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2010年10月の18件の記事

比良への家族旅行(2)オーベルジュ・メソン編

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  宿は、比良山麓にあるオーベルジュ・メソンへ。

  オーベルジュというのは、宿泊設備をもっImg_2848たレストランのこと。フランスなどのヨーロッパではメジャーなようだが、ホテルがメーンではなく、レストランを主にしたもので、郊外にあって、料理やワインを楽しむことが中心。最近は日本でも広がってきている。

Img_2847  ここは比良の山麓にあって、メーンの道を離れて、「この先行き止まり」という看板を通っていく山の中にある。まさに隠れ家だ。周りは別荘地で、木々の他は何もなさそうだが、陶芸や画家の工房が点在Img_2849している。

 こんな山の中にもお洒落た雑貨店(Kupu)があったが、ここは、ゆうこがRカフェで知り合った人。子供たちは、ネパールのニット帽を、母は、作家もののグラスを買っていた。

 山中が黄昏て黄金色。お店をでると、Img_2835っ赤に染まっていた。

    ここのオーベルジュは、1日に、3組だけしか宿泊客を取らない。一組は4人まで。ぼくたちは6名なので二組なるので、客は、もう一組、中年の夫婦が別棟に泊まっているだけだった。Img_2897フレンチのレストランががメーン。基本はホテルではないので、部屋には電話も、時計もなく、ルームサービスもない。部屋は、リビングと、和室の二室で、バルコニー付きのリビングには、大きなソファと、DVDやCDの機材に、コーヒーメーカーも置いてある。布団は自分たちで引く。うるさいSpr_1客室係がいないし、この棟には他の客もいないのから、気兼ねなく寛げた。

 かなり高級感があるのに、そのわりにはリーズナブル。下手な温泉旅館やホテルに泊まるよりも、かなりImg_2839のお値打ちだ。

 初めて訪れたのに、こんな落ち着く宿は初めてだ。

  野鳥のさえずりと、近くの小川のせせららぎ以外は何も聞こえてImg_2827こない。車の騒音もなにもない。

 結局、夜も、朝も、レストランの他の客はなく、ほぼ貸し切り状態。もちろん、料理もおいしかった。多少、ぼくの舌には、全般に濃厚な味付けだったようだが、それはどこでものこと。

 あとは、ただ山荘で静かに過ごす。Img_2886

 ライブラリーから、好きな本やCD、DVDを持ち込んで見るのもいい。

 ぼくは、早起きしてテラスで本を読んだ。小雨が降って、濡れた緑がみずみずしくて、心が安らぐ。湖畔のRカフェといい、ずいぶImg_2906ん、静かな時間を過ごすことができた。

 朝、子供と散歩たら、すぐ前にギャラリーを見つけた。妙なカエルのオブジェ。ちょうど在住の作家たちの展示もあった。

  その脇には、コスモスが咲いていた。Img_2907
 女郎蜘蛛が獲物を待っている。

 別にこれといった予定も立てず、流れにまかせてゆっくりした時間を過ごす。それが、今やいちばんの贅沢で、安らぐとはね。日頃、ぼくたちは、どれだけ慌ただしい中で過ごしているのだろうか。

 

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比良への家族旅行(1)琵琶湖編

Img_2807_2  秋の恒例になった父・母との1泊での家族旅行。下の子と、父との年齢差は、だいだい80歳ある。いつまで元気で一緒に過ごせるかもわからないので、まだ元気なうちにと、父が81歳の時から始めたのである。今年は、母が三井寺をImg_6834_2希望したので、宿は、ゆうこが滋賀県比良山麓にあるオーベルジを選んできた。三井寺までは30分もかからないし、ホテルも1時間以内の場所。日帰りの距離ではあるが、別にどこを観光するあてもなく、のんびりすることにした。それでも、近くにある施設を探すうちに、比良山系の琵琶湖バレイに、紅葉を見に行くことになった。

Img_6860 昨年の白浜もそうだが、ここも子供の時に、父に連れてきたてもらったことがある。ちょうど、下の子の年齢のころだ。まだおばちゃん(父の姉)も元気だった。そのことろは、サンケイバレイといって、カーレーターなる2人乗りのゴンドラのケーImg_6865ブルカーというか、リフトのような不思議な乗り物に乗ったことを覚えている。しかし、そのサンケイグループは撤退し、カーレーターも、すでになくなっていた。
 いろいろな意味で、感慨深いものがある。

 最新型の大型ロープウェイに乗って、頂上へ。午後を過ぎていたので、他Img_6837_2に客はない。窓から、眼下に琵琶湖を眺む見晴らしはすばらしい。紅葉は、まだこれからのようだ。これまでの気温があまりにも高すぎたのか、色づきもよくない。それに、今日のどんよりした天候のせいもあるだろう。明日は、雨になる予報だ。それでも、眺めはいい。琵琶湖大橋からの南湖、瀬田川へ。正面には、沖ノ島が見える。日本で、淡水Img_6876_2湖に浮かぶ島で、集落がある島は、ここしかないそうだ。

 それにしても、今日は寒かった。ネット情報では、今日の山頂の気温は3、4度程度とあったので、ダウンジャケットに、手袋、Img_6879_2帽子、マフラーと、真冬並みの防寒具で臨んでいたが、かなり寒かった。台風の影響か、風が強くて、体感温度がさらに低く感じられた。秋の花も、もう終わりかけで、ススキがきれいだった。父の足もかなりおぼつかないので、結局、1時間ほどいただけで、すぐに下山したが、一気に春が来たような気温の変化を体感した。Img_2820

 結局、すぐ近くにあるRカフェでお茶を飲むことにした。先日まで、ゆうこのギャラリー展示があったが、いまは違う作品になっている。夏場のにぎわいはないが、静かな秋の琵琶湖も趣があっていい。他に客もなく、静かに、心安らぐ時間を過ごした。

Img_6896  翌朝、夜の雨も 朝にはどうやらあがってきたので、山頂から見つけた内湖に出かけた。近江舞子の南浜にImg_6901あたる。

 ここも、夏には大勢の水泳客で賑わうが、いまは、静寂の中を、湖面を盛んに水鳥が行き来していた

 琵琶湖は、山頂からの眺めも、近くで観るの眺めもいいものだ。

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   ホテルや三井寺のことは、続編で。

 

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11月3日のご案内

 ここ数日、急に冷え込んできた。皆さん、体調いかがですか?

 10月の半ばまでは半袖でも十分だったし、その後も長袖1枚だったのが、ここに来て、朝晩は、重ね着の上にジャンパーを着て出かけている。夏から、急に初冬を迎えたようだ。最近の気象現象は、猛暑だったり、局地的な豪雨だったりと、島国の四季の潤いというより、どこか大陸的というか、亜熱帯的で、大味だ。どうやら、このところの人の気もそうだが、天の気も、極端から極端に触れているのかもしれない。

 さて、法座の案内です。11月3日は祝日だが、第1水曜日なので、通例どおり、夜は伝道研究会を開くことになっていたが、他の日程の都合で、昼の部として、「輪読法座」も同日に開催をすることになった。

 3日は、1日法座という形で、昼の部(輪読)、夜の部(伝道研)の二つの集いです。少々遠方の方も、ご参加下さい。

華光誌輪読法座
 日 時:11月3日(祝)昼1時30分~5時
 内 容:華光誌(69-1号)の輪読。今回の誌上法話は、『正信偈の大意』の序講にあたるので、通例の輪読し、みんなで味わう以外に、プリントを使った解説を行なう予定。
 参加費:1000円以上のご懇志をお願いします。

伝道研究会
 日 時:11月3日(祝)夜7時~9時30分(祝日につき、通常の時間を変更しました)
 内 容:『真宗基礎講座』(教義編)をテキストに、輪読形式で問題点や味わいを話し合います。今は、四十八願について。あれば本願寺出版社の「浄土真宗聖典」を持参のこと。
 参加費:500円以上のご懇志をお願いします。
 ただし、原則として、同人会員が対象。

 もちろん、昼だけ、夜だけの参加もご自由です。11月は、華光大会がありますが、どうぞ、皆さん、奮ってご参加ください。

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『たましいのケア』~病む人のかたわらに~

 東京への車中、『たましいのケア』~病む人のかたわらに~を読む。藤井理恵、藤井美和氏の共著なのだか、二人は双子の姉妹。おひとりは、キリスト教病院のチャプレン(病院牧師)、もうおひとりは、「死生学」を教える大学教授、共に敬虔なクリスチャンで、キリスト教の精神に基づくたましいのケアの実践家である。
 たまたま、今月の初めに新聞のインタピュー記事を読んで感銘を受けたからだ。

0955 大きく2部構成で、前半は、病院牧師としての実践の立場から、病む人、死に行く人のかたわらにいるとはどういうことかが、具体例に即しながら語られていく。後半は、若い学生たちに「死生学」を教える立場からの、たましいのケアについてである。後半の著者である藤井美和氏は、好調な人生を歩みながら、突然、28歳で原因不明の難病に倒れ、生死を境の中で、「何のために自分は生きてきたのか。何か人のため、家族のためになしたのか。何も出来ていない」という思いが湧き、もしそのまま死んでいたなら、ただ「”人は究極の状況で、自分の生き方を問われるのだ。後悔しても遅いのだ”というとこだけを学んで死んだ」との思いから、「あんなに自分の人生に満足していたと思っていたのに、実は自分のことは自分かいちばんわかっていると思っていたのに、本当はちっとも分かっていなかった」という驚きを契機にして、その後、長い苦しいリハビリの末に、奇跡的な回復を遂げて、日本ではまだ草分け的な分野の「死生学」を若い人達に教授されている。

 この場合の「たましい」とは、霊性(スピリチュアル)ということ。つまり、人間を、身体的、精神的、社会的、霊的な存在として捉えて、これらが統合されて全人格となるという意味での「たましい」を指している。このわたくしの存在の根底にかかわる問いが立ち上がる時、つまり、死や病、老などの苦に直面した時に、これまでの人生で築き上げてきた身体的、精神的、社会的な拠り所のすべてがはぎ取られ、崩れさっていくときにこそ、ますます顕現されてくるのである。しかも、そうなれば、無防備で、無力で、繊細で、傷つきやすい「たましい」が、いわば裸のままに剥き出しになってくる。誰もが、裸で生まれてきた。しかし、この人生において、いろいろな服や鎧を身につける(それが生きがいだったり、意味だったり、崩れない幸せだと思っていたりするのだが)、結局、死に至る時には、この世で身につけたものすべてが、剥ぎ取られていくのである。

 (大経の三毒段ではないが)まさに地位の高いものも、低いものも、富めるのものも、貧しきものも、知識の有る、無し、家族の有る、無しにかかわらず、すべて独り生まれて、独り死んでいかねばならないのである。

 そんな死を前にしたり、根源的な痛み(スピリチュアル・ペイン)を抱える人を目前に、何をなす事ができるのだろうか。

 ここでは、テクニック(技術)や方法ではなく、晩年に顕著になるロジャーズのカウンセリングアプローチに類似している。クライエントと共に「いること」(プレセンス)そのものの質が問われてくるのであろう。結局、自己自身のスピリチュアルが、相手へと到達し触れていくのである。

 それは、わたくし自身の霊性(スピリチュアル)が問われると共に、わたくしが何に支えられているのかが、問われてくる。この世で身につけてきたものを手放していくとき、目に見えない、形にあわられないものこそが、実は大切になってくる。それを、いかに自分が大切にしてきたか。また自分を支えてくれていたかに気付かせてもらうのである。それには、家族や周囲の人達がかけがえのない存在として肯定されるも意味も大きいが、それだけでは不十分で、そこには人間を超えた、超越的な存在との出会いの重要性が強調されている。

 すべての人に平等に、100%訪れる死であるのに、そのことを意識しながら生きている人は極めて稀である。むしろ先送りしたり、今はなかったことにして生を謳歌しているが、しかし実のところ、死ぬことが意識にあがって、初めてどう生きるのかにほんとうに向き合わざるおえなくなる。「死に方」とは、「生き方」なのであり、生きることを、死ぬことを切り離して考えることはできない。しかもそれは、知識として「わかっている」第三人称の死から、家族や近親者の死である第二人称の死、そして、このわたし自身の死が問題となる第一人称の死と向き合うことでもある。分かっている知識や理屈から、共有し、体験する。

 日常で意識していなくても、死や病、老などの苦に迫られる時、改めてわたし自身が問われてくるのである。

 「何のために生きているのか」という意味が問われ、

 「誰からも愛されていない」という関係が問われ、

 「ここにいることが肯定できない」という存在が問われる。

 このような根源的な苦しさ、つらさに、痛みこそが、わたしの命の質に直結する問題で、そこにどう関わっていくのかを、謙虚で、誠実な語りでありながら、同時に、深い愛に貫かれた強さも感じさせられた。

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東京講演会法座

Img_2791 東京公開講演会法座。今年で第4回目になる。

 会場の最寄り駅を降りると、昨年同様、会場の案内板をもったY君やO君の姿。ご苦労さまです。途中の公園では、公共の主催でのフリマをやっていて、人込みを縫うように、会場へ。受付には、お願いしていた仏青の若い女性がお二人が座り、すでに皆さんの手でセッティングも完了していた。司会役には、高山からYさん。カメラマンやDVD録画係の方は、プロの同人。お久しぶりの参加である。ポスター係、書籍係、接待係、お花係、会計、お声かけ係…と、皆さんが総括の責任者の元、それぞれの役割を少しずつ分担してくださっている。確かに、経済的な意味でも、役割や仕事面でも、同人の皆さんの過重な負担を避けるようにと考えているのだが、それでいて、いつも単なるお客さんで受け身の法座で終わっていると、せっかく、同人の手が運営されている華光の意義が半減するのではないか。華光大会などの支部当番でもそうだが、多少の負担があっても、たまにはみんながひとつになって、目に見える形で、お世話をいただくことにも大きな意味がある。

 普段は、すごく当たり前のようにしか考えていないが、ひとつの法座が成立するのでも、会場があり、講師がおり、主催があり、お世話方があり、参加の皆さんが足を向けてくださるおかけで、そんなご縁が幾重にも重なっていることが、ほんとうは有り難いことだ。
 私の狭い考えでは、なるべくしんどいことはしたくない。自分に、損か得か、好きか嫌いか、役立つか,役立たないかなどの自分の都合、自分の物差しでしか考えられないのだ。しかも、自分を中心にした相対的な見方に固執し、絶対視するところに、凡夫の迷いがあるといっていい。それは、阿弥陀様の大悲心、他力回向のお心とは、まるでまるで真反対である。そんな自分であることを教えていただくのである。

 その意味でも、これもまた尊いご法縁であったが、参加者はいままでより少なかったのは、ちょっと残念だ。それでも、初めての方、遠方からわざわざお出でくださった方、久しぶりのお方も、チラホラとあった。

 講演というか、法話内容は、自分自身の求道の歩みを振り返りながら、聞法、求道の要点について。ぼくには、小学校5年生の時、そして、19歳で得度した直後と、大きな転機があるのだが、実は、それだけでなくて、そこに至るまでにも、ぼくが気付いていないだけで、あの手この手のご方便やお育ていただいたのである。まさに、「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」である。そうとしかいえないのである。この遇い難い人身を得て、聞き難い仏法を聴かせていただいた。たまたま出遇わせていただいたのだ。もちろん、それは、ぼくの方からはまさにそうではあるが、しかし、阿弥陀様の方は違うのだ。このわたしが地獄で泣いているのを一目ご覧いただいたのが不憫の始まり、それ以来の悲願であり、宿願がかかり続けていたのだ。阿弥陀様の方から、ただ一方的に、私の意志や思いに関係なく、ずっと届けられて続いていたのである。ズッーと、ズッーと、ズッーと叫び続けていた呼び声に、たまたまいま出会わせいただいたのである。

 ああ。

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1週間

 土曜日輪読法座。M先生の「かわる心、かわらぬ心」、これがすごい内容。先日も、Yさんが、「すごい文章でしたね」と言われてた。ぼくも同感だ。でも、そのわりには反響が少ないのは、たぶん、みんな読みきれていないのだろう。今回の法座では、たまたま、内容に入る前に、「ご示談のスタイルは、感情的な機決定(きけつじょう)を進めるのではないか」という質問がでていた。そうでないことは、これを読めば、それ以上の答えがはっきり示されている。むしろ、感情だけでなく、法や念仏を握って、「有り難い、有り難い」と、自分勝手に喜んでいることだって、ある種の自分で決めた機決定だなー。数日前の新聞のコラムの養老孟司氏の言葉に、説明責任ばかり取り上げられるが、理解責任は問われないのかとあった。ここは確かに難しい。言葉のやりとりでは、絶対に分からないところだ。

Img_2739 日曜日、子供たちの運動会。昨年までは、保育園と、小学校に分かれていたが、今年からは、1度で済む。二人は紅白に分かれていた。二人いると、うまい具合に間がもてていい。
 午前の部の二人が出るところまではすべて見て、大急ぎで、泉佐野へ向かう。かなり飛ばすしたが、高速が繋がったので助かった。宿泊での報恩講の寺院布教。同人のImg_2750方もチラホラ。堺の古い同人のKさんと、立ち話。ご法を噛み締め、飲み込むように聞くという味わいをお聞きする。話し方といい、姿勢といい、こんな味わいのあるお同行さんが、めっきり少なくなったのは、寂しい。ぼくが思い出せるのは、福岡のMさんや日高支部の古老たちなど、もう数名になっている気がする。厳しい廃立を外さず、それでも、ユーモアというか、どこかに余裕を感じる態度がなんともいえない。

 月曜日も、引き続き報恩講法座でのご法話。平日ということもあっImg_2760て、女性が中心。男性は、世話役か、高齢者が多い。ぜんざいを食べる合間に、ご法話の感想を尋ねる。「私達はレベルが低いので、わかり易い話をお願いします」とのこと。そうはいわれても、けっこう、真剣に聞いてくださている。なによりも、ご法話の途中でもお念仏の声がする。どんなに満堂だろうが、笑い声や拍手の反応があろうが、もしお念仏の声が聞こえなかったら、せっかくのお寺の意味はない。誰にも遠慮、気兼ねせずに、高声念仏できる場が本堂なのだ。
 夜に、帰宅すると、同人のご尊父の訃報が入っていた。父と同じ歳。

 火曜日。午前中は、自力整体に行く。珍しく会場は一杯。相変わらず、黒一点。カフェでランチしてから、父を連れて歯医者へ。車中で、昨日の報告と、今夜のお通夜の話題。「あんたが、しっかりご法を相続してくれているので、うれしいわ」と、ポツリと一言。

 事務仕事をすませて、T嬢と、新幹線で名古屋へ向かう。姉夫婦と、新幹線口側の地下街のエスカ前での待ち合わせ。あのー、指定のエスカ前の入り口って、たくさんあるんですが…。まあ、駐車場前となると、ここだろうという場所に、早めに到着。ところが、約束を15分過ぎても、迎えの車が現れない。不安になる。場所が違うのかなー。でも、このご時世に、Tさんも、ぼくもケイタイをもっていない。やっと公衆電話を見つけて連絡したら、ちょうど遅れて到着。やれやれだ。ケイタイがないと、確かに不便ではあるが、なぜか不自由とは思わず、どこか自由な気もするのは、なぜ?

 通夜には、20分ほど遅刻。若いO先生がお導師されていた。法話も、後生の一大事について、25分程度。立派な内容。満堂、誰ひとりとして帰らずに拝聴。すべてが終わってから、「み仏に抱かれて」をBGMに、お焼香。みな、故人を偲んで集ってこられた人ばかりで、単なる義理や形式ではない通夜式だった。こんなスタイルにされた喪主の姿勢が伝わってきた。ぼくも、しっかりご縁に合わせてもらう。そう思えるような通夜や葬儀は、そうはない。通夜振る舞いでの談笑のあと、京都へ戻る車中は、明日の発表の準備。

 水曜日。20日は、movix系が1000円なので、新京極の映画館へ『桜田門外ノ変』を観る。史実に基づいた内容で、事件と、その背景、その後の影響にも及んでいる。水戸浪士たちによる伊井大老の暗殺は、目まぐるしい激動の始まり。時代は、攘夷ではなく、倒幕開国へと進む。明治維新のわずか8年前のこと。

 すぐに戻って、「はちす」、法座案内と、総会委任状の発送。数日前から準備されているが、ぼくは。聞法旅行などの写真を同封のするたその種分け。これが一苦労。なんとか、時間に間に合った。

 夜は、真宗カウンセリング研究会の月例会。「セラビーにおける必要にして十分条件」の共感と、伝達の項目。担当者の変更で、急遽、発表者に決まっていた。ひとりで読む、ベテランのカウンセラーなどと交えて輪読する、担当者としてレジュメを作る。学びの姿勢が、明らかに違う。診断的理解、同情的理解の違いなど。盛り上がって時間オーバー。
 子供を寝かせ、入浴してから、遅い夕食。録画していたDVDで、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』を観る。スピルバーグのそつのない娯楽作品。ディカプリオ~トム・ハンクスとの共演作。肩肘貼らずに、気軽に楽しめて、深夜まで一気に見てしまった。

 木曜日。朝から、京都シネマへで映画を2本『メッセージ そして愛が残ると、日本映画『乱暴と待機』。『メッセージ』は特におすすめ。幼き日の交通事故から奇跡の生還を果たしながらも、結婚後に、突然、幼少の息子を亡くして、家族にも心を閉ざした弁護士が、他人の死を予言できる医者との出会いで、(失う悲しみによって)大切なものを取り戻すというもの。生と死が常に、コインの裏表で、定命とならば、老少を選ばず、不定で、けっして逆らうことのできない。そんな「死」を常に射程にしながら、いかに一瞬の生を生きるのか、その時、家族としていちばん大切なものはなにか。ミステリアスなタッチながら、死の一面をまっとうな視点で描いた佳作。定番の難病や別れのお涙頂戴ものとは、一線を画している。
 『乱暴と待機』は、原作はコミックもの。かなり普通じゃない二組のカップルの四角(?)関係。全体的にへんなのに、部分部分は、どこかでありそうなリアリナィのある、ある種、愛のコメディー。最初、なじめなかったけれど、だんだん面白くなってきた。

Img_2771 お昼は、初めての町家カフェの『火裏蓮花』へ。御池柳馬場を少し下った京都独特の路地の奥にある。ところが、路地の入り口には標示がなくて、隠れ家的なカフェ。落ちつているのに、ちょっとユニークだったので、ここには触れよう。

 事務方、全員が揃っての1週間のミーティング。ちょっと濃い話題もでる。
 夜は、書道教室。今夜の生徒は、4名だけ。でも、みな、お坊さん。よくみると、宗派が違う。禅宗2名、真宗が2名。禅宗も、臨済宗(東福寺の塔頭の方)と、曹洞宗。

Img_2772 金曜日、朝いちの予約で、アンシャンテに散髪へ。ここも、連れ合いの絵が飾られている。「マノア・マノ」でランチして、すこし映画とカフェの話。やっと河合隼雄著のユング心理学と仏教』を読み終える。みなみ会館によって、70年代のアメリカ映画を1本。アメリカン・ニューシネマ特集で、ハロルドとモード~少年は虹を渡る』自殺願望の19歳の男の子と、79歳の老婆の恋。戦争や既製モラルを皮肉ってもいるし、居場所や生きづらさを感じるものへの讃歌でもある。歌も70年代。日本は、万博の歳だな。でも、ちょっと寝てしまった。
 あとは、明日の準備や、書類整理や事務作業。1週間で、いちばんノンビリした1日。

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東京公開講演会

 明日からは、東京支部法座。今回の東京も、ポイントが溜まっているので、グリーン車が利用できる。東京駅からは、大塚3丁目(地下鉄なら茗荷谷駅から徒歩7分)の全林野会館へ。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/10/tokyo2010-10.htm

2010tokyokokai

 23日(土曜日)は、公開講演会だ。1年1度だけれども、ぼくはこのスタイルの集いが、案外好きだ。ちょっと疎遠の同人の方や、東京におられる師弟の方も、敷居が低いのか、けっこうお参りくださるのは、うれしい。初めての方も、いつもおられる。

 たとえ聖教とはいっても、単なる解説なら、外側の話題を人ごとのように話してもつまらない。今年は、自分の歩みを少し聞いてもらおうと思っている。

 法座は、誌上法話(69-2号)の輪読、唯識から修行の5段階の話。あと、M先生の巻頭言の「かわる心、かわらぬ心」を材料に使わせてもうかとも思っているが、このあたりは、ちょっと流動的だ。

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このところ…

 土曜日から、めずらしく1週間を更新を休んだ。

 コメントに応えているので、完全に休んだわけでないが、新しい記事は書いていない。

 開始当初は、自分の中で目標(とにかく1年は続けようとか、10万アクセスまでは頑張ろうとか)を立てて、ここまで続けてきた。最近は、あまりそんなのはないが、当面は、30万アクセスと思ってきたが、どうやら、それも目の前に迫っている。

 別に、話題がなかったわけではない。むしろ、この1週間は、いろいろとあって、多忙だったのが、第一の理由だ。次々と何かがやってくる。まわりの状況からみても、むしろ、これからが、たいへんになってくることは明白ではある。

 でも、それだけが理由ではない。

 むしろ、ぼくの中のやる気というか、いわゆるモチベーションというか、特に、今月になってから、更新が億劫になってきて、テンションがあがらないのだ。マンネリ気味なのかもしれないが、自分の書きたいことよりも、訪問者の目を気にしているところもあって、不自由な自分を感じたりもするからだ。もちろん、そんなことは、今に始まった話ではないし、公開している以上は、その兼ね合いや折り合いがあって当然だ。それに、反応があれば励みにもなっている。でも、何かシックリこないところがある。何か得体のしれない気持ちの悪さというか、怖さみたいものを感じている部分が、ぼくの中にあるのだ。ちょっと、この部分にファーカスして味わってみて、誰かに聞いてもらうのもいいかもしれない。いままだ明確な言葉にはなっていないが、ぼくの中で何かが動いているのは、確かだ。

 それで、しばらくはおやすみしようかなーと思ったりもした。でも、こんなことを表明しただけでも、気分は変わるものだ。そうすると、もう少し気軽に続けようと思ったりもしてくる。やめるのは、いつでもやめられる。しかし、長い目でみれば、日々の継続や積み重ねも大切だよなーと思う自分がいるのだ。

 まあ、そんな感じで、プチ沈黙の1週間だった。

 

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今週の法座予定

 このところ、行事の合間の事務や準備の作業に追われている。

 ひとつは、来月の華光大会に総会があるので、決算や予算、そして来年度の事業の相談など。特に、来年は宗祖親鸞聖人の750回大遠忌にあたる。華光会として迎える、50年前の700回大遠忌、約40年前の親鸞聖人生誕800年(誕八)と、3度目の大法要となる。こちらは、これかの相談になるが、事務作業は順調に進んでいる。

 もうひとつは、すでに済んだ行事の残務処理である。大半は、皆さんの手で進められているが、最終のところでは、手直しやチェックが必要となる。子供大会の感想が「はちす」となって、20日の発送に向けて準備中。そこに、聞法旅行の写真(焼増し、けっこうたいへんだった)や、仏青大会の決算の処理などがあった。そこに、行事の法話音源の編集があるが、これは同人の皆さんがお手伝いくださるので、大いに助かっている。

 すべて20日の発送に向けての作業。〆切があるとあわただしいが、仕事は片づく。

 さて、今週の法座。ぼくは、輪読と、宿泊での寺院布教があり、土・日・月曜日と3日続けての法座。
 他にも、東海支部のご法座と、華光会館では、京都支部学習会で会場提供をしています。

1)華光誌輪読法座

 日時:16日(土)昼1時30分~5時

 会場:華光会館(3階研修場)

 内容:華光誌69-4号(巻頭言・聖教の言葉と、一部記事)の輪読と、解説。話し合い。

 なお、来月の輪読は、夜の伝道研究会と合わせて、11月3日(祝)に、特別バージョンとしてお送りする予定だ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/10/rindoku2010-10.htm

2)西法寺報恩講への出講

 日時:17日(日)昼2時、夜7時 18日(月)昼2時

 会場:大阪府泉佐野市「西法寺」

 内容:寺院布教なので、法話が中心で、座談会はありません。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/10/saihoji2010-10.htm

3)東海支部法座

 日時:17日(日)昼1時30分~5時

 会場:(JR岐阜駅前)「じゅうろくプラザ」。

 内容:久しぶりに、悟朗先生のご法話です。おかげさまで、遠方の布教は、日高支部の聞法旅行と続きます。今回は、名古屋ではなく、岐阜市です。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/10/toukai2010-10.htm

4)京都支部学習会 

 日時:17日(日)昼1時30分~5時

 会場:華光会館(3階研修場)

 京都同人による、カウンセリング的u「聞き方・伝え方」の実践などの実習が中心。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/10/kyotogaku2010-10.htm

 久しぶりの法座案内でした。どうぞ、奮ってお参りください。

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聖人直筆の四十八願

 朝、新聞を開くと、大谷大が、親鸞聖人の直筆の書写の発見を発表したという記事を見つけた。

 へえー。なんか、すごいな。断片とはいえ、750年前もたって、親鸞様の直筆が発見されるなんてね。ちなみに、先日、華光会館で、論文資料の整理のために、会館の倉庫にある大きな長持を15年ぶりに開いて、少し整理をされる方があった。が、せいぜい50年前の伊藤康善先生のハガキや手紙類、録音テープ程度しか出でこなかった。それでも、あたりは古い紙の酸いい匂いで一杯になってしまって、2、3日は、倉庫に入る気になれなかった。まあ、そんなことはどうでもいい。

 第一、新聞記事で、「四十八願」を見つけるだけでも、かなり新鮮な気分だ。新発見とあったが、七百五十回大遠忌記念事業のひとつとして始まった、大谷大博物館での特別展『親鸞-その人と生涯-』 にも展示中ということなので、このタイミングは宣伝のための発表でもあるのだろう。

 最初、見出しを見たときは、国宝に指定されている『観無量寿経註』や『阿弥陀経註』があるのに、発見されていない『無量寿経註』の一部なのかなと思ったが、今回のものは、まったく違った。晩年の84歳ごろのもの。ご承知のとおり、著述のほとんどは晩年で、最晩年まで手を入れ、加筆や補足をされたりしているようだ。むしろ、国宝の『観経』と『阿弥陀経』註は、若い日のもので、逆にたいへん貴重なものだ。引用の書物や書体から、法然上人の門下時代の、30歳前後(29~35歳ごろ)のものと推測されている。『恵信尼文書』同様、これらが発見されたことで、架空の人物とも疑われていた親鸞の存在が、歴史上の人物として証明されたというから、その点でも重要である。素人目でも、晩年の筆跡と異なっていることがわかる。学生時代に初めて京博の展示で見たが、紙面の上下左右、細かな文字で引用された経疏の文字がびっしりと書かれて、見るものを圧倒する。聖人の若い日の真摯な研鑽のさまが窺えるのだ。

Pk2010101302100032_size0_2 今回のものは、記事だけではよく分からなかったが、写真は、『仏説無量寿経』(大経)の、四十八願のうちの二十願と、二十二願の部分だ。やはり関心は、朱文字で書かれていた註釈や読みの部分だか、残念ながらこの写真(記事からの転用)ではハッキリしない。断片とはいえやっぱり興味が湧いてくる。大谷大博物館は狭いスペースなので、短時間でも見れる。近くに所用があれば、少し足を伸ばして、実物を見ることにしよう。

 鎌倉時代の当時で、84歳の老齢でも、この筆跡である。それだけでも、すごい生命力である。

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休肝日なのに多忙日。

 今日は最後まで、あわただしい1日。

 朝から、会計士のY先生と、決算や予算の相談。予算は、下準備で、これから詰めていくが、来年以降の課題を話し合った。その合間に、この日に合わせて、新規契約になる「火災・地震」の説明と契約に来ていただいて、ご相談。だいたい済んだところで、みんなでお昼を食べにいったが、父と歯医者に行く時間がせまっていた。連休明けで、道路は混んでいたて、終了時間を少し回ってところで、間に合った。診察が済んで、帰ろうとしたら、父と歯医者の先生が、宗教談義をはじめた。先生は、クリスチャンで、診察室に十字架や聖書の言葉を飾っておられる。そのことで、一度、「仏教とキリスト教の話をしましょう」といことになっていたらしい。母親の影響で、教会に通いだしたこと。たくさんの兄弟を育てたこと、そんな入信の経緯から、そこから生まれる仕事のボリシーも、「どんな歯でも、歯を抜くことは、殺人をするのと同じ」だという気持ちで仕事をされていることなどを話してくださった。神様から与えられたものを、粗末にしないで、生かすとこを、第一に考えているというのである。しかも、開医当時は、ほんとうに赤ひげ先生で、診察料をまけたり、お年寄りが得をするようなことをいろいろと考えておられたようだ。「どうせ子供(ひとり娘さん)も亡くしたので、お金をためても、ロクナことはないですからね」と言われている。なかなか貴重な話。どうも、ふたりで盛り上がっておられるが、ぼくは、次の予定があったので、残念ながら、途中でお開き。いつも、冗談ばかりいわれているが、なかなかの人格者だ。

 戻って、S子ちゃん作製の子供大会の感想通信の「はちす」を、ムラ君に手直しする作業を依頼していた。その指示と確認。発送作業から、逆算して、今日がタイムリミット。夜までやっていた近所の印刷所に送信したが、今度はうまく標示されない。印刷所に出かけて、向こうの画面でも確認。何度もやりとりをしていろいろ試して、どうにかうまくいきそうだが、最終確認は明朝に持ち越した。夕飯をたべながら、作製をお願いしていた子供大会のDVDを確認して、来年度の予算にからんで今年延期になったPCシステム更新などの相談。いろいろと詰めておいたほうがいい問題もある。それから、昨日の仏青大会の決算をし、仏青本体の会計の引き継ぎの準備も少しした。三階に上がってついでに、来年度の事業の確認や、いよいよ親鸞聖人の七百五十回大遠忌の迎えることで、意見交換したら、こんな時間に。

 仏青大会の三日間、若い人達とかなり飲んだので、今日は休肝日と決めていたが、うまい具合に、飲まずにすんだ。日頃は、たいした量は飲まないが、久しぶりに完全に休んだ。この調子なら、連休にしてみてもいい。肝臓は休んだが、新年度を迎える準備が始まって、体は休まらなかったなー。映画も、休養日も、木曜までお預けか。

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七、七歳に

  ブログがおやすみだったのは、3日間、仏青大会と、その準備があったからだ。

 ゆうこの法話デビュー、得度仲間(5名)の参加、本派の僧侶の初参加など、いろいろと味わうことはあったし、3日間に一座ずつあった法話のことも少し触れてみたいと思うが、さっき、世話人の慰労会を含めた打ち上げが終わったところで、今夜はお疲れである。

  今日は、七の誕生日である。

Img_2725  姉のカンロが、ずっとゴソゴソと造っていると思ったら、折り紙で、手作りの部屋をプレゼントとした。ピアノも折り紙で、本や小さなクレヨンも手作りで、本には、しっかりと話まで書き込んであった(原寸大を示す、マッチ箱とかは、一緒に写真をとればよかった)。

Img_2724 彼女の誕生日は、だいたい仏青大会と重なる。いまから、7年前。生まれた時も、そうだった。初日だけ夕方から遅刻して、病院から戻ってきた。翌日の法話では、あえて出産するシーンをビデオをご法話がわりに、みんなにも観てもらったことがあった。

  あの時、学生で、涙を流しながら、ビデオを観てくれた人達が、いまは結婚し、来月には出産を控えているのである。たった7年であるが、ずいぶん時間が流れさっている。

 ところで、今回の仏青大会には、華光で知り合って結婚された同人が、9ケ月の赤ちゃんを連れて、3日間フル参加してくださった。ああ、こんな時も、7年前にはあったわけである。深い愛情の中で育っているのか、とても安定した赤ちゃんで、法話も分級座談中も、みんなと一緒に過ごしたが、まったくうるさくもなかった。まだ腹があがったハイハイができないので、行動範囲も狭く、しゃべれないでさほどうるさくもない。安定した、手がかからない赤ちゃんだったので、ご夫婦も、久しぶりにご聴聞ができたようだ。夜勤明けの仕事の中で、3日間の休みをすべて使って、赤ちゃん連れで、ご聴聞された姿勢も、夫婦で、お互いの聴聞の姿勢を問い質される姿も、なんもと尊かった。

 七の昔の写真を見ていると、あの時のことが蘇ってきた。できる事は手助けをする出産で、性別も自分たちで確認する助産院だった。へその緒も上の子と一緒にきらせてもらった。母と子を結んでいた青白く、ブヨブヨして臍の緒。どんな人も、母の胎内に宿らせていただき、母との結びつきをいただき、そして、母の胎内をい出て、このへその緒が切られた瞬間、その二人が離れて、一個の人として、この世の生が始まったのである。

  まだ、名のなかった生まれたての赤ちゃんを、その場で抱かせてもらった。小さくても、この子としての業をもちこの世に生を受けた、その体温の温かみと、言い知れない重みに、おもわず涙ぐんだことを思い出すのである。

 その後、連れ合いと二人、その赤ちゃんを護ってくれていた胎盤(儀礼的だったが)を、二人で食したが、味は覚えていない。

 それから、もう7年がたったのだ。

 仏青大会が終わって、3日間、彼女は、ほかの家に遊びいってくれていた。彼女も、ご苦労さまである。慰労会に、二人で、近所のお店まで手をつないで歩いていった。ずっと、ドラえもんの絵描き歌を、小さなかわいい声で歌っている。

 ふと、幼稚園の卒園式に、父に手をつないでもらって、言い知れぬ誇らしい気持ちで、幼稚園の門をくぐったことを思い出した。それが、いまや複雑な思いもあるので、さまざまに去来するものはあるが、あの時の安心感、見上げる父親への憧憬と、絶対的な信頼感の経験が根源的な源泉となって、自分の成長があり、今日の自分がいることは、紛れもない事実なのである。

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超世の悲願~10月の伝道研

 9月の伝道研究会。少しメンバーに変化あり。今日のテキスト部分を、途中からだが引用しておこう。「超世の悲願」というところである。

 さらにこの四十八願は、みな第十八願から出たものであることは、これを諸仏の本願と、弥陀の本願とを比較すると、なお明らかになる。
 第一願の無三悪趣の願、第二願の不更悪趣の願についていうならば、諸仏についてもこれと同じ願がある。すなわち、いづれの仏の浄土でも、もとより地獄、餓鬼、畜生の三悪道はなく、また、三悪道にかえることもあるはずがない。では、どこが違うか。「三賢十聖住果報(さんげんじっしょうじゅうかほう)・唯仏一人(ゆいぶついちにん)居浄土(ごじょうど)」(仁王般若波羅密経・巻上)とあるように、諸仏の浄土は、その仏一人のための浄土であって、衆生のための浄土ではない。だから、その仏が、ただ一人おられる浄土には、三悪道がなく、また三悪道にももどらない浄土だということである。
 これに対して、弥陀の第一、第二願の浄土は、第十八願から出たものなので、罪悪深重の凡夫を救おうというおこころがこもっている。それで、阿弥陀仏のおられる三悪道のない浄土は、この私が往生させていただく浄土なのである。また、一度往生すれば、三悪道にもどらぬのは、仏のためでなく、私のためなのである。
 聖人が、「五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」といわれたのは、ここである。四十八願は、すべて私一人のため。第三十八願の衣服随念の願とか、第四十六願の随意聞法の願などは、日常の悩みをとおして、そこに第十八願のおこころのあることを知りうる。聖人は、「不思議の四十八願」「無碍の誓願」と申されているが、そのお言葉からも、願数は、四十八とは限りえぬ無量無数の誓願のあることが知られる。しかもその一願一願が、すべて第十八願の「衆生を仏にしよう」という一念の表れであることを思わせられ、「建立無上殊勝願、超発希有大弘誓」の讃辞もうなずかれる。

 「なぜ、仏が一人か」という質問がでてが、少し考る機会をもらって、ぼくには有り難かった。

 つまり、ここが絶対に諸仏にはない、弥陀の超世の悲願と呼ばれる所以だ。諸仏も仏なので、自利だけでなく、利他の働きで衆生済度が行なわれている。しかし、お釈迦様がそうであるように、その釈尊を手本として、励まされ、導かれながらも、その教えのごとく、おのおのが菩提心を起こし、発願して、修行に励み、自ら悟り、自らの仏身、浄土を建立していくのである。いわば、ひとりひとりの浄土なのである。それが、仏教の本筋だ。 

 ところが、弥陀の本願と、その願力で荘厳(しょうごん)された浄土だけは別だ。諸仏の教えに漏れた極重悪人のこの私をお目当てに、凡夫のままで最高の仏にさせて見せましょうという、まさに「世」を超えた願いなのである。世間を超えていると共に、諸仏を超えた願いは、誰のためか。「親鸞一人」のためであるように「、私ひとり」のためにほかならいのである。すべての功徳を、この凡夫のために、まるまる(100%)、なんの見返りもなく、取引もなく、条件もなく、すべてすべて回向してくださるというのである。その大悲をおこころで、その願力で荘厳されたお浄土。だから、その端っこに、小さなって生まれるんじゃない。まさに、私ひとりのために建立されたお浄土なんてすよね。ああ、グズグズ言ってたら、勿体ない。

 ただ男女・善悪の凡夫をはたらかさぬ本形にて、本願の不思議をもって生まるべからざるものを生まれさせたればこそ、「超世の願」ともなづけ、「横超の直道」ともきこえはんべれ。

と、『改邪鈔』十にあるところ。ここでの、「はたらかさぬ本形」とは、本来の姿そのままで、という意味。だから、この世の常識で考えてもおかしいことで、本来生まれるべからざるのもを、仏にさせよう、浄土往生を遂げさせようという、その大本が、「超世の願」。その仰せをお聞きしていくのが、「横超の直道」なのである。誰をお目当てに、立ち上がらねばならなかったのか。そこを、私に聞かせていただくと、もうグーの音もでなくなっちゃいますけどね。諸手を合わせて降参!

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こんな映画を観た(一言編)

 先週(9月末)から今週にかけて、けっこう面白かったり、強く印象に残ったり、感動したり、ハラハラしたり、はたまた、とても退屈なのに何か言葉にしたかったりと、コメントしたいなーと思う映画が続いた。いつもそう思いつつも、書きかけで終わってしまうことが多い。今回は、とりあえず、タイトルと一言コメントを書いて、次の予告にしておこう。

 まずは京都シネマでの6本。
 アルゼンチン映画で、今年のアカデミー最優秀外国語映画賞に輝いた『瞳の奥の秘密』は、しっかりした伏線のあるサスペンスで、秀作の人間ドラマといっていい。これはよかった。

 『ヤギと男と男と壁と』は、ジョージ・クルーニー、ユアン・マクレガー、ジェフ・ブリッジス、ケビン・スペイシーと、大物男優の共演したコメディーだが、ある種の戦争のマジの一面を風刺した、ちょっと異色作。

 『立ち上がる イラク帰還兵は、ここでも取り上げたイスラエル映画『沈黙を破る』のアメリカ版。けっして、マスコミに紹介されることはない。しかし、まだまだ小さい声でも、戦場から帰還した元兵士たちの勇気ある声、彼らが体験した実際の戦争を語ることで、世の中が変わっていく可能性を示唆してくれる。できれば、孤立することなく連帯することも大きな意味があるな。『ヤギと男と男と壁と』と続けて観たので、なんかへんな感じもした。

 『ビルマVJ~消された革命~』も、ドキャメンタリー。実際の緊迫映像と、再現ドラマで構成される。仏教徒や僧侶の皆さんは、絶対に見てほしい! 震えます。軍部によって閉ざされた国ビルマで、投獄や拷問のリスクを恐れず、映像を発信し続ける「ビルマ民主の声」のVJ(ビデオ・ジャーナリスト)の映像を通じて、2007年の非暴力の僧侶、民衆の抵抗運動と、武力による徹底した弾圧が明らかになる。これはもう少し詳しく触れたい。

 『仁寺洞スキャンダル』~神の手を持つ男~は、天才的な絵画修復士と、超やり手の美人ブロカーの対決を軸にした、韓国ドラマ。娯楽性があって退屈しないけれど、主人公がうまく行き過ぎで、ちょっといま一つ、ハラハラ感がうすい。大金をめぐり騙し、騙されなら、韓国映画の、『作戦』THE SCAMの方が面白いかも。

 同じく韓国映画の、『グッドモーニング・ブレジゼント』が、面白かった。個性の違う三名の大統領の政治家である共に、家族のあるごく普通の夫であり、妻であり、男である人間性の一面を、青瓦台の料理長の目を通して描いたもの。ただし、日本の扱いは、ちょうど尖閣諸島問題にリンクしていて、ちょっとハラハラ。架空の話でも、韓国人や中国人からみれば、日本はこんなふうに映っているのだとよくわかる。

 京都みなみ会館では、2本。 『音の城♪音の海』~sound of music~は、実際のミニ・ライブがあった。。自閉症やダウン症、知的障がいをもった人達と、学生たちによる「音遊びの会」。そこに、音楽療法家、音楽家たちもくわわり、みんなが自由に演奏するほんとうの意味での即興演奏が奏でられたり、時に奏でられなかったりする。でも、コミュニケーションの過程が、見事な音楽だといってよいかも。両者のからだが、響きあい共鳴し合っている。

 『シルビアのいる街で』は、もしストーリーだけ追いかけたら、おそろしいほど退屈な映画。実際かなり寝た。でも、大きな音ですぐに起こされる。これは間違っても自宅でレンタルしてはいけない。こんな映画こそ、映画館で観るべきもの。美しいフランスの古い田舎町と、さまざな女性たちの映像、街の風景や人々の自然な姿。そして鋭い(妙に大きい)街に溢れる音が、しっかり迫ってきます。絵(映像)と音という原点へと純化されていると言ってもいい。でもなー、やっぱり退屈だー。

 あともう1本は、夕方から、二條まで自転車を漕いで観た、日本映画で、『悪人』。うーん、これは、すごく丁寧に造られた優秀作で、満足。ひとつの殺人事件を巡って、被害者、加害者、その家族、そして恋人と、それぞれの人間像が、とてもうまく描かれていた。脇役もみんなうまい。けっきょく、誰もが孤独で、弱いんだなー。みんな繋がっていたい。果たして、ほんとうの悪人とは? 誰も自分だとは思わないけれど、映画は、そこまで語っているのか、いないのか…。これは、レンタルして観てもいいよ。

 この2週間は9本と、なかなかいいペースだ。それでも、見逃したもの(『ソウル・パワー』、残念)もあった。これから、この中からどれかにもう少し詳しく触れてみたいと思うので、今夜は、いわば、予告編。といっても、これで満足して終わるかもしれないけどなー。

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タイガースの助っ人

Img_2683 広島駅まで送ってもらって、新幹線の改札口へ。

 エスカレーターを上がってくると、人だかりが出来ている。

 広島カープとの三連戦が終わって、次への移動中の、タイガースの助っ人。Img_2684

 握手やサイン、写真攻めにも、とてもにこやかに丁寧に受けていた。このあたりは、えらいなー。

 今年の助っ人は大当たりのタイガースだけども、特に、10月3日の試合Img_2685は、マートンにプロ野球の記録の生まれた日だった。

 別にタイガースファンじゃないけれど、同じ新幹線だったので、まあ1枚。 

 実は、誰なのか区別もつかんのだが…。

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母と子、子と母

Img_2677  毎年、7月の第一日曜日に開かれているY家での支部家庭法座。いつも、庭には、ハスが咲いている。

 今年は、個人的な都合で、10月に変更してもらった。

 広島駅に集合して、ジャンボータクシーなどに分乗。幸いに、Y家のお仕事なのである。運転はご長男さん。彼も、子ども大会には、ずっと出席してくれていた。いま、そのお子さんを出席させてくれている。もともとは、アメリカから逆輸入で、仏法が入ってImg_2681きた。そして、母から娘へと繋がったのが、いまのYさん。そしてその子から孫へと、ご縁が続いているので、子ども大会を含めると、4世代目にあたるご縁になる。

 中国道を島根の方面に向かって、安芸高田市の高宮町へ。だいたい70分ほどだ。

 雨の中での法座になったが、広い縁側を開放して、庭からの風は心地よい。

 ご法話は、「タネ」の話から、「縁」他力と、「因」他力について。
Img_2676 仏法を聞き始めて、(それこそ)ご縁にあってくると、いままで気付かなかったおかげに気付かされる。ひとりで生きているんじゃない。母の胎内にいるときから、いやこの命さえも、すべてをいただき、その後もいろいろなおかげ、さまざまないのちのご因縁によって生かされていることに、気付かされてくるのだ。そして、ほんとうに生かされていることを喜べるようになってくる。しかし、どれだけ感謝し、また歓喜の涙を流そうとも、ほんとうに喜ぶべきことは何かをしっかりと聴かせていただかないと、その法悦に誤魔化されてもいく。だから、ご縁にあったことだけを喜んで、そこで止まっている人も多い。でも、そのご縁は何のためにあったのか。その大本の「因」のところまで聴かせてもらわないと、せっかくの阿弥陀様のご苦労が、単なる感謝の日暮らしや生活上の喜びの念仏だけで終わってしまうのである。
 私の持ち物、「タネ」の中味を聴かせていただく。地獄行きの悪業の身を聴かせていただく。同時に、それは、その悪業にかけられた阿弥陀様の願いの大本、大悲のお心を聴くことにほかならないのだ。絶対に、善の華や実などを咲かすはずのない悪業の種から、無根の清浄の信が生まれてくる、その仕組み、おいわれをお聞かせに預かるのである。私にかけられた尊い尊い縁のなかでも、如来様の仏縁を増上縁と言っている。すぐ目につく、縁他力の尊さは、その本である因の他力の裏打ちされているものなのだ。
 今回は、初聴聞の方も多かったので、なるべく平易な話につとめて、最後は、クソしかでない「顔」から、清浄の「南無阿弥陀仏」が満ちあふれてくる不思議を味わっていただいた。

 そのあとの信仰座談会。25名ほど。それぞれの今日のご縁、仏法とのご縁をお聞きしたが、これがとても尊かった。まるまる2時間、みんなが、そのご縁やご法話の感想を話し、一周回っただけで、ちょうど時間切れになった。個別のやりとりはできずとも、個々人の唯一のご縁を、その場に座る同行の全員で共有し合えた得難い時間だった。

 家庭法座なので、近所の方もおられる。息子さんのお勧めでお寺の坊守さんもお出でくださる。別院におかれたカウンセリング学習会のチラシから、ここにたどり着かれた方もある。娘さんに促された初聴聞のお母さん。認知が入ってお家におられなくて、一緒にお出でになった方もおられる。よくわからないままお友達とお出でになった30代の男性は、ちょうど1年前のこの家庭法座で、「おとぎ話のようだ」と、正直に初めて発言くださった方のお誘いだ。その方を誘った女性のご縁も、また不思議。そのひとつひとつの糸が、巧みに絡み合って、皆がここに座っておられるのである。もちろん、昔からのご縁の方もあるのだが、誰一人として、同じご縁の方はおられない。それぞれが、それぞれのご因縁によって、ここに集い、何故か同じご法を聞き、喜び合う身になったのである。そのひとつひとつが、不思議としかいいようのない尊いものであった。

 詳しい記述は控えるが、今年になって、不慮事故で子どもなくされたことがご縁として、新興宗教から決別してここにたどりつかれた初参加の女性の深い悲しみ。一方で、最愛の養母を、無残な事故死で幼き日に亡くし、無常をご縁に母を慕うかのように、聴聞を始められた方の涙の喜び。9月の支部法座のあとの「懇親会」をご縁に、娘さんの泣きながらの懇願で、初めてお参りされたお母さんと、お子さん。一方で、熱心な母親の仏法の勧めに、反発し、逆らいながらも、いまその疑謗が縁となって、仏法を喜ぶようになったご兄妹。熱心な祖母が、孫へと仏法がつながり、逆に、そのその子から逆流するように母親へも法水が流れようともしていた。

Img_6205 母が子を、時に子が母を、立場を変え、入れ替わりながらも、後を慕い、先を訪ねて、共に導きあいながら、唯ひとつの仏道を歩ませてもらうのである。

 終了した時に、知らぬまに、ぼくの心も温かい法水で満ちていた。まったくそれぞれが異なった話でありながら、その底には、大悲のお心が、その底に流れているのだ。

 私をしっかりと包んでくださる「かなしみ」のみ心であるからこそ、孤独で、寂しく、苦しみだけの私が、安心して悩み、そして喜べるのも、その大悲の心がその大本であることに気付かせていただいたのだ。

 玄関には、悟朗先生が、金文字で書かれた「大悲」の額がかかっていた。

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京都市美術館へ

Img_2663 午前中一仕事し、遅めのお昼を食べてから、京都市美術館へ。

 長女が、学校で書いた「書」が、展示されているらしい。

 たまたま広島から義母やいとこたちが、ゆうこのギャラリーを見に来ていたので、美術館前で待ち合わせすることにした。

Img_2661

 好天。10月というのに、長袖ではかなり暑い陽気だ。 

 同じ2階だが、もちろん「院展」に展示されているのではない(当たり前)。左側のご案内の「京都市幼児・児童・生徒作品展」の方。今年は、フランス領事館が京都に移転することを記念して、京都市の姉妹都市であるパリなどの学生の作品も展示されている。

Img_2660 連れ合いは、京都市立芸術大学だったので、学生時代、毎年、制作展が、京都市美術館で展示されていたので、懐かしがっていた。

 「会う」という書を、か弱い(繊細な)書体で書ている。各学校から、3作品ぐらい展示されていたひとつというところ。華光文化教室の書道と違って、学校の書は、かなりやさしいようだ。それでも、いまは、筆をもつ機会が減ってきて、習字の時間は、たいへんなんだそうだ。習い事も多様化しているで、書道をやっている人も減っている。それで、彼女は、みんなから「師匠」と呼ばれているらしくて、ちょっと自信ありの様子。

  わが子の作品展示を見るのがメーンなので、サアーっとみて、早々に退散。天気がよかったので、、岡崎公園をブラブラしてもよかったが、Rカフェの前の琵琶湖で遊んできて、皆さん、お疲れ気味。子どもたちは、バレエ、ぼくは、舞台あいさつのある映画(『音の城♪音の海』)へと、次の予定があった。

往復に80分、待ち合わせ時間が25分、そして、メーンの鑑賞に5分。まあ、それに、撮影時間がプラスされるけど…。

「会うは別れの始め」でして、そうそうに解散。

 まあ、待ち合わせ時間に、岡崎公園をプラプラするだけで、一気に気分転換。写真は、疎水から東山を望んでいる。

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華光誌69-4号の発送

 10月1日。

 9月決算の華光会は、今日から新年度を迎える。

 特に期末は、子ども会や聞法旅行の決算があって、かなり慌ただしかったし、寺院布教もあって、なんとか華光誌発送が間に合った。

 華光誌は、華光会の原動力である。同人誌を出発点として、今日の華光会の集いが生まれてきた。その華光誌も、今回が、69巻4号。まもなく70年を迎える。決して、大きな組織ではない。華光に集う人々が、すべて会員(同人会員)ではないという点でも、ユニークな集まりだ。書籍を発行しても、同人数よりも販売数が少ないというのも、正しいような、悲しいような出来事だなー。そんな集いが、善い悪いも華光という集まりである。

 その意味では、決して、入会に強制も、引き止めもないので、賛同される方は、ぜひ華光同人になって、華光会の活動に積極的に参加してもらいたいと願うばかりだ。ここまで、後を導く、無名の人々の願いで荘厳されてきたのが、華光の集いである。

 もし、会員になるだけの経済力がなくても、せめて華光誌はご講読いただきたい。これが華光の原点、出発点であり、同人の声が、またそれぞれの体験や生の声が掲載される点でも、貴重な信仰体験雑誌だと自負しているからだ。

 今日は、その華光誌の発送をした。京都同人の方が3名、助っ人で発送のお手伝い。今回は、悟朗先生の「正信偈の大意」の序講から始まる。華光誌には珍しく、教義的な内容だ。新年号にも続く。ぼくは、「聖教のこころ」 だけを執筆。このことは、またここでも補足して触れたい。その代わりに、連れ合いが、得度の体験を、かなり詳しく書いている。

 今日は、まだ暑かったが、それでも、年賀交換のお知らせが入っている。華光大会(11月25日)までは受け付けているが、どうぞお早めに。あと、真宗法座などに、出席された方には、写真も同封されているが、本に挟んでいるので、見落としのありませんように。これは、ランダムな方だ。今年の聞法旅行の写真は、もう少しだけ先になりそうだ。

 明日から、随時、お手許に届くので、どうぞお楽しみに!

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