法水に浸った3日間
3日間の華光大会が終わった。
間に平日が入っているにもかかわらず、お参りも多かった。2日目、3日目の昼座も、道場一杯の満席状態。お当番の新潟・北陸支部の皆さんも、最初に人身事故で北陸線が2時間以上も遅れるというトラブルで、ぶっつけ本番になってしまったが、ほんとうに頑張ってくださった。法座の内容も、ご法話、信仰体験発表、そして信仰座談会と、充実した3日間だった。
ほんとうは、充実という言葉では言い表せないのだが、とにかく有り難く、尊かった3日間だった。今回は、最初からぼく自身も経験に開いた感覚-飾ったり、大きくみせたり、構えたりする必要もなく、率直で、開いている-自分で、皆さんと関わることができた。その上、皆さんかの法水をいただき、温かで、率直な態度が、ますます深くなっていったと感じている。
だから単に良かった(反対は悪かった)という、善いとか悪いとかの物差しではなくて、ご法の尊さに、勿体ないなー、有り難かったな、皆さん、仏説まとこを聞かさんがためにようこそお参りくださいましたと思わずにおれない。
ご満座(最後)にご法話の担当させてもらったが、ああ、小さな器を、少し大きくして鼻高
々な自分。さらに器をもう少し大きくしては、小さな器を見下し、さらには大きな器を嫉妬したり、恐れたり、たいしたことないと虚勢をはったりと、相対的な世界で比べあっている。そして、小さなお猪口みないな器に、広大無辺の大海原の大海をすべて收めようと、いやいやその器ではだめなので、洗面器にしないと、いやバケツなら収まるのではないかと、器を大きくしては、ご本願を私が理解できた、「わかった、わからん」「これがホンモノ、あれはニセモノ」と、わが心の善し、悪しで一喜一憂している。でも、そんな姿が迷いの姿。
(左上は、どの器にしたら、大海原のご本願が入るの? の写真)
しかも、その器には実は底がない。ズボズボ抜けていく。それではダメだ、大海の水-法悦が収まらないと、、愚かにも、ボロボロの蓋を自分でつくり、なんとか、少しでも、法悦や念仏が収まるように、説教で穴を修復し、念仏でテープを貼り、またはがれてくると、法座で強化していこうとする。でも、そんな器を大きくしたり、底を蓋で補修をする方向には、如来様の願いはない。まったく逆なのである。
南無阿弥陀仏の一撃で、その底を抜いてもらうのだ。
だから、如来様の大悲にも底はないことを知らせていただける。汲み尽くせない、溢れ出る法水を、小さな器なんかに收めることは出来ないのだ。底がないものは、絶対に聞けないのである。しかし、南無阿弥陀仏でそこを出会わせてもらった、底を抜いてもらったならば、流れ続ける法水をドンドンと流すことができるのだ。それが、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の姿なのである。ドンドンとこの虚仮不実の口から、真実が溢れ出てくださるではないか。
空っぽの底のない、私だからこそ、ご本願があったのだ。だから、言いたい。握るな、分かろうとするな、間違いないと座りこむなと。私が、握ったり、わかったりする前に、先手をかけた親が、五劫ものご思案で、底がない、つまりは絶対に聞けない私を、見抜き、理解し、受けとてめてくださっていたのである。その仰せが、この身にかかっている、その1点をただお聞かせに預かるのである。
それは、これまでの私の聴き方、求めていた方向とは、まったく真反対。そこにこそ、如来様の大悲の願いが掛かっていたのである。
いま、その南無阿弥陀仏に出会う。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と出会う。底のないことを喜びは、底のない(つまりは絶対に聞けない)ものをお目当てだったというご本願にお力で、下らん頭が下げさせられた姿である。
ああ、よくぞ、底抜けの喜びの身とならせていただいたことか!
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
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コメント
おお、さっそく、北陸娘さん、ありがとう。
ほんと、呼ばれていたんやね。ずっと前から、ずっとずっと前から、呼ばれていたんですよ。たまたま、たまたま、いまその呼び声に応えさせてももらえんたんやなー。
ということは、来年はいよいよ大阪転勤か? そして、また東京に戻る?
投稿: かりもん | 2010年11月24日 (水) 00:07
念仏の洪水が押し寄せて来るようです。
自分は南無阿弥陀仏は要らなかった。ただ絶対の幸福が欲しかった。どこでどう間違ったのか求道の真似事をさせてもらい、本願を弄び信心の形に捏ねあげて理解したつもり、拝んでいました。
一息切れたら即後生、必ず助けるのお誓いは私が言ったのなら嘘。仏言に妄語無し、地獄一条の機をお見抜きの上で受け取るだけの形にして頂いたこの真実、隣町へ葱でも買うような気持ちで法座へ呼ばれて行く事実に五劫のご苦労唯樹氷の為と味わせてもらいます。
悲しいかな凡夫の身、法悦も慚愧も嘘。わかるわからんに固執して、自分の口から出る南無阿弥陀仏を聴かない奴でした。
投稿: | 2010年11月24日 (水) 23:17
阿弥陀様に導かれて、とてもほっとした3日間を過ごさせて頂きました。夜中に駅まで送って頂きました。悟朗先生とも奥様ともゆっくりお話も出来た私は、1番の幸せ者です。そのうえ先生のご法話で、底抜けのどうにも修正の出来ない私は、広大無辺の大悲の大海原にゆったりと吸い取られているんだなぁ、と知らされました。とても穏やかな、勿体なく有り難い気持ち一杯です。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
投稿: anba-chan | 2010年11月24日 (水) 23:41
南無阿弥陀仏さん(名無しなので)、ありがとう。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の洪水、本願力のお働きですね。
anba-chanさん、夜行列車で早朝にお出でになって、そして2泊3日間、お当番で世話をくださり、そして深夜の夜行列車に揺られて…。大きなお徳を頂戴してしております。
投稿: かりもん | 2010年11月25日 (木) 00:49
いつも. ちょっと遅れてしまいます。
朝、メールを書かこうと思う気は無く、いつもの通りiPadを開けてみる。すると、何人ものメールに驚く。何時ものことだ。
私も何か書かなければと思いはじめた。
そうしないと、海馬がますます縮んでとうとう聞けなくなると恐ろしくなった。
3日間、浮かれっぱなしで興奮しっぱなしの私でした。
あぁ、今日から3日間御法に思いっきり浸かれるぞ。
と思い、勇んで出かけたことは確かなのに。
今はもう空っぽ。なんだこの私の心は。
皆の尊い味わいに刺激されて思い出すことにした。
たくさんの人に出会った。まずは、先生方、お当番して下さった北陸支部の皆さん、そのほか沢山の方達に会って聞かせてもらった。
この何も感じない心に先生方の後法話がスースーと入ったきた。
不思議だ。何もわからないのに届く本願力。何がどうなってるんだ。こんな私が法の渦にのみこまれてしまいました。
大きな大きな法の徳を頂いた。
帰りの車の中で聞かせて頂いたことで花が咲いた。楽しい帰り道を頂いた。仏のお徳と私の無明。仏のお徳も私の無明煩悩の讃談も尽きることはない。何を書いているのか分からなくなった。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
投稿: ばば | 2010年11月25日 (木) 21:55
ばばさん、いつもありがとう。勇んで、お参りくださることがうれしいです。
大会中はいそがくして、分級座談会のグループが違うと、あまりお話できずに残念でした。
読みやすいので、途中で送信されたコメントをひとつにしておきました。脳を刺激する上でも、いつでもお気軽にどうぞ。
投稿: かりもん | 2010年11月25日 (木) 23:08