京都市美術館へ
長女が、学校で書いた「書」が、展示されているらしい。
たまたま広島から義母やいとこたちが、ゆうこのギャラリーを見に来ていたので、美術館前で待ち合わせすることにした。
好天。10月というのに、長袖ではかなり暑い陽気だ。
同じ2階だが、もちろん「院展」に展示されているのではない(当たり前)。左側のご案内の「京都市幼児・児童・生徒作品展」の方。今年は、フランス領事館が京都に移転することを記念して、京都市の姉妹都市であるパリなどの学生の作品も展示されている。
連れ合いは、京都市立芸術大学だったので、学生時代、毎年、制作展が、京都市美術館で展示されていたので、懐かしがっていた。
「会う」という書を、か弱い(繊細な)書体で書ている。各学校から、3作品ぐらい展示されていたひとつというところ。華光文化教室の書道と違って、学校の書は、かなりやさしいようだ。それでも、いまは、筆をもつ機会が減ってきて、習字の時間は、たいへんなんだそうだ。習い事も多様化しているで、書道をやっている人も減っている。それで、彼女は、みんなから「師匠」と呼ばれているらしくて、ちょっと自信ありの様子。
わが子の作品展示を見るのがメーンなので、サアーっとみて、早々に退散。天気がよかったので、、岡崎公園をブラブラしてもよかったが、Rカフェの前の琵琶湖で遊んできて、皆さん、お疲れ気味。子どもたちは、バレエ、ぼくは、舞台あいさつのある映画(『音の城♪音の海』)へと、次の予定があった。
往復に80分、待ち合わせ時間が25分、そして、メーンの鑑賞に5分。まあ、それに、撮影時間がプラスされるけど…。
「会うは別れの始め」でして、そうそうに解散。
まあ、待ち合わせ時間に、岡崎公園をプラプラするだけで、一気に気分転換。写真は、疎水から東山を望んでいる。
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コメント
「会う」ですか−
ここしばらくの私にとっての「会う」は人はもちろん、ご法であったり出来事であったり、そのどれもが予想だにできなかったことで喜びもあるけれど、悲しみや不安にも会ったりする。
でも全て含めて今現在は感謝につながってます。「会う」というのは不思議なもんですね。
そうそう何より先生との出会いに感謝の弁を述べなくては(よいしょ〜〜?っと!!)
投稿: relax | 2010年10月 3日 (日) 08:09
relaxさん、そうですね。年数はまだ短いけれど、尊い出会いもありますよね。
年数にかかわらず、深く出会うこともあれば、また縁が尽きれば離れていく。そんな刻々とした変化も含めて「出会い」には、深い意味があると思いますね。
投稿: かりもん | 2010年10月 3日 (日) 23:37