまでした。でも、おかげで、5時からのナイト料金が適用されて安くなって、上、空いていImg_3693た。ただし、水槽のライトも落ちて、暗くて少し見づらくなっていたのが難点でもある。でも、帰りに、京都南ICをでた時には、夜の10時を数分過ぎてきて、料金は半額になっていた。結局、そんな風に、悪かったり、よかったり、悪かったImg_3698り、よかったり…の繰り返しなんやなー。

 海遊館は、子供たちは大喜び。ライトアップもImg_3708よかったけれど、浮遊感たっぷりのクラゲと期間限定のサメの展示が面白かった。なかでも、水槽にたくさん泳ぐサメやエイに触れられるコーナーに、大喜び。触れてもImg_3609いい背中の場所の説明もあるのが、尻尾で刺されたり、嚙まれたりしないか、最初はちょっと恐る恐る。でも、これがけっこう面白い。文字通り、サメはサメ肌で、ザラザラしていたのだが、エイの背中はヌルヌルしていて、案外気持ちよかったー。どちらにしても、ちょっと初めての感触だった。

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輪読法座(正信偈の構成)

 輪読法座は、正信偈の大意(序論)の、2回目。全体の構成・組み立てのところ。一句・一句は味わっていても、全体の組み立てや、その句の全体での位置付けには、なかなか目が行かない。たとえば、序論(帰敬・表宗)・本論(真宗の教義)・結論(結讃と勧信)の大きく3分科(結論を本論の「依釈段」に收める見方もある)されるが、本論のところは、前半の大無量寿経に依っている「依経段」(さらに「弥陀の救済」と、「釈尊の教化」と二分科され、また次ぎ次ぎと細分化されていく)、後半は、七高僧に教説に依っている「依釈段」に大別される。その「依経段」・「依釈段」という表現でもそうたが、精密に分段された図表と、実際の正信偈にあたって確認していくと、「始めて聞いて感心した」という方が多くおられた。ほんの一部だけを簡単に紹介すると、

 まず、ご自身の体験告白であり、正信偈の要点でもある「帰命無量寿如来 南無不可思議光」で始まるが、これは真実が躍動し、この哀れな私をご覧になり、ジッとしておれんと現れてきてくださった姿である。(以下、因位の本願)、つまり、真実が法蔵菩薩に成り下がり、因果を示して現れてきてくださり(示現=法蔵菩薩因位時、在世自在王仏所)、それを完全無欠のものたらしめんとして善を修めてくださり(摂善=都見諸仏浄土因、国土人天之善悪)、諸仏浄土の世界から南無阿弥陀仏を完成させるために、お師匠さまの世自在王仏の御前でのご修行が始まり、五劫のご思案、兆載永劫のご修行が起ってくるが、それもすべて、私達に向かって廻向(=建立無上殊勝願、超発希有大弘誓、五劫思唯之摂受、重誓名声聞十方)してくださる。

 (以下が、果上の救済)、その回向される物柄が、光明と名号。つまり、光明(普放無量無邊光、無碍無対光炎王、清浄歓喜智慧光、不断難思無称光、超日月光照塵刹、一切群生蒙光照の十二光、光明は救済の縁)となり、私の本当の姿を照らし出し、そして私というものを光でもって育てあげた上で、南無阿弥陀仏のお名号が、ついに私の心を貫いた時に信心となり(本願名号正定業、至心信楽願為因・救済の因・行信)、平生業成によって浄土に往生させてもらうことができる(成等覚証大涅槃、必至滅度願成就・救済の果・証)。

 その南無阿弥陀仏という名乗りが、お釈迦さまのご説法となって、この地上に説き顕されてくる。つまりお名号の具体的な現れである『大経』によって明らかにされてくるのが、釈尊の出世本懐(=如来所以興出世、唯説弥陀本願海、五濁悪時群生海、応信如来如実言・出世の本懐)で、そこから、その弥陀の本願を信じた功徳を示す「信徳と勧信」(能発一念喜愛心~是人名分陀利華)である信心の五徳(=一念業成・帰入一味・心光常護・横超五趣・諸仏称讃)、さらに「難信と誡疑」、つまり勧信(=弥陀仏本願念仏、邪見驕慢悪衆生、信楽受持甚以難、難中之難無過斯・極難信の法)へと展開して、依経段が結ばれていく。そして、さらに三国の伝承へと続き、七高僧のご解釈とお勧めへと連なっていくのである。

 普段は、そらんじる様に何も思わず拝読しているが、実はお聞かせに預かれば預かるほど、聖人の腹底というか、その腸(はらわた)の宣布であると同時に、真宗教義のエッセンスが連なり、凝縮されて展開するのであって、ただただその深さ、広大さに脱帽し唸るばかりたった。これは、単なる教義の羅列ではないことは、明らかだ。すべてが、南無阿弥陀仏の活動、展開によるが、それが弥陀の本願に始まり、釈尊の教化とつらなり、七高僧の発揮、それが親鸞様によって明確となり、さらには蓮如さまが抜き出してくださったおかげがあり、それを代々の善知識方の具体的なお示しによって、いま、私のところに真実が届いてきているのである。まったくもって勿体ないことではないか。

 今回は、全体を大きくみたので、次回からは、その中味を細かく味わっていく。1月は、巻頭言なので、2月と3月と2ケ月かけて、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の一行であるが、序論でありながら、同時に、聖人の体験告白であり、全体の要点を示すもっとも肝要な一文といってもいい。皆さんと、輪読するのが楽しみだ。

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満中陰法要と華光誌発送

 午前中は、同人宅への四十九日法要。

 亡くなった叔母さんの法要。お葬式は別の地域で、葬儀屋の紹介での大派方が行なわれたが、ぜひ、華光でのご縁に会いたいとの依頼があり、法要だけでなく、法話も含めて行なうことになった。故人とは、毎年の法事やお盆参りで面識もある。法要には、初めての方もおられたので、礼拝聖典を配り、勤行の説明をして、「心を合わせてお勤めさせてもらいましょう」と一言。ご法話は、合掌や「南無阿弥陀仏」のお念仏の意味について。初めての方は30代から40代の方。これまでの仏縁がないと、手を合わせてくださっても、「南無阿弥陀仏々々」と口にだされることは、まずない。昔は、家のしきたりや習慣としてあったことも、今は伝承されていないことが多い。それで、「お念仏をお願いします」だけでは不自由分で、南無阿弥陀仏の意味や、合掌の心、口で称えることの大切を、まずは理由から入っていかないと、先には進まないようだ。結局、それが単なる理屈ではなく、その心を聞くことがご聴聞になるのであるから…。

 ご法話のあと、皆さんと合掌礼拝した。ああ、最初に比べると、皆さんの称名念仏の声がハッキリと聞けえてくる。一般的なことだが、「南無阿弥陀仏」というのも、普通は、呪文や祈祷、もしくは単なる故人の追善供養のためという理解しかなかかったようだ。それが、度か重なるお育てをのかげによって、久遠の親が迷える孤児の子を呼ぶ呼び声であり、そのまま子の私が、親を慕う報謝の称名となる。つまり、そのおいわれをお聞きし、お心に触れて、初めて「南無阿弥陀仏」のお心に私が貫かれていくのであるが、まず「南無阿弥陀仏」の一声が、その第一歩である。

 帰宅したら、華光誌新年号の発送作業へ。70巻1号。本体と、年賀交換と、来年度の行事予定表も付録しています。明日は日曜日なので、月曜日か、火曜日にはお手許に…。

 内容は、前号の誌上講義「正信偈の大意」の続きで、1行目の「帰命無量寿如来・南無不可思議光」のところ。帰敬と表宗の段で、序章にして、お正信偈全体の要点を表している、肝心要のところ。いわば「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」のである。
 特集、今年の11月生れの、ママの出産(妊婦)体験記が、3名分ある。そのうちのひとりは、連載で信仰体験記となっている。後は、9月の日高への聞法旅行の感想文が、大挙あり。皆さんの感銘ぶり窺えますぞ。どうぞ、お楽しみに!

 それにしても、今日は寒かった。法衣姿で、迎えの車を待つ間、外で待機。強い木枯らしに、雪が舞って、かなり冷えた。明日も、寒い1日。輪読法座には、お気をつけてお出かけください。

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飛行船

Img_3502 木枯らしが吹いた、寒い1日。

 空を見上げると、青空に飛行船が、音もなく、フワフワと浮かぶように飛んでいた。Img_3499

 もう今年も、残りは1週間となった。

 

さて法座も、26日(日)の「華光誌輪読法座」が、今年の締めくくりとなる。

日時:12月26日(日)昼1時30分~5時

会場:華光会館3階研修場

内容:華光誌69-4号・誌上法話の輪読。『正信偈の大意』の2回目
 今回は、正信偈の全体(特に、依経段)の構成・組み立てについての概観が中心です。輪読以外にも、プリントを配布して補足する予定です。

 寒波襲来で、数日は寒い日が続きそうですが、今年の最後です。奮ってご参加ください。

 ちなみに、その次ぎの法座は、年が明けた冒頭を飾る、23年1月1日(土)昼1時30分「修正会法座」となります。

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蝶々

Img_2087 午前中、子どもたちと、京都市の科学センターへ。

 蝶々を見に行った。

 日本最大の蝶で、沖縄・八重山諸島などの亜熱帯に生Img_3462_2息する、オオゴマダラ。この蝶のサナギは黄金色で、とってもきれいだ。そのサナギで飾られたクリスマス・ツリーがあった。黄金色が、サナギ。真ん中に、蝶も止まっている。

Img_3476

 こちらが幼虫。これが、金色のサナギとなり、大きな蝶となっていく。

 青い翅のリュウキュウアサImg_3464_2ギマダラ白い筋の入ったシロオビアゲハなどが乱舞していた。

 静かにジッとしていたら、人間を恐れずImg_3484_2に、からだや頭にも留まってきた。

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夜は飲み会

  華光誌も発送を残して一段落したので、ここ数日は、会計の相談に始まって、来年の旅行、子供大会の会場、出版の計画など、これからの仕事の打ち合わせが多い。

 来年9月の越後聖跡巡拝に向けた旅行社との相談。流罪の地(居多ガ浜や竹之内の草庵跡など)である越後の聖人のご旧跡地には、たくさんの見どころがある。加えて、恵信尼公を偲ぶ旧跡もあるので、盛り沢山。同時に、せっかく上越まで来たのならば、旧牧村のI先生のご自坊も尋ねたいのだが、往復の時間もかなりかかるので、宿泊場所も含めて変更の必要もある。このあたりは継続して検討することになった。詳しくは、4月の華光誌に発表したい。

 午後からは、出版社(白馬社)との打合わせ。5月の永代経法要に向けて、増補版『後生の一大事』の発行に向けたタイムスケジュールなど。再版に、1章加えるが、版のシステムがことなるので、一からの作業になる。1月中旬渡しなので、あまり時間はない。『三帖和讃講讃』は、下巻を中心に定期的に売れているとのこと。この勢いで、『正信偈』の出版も進めていきたいが、レジュメ中心か、テープを起した文章中心かという方針から、検討していくことになっている。これは、再来年(24年)の発行予定。

  夜は、連れ合いが幹事をしていた、T先生の研究会の飲み会に出席。ぼくは、最初、他の集まりの予定があったが、延期になったので、出席することになった。龍大の大宮学舎から少し細い路地を下った、赤提灯のトンカツ屋。ゲストで、M先生もお出でになっていた。今月、一緒に飲むのは、2回目である。

 T先生とお話するのも久しぶりだ。仏教とカウンセリングの共同研究を主宰されている。専門は発達心理なのだが、強信のお母さまの影響で、真宗のお法を、求道・聞法されて、わが身の上で体験的に聞法されている。若い人達を集めて、外に対象を置いた聴き方ではなく、自分の身をかけた聞法の集まりをもちたいとの願いを語っておられた。ぜひ、実現できれば、面白いかもしれない。
 ほとんどが顔なじみの方だったが、心理畑の数名と初めてお会いしたので、研究や専門についての話を窺った。短時間でも、それなりに刺激をもらう。

 それにしても、不思議なお店で、飲み物・アルコールはすべて持ち込み(もちろん、持ち込み料なし)で、やたらと揚げ物(トンカツ屋なので)ばかりが出てきた。安くて、おいしかったけれどね。

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選択本願

  今年最後の伝道研究会。

  6月から、同人の方なら、どなたでも出席できるスタイルになったが、今夜は、福岡の大派のご住職のT先生も出席くださった。京都での布教の後で残ってくださったのだ。

  まだ第一章の「弥陀の発願」のところだが、今回は、選択本願と、五願開示(真実五願)という、本章の要点といってもいいところだった。

 前回は、真仮三願のところ。四十八願には、衆生の生因について、18、19、20の三願が示されている。そのうち、19、20願は、方便の願である。しかしながら、真実の18願も、方便の願も、すべて阿弥陀如来の大悲の願海に報うて起ってきたものである。

 ところで、もともと(七高僧の場合)、選択本願とは、四十八願のすべてを指す立場(因本願)もあるが、宗祖は、根本願として、第十八願を選択本願と見られたのである。つまり、真仮の生因三願は、すべて大悲より起っているが、選択本願として、選び取り、選び捨てをされ現れてきたのは、第十八願のみなのである。それが、テキストの冒頭に引用された、「選択本願は浄土真宗なり」(御消息集)とのお言葉となるのだ。

 以前も触れているので重複するが、選択は、「せんたく」ではなく、真宗では「せんじゃく」と読む。もともと、この「選択本願」とは、法然上人が、その著書を『選択本願念仏集』と題され、さらに、「本願章」には、 「選択とはすなはち、これ取捨の義なり。いはく二百一十億の諸仏の浄土のなかにおいて、人天の悪を捨て、人天の善を取り、国土の醜を捨て国土の好を取るなり」と顕しておられる。それを受けた、親鸞聖人も、第十八願名について、「この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。この大願を選択本願と名づく」と示されているように、まさに、「浄土真宗は選択本願なのだ」ということになる。だから、この場合の浄土真宗は、小さなセクトとしての宗派名ではない。

 法蔵菩薩の願い、ご本願は単なる願いではない。「選択摂取されたご本願」であり、真実の願なのである。

 世自在王仏のみもとにあって、そのご指導をもとに、二百一十億の諸仏の刹土を覩見された後、「二百一十億の諸仏の妙土の清浄の行を摂取す」と示されているが、法然さまは、選択と摂取は、言葉は異っても同じ意味であるとみられている。つまり、選択には、「選取」「選捨」の両義があり、それに対して、摂取には、「選取」の義のみがあるように見えるが、その選取はそのまま他の「選捨」であるので、選択と摂取とは同じ意味である。もちろん、ここでの摂取は、「摂取不捨」とは別義である。

 では、なぜ、選び取り、選び捨てをしてくださったのか。そのおこころは、「出離の縁有ること無し」、諸仏方のお力では絶対に救われる縁のない私くしを、なんとか救いたいの一点にかかっている。つまり、仏願の生起-そのお心が起こってきた背景が、ここにある。だから、誰のためのご本願なのか。なんの為の選択であり、五劫のご思案であるのか。そこに私が抜けると、単なるおとぎ話か神話であって、いつまでも自分の問題になってこないのである。

 その十八願の願意が、信心(至心・信楽・欲生の三信)正因であることを明かすめに、十八願を、11、12、13、17、と18願に開かれた真実五願、つまり、法然上人の一願(十八願)建立の立場に対して、信心往生たる五願開示の立場が、親鸞聖人の発揮といっていいのであっる。

 次回は、1月25日(火)夜7時30分から…。

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『武士の家計簿』

 20日は、MOVIX系の映画館が1000円。時代劇2本とも思ったが、続けるのなら毛色が違う方が気分転換になる。1本目は、静かな人情劇の『武士の家計簿』。続いて、ロックなミュージカルで、ストーリーは極めて陳腐ながら、主演の二人(クリスティーナ・アギレラとシェール)に、舞台が、可憐かつ豪華な『バーレスク』を見た。

Img_3452 『武士の家計簿』は、新書では異例のベストセラー「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」を原作(というより原案に近い)の映画化。派手な斬り合いも、大事件(時代は大激動)も起こらないが、ある下級武士の3代に渡る日々の暮らしを通して、親子、夫婦、そして家族の情愛の機微をユーモラスに描いた、いわば人情劇だった。特にラストなんかそうだなー。御算用者(経理係)として、代々にわたり加賀100万石の財政に、刀ではなく、そろばんと筆でかかわっていた、そろばん侍の姿を描いた、時代劇としては異色の素材だ。武士としては、いわば賤しい仕事で見なされながらも、現実は財政を預かる重要な仕事でもある。

 幕末から明治維新の激動の時代。幕末になると、最大の外様大名で、徳川御三家に準ずる加賀藩も、財政状況は緊迫。それぞれの武士も、出世と比例した身分費用(武士の体面を取繕う費用)の高騰で、内実は、借金だらけの貧窮状態。そんな武士の構造的な問題に加えて、(映画では間接的に触れられているが)社会経済の基盤の変化-田舎の農業(米)本位とした体制から、都会の貨幣経済の発展に伴う、旧泰然として身分制度の疲弊も、その背景にあるのだろう。

 また、現代の社会状況にあわせた、不正の内部告白のシーンなども挟まれている。主人公が、職務を真面目に遂行するがあまり、慣例の不正を告発することになり、逆に、城下の金沢から、能登の輪島に左遷の命令が下るシーンがある。このあたり、個人的におかしかった。いまでも、辺境で地の利がないと、輪島の方が言われていたものなー。

 『桜田門外ノ変』前後の物語で、まさに大激動の時代だ。しかし、そんな社会や時代の大うねりも、積極的に参画した武士はむしろ少数派で 実はその大半が、与えられた職務を全うしながら、地道に日々の暮らしを送っていたのであって、日常の武士の生活の暮らしぶりに焦点を当てて、ある意味、淡々と描かれているところが、面白いのだ。結局、この家は、武士の体面をスパッと捨てて、家財道具や家宝を処分し、借金の返済にあてることを決断した。それでも不足分は、日々の倹約生活を実行して、借金返済にあたるという現実的な路線で、健全な体質を目指していくことになるのだが、このあたりも、そろばん侍の面目躍如だ。

 ところで、産婆さんが登場する仲間由紀恵の出産シーン。助産指導に、わが子を取りあけてくださった、あゆみ助産院の左古かず子さんの名前がクレジットされていて、びっくりした。映画では、ほんの1分もないシーンだけれども、しっかり監修や指導つくんだなと感心した。しかも、それがあの左古さんの指導なんだがら、さぞかし、いいお産ができたことでしょう。

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名医に会う~東海支部法座IN岐阜

 東海支部法座。

 名古屋か、その周辺の愛知県下が多かったが、今回は、岐阜市内の会場。岐阜駅駅ビルに直結していて、駅からが便利だ。会場も、和室で明るくて広いし、人数が増えても大丈夫なことや、グループに分かれた分級座談会が持てるなど、便利な点も多い。

 高山や福井からお参りもあって40名ほど。初めての方も多かったし、来年1月からは、役員もフレッシュに生まれ変わり、うまい具合にベテランと若手が融合しつつあることが、楽しみだ。もちろん、これからのお育てが大切だけれど、いろいろと可能性は大きい。

 ご法話は、お釈迦様のカルテという話。K先生の「阿弥陀様のカルテ」の改訂してお話させてもらっている。というのは、阿弥陀様が、私の重病人、死に至る不治の病(難治の三病)であることに驚きを立てられて、それをみなわしてくださったのが、すべての始まりで、そのことを教えてくださったのが、実はお釈迦さまだからだ。大経下巻の三毒段にあるように私の迷いの実相が、いわば、その迷いの症状にあたる。そして、それを、お釈迦さまの口をかりて言葉となり、七高僧方のお示しを通し、親鸞様のご出世があり、蓮如様を始めとする善知識方のおかげによって、いま、私達がそのことをお聞かせに預かっている。

 しかし、それを具体的に教えて下さっているのが、実は、私を担当してくださる、いわば担当医の先生である。以前、ここにも書いたが、お医者様なら誰もでもいいというわけにはいかない。後生のことも同じだ。善き師に出会う。そして、善き友に出会う。そのことが、仏道のほとんどすべてを成したことだというのである。ぼく自身でいうならば、その先生に出会えたことが、いまの自分のすべてだと言ってもいい。そう言い切れることが幸せである。そして、私を必ず直してみせるとおっしゃってくださる先生に出会ったあとは、その言葉をそのまま聞かせていただくだけでよかったのだ。だから、あっちの先生、こっちの先生とつまみ食いをしながら、いいとこどりの聴聞ではなて、しっかり善き師に会わせてもらったかどうかが、とても大切になるのである。

 もっとも、「先生に出会ったあとは、その言葉をそのまま聞かせていただくだけでよかった」と言っても、そこが、また難関なのである。なぜなら、私は聞き間違うからである。だから、聞いたところを口に出して、私の聴き方の間違いを糺してもらうのだ。「聞き間違う」それが凡夫の聞法であり、それを糺していただくことが、聴くことなのかもしれない。迷いの轉倒の身が、真実そのものを正しく聴くことなど出来るわけがないのだ。

 第一、私の願いは、ただ痛みを緩和したい、症状を少しでも楽にしたいという、目先のことにしかないからだ。症状である、四苦八苦(一切皆苦)に苦しめられていると、後生なんてどうてもいい。いまの苦しみから逃れたい。痛みを緩和したい。少しでも、症状を楽にしたいの思いしかないのだ。逆にいうと、痛みがなくなったり、気分がすぐれたら、病気が治ったと錯覚してしまう。そんな表面のことしか分からない。しかし、私に実感や自覚がなくても、おそろしい病ほど、静かに内部で進行し、身体を犯しているのだ。それが、私の三毒の煩悩のおそろしいところである。外からの攻撃(ウィルス)に対しては、防衛反応が働き、攻撃に痛みが伴って信号を送ってくれる。しかし、私の中から生まれた(たとえば、癌細胞)ものは、初期には無自覚で気づきにくいのと同じだ。自分の内のことには、気付けないのだが、もし重大な自覚や痛みが出てからでは手遅れになっている。

 だから、そのことが分かっておられる名医は、表面の痛みの対症療法ではなく、ほんとうにおそろしい病のもと、死に至り、万劫も二度と浮かぶことのない大本である、無明業障のおそろしき病を取り除くこと、つまり火の元を消すことを第一に、その根本的な治療法である、南無阿弥陀仏の妙薬を、それをたったひとつに絞って勧めてくださっている。ほかの治療法では間に合わない。私の何かを改めたり、直したりする時間もない。ただ、ひとつだけ。私の絶対に治らない病を完治させるためだけに、そのいのちを投げ込んで、私ひとりに合った、私専用の特効薬を作ってくださった。その薬そのものになってくださった。そして、「どうか飲みづらいかもしれないが、それをそのまま、たったひとつ「南無阿弥陀仏」の薬飲んでください」、と、頼んでくださっている。そのことを、いま、名医に出会って、正しく教えてもらっているである。目先の幸せを求め、痛みの緩和に腐心したり、自覚がないので大丈夫だと自惚れている私がお目当てだと、聞かせてもらっているのである。

 それでお育てによって、ここまで歩ませてもらってきたのだ。だから、今回の座談会でも、とても真剣に聞いておられる方が、いろいろと発言してくださるようになる。どの方も、理屈や言葉は正しい。しかし、真剣に聞こう、私が分かろうとされているのだが、たとえば、「南無阿弥陀仏の薬が出来あがっているので、そのまま素直に飲むんですね」とか、「すばらしい薬が出来て、有り難いですね」とか喜んでいたしてとも、いちばん肝心のお薬は、まだ手の中にあって飲んではいなけれど、意味はない。そして、飲んだらどうなるのか。こうしたら飲めるのか。どんな味がするのか。いかにすばらしいものか、飲んだ人がうらやましいとか、どこか人ごとの問題として眺めているだけなので、ひとつも味がしないと、ただ嘆いておられる。

 私ひとりが迷える一人子のようにかわいくて、自らのいのちをかけて助けてみせると、私に仏様が願って下さっている。それは、私の思いや自覚には関係ないのである。いや、私が無自覚であるがゆえに、心配してくださっている。私が無明で聞けないから、先に聞き届けて無量の光となってくださっている。絶対に救われない奴なので、絶対に救ってみせるとおっしゃっているのである。

 そして、いま、しっかりそう教えてもらっているじゃないですか。 

 あとは、ただ「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」、と聞かせてもらうしかないなー。

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キセル×ベートルズのライブ

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 今夜は、キセル × ベートルズこと、ベーちゃんのライブに、アバンギルドというライブハウスへ。子供は、3階に預けて、連れ合いと二人で出かけるのは、ほんとうに久しぶりだ。二人だけで、夜のライブやコンサートに行くのは(それぞれ単独ではあるが)、子供が生まれ前のことなので、たぶん、11、12年ぶりじゃないかな。年末の三条や木屋町は、忘年会やクリスマスも近いこともあって、かなりのにぎわいだった。

 三条木屋町のここは初めて入る。キセルは人気があって、すでにソールド・アウト。1時間前OPENだったので、Img_3440その時間に着いていたが、すでに3階から1階の出口まで列が出来ていた。並んでいる間に顔見知り人も発見。べーちゃんにチケットを取ってもらったので、かなり安く入れたし、狭いスペースでも座ることができた。:けっこう、フードもおいしかった。客層は、ほとんど若い人で女性が多い。明らかにキセルのファン。たまに、中年の人が混じっているが、ぼくたちも含めImg_3438て、ベーちゃんの知り合いという感じだ。

 宇治出身の兄弟ユニットのキセルのことは、コーダルオンで教えてもらって、CDを聴いていた。ここでもライブがあった。でも、ぼくの周りで、彼らのことを知っている人にはあまりいない。まあ、ぼくImg_3439だって同じようなものだけれど、きっと若い人の方が知っているのだろう。

 混雑していたが、始まる前には、べーちゃんにもあいさつできた。ステージにあがると、彼女は、また違った雰囲気。いいなー。1時間タップリ歌って、そのあとは、キセル。ライブハウスのハコで聴くのは、CDとはまた一味違って、ライブ感を十分楽しめた。

 アンコールでは、ジョイントもあった。

 ライブで聴くべーちゃん。存在感のある雰囲気を醸しだしていた。

 演奏中は撮影NGなので、ほかのライブの映像を。

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デート

 今日は、カンロと二人で出かけた。連れ合いは、ナナとお茶(茶道)へ。

Img_3412 ぼくたちは、朝イチの京都シネマへ。『うまれる』という、日本のドキュメンタリー映画を見る。
 子ども時代の虐待を乗り越えて出産しよとしている夫婦と、不治の重篤の病気をもった赤ちゃんを育てている夫婦、そして、不妊治療を残念した夫婦と、出産予定日のお腹の中で赤ちゃんが死んだ4組の夫婦が、子どもを授かり(妊娠)し、出産し、子育てをする姿を通して、いのちとは何かを問う作品だ。いま、この子に見せるには、グッドタイミングだと、昨日思いついた。

 これまでは、ムーミンやコナンなどのアニメは一緒に見ているが、大人の映画は初めてだ。顔馴染みのスタッフから、「今日は、お子さんとご一緒なんですね。」と、声をかけられて劇場へ。カップルや、マタニティーの人は多かったが、子連れは、ぼくだけ。でも、子どもや思春期の人も観ればいいと思った。なかなか感動的で、流産や出産、そして子育てのことを、いろいろと思い出した。その意味では、感情移入しやすい。しかし、せっかくの重厚な素材が、少し通俗すぎるというか、CGや主題歌などにしても、安っぽく映ってしまったのは、残念な気がする。その分、子どもにわかりやすくていいとは思ったが…。詳しくはまたの機会で触れう。

Img_3416 京都シネマを出て、烏丸通りあるCOCON烏丸の、ちょうど室町側のギャラリーへ。 連れ合いの大学時代の友人や先生たちが作品展だ。グループ展「土展・2010」。まだカンロが赤ちゃんのころから、何度か見せてもらっている。やはり継続して創作されていることの意義を感じた。いい作品もあった。顔見知りの人がいたので、ちょっと立ち話。Img_2697

 そのあと、仏光寺通にあるマープルという町家カフェでランチ。ちょうど仏光寺の迎えにある町家だ。偶然、見つけたが、ここは静かに寛げるので、最近ちょくちょく利用している。カンロは、静かにまったりするのが好きで、お店でも静かに本を読んでいる。ぼくは、ライ麦パンのくる実入りのサンドを食べた。
Img_3426 お店までの道路脇にあった道にある小学校ので、金魚や魚を見つけて喜んだりしていたら、その途中で、お札が空から降って来る!という僥倖にもめぐまれた。デートは、なかなか楽しかった。

Img_3437 そして、夜には、キセルとベートルズことベーちゃんのライブに、三条木屋町のアバンギルドに行く。といっても、これは連れ合いと二人で。長くなったので、次ぎに続く…。

 映画、ギャラリー、ライブと、今日は充実のトリプルヘッダーで、かなりの気分転換。 昨日までの忙しなさが、ウソのようだ。

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心開明を得たり

 やっと新年号の華光誌の作業が終わって、印刷所に渡せた。あとは完成を待つだけである。その「聖教のこころ」に書いたご文と、紙面の都合で触れられなかったその背景に少しだけ触れておこう。

 親鸞様が、「真実の教」とされた大無量寿経。浄土真宗の正依(正しい拠り所)の経典である。
 簡単に分科すると、上巻は、如来浄土の因果が説かれ、下巻は、衆生往生の因果が説かれている。その如来とは阿弥陀仏である。そこにもうひとつ加えて、下巻には、釈尊の勧誡(信心を勧め、疑い・躊躇を誡められる)が、最後に加えられている。

 大経は、釈尊の出世本懐-つまり、お釈迦様は、大経-阿弥陀様のご本願を説きたいがために、この世にお出ましになったということが、本文の冒頭に述べられている。その時の聞き手は、「如是我聞」の我-阿難尊者である。彼が、釈尊のいつもにもました光顔巍々(ぎぎ)たる威厳な姿を前に、問いを発するところから、釈尊の出世の本懐である、弥陀の本願が説かれることになる。

 ところが、下巻の釈尊の勧誡(指勧ともいわれる)に入ると、その聞き手が、阿難尊者から弥勒菩薩に代わり、お経のムードも厳しいものになる。その境が、「(浄土は)往き易くして、人なし」の言葉である。

 これほどのすばらしい弥陀の本願であるのに、なぜ、弥勒菩薩を始めとする世間の人々は、この教えを信じ聞かないのであろうかという、釈尊のいわばお小言が始まるのだ。 

 しかし釈尊のお小言は、凡夫の愚痴とは異なる。お小言そのままが、凡夫の姿そのもの を示された説教であり、いわば法蔵菩薩の目に映った、迷いの私の実相そのものなのである。そして、三毒・五悪に狂う悲惨な現実の姿に加えて、仏智疑惑の大罪を示されると共に、なんとか俗事を振り捨てて、凡夫が凡夫のまま救われいてく弥陀の本願を、どうか一筋に聞いておくれという、お勧めがあるのだ。

 そんな中で、今回選んだのは、私の貪欲・愼恚・愚痴に狂って、真実を求めない姿をつぶさに示された三毒段が終わった直後の、弥勒菩薩のお領解の一文である。

 「『仏は威神(いじん)尊重(そんじゅう)にして、説きたまふところ快く善し。仏の経語を聴きて心に貫きてこれを思ふに、世人まことにしかなり。仏ののたまふところのごとし。いま仏、慈愍(じみん)して大道を顕示(けんじ)したまふに、耳目(じもく)開明(かいめい)に して長く度脱(どだつ)を得(う)。仏の所説を聞きたてまつりて歓喜せざることなし。諸天・人民・蠕動(ねんどう=地にうごめくうじ虫)の類(たぐい)、みな慈恩を蒙(こうむ)りて憂苦(うく)を解脱す。
(略)
いま仏に値ひたて まつることを得、また無量寿仏の声(みこえ)を聞きて歓喜せざるものなし。心(しん)開明(かいめい)なることを得たり』と。」         『大無量寿経』下巻

  三毒の煩悩に狂う世間の人々の姿はまったくそのとおりであり、釈尊の説かれる真実の言葉(弥陀の本願)に頷かれた弥勒菩薩が、自らの領解(りょうげ)を述べられるが、その喜びは、それがそのまま仏徳讃嘆の言葉ともなっていくのだ。

 まさに大尊の真言が、私の心を貫き至って、仏恩も知らぬ無明の眼を見開かせ、仏智を疑い聞こうとしない閉ざされた耳にも、如来大悲の声が至り届いてきたのである。それは、弥勒菩薩と同様、末法濁世の我々の長い長い迷いの闇が晴れる瞬間といっていい。真っ暗闇の迷心が開き、闇が晴れる。末法の私達には、釈尊の説法を通し、七高僧の教示となり、親鸞様のご化導と、善知識方のご恩徳のおかげでないものはないのだ。そのお言葉の下に、今、まさに、うじ虫同然の迷いの身が、南無阿弥陀仏の雄叫びで貫かれていくのである。すると、迷いの目が開き、耳に明らかとなって、「心開明を得たり!」との歓喜の雄叫びをあげさせていただくのである。

 真実の言葉を聴いて、心が貫かれ、耳・目が開明し、歓喜し、心に開明なるを得る…。
なんという表現であろうか。何かを理解して分かったとか、何か納得できたとか、そう思うといった程度の話ではない。実際に、言葉に貫かれたものにしか表せない躍動的な表現なのである。これは、私の精神というか業魂(誤解のある表現だが)の飛躍であると同時に、弥陀の本願が、静止した死にものではなく、いま躍動する活動体としての現れだということなのだ。南無阿弥陀仏によって、迷いの心が貫かれ、心に開明を得る。

 それが浄土真宗なのである。

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やればできるじゃんー

 少し前にも話題にしていたが、10月末に、DVDを修理に出した。HDDは大丈夫なのだが、DVDへのコピーが出来なかったり、エラーが出て見られないからだ。すでに、6年以上使っているが、これまで溜まっているDVDも見れないので、購入先のジョーシンで、修理をお願いした。

 修理の見積もりが来てからということだが、なかなか連絡がこなかった。それが、3週間ほどした11月17日に、見積りの連絡がある。たまたま留守だったので、帰ってから、すぐに電話をいれた。DVD部分を交換するので、20,000円以上するという。けっこう高いなー。でも、修理することに決めて、「お願いします」 「では、進めていきます」という話になった。

 ところが、それからまたも連絡がない。いまは、エコポイント特需で、それどころじゃないのかなーと思っていたら、12月10日になって電話がかかる。また留守中。

 「見積もりの確認の電話のあと連絡がないので、作業がストップしています。どうなっていますか」という内容だという。

 ハァー??? 「どうなってますか」は、こちらのセリフだ。

 しかも聞いた話なので、無性に腹が立ってくる。持ち込んでから、すでに1月半以上は経過し、電話を入れてからでも、3週間は経っている。

 営業時間は過ぎていたし、電話では埒があかないので、翌日、所要ついでに、直接、店に赴いた。ちょうど売り出し期間で、混雑している。窓口では、12月のエコポイントの申請中で、かなり待たされた。

 留守の時のメモがあったので、電話をかけた日時も分かっている。電話の担当者の名前を聞いていなかったが、女性だった。その時は、こちらから見積もり番号も伝え、先方も、確認の上で、GOが出たのである。

 担当者が、年輩の男性にかわった。「修理のところでまで連絡が来ておりませんでした」とあやまっておられた。「通常は、3週間はかかるケースですが、早急に10日ぐらいで対応します」ということだ。こちらも、いまさらもうすんだことは仕方がないと思っているが、少しでも急いで対応してもらいたいので、ここまて来たのだ。それで、「念のため、いま、ここで連絡して、いつ出来るから確認してください」と、お願いした。すぐに連絡をいれてくれて、「やはり10日はかかるそうですが、なんとか1週間でお願いしました。でも、10日間程度の猶予をお願いします」とのことだ。多少は、含みをみた日程だろうが、今度は、頼みますよ…。

 それが、今日の夕方になって、「修理が終わりました」との電話が入った。

 前が11日の土曜日夕方のことだから、5日間足らずで完了している。

 なんだー。やればできるんじゃないか。

 明日、仕事の段取りがついたら、さっそく受け取りにいこう。

 DVDがないおかげで、子供たちもほとんどTVを見ていない。連れ合いは、それを喜んでいたので、「修理が終わっても、もう子供用アニメは予約しなくていいよ。別にない方が、静かだから」と言っている。それもいいだろう。
 でも、それならなんのために修理に出したのやら…。

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お祝い

  昨日のこと。

 誰のお誕生日でも、記念日でもないのに、食卓に、赤飯(栗おこわだった)と、子供の好物の御馳走が並んだ。

 10歳の冬。

 5年生でも、いちばん小さくて、一学年は下に見えるわが子だが、こうして大人になっていくのだ。

 連れ合いから、話を聞いた時は、ちょっとびっくりした。
 同学年の女の子に比べると、精神的には、かなり大人になっているのだが、肉体的には幼くみえる(というより、幼い)。それで、もう1、2年は先のことかと思っていたからだ。

 男親としては、いろいろと感慨深いものがある。みんなで、「おめでとう」とお祝いした。

 ナナと連れ合いは、プレゼントまで用意していた。小物をいれるバックで、大喜びだった。

 連れ合いと、いろいろと性教育について話し合う。誤魔化さないで、よく知ることの大切さがテーマとなった。

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巻頭言の予告篇

 華光誌の編集作業がピーク。

 年賀交換の版下づくりがある。新しいソフトになって、6年目。今年は、かなり慣れてきて、予定より1日早く、明日にも第1校ができそうである。

 その合間に、来年の行事予定表の作る下準備。未決定だった支部との連絡である。パズルのようにあれこれはめ込む。貧乏性で、休むことが嫌なようだ。

 華光誌本体は、明日の夕方に、印刷所に渡す予定だ。

 ところが、まだ「聖教のこころ」と、「巻頭言」が出来ていなかった。焦りつつも、逆に、まだ3日間猶予のある年賀交換や他の仕事に追われていた。こんな時ほど、いろいろと雑用が増えてくる。

 昨晩も、ブログを終えて、12時を回ってから、やっと『聖教のこころ』にエンジンがかかった。大経の下巻の釈尊の勧誡の一文で書いた。もともとは、まったく別のご文で始まった。「蓮如上人の無我について」から、「善導大師の経・教は鏡」の文を書いている内に、なぜか、「心開明を得たり!」という、弥勒菩薩のお領解の部分になっていった。それなりに、経緯や経過はあるのだが、始まる前はまったく予想していなかったご文だけに、なんとも不思議な気もしている。今朝、再確認して、だいたい完成させた。

 今晩も、やはり11時を過ぎてから、『巻頭言』。でも、これが終わるまでは、ブログは書かないと決めていた。こちらも、あんまり構想もないまま。だから、最初の書き出しも、
「華光同人の皆様! 新年明けましておめでとうございます。華光誌も、今年はとうとう創刊70周年を迎えました」なんという形で、始まっていた。いまは、変わっているが、1時を過ぎて、なんとなくまとまってきた。なんか不思議だなー。いざとなったらなんとか書ける。こちらも、一晩寝かせて、明日の朝に再校しよう。華光誌本体は、あとはここだけなので、今回もうまくいきそうである。

 ちょっと巻頭言の一部を予告。新年のごあいさつが、最後はどうなったかである。

その弥陀の願いとは、
苦悩そのものの私を、楽そのものに変えてやろう。
闇そのものの私を、光そのものに変えてやろう。
汚染そのものの私を、清浄そのものに変えてやろう。
迷いそのものの私を、悟りそのものに変えてやろう。
つまり、私を、私のままにしておいて、仏に変えてやりたいとの願いである。しかも、もしそれがかなわのぬなら、たとえ、闇の世界、地獄の苦の世界にあり続けたとしても、何らの後悔もないという、大悲の大誓願なのだ。
すべては、そこから始まり、そこに帰るのである。

続きは、完成したものをお楽しみに。

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二胡の響き

Img_3364_2 今年の成道会は、二胡(にこ)のトリオ演奏を楽しんだ。中国民族楽器で構成される楽団のメンバーのひとりが、ゆうこの芸大時代の友人。

 二胡は、2本の弦を間に挟んで、弓(馬の尾)で弾く中国の楽器。テレビや映画ではよくみかけるが、なかなか実物に触れてみる機会は少ない。Img_3379_3

 「胴(琴筒)の部分は、何の革でしょうか?」

Img_3381_2 (子供たち大きな声で)「ワニ!」 (そんなー)

 「おしいです。いい線ですね」(エー、デタラメじゃないの? きっと爬虫類ね)

 (子供)「じゃ、カバ?」(アハハハ、それはないわなー)

 「残念、遠くなったなー。哺乳類じゃないです。
 実は、ニシキヘビの皮で覆われています。
 原型楽器は、いまのインドあたりで生まれて、唐代ごろに、シルクロードを経由して伝来したものです。弓で弦を引くというのでは、西洋に入ったバイオリンの仲間ですね。いまは、ぜんぜん違うものに見えますが」。

 それにしても、なんとも言えない独特の哀愁のある音色だ。

 演奏も、子供が飽きないうように工夫されていて、間には、子供たちが喜びそうな曲(ジブリ映画のメドレーとか、アンジュラアキの手紙など)も挟んで、最後には、なんと恩徳讃! で結んでもらいました。さImg_3384_2すがに、宗門校の先生をされていることはあるー。雅楽での演奏はあるが、中国民族音楽での『恩徳讃』もなかなかいい。皆も、演奏に合わせて唱和しました。

 途中と最後には、調整前の楽器を子供たちも弾かせてもらって、二胡の即興教室。みんなも大喜びで、長蛇の列。

 また今度は、大人の方にも聞いてもらう機会があれば…。

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更新は停滞気味

 華光誌も詰まってきた。いよいよあと5日間の勝負。今日は、日曜礼拝の成道会だったが、合間を見て年賀交換の版下作業した(法話や演奏会のことにもまた触れたい)。

 年賀の作業は、まだ半分以上は残っている。年間行事案内も手つかずだが、これはやりだすと半日で完成する。本文は、「巻頭言」と、「聖教のこころ」のみとなったが、まだ何も書いていない。こちらはあと2日で、筆が乗り出すと書けるのだが、それまではちょっと他の作業で、構想を練っている。今夜は、「後記」と、「750回大遠忌」の予告を書いたところだ。

 ブログ更新も滞っていた。もちろん、華光誌のことが大きいのだが、それだけではない。数日間から、ネットの接続が悪くて、接続したり、切れたりを繰り返しで安定せず、更新も休みがちとなった。昨夜からずっとダメで、いまは応急処置の対応で、やっと安定して繋がっている。でも、アンテナは、どうにか青色だが、4本の内1本しか立っていない。

 ネットは、無線LANなのだが、事務所からだとほとんど受けられない。それで、なるべくぼくの使用しているPC近くに、親機を置いてもらったが、そのためにはケーブルを繋いで延ばさなくてはならない。いくら、無線といっても、ここまでは有線だ。ところが、最初からのものではないので、事務所のドアの下を通していたのだが、ドアの開け閉めのところに、ちょうど線のジョイント部分があって、そこがドアに挟まって歪んだり、ケーブル自体が折れて切断しかけてきにところが出てきた。絶縁テープで補強したり、ドアのところが密閉しないようにものを挟んだりしていた。それでも不安定になると、事務所のドアを開けっ放し、ケーブルを延ばしに行っていた。かなり以前からだったのだが、とうとう切断してしまったようだ。たとえ数ミリでも、また小さな1本でも、実際に切れてしまったら、もう接続しないということなんだなー。

 もちろん、システムの異常ではないので、新しいケーブルに交換し、通すところを工夫すればいいのだけなのだが、薄くても、ギリギリでも繋がってさえすればなんとかなった。しかし、1ミリでも切れてしまったら、もうその先へは繋がらないのだなー。いろいろと取り繕っても、無駄ということだ。小さな切断部分を眺めながら、ちょっと味わった。 

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朝寝坊

 今朝、目が覚めた。

   もうひと寝入りと思ったが、なんとなく時計を見た。ハァー? 9時55分! 目覚まし時計をかけ忘れたのか、無意識に止めたのか。今日は、10時30分から自力整体の予約がある。会場は、堀川七条(西本願寺)の手前なので、自転車でどんなに急いでも10分以上はかかるし、遅刻しては入れない。「どうしよう? いくらなんでも無理だな」と、ボッーとした頭で、善後策。今週はキャンセルして、明日の予定と今朝の予定を変えようかと、いろいろと思案。取りあえず、パソコンを立ち上げて、欠席のメール入れることにした。でも、待て待て。こんな時こそ、体のケアが大事だし、心の疵になっていることもあるので、とにかく出かけてみようと考え直した。大急ぎで身支度。ヒゲを剃り、荷物を準備をした。梅しょうが番茶を飲んだが、朝食抜きなのでこんな時は便利だ。布団を干しかけたが、雨模様の空で止めて中に入れた。事務所に仕事のメモをおき、急いで自転車を走らした。
         
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 おおー 間に合った、間に合った。10時25分に教室に、無事到着。

 なんのことはない。いつもより余裕で教室に着いているではないか。

 体組成計に乗る。体内脂肪が増えて、体内年齢も若干アップ。どうやら、疲労物質が溜まっているようだ。4日連続での出張法座に続き、昨晩はせっかくのアメリカからのお客さんがあったのに、ぼくは会食を休んで、新年号の華光誌の作業をした。師走は、何かと慌ただしい。体は、ほんとうに正直だ。

 ある人に、「某会の合宿並みの、朝の素早さですね」っと言われて、思わず苦笑。
 時間さえ過ぎていなければ、なんとかなるということやなー。

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花梨

Img_3241_2 高山法座の昼休み。

 昼食後、次の法話まで30分ほどあったので、F家の裏を流れる宮川の土手におりて、川沿いを散策した。

 朝方、山沿いは深い霧がかかっていたが、いまは青空だ。この時期は、雪になることもあるが、今年は温かい。Img_3250それでも、冷気で張りつめた空気は、都会とは違う。

 京都から名古屋経由で高山まで、川沿いを列車が走る。最初、木曽川から始まり、それを遡ると飛騨川になるのだが、川の流れは進行方向とは逆で、太平Img_3252洋へと流れている。下呂あたりでは、まだ太平洋側に流れているのだが、高山に入ると川の流れが反対にって、日本海側へと流れていくのである。分水嶺を境に、川の流れが変わるのが体感出来るのが、面白い。F家の前に流れる宮川は、富山県に入って神通川となる。

 ここの地名は、三川という字だか、その名の通り、この宮川にアルプスからの冷たい清流が流Img_3259れ込んでくる。川がT字型になっている合流点で、流れは急だ。

 F家のお隣の空き地には、3本の木に、それぞれ異なる果実が実っていた。杏(あんず)と、柿と、花梨の実が並んでいる。柿はたわわに実っているが、花梨はほとんど落下していた。

Img_3264 きれいなものをひとつ拾って帰る。

 「お風呂に入れて、今夜はカリン風呂にします」と、Rちゃんが行ったので、彼女に上げた。

 いま、彼女は、大学の卒業製作展で忙しいのだが、春からの就職も決まり、当分は、法座の参加もままならないと参加してくれた。その彼女が、母に連れられて高山法座に初参加したのは、平成7年12月のことだ。一夜あけると、かなりの積雪となって、一緒に雪だるまを造ったことを思い出す。ぼくにとっても、初めての高山でのご法座だった。まだ東海支部と合同でひとつの支部だったころで、まだほとんどが未信者で、頭を抱えながらのご聴聞だった。

 ちょうど15年前の12月。ということは、彼女は小学校の1年生だった。いまのナナホの歳である。それが、すっかりきれいなお嬢さんになって、4月には社会人として巣立っていく。一方、その時ご一緒に列車に乗った日高支部の谷本瀧雄さんは、すでにお亡くなりになった。法座会場だったH家も火事で全焼して、跡形もない。

 何も変わらないと錯覚しているが、念々刻々、まさに無常なのだ。

 

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今夜はイノシシと衝撃

  高山支部報恩講の法座。

Img_3236 勤行は、もちろん、お正信偈で、そのあとに、高山支部の名物のお斎が出た。

 今回は、子供たちも合わせると、50名分もある。高山だけでなく、東海や北陸(福井・金沢)組だけでも、10名もあったが、そのお世話だけでもたいへんである。

 みなさんの持ち寄りで、13品もある。中には、赤飯のもち米や小豆を提供くださる老婆もおられる。ほとんどが精進料理で、山国ならでは、ちょっと珍しい山の幸が、とてもおいしかった。これもまた、師走の楽しみのひとつになっている。

 お斎の後は、ご法話と、座談会。2日間で、法話は、3座だ。今回のテーマは正信念仏偈に絞った。『三帖和讃講讃』に続いて、今度は、『正信偈』の解説本を計画しているので、華光誌にも講話形式のものを掲載している。それに合わせて輪読しながら、解説と法話である。もっとも全部はできない。それで、題名や意義について1座。全体の概観(構成)に1座。そして、「帰命無量寿如来、南無不可思議光」の帰敬表宗で、1座とした。それなりに詳しくお話したので、それでも時間不足。馴染みのあるお正信偈でも、知らないことや、初めて聴くことも多かったらしくて、新鮮にお聞きいただいた。ぼくも、いろいろとわが身に聞かせていただいた。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と始まり、その「南無阿弥陀仏」のおいわれが弥陀の救済、そしてそれをお示しくださった釈尊の教化、そこから七高僧方のご苦労があり、そしてそれを親鸞様が讃えてくださり、蓮如様のおかげで身近に味わわせていただき、そして先生方のご法話をいただいて、やっとわが身のところに届いてきたのである。ほんとうに有り難くて、勿体ない、ご恩徳のかたまりなのだ。華光誌の悟朗先生の講話がそうだが、単なる語句の解説や講義ではなくて、あくまでも我が身を通し、我が身が問われてくる(お経によって斬られてると表現されているが)、そこから出てくる味わいが、ほんとうに尊かった。

 いろいろな意味でいいご縁をいただいた。

 2日間の法座を終わり、前泊の方もあったが、後泊組もあったが、F家で分かれて、こじんまりした会食。でも、じっくりと話を聞けてよかった。

 高山線の最終の特急に乗る。最近は、バス利用者が増えているのか、列車は空いている。この時期は、行き帰りとも指定をとらなくてもガラガラだ。単線なので、上下線のすれ違いなどで、待ち合わせも多くて、定刻よりも遅れることがある。それで、新幹線も自由席にしているが、定刻につくと、うまい時間にひかり号がある。

 車内改札が始まって、ぼくの手前まで来た時に、軽い衝撃と、急ブレーキで急停車した。この感覚は経験している。ああ、またかである。前回は5月で、先頭の1号車だったので衝撃は強かったが、今回は、3号車なので、衝撃は軽いが、急停車の衝動はかなりあった。放送は、「飛騨一ノ宮あたりで、動物と衝撃しました」とのこと。最初は、「シカ」だったが、「イノシシとの衝撃」と変更になった。1年に4、5回しか乗らないのに、年に2度も、動物とぶつかる列車に乗るなんて、なんかついているのか、ついていないのか。

 私たち人間にすれば、列車は遅れるし、死体の処置はたいへんだし、衝突する動物を迷惑だと思うのだが、よく考えてみると、動物たちの通り道を横切るように、鉄の固まりを走らせて、しかも、無慈悲にも、そのいのちまで奪っていくのだから、どちらがひどいかは一目瞭然だ。高速道路でも、河川の改修や、土地の開発でも、結局、私達人間は、自分たちのことしか考えていないのである。共生なんていっても、きれいごとごでしかないなー。

 車両点検は30分はかかるだろう。これでも、一度、経験していると、焦ることもなく待ってるものだ。結局、40分遅れで出発したが、この程度ですんだとホッとした。列車が走り出すと眠気がやってきて、熟睡。珍しくよく寝ていたのに、車掌に起こされた。切符の改札の続きだ。遅れることは仕方ないけど、ここはもうちょっと融通がきかんのかなと、相手もお仕事と分かりながらも、こんなことでもブチ不機嫌になるのでした。

 5月にぶつかったときの記事は以下で。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-7ee2.html

 

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寺院布教

Img_3214_2 兵庫県山崎町の寺院布教から、さっき帰宅した。報恩講の依頼だったが、華光大会と重なるので、永代経法要のご縁となった。宍粟組(そ)の集まりの会所(会場)で、何度かお邪魔しているが、単独では、昨年からこの日時でご縁をいただいている。

 2日間とも昼食Img_3212にお斎が出た。昔からの朱塗りのお膳。これを揃えて維持していくだけでもたいへんだろう。内容は、混ぜご飯に、豆腐の味噌汁、きゅうりの酢の物と、お漬け物というシンプルなもの。これでも、昔は御馳走だったのだろうが、今では、違った意味でうれしい。ヘルシーな精進料理で、味付けも薄味でおいしかったからだ。2日目も、まったく同じメニューなのだが、婦人会の当番の方が違うので、多少、味付けに違いが出る時もあるうそうだ。でも、今回は、そう違いは感じなかったが、共においしくImg_3215いただいた。

 法話は3座。

 反応を見ながらの法話になった。大半の檀家さんは、お寺参りの目的が、勤行(永代経なので先祖供養)にあったり、3座のうち、どこか1座だけのお参りで義理を果たすという方で、平日の昼は、年輩の女性の方が圧倒的に多かった。それでも、夜座は、全Img_3216_2員メンバーが変わって、僧侶や30代、40代方のお参りもあった。

 聞法、聴聞のイロハのイから起してお話する。分かりきっていると思うことばかりだが、なかなか伝わっていく反応はゆっくりだ。「聞」ことの難しさ。今生事と、後生の問題との違い。自分を問題していくこと。一方的にかかる仏様の願いを聞くことなどを、分かりやすい譬ええ交えてお話したつもりだ。ほとんどが、有り難い話や面白い話を聞きに、ただ漫然と聞き、漫然と座っておられるようにお見受けしている。だいたいご聴聞の要を、懇切にお説きくださったとしても、それを自分の問題として聞けるようになるには、それひとつだけでも、大なきお育てがあったたまものである。

Img_3213 その意味でも、義理参りに近い一般の方に向けてのご法話や、年輩の反応が乏しい方への伝え方の工夫や課題も感じた。
 正直、どれだけ熱く阿弥陀様の大悲の呼び声を伝えても、なんの反応も、お念仏もない、まさに無明業障のおそろしき病におかされながら、目先の生活の痛みや苦しみだけに焦点があたっても、その根本の火の元を払うことに無関心、無自覚である迷いの私の姿と、そんな惚けている私に、大きな願いをかけ、叫び続けて下さる、阿弥陀様のお心を少し垣間見せていただく気がした。無明の姿というのは、ほんとうにおそろしいものだ。

 それでも、夜座には、最後にちょっと質疑的な座談会。最初は、みんな黙っておられたが、ひとり、ふたりと発言されるうちに、中年の男性の方が、「いままで幼い時から、親に言われて念仏をしたり、お寺参りをしていたが、初めてその深い意味をお聞きした。ただ、口に念仏を称えているだけではダメなんですね。お念仏にそんな尊いおいわれがあると知らなかった私のように、何も知らないものがおることを踏まえて、またそこをお話ください」という意味の発言をくださると、やはりうれしくなってくる。

 ここのご住職は、学生時代に、龍大の宗教教育部から、華光日校に派遣されて、先生をしてくださっていた方だ。しかも姉の同級生で、実は、ぼくも小6か中一ぐらいからお世話になっていたのだ。その意味でも不思議なご因縁がある。そのご住職の聞法に対する姿勢にも、いつも感心させられる。やはり最前列のど真ん中(ぼくの目の前)に座られて、3席ともご聴聞し、その隣には、隣寺のご住職や方や、他のお寺の熱心なご門徒さんも座ちられている。この人たちは、義理参りではなく、連続でお参りくださる。いくら檀家さんに「聞け、聞け」「前に座れ」と言っても、自分がお留守ではなかなか伝わらない。まず自分が自分の問題として聞かれる姿勢が、まさに浄土真宗なんでしょうね。

 法座が終わって、僧侶や熱心な門徒さんと、例のお仲間のメンバーとの懇親会は、今夜は2時すぎまで。翌朝には、それぞれお参りもあるので、ちょっと早めに終了した。いつもは3時、4時でも平気な顔ぶれ。

 そのメンパーのおひとりのお寿司屋さんが、自主的に法座をもたれている。彼から、来年1月の出講依頼があった。1座だけだか、岡山に初めて窺うことにした。

 明日は引き続いて、高山での法座。今夜は、京都も冷えてきたので、高山は雪になるのだろうか。

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師走に朝顔(オーシャンブルー)

Img_3200 今日から師走。

 ぼくも年末までは、布教に、華光誌に、年末年始の事務にと、しばらくは走らないといけない。

 近所に、11月に咲いている朝顔のお宅がある。最初は、びっくりしたが、最近、人気のオーシャンブルーだそうだ。琉球朝顔とも言われていて、たくさんのImg_3201_2花が咲いている。さすがに、このところ色あせてはきたが、それでも、この種は、年末ごろまでは咲くらしい。そうだと分かっていても、やはり朝顔は夏の花という固定観念が強いので、師走との組み合わせはなんか妙な気になってしまう。

 もっとも、12月というのに今日も温かかった。父と例の歯医者に行って、帰りに桂離宮から桂川沿いを散歩したが、コートが入らなかった。桂大橋に脇の温度計は18度になっていた。

 それでも、明日から天気も下り坂で、週末の高山は寒いとの予報だった。

 明日からの木・金の2日間は、寺院布教。週末は、高山支部法座と、出張布教が続く。昨年もだいたい同じ日程だったな。

1)願寿寺永代経法座

 日時:12月2日(木)昼13時30分~・19時~、3日(金)13時30分~

 宍粟市山崎町のお寺。9月にはここを会所にした宍粟組の法座に出講しているので、3ケ月ぶりだ。

2)高山支部法座報恩講

 日時:12月4日(土)夜4時30分受付(お斎もあります)
        5日(日)朝9時~、昼1時30分~

 報恩講なので、お正信偈を取り上げたい。それで、参加予定の方は、「華光誌69巻4号」(最新号・正信偈の大意が掲載されているもの)と、あれば、浄土真宗「聖典」(本願寺出版社)をご持参ください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/12/takayama2010-12.htm

3)聖典講座

 12月5日(日)昼1時30分~5時

 華光会館では、増井悟朗先生の「正信偈」の講義です。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/12/seiten2010-12.htm

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