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手紙

 短いものだが、久しぶりに自筆で手紙を3通書いた。

 最近は、すっかりメールですんでしまう。あとは、ハガキか、電話で御礼を言うのが、普通で、ますます筆不精になってくる。法座案内の隅に一言書くことはあっても、わざわざ封書で、何かを書くという機会は少ない。手紙をもらう機会だって、めっきり減ってきて、大方は法座のあとで年輩の方からのお礼状が多い。

 でも、今回は、品物があったり、先方のメールを知らなかったので手紙になった。

 ひつとは、過去帳の記入を頼まれたので、それに添えて法座のお誘い。

 もうひとつは、贈呈を受けた図書のお礼状。これは年長の先生に当たるので、気をつかった。

 最後は、先日のお通夜に遅れたお詫びと投稿された新聞記事を送ってくれた姉に当てたもの。こちらは、子供たちがすでに書いていたものに便乗させてもらったのだが、投函したと思ったら、ちょうど姉から電話がかかってきた。

 走り書きで申し訳なかったが、用件以外にも、近況や感想も添えた。

 でも、気付くと、横書きをしている。

 日本語の性格から、絶対に縦書きでなくてはならい。それが横書きの多用が、日本人の精神を破壊し、ダメにしているという書物(『縦に書け! 横書きが日本人を壊している)が、書家の石川九楊にある。そこには、義務教育年代のパソコンやケイタイの有害性を訴えて、即刻禁止まで提案して、書家としての深い哲学から横書の弊害を強調されていた。そう考えると、ぼくは、日記も記録も、ほとんどが、みんな横書で書いている。よく考えると、学生時代は、縦書きで板書されたものまで、横書のノートに写していた。パソコンの影響は大きいが、それだけではないのだろう。それでいて、読書は縦書の方が読みやすいし、ハガキならまだ縦書にしている。

 それに、ただ横書、縦書の問題だけでてく、クリックひとつで簡単に送信できるメールと違って、手紙は、かなり億劫になるのも事実だ。間違えば書き直しもせねばならないし、宛て先を書き、裏に署名もし、糊で封をして、切手を貼る。そのあとで、ポストにまで投函に行かねばならない。キーボードのタッチひとつ、指先だけで済む作業に比べると何手もかかるうえに、送料も高い、しかも字の上手い、下手も現れてくるのて、ますます敬遠されていくのであろう。
 結局、ここでも、より便利で、効率のよいことが優先しているのだが、文章の隙間にある、字体や震え、余白といった個性は、みごとに消されている。

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