『アヒルの子』
長くなりそうなので、項を改めたが、もう1本は、20歳の女性監督のセルフ・ドキュメンタリー『アヒルの子』。これは、昨日まで、観る予定はなかったが、今夜、急に見ておきたくなった。面白かったが、けっして生易しいものではない。
傷ついた自己を取り戻すために、家族の中での自分探し的な映画なのだけれど、そのプロセスが中途半端ではないのだ。20歳の彼女の家庭は、町の教育委員長で、会社経営者である厳格な父と、善人指向の新興宗教に生きる穏やかそうな母。やさしそうな祖母。それに、二人の兄と姉。帰省した娘を、温かく迎え、楽しそうな一家団欒が始まる。楽しそうな彼女、ほんとうにいい子である。
ところが、彼女は、自分が自分でいることができぬほど、深く傷ついていた。「死にたい、辛い、苦しい。汚れ、生きる意味もない…」。そんな目を覆うほどのマイナスのオーラが画面を覆う。おそろしいほど闇い。彼女は、自分を追い詰めた家族をぶっ壊そうとする。実際、両親を殺そうとさえする。一体、こんな幸せそうな家族に何にがあったのか。そこには、現在の日本の家族間のタブーが、どんどん暴かれていく。子供の兄妹のいたずらによる性的虐待。極度の人間不信から、唯一心を許せる次兄への愛。放蕩ものの姉と、自分を殺し善い子であった妹との葛藤。そして、わずか5歳にして、両親が傾倒していたヤマギシ会(ヤマギシへの糾弾的側面があるのに、撮影を許可し、協力のクレジットが出て来たのには驚いた)幼年部での辛い1年間。それは、親元を離れた共同生活の場に送られたつらさだけで、ただ親に捨てられた、これからは「よい子」ではないと、また見捨てられるというトラウマを生んだ。5歳の時のそれ以外の記憶は、すべて欠落しているのだ。そして、彼女は、自分を殺し、親から愛される「よい子」を演じ続けてきた。
彼女は、カメラをもつことで、家族と命懸けで向かい合っていく。葛藤のある姉と戦う。怨みのある兄にもぶつかる。思わず売春していると口にする。愛する次兄へ関係を迫る。そして、いよいよ両親と対峙していく。そこで、トラウマになっている自己の過去を探すため、同じヤマギシで育った同級生を探す旅に出る。ロードムーヴィーだ。ヤマギシの同級生が美人ぞろいだったと感心したが、完全な余談。そのプロセスで、気づき、記憶が蘇り、癒し、癒されていく。さらには、恐怖でしかなった母親係の女性に会うためにヤマギシに向かう…。
彼女は、終始、不安定に混乱し、啼きまくり、鼻水を垂らしまくっている。登場する人たちのなかで、彼女が、いちばん未熟で、ある意味甘えているのかもしれない。それでも、すごいエネルギーなのである。そして、そのラストに、そのエネルギーが解放され、昇華されていく。それほど登場する人々の多くが、受容的で大人なのに驚いた。だから、彼女は本気で向かい合う。すべて顔をさらけだし、家族の恥部をありのまま映し出すことに協力している。これもすごい。それぞれの責任の取り方なのかもしれない。結局、彼女の真摯さは、家族を解体させる勢いだったが、カメラの力によって、新たに家族も、自分自身をも再生させていったのかもしれない。
彼女の涙は、簡単には感情移入できるものではなく、観る側自身が問われる。同情するのか、嫌悪するのか、はたまた困惑するのか、叱咤したくなるのか。その感情に巻き込まれていくのか、冷やかに分析的に醒めて見るのか、それとも、自分自身はと自問するのか…。特に、若い同世代の方は、必見。家族思いの親世代もいいかもね。
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コメント
かなり気をひかれます、観たいな−と。
傷ついた自己をとり戻すっていうフレーズにはまったのではないかと。私もそうやって足掻いてたし、速度は弱まっても今もその渦中なのかもしれません。
ヤマキシ会の食パンはおいしくて、その頃は会のなんたるかも知らず、ずいぶん昔食べてました。それにしても撮影許可したのが驚きです。
遅くなりましたが、大会では有難うございましたではすまされないご縁を頂き、有難うございました(なんかうまく言えない)翌日から重症の体調不良に苦しみましたが、こうして夜更かしできるほどに回復しました。
地方でも上演されるといいな−
投稿: relax | 2010年11月27日 (土) 01:13
relaxさん、華光大会は、いろいろとよかったですね。それしても、体調崩してたいへんだったんだね。ちょんと無理が続いてるのかなー?お大事に
。
「傷ついた自己を取り戻すために、家族の中での自分探し的な映画」というのは、ぼくの表現で、普通は、そんな程度の自分探しなんだろうけども、そんな生易しいものじゃないところがよかった。なんか、こんなネガディブで、自己嫌悪の感情とも、けっこうぼくはつきあってるなーと思って、そう悪い気はしなかった。最後は、ちょっぴり肩すかし気味?
投稿: かりもん | 2010年11月27日 (土) 01:41