土曜日、輪読法座。M先生の「かわる心、かわらぬ心」、これがすごい内容。先日も、Yさんが、「すごい文章でしたね」と言われてた。ぼくも同感だ。でも、そのわりには反響が少ないのは、たぶん、みんな読みきれていないのだろう。今回の法座では、たまたま、内容に入る前に、「ご示談のスタイルは、感情的な機決定(きけつじょう)を進めるのではないか」という質問がでていた。そうでないことは、これを読めば、それ以上の答えがはっきり示されている。むしろ、感情だけでなく、法や念仏を握って、「有り難い、有り難い」と、自分勝手に喜んでいることだって、ある種の自分で決めた機決定だなー。数日前の新聞のコラムの養老孟司氏の言葉に、説明責任ばかり取り上げられるが、理解責任は問われないのかとあった。ここは確かに難しい。言葉のやりとりでは、絶対に分からないところだ。
日曜日、子供たちの運動会。昨年までは、保育園と、小学校に分かれていたが、今年からは、1度で済む。二人は紅白に分かれていた。二人いると、うまい具合に間がもてていい。
午前の部の二人が出るところまではすべて見て、大急ぎで、泉佐野へ向かう。かなり飛ばすしたが、高速が繋がったので助かった。宿泊での報恩講の寺院布教。同人の
方もチラホラ。堺の古い同人のKさんと、立ち話。ご法を噛み締め、飲み込むように聞くという味わいをお聞きする。話し方といい、姿勢といい、こんな味わいのあるお同行さんが、めっきり少なくなったのは、寂しい。ぼくが思い出せるのは、福岡のMさんや日高支部の古老たちなど、もう数名になっている気がする。厳しい廃立を外さず、それでも、ユーモアというか、どこかに余裕を感じる態度がなんともいえない。
月曜日も、引き続き報恩講法座でのご法話。平日ということもあっ
て、女性が中心。男性は、世話役か、高齢者が多い。ぜんざいを食べる合間に、ご法話の感想を尋ねる。「私達はレベルが低いので、わかり易い話をお願いします」とのこと。そうはいわれても、けっこう、真剣に聞いてくださている。なによりも、ご法話の途中でもお念仏の声がする。どんなに満堂だろうが、笑い声や拍手の反応があろうが、もしお念仏の声が聞こえなかったら、せっかくのお寺の意味はない。誰にも遠慮、気兼ねせずに、高声念仏できる場が本堂なのだ。
夜に、帰宅すると、同人のご尊父の訃報が入っていた。父と同じ歳。
火曜日。午前中は、自力整体に行く。珍しく会場は一杯。相変わらず、黒一点。カフェでランチしてから、父を連れて歯医者へ。車中で、昨日の報告と、今夜のお通夜の話題。「あんたが、しっかりご法を相続してくれているので、うれしいわ」と、ポツリと一言。
事務仕事をすませて、T嬢と、新幹線で名古屋へ向かう。姉夫婦と、新幹線口側の地下街のエスカ前での待ち合わせ。あのー、指定のエスカ前の入り口って、たくさんあるんですが…。まあ、駐車場前となると、ここだろうという場所に、早めに到着。ところが、約束を15分過ぎても、迎えの車が現れない。不安になる。場所が違うのかなー。でも、このご時世に、Tさんも、ぼくもケイタイをもっていない。やっと公衆電話を見つけて連絡したら、ちょうど遅れて到着。やれやれだ。ケイタイがないと、確かに不便ではあるが、なぜか不自由とは思わず、どこか自由な気もするのは、なぜ?
通夜には、20分ほど遅刻。若いO先生がお導師されていた。法話も、後生の一大事について、25分程度。立派な内容。満堂、誰ひとりとして帰らずに拝聴。すべてが終わってから、「み仏に抱かれて」をBGMに、お焼香。みな、故人を偲んで集ってこられた人ばかりで、単なる義理や形式ではない通夜式だった。こんなスタイルにされた喪主の姿勢が伝わってきた。ぼくも、しっかりご縁に合わせてもらう。そう思えるような通夜や葬儀は、そうはない。通夜振る舞いでの談笑のあと、京都へ戻る車中は、明日の発表の準備。
水曜日。20日は、movix系が1000円なので、新京極の映画館へ。『桜田門外ノ変』を観る。史実に基づいた内容で、事件と、その背景、その後の影響にも及んでいる。水戸浪士たちによる伊井大老の暗殺は、目まぐるしい激動の始まり。時代は、攘夷ではなく、倒幕開国へと進む。明治維新のわずか8年前のこと。
すぐに戻って、「はちす」、法座案内と、総会委任状の発送。数日前から準備されているが、ぼくは。聞法旅行などの写真を同封のするたその種分け。これが一苦労。なんとか、時間に間に合った。
夜は、真宗カウンセリング研究会の月例会。「セラビーにおける必要にして十分条件」の共感と、伝達の項目。担当者の変更で、急遽、発表者に決まっていた。ひとりで読む、ベテランのカウンセラーなどと交えて輪読する、担当者としてレジュメを作る。学びの姿勢が、明らかに違う。診断的理解、同情的理解の違いなど。盛り上がって時間オーバー。
子供を寝かせ、入浴してから、遅い夕食。録画していたDVDで、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』を観る。スピルバーグのそつのない娯楽作品。ディカプリオ~トム・ハンクスとの共演作。肩肘貼らずに、気軽に楽しめて、深夜まで一気に見てしまった。
木曜日。朝から、京都シネマへで映画を2本。『メッセージ そして愛が残る』と、日本映画『乱暴と待機』。『メッセージ』は特におすすめ。幼き日の交通事故から奇跡の生還を果たしながらも、結婚後に、突然、幼少の息子を亡くして、家族にも心を閉ざした弁護士が、他人の死を予言できる医者との出会いで、(失う悲しみによって)大切なものを取り戻すというもの。生と死が常に、コインの裏表で、定命とならば、老少を選ばず、不定で、けっして逆らうことのできない。そんな「死」を常に射程にしながら、いかに一瞬の生を生きるのか、その時、家族としていちばん大切なものはなにか。ミステリアスなタッチながら、死の一面をまっとうな視点で描いた佳作。定番の難病や別れのお涙頂戴ものとは、一線を画している。
『乱暴と待機』は、原作はコミックもの。かなり普通じゃない二組のカップルの四角(?)関係。全体的にへんなのに、部分部分は、どこかでありそうなリアリナィのある、ある種、愛のコメディー。最初、なじめなかったけれど、だんだん面白くなってきた。
お昼は、初めての町家カフェの『火裏蓮花』へ。御池柳馬場を少し下った京都独特の路地の奥にある。ところが、路地の入り口には標示がなくて、隠れ家的なカフェ。落ちつているのに、ちょっとユニークだったので、ここには触れよう。
事務方、全員が揃っての1週間のミーティング。ちょっと濃い話題もでる。
夜は、書道教室。今夜の生徒は、4名だけ。でも、みな、お坊さん。よくみると、宗派が違う。禅宗2名、真宗が2名。禅宗も、臨済宗(東福寺の塔頭の方)と、曹洞宗。
金曜日、朝いちの予約で、アンシャンテに散髪へ。ここも、連れ合いの絵が飾られている。「マノア・マノ」でランチして、すこし映画とカフェの話。やっと河合隼雄著の『ユング心理学と仏教』を読み終える。みなみ会館によって、70年代のアメリカ映画を1本。アメリカン・ニューシネマ特集で、『ハロルドとモード~少年は虹を渡る』。自殺願望の19歳の男の子と、79歳の老婆の恋。戦争や既製モラルを皮肉ってもいるし、居場所や生きづらさを感じるものへの讃歌でもある。歌も70年代。日本は、万博の歳だな。でも、ちょっと寝てしまった。
あとは、明日の準備や、書類整理や事務作業。1週間で、いちばんノンビリした1日。