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このところ…

 土曜日から、めずらしく1週間を更新を休んだ。

 コメントに応えているので、完全に休んだわけでないが、新しい記事は書いていない。

 開始当初は、自分の中で目標(とにかく1年は続けようとか、10万アクセスまでは頑張ろうとか)を立てて、ここまで続けてきた。最近は、あまりそんなのはないが、当面は、30万アクセスと思ってきたが、どうやら、それも目の前に迫っている。

 別に、話題がなかったわけではない。むしろ、この1週間は、いろいろとあって、多忙だったのが、第一の理由だ。次々と何かがやってくる。まわりの状況からみても、むしろ、これからが、たいへんになってくることは明白ではある。

 でも、それだけが理由ではない。

 むしろ、ぼくの中のやる気というか、いわゆるモチベーションというか、特に、今月になってから、更新が億劫になってきて、テンションがあがらないのだ。マンネリ気味なのかもしれないが、自分の書きたいことよりも、訪問者の目を気にしているところもあって、不自由な自分を感じたりもするからだ。もちろん、そんなことは、今に始まった話ではないし、公開している以上は、その兼ね合いや折り合いがあって当然だ。それに、反応があれば励みにもなっている。でも、何かシックリこないところがある。何か得体のしれない気持ちの悪さというか、怖さみたいものを感じている部分が、ぼくの中にあるのだ。ちょっと、この部分にファーカスして味わってみて、誰かに聞いてもらうのもいいかもしれない。いままだ明確な言葉にはなっていないが、ぼくの中で何かが動いているのは、確かだ。

 それで、しばらくはおやすみしようかなーと思ったりもした。でも、こんなことを表明しただけでも、気分は変わるものだ。そうすると、もう少し気軽に続けようと思ったりもしてくる。やめるのは、いつでもやめられる。しかし、長い目でみれば、日々の継続や積み重ねも大切だよなーと思う自分がいるのだ。

 まあ、そんな感じで、プチ沈黙の1週間だった。

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

自分がブログしているわけでもなく、ただ気軽に「楽しみにしてます」で片付けてたけど、*不自由な自分を感じたりもするからだ と言われたとこ、そしてその後の文面を読み返して、そうなんだろうなと響いておりました。
全く趣旨からはずれますが、生きてく中では不自由な自分を感じてばかりです。でもほんのひと時でも自由でいて許される時間があるとまたぼつぼつ歩き出すことができています。

あ、また自分側のコメントになってしまいましたが、言いたかったのは、そうでなくても多忙で精神的にも気を遣う先生には、気楽でいてほしいです(それが出来たら苦労しないんだ−と言われそうですが…)
とにかく無理なさいませんように……
それだけです。

投稿: relax | 2010年10月22日 (金) 22:42

relaxさん、ありがとう。
どうぞ、気軽に楽しんでください。
またお話しできる機会があればしましょう。

投稿: かりもん | 2010年10月23日 (土) 00:32

いつも拝読させてもらっています。
愛知から訪問者があれば、そのなかの一人は樹氷だと思って下さい。


かりもん先生の毎日のブログ更新を当たり前だと思ってる自分がいます。無常を観ずることが出来ません。自分はこの事が気持ち悪い。


それはそうと、三帖和讃下巻はやはり凄いです。大慈大悲のかかり果てて今の自分が有ると味合せて貰います。全ては南無阿弥陀仏一つを私に届ける為のご苦労。


罪福信についてこれだけ戒められているとは知りませんでした。


投稿: 樹氷 | 2010年10月23日 (土) 12:08

後、下巻から読み始めたほうがとっつきやすいかも?という印象が残ります。今までに拝読した和讃が自分には多いので。


自分も実生活の仕事面で変化がありそうです。よきにせよ悪きにせよ、変化しないのも気持ち悪い事です。あれだけ私が信じていたCDのフォーマットも廃れ、遂に中身のデータのみで音楽を聴く時代が来ました。

仏教者は死んで何を残すか?南無阿弥陀仏。

投稿: 樹氷 | 2010年10月23日 (土) 12:19

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