小さな一歩
真夏並みの太陽の中、法衣姿で自転車に乗る。お盆でも、こんな暑い日ばかりじゃないのになー。今日も、予想気温は、36度の猛暑日になっている。車の駐車が難しい場所で、自転車になったが、さいわいそれほど遠くないので、助かった。暑さは確かにこたえるが、それより熱風で、衣の裾がめくれて、かなりセクシーになるのが、困った。
珍しく同人でも、その師弟でもないお宅の法事。
お盆に2度だけお参りしたことがあるだけで、なぜここにお参りするかの詳しい経緯は、父にしか分からない。
例によって、持参した日常聖典を配り、心をひとつにし、ご一緒に勤行をお願いした。お仏壇の荘厳にしても、皆さんのご様子にしても、ほとんどの方が初めという様子が分かったので、かなり丁寧に説明をしたつもりだった。しかし、やはり、声に出して勤行するのには、まだ抵抗があったようだ。目でおってくださるだけでも、よしとしないとなー。それで、ご法話も、かなり説明調ではなあったが、親鸞さまや浄土真宗について、ほんとうに初歩的なお話をした。頷きながら聞いてくださり、反応は悪くない。最後に、南無阿弥陀仏をと称える意味をお話して、ちょっと予行練習をしてみた。そして、最後に合掌・礼拝と促すと、かすかな小さな声ながら、初めて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、皆さんが称えてくださった。
こうして、小さな小さなご縁を結ばせていただく。しかし、これも尊い仏縁である。
帰宅すると、日曜礼拝。後片付けをして、ご法話の途中(もう終わりの方)からだったが、少しお話を聴かせてもらった。
最後の方になると、1年生の女の子たちが、からだを動かし、半分遊びながら、退屈そうにお話を聞いている。無理もない。それでも、「最後にもう一度正座してください」との声がかかると、正座して、小さな手を合わ、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、かわいい声で、お念仏を称えている。
すっかり忘れているだけだ。ぼくもこうしてお育てを預かってきたのだ。
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コメント
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 尊い“小さな一歩”です。大きな大きな阿弥陀さまのお働きですね しかし、そのことを聞かされてもなんとも思わない“稜”がいる。その口から出て下さる南無阿弥陀。なんと不思議なことか。聞法旅行でお配りする簡単な資料を作る予定で、本日校了をした。この資料作りをさせて頂いた意味を味わっています。全ての“一歩”は、“稜”ひとり目当ての永く深く広い阿弥陀さまのはからいであると。明後日お邪魔をする予定です。そね時に校了紙写しをみて頂く予定です。よろしくお願いします。
投稿: 稜 | 2010年9月13日 (月) 20:06
稜さん、ほんとうです。たとえ小さな一歩でも、唯一の「仏道」を歩ませてもらいたいです。
今週末はお世話さまです。楽しみにしています。とりあえず、16日に版下渡しの予定で、華光誌に全力投球というところですが、平行して、ボチボチと聞法旅行も始めたいですね。お待ちしています。
投稿: かりもん | 2010年9月13日 (月) 23:09