こんな映画を観た(一言編)
先週(9月末)から今週にかけて、けっこう面白かったり、強く印象に残ったり、感動したり、ハラハラしたり、はたまた、とても退屈なのに何か言葉にしたかったりと、コメントしたいなーと思う映画が続いた。いつもそう思いつつも、書きかけで終わってしまうことが多い。今回は、とりあえず、タイトルと一言コメントを書いて、次の予告にしておこう。
まずは京都シネマでの6本。
アルゼンチン映画で、今年のアカデミー最優秀外国語映画賞に輝いた『瞳の奥の秘密』は、しっかりした伏線のあるサスペンスで、秀作の人間ドラマといっていい。これはよかった。
『ヤギと男と男と壁と』は、ジョージ・クルーニー、ユアン・マクレガー、ジェフ・ブリッジス、ケビン・スペイシーと、大物男優の共演したコメディーだが、ある種の戦争のマジの一面を風刺した、ちょっと異色作。
『立ち上がる イラク帰還兵』は、ここでも取り上げたイスラエル映画『沈黙を破る』のアメリカ版。けっして、マスコミに紹介されることはない。しかし、まだまだ小さい声でも、戦場から帰還した元兵士たちの勇気ある声、彼らが体験した実際の戦争を語ることで、世の中が変わっていく可能性を示唆してくれる。できれば、孤立することなく連帯することも大きな意味があるな。『ヤギと男と男と壁と』と続けて観たので、なんかへんな感じもした。
『ビルマVJ~消された革命~』も、ドキャメンタリー。実際の緊迫映像と、再現ドラマで構成される。仏教徒や僧侶の皆さんは、絶対に見てほしい! 震えます。軍部によって閉ざされた国ビルマで、投獄や拷問のリスクを恐れず、映像を発信し続ける「ビルマ民主の声」のVJ(ビデオ・ジャーナリスト)の映像を通じて、2007年の非暴力の僧侶、民衆の抵抗運動と、武力による徹底した弾圧が明らかになる。これはもう少し詳しく触れたい。
『仁寺洞スキャンダル』~神の手を持つ男~は、天才的な絵画修復士と、超やり手の美人ブロカーの対決を軸にした、韓国ドラマ。娯楽性があって退屈しないけれど、主人公がうまく行き過ぎで、ちょっといま一つ、ハラハラ感がうすい。大金をめぐり騙し、騙されなら、韓国映画の、『作戦』THE SCAMの方が面白いかも。
同じく韓国映画の、『グッドモーニング・ブレジゼント』が、面白かった。個性の違う三名の大統領の政治家である共に、家族のあるごく普通の夫であり、妻であり、男である人間性の一面を、青瓦台の料理長の目を通して描いたもの。ただし、日本の扱いは、ちょうど尖閣諸島問題にリンクしていて、ちょっとハラハラ。架空の話でも、韓国人や中国人からみれば、日本はこんなふうに映っているのだとよくわかる。
京都みなみ会館では、2本。 『音の城♪音の海』~sound of music~は、実際のミニ・ライブがあった。。自閉症やダウン症、知的障がいをもった人達と、学生たちによる「音遊びの会」。そこに、音楽療法家、音楽家たちもくわわり、みんなが自由に演奏するほんとうの意味での即興演奏が奏でられたり、時に奏でられなかったりする。でも、コミュニケーションの過程が、見事な音楽だといってよいかも。両者のからだが、響きあい共鳴し合っている。
『シルビアのいる街で』は、もしストーリーだけ追いかけたら、おそろしいほど退屈な映画。実際かなり寝た。でも、大きな音ですぐに起こされる。これは間違っても自宅でレンタルしてはいけない。こんな映画こそ、映画館で観るべきもの。美しいフランスの古い田舎町と、さまざな女性たちの映像、街の風景や人々の自然な姿。そして鋭い(妙に大きい)街に溢れる音が、しっかり迫ってきます。絵(映像)と音という原点へと純化されていると言ってもいい。でもなー、やっぱり退屈だー。
あともう1本は、夕方から、二條まで自転車を漕いで観た、日本映画で、『悪人』。うーん、これは、すごく丁寧に造られた優秀作で、満足。ひとつの殺人事件を巡って、被害者、加害者、その家族、そして恋人と、それぞれの人間像が、とてもうまく描かれていた。脇役もみんなうまい。けっきょく、誰もが孤独で、弱いんだなー。みんな繋がっていたい。果たして、ほんとうの悪人とは? 誰も自分だとは思わないけれど、映画は、そこまで語っているのか、いないのか…。これは、レンタルして観てもいいよ。
この2週間は9本と、なかなかいいペースだ。それでも、見逃したもの(『ソウル・パワー』、残念)もあった。これから、この中からどれかにもう少し詳しく触れてみたいと思うので、今夜は、いわば、予告編。といっても、これで満足して終わるかもしれないけどなー。
| 固定リンク
「映画(アメリカ・その他)」カテゴリの記事
- 『サマー・オブ・ソウル』~あるいは革命がテレビで放送されなかった時~(2021.10.01)
- 映画『ライトハウス』(2021.07.24)
- 『FREE SOLO』(2020.06.23)
- 今年も206本(2019.12.31)
- 『草間彌生 ∞ infinity』(2019.12.30)
コメント
お久しぶりです。
真如苑に通い始めて、2か月くらい経ちましたけど、色々な思いが出てきて、停滞気味です。まず、何故、伊藤家に帰依しなければならないのか?ということです。南無○○と伊藤家の方を南無しなければならないので。
大般涅槃経は中国で衰退してたわけですけど、その翻訳者である法顕に南無しないのもおかしいと思います。浄土門とどう違うのか?と聞いても答えてくれる人はいません。いずれにしろ、三業の浄化が求められるので風俗が辞められない僕には難しい教えですね。
導き親の方の倒産もどうしてなのか?と思う要因になっています。90才のお爺ちゃんをボランティアしても、ありがとうの一言もいわない。これじゃ、凡夫と同じでしょう。(ちなみにそのお爺ちゃんは大乗を相承しています。)
青年は35才まで、ですけど、年とったなぁ…と思い知らされました。もう、青年ではなくなったんだな。と。
今、頑張っているアレですけど、採用人数が大幅に減らされ、なれる見込みがなくなりました。募集人数が
一揆に半分になってしまった。この辺も無常を感じます。やはり、僕は負け組から抜け出せないように出来ているんですかね。
此の信と云ふも、自性の物柄を云と、心を掃除して清からしむるなり。
心は心王なり。清からしむとは、心が澄んで奇麗になる。其れが信と云ふ物柄な
り (教行信証文類随聞記)
未聞の前は、機も法も濁り果てて、自身をも見限り詰めることも出来ず
にありた者が、仏願の機法を聞て、心が澄んで来る。此れ信心の模様なり。心の
澄浄なるが信の自性なり
これは煩悩にまみれた自分であると自覚できるということであって三業の浄化ではないんですかね?
疑いがなくなる、ということと三業の浄化についての違いがイマイチ、分かりません。
最後になりますが、今、シネマサンシャインでやっている映画は全部、見ましたよ。ハナミズキのパンフレットも風俗の子にプレゼントしました。映画って、どの世代でも通じる共通の話題だからいいですよね。
初対面の風俗でも話題になる。いや、いいんですよ、もう、恋愛あきらめてますから。(笑)
投稿: 阿波の庄松 | 2010年10月 6日 (水) 03:43
こんばんわ かりもん先生。
「悪人」が秀作とのご感想、うれしくなってついコメント書かさせていただきました。
妻が映画好きの知り合いが絶賛してるから行こうとゆうので、「暗そうな映画だからいやだなー」と思いつつ先週の土曜の夜、二人でレイトショーに行きました。
最後まで集中してみることができました。みんなつらくて、しょうがなくて悪人で、恵まれてつらくないような奴もやはり悪人でした。
ラスト、灯台で二人が朝日にむかって、だまって涙を流してるシーンでは、どうあがいても悪人のまま、それでも太陽の光はまぶしくても悪人を照らしてくれているのかな・・・などと思いました。
投稿: 梵天丸 | 2010年10月 6日 (水) 21:37
阿波の庄松さん、ここは約2ヶ月ぶり? ほかでお見かけしてますが、お久しぶりです。「真如苑」の修行、たいへんそうだね。でも、やる以上は、あれも、これもでは、なかなか身につかないので、ほんとうに頑張ってやるしかないよね。
梵天丸さん、はじめまして。ご夫婦でいいですね。
ぼくは評判ではなく、やっぱりタイトルに引かれました。そして、特に、前半の絵づくりが丁寧だと思いました。最初、妻夫木クンとはわからなかったし、深津もよかった。でも、やはり樹木希林がうまいと思いませんでしたが? 実は、何か息子同然の孫の様子がおかしいと感じつつも、何も問わなず、逆にボケたふりでうまく逃がしたりもする。それが、これまで現実を見ているようで、都合が悪いことは、実は直視してこなかった彼女が、どこかで何かが変わていく。そんな立ち居振る舞いがよかったです。
そうですよね。主人公のあのシーンは、それまでの「仕方なかった」「当然だ」という諦めや言い訳が転じられていく。初めてのつながりによって、自らの行なったことへの自覚がうまれるきっかけだったのかなーと…。
投稿: かりもん | 2010年10月 7日 (木) 01:21
僕の場合、「疑って疑って疑いまくる」ので、なかなか一途になれないんです。どの宗教も中途半端ですね。今の苦しみもあるし。
本当に納得いく、満足した、という境地に立ってみたいです。
映画はどこか異次元の世界に行けるようでそれが魅力です。個人的には東京、東中野とか下北沢にあるようなミニシアター(50席くらい)でやってるB級映画が好きなんですが。さりげなく都会人をアピール。
あっ、元ですね、元。
投稿: 阿波の庄松 | 2010年10月 8日 (金) 17:58