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2010年9月の22件の記事

教行寺法座、プチお宝編

Img_2641 客間(講師控室)にご案内いただいたら、掛け軸に、ユニークな聖徳太子の絵像。何度も寄せてもらっているけれど、これは初めて拝ませてもらいます。見慣れた画題ながら、これはちょっと面白いなと、感心して見ていたら、丁寧なレクチャーをいただいた。名のある画家の作品だという。昔、お寺に小金があった時代(ご本人談)に購入されたという代物で、富田渓仙(とみたけいせん)の作だという。ぼくはこらちの方面には疎いのだが、なんでも、富岡鉄斎に師事し、よく法話のネタ(ああ、最近は、先生のこの法話をまったく聞かないなー)老人六歌仙で有名な西の一休さんこと、仙厓義梵(せんがいぎぼん)和尚に傾倒して、自らの名に、仙の一字をいれられた近代の日本画家だそうで、近代の日本美術を俯瞰したような体系的なものには、紹介される画家がそうだ。ふーん。ひとつ勉強になりました。下世話なので、すぐにお値段で価値を判断してしまいそうだけれど、そこは、聞かずにおきました。Img_2642_2

 ご法座が終わって、地元の華光:同人に、『三帖和讃講讃』をお勧めしていたら、ご住職が、江戸時代の大派の版木で印刷された『三帖和讃』をもってこられました。ほー。とてもきれいに保存されていて、虫食いあとも補修されている。書体は、かなり線が細く上品で、第一、きらら紙なので、文字通りきらきらして美しいもの。ただ、淘(ゆり)、節譜がないので、勤行では使っていないとのことだった。ふーんと、こちらも感心。蓮如上人が、正信偈と和讃を開版されたことが、浄土真宗が弘まる原動力のひとつになったわけです。教えが身近になるものね。これも、ちょっと拝ませてもらいましょう。浄土和讃の讃阿弥陀仏偈のところですね。

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今年の教行寺法座

 例年、9月末にお招きをいただく教行寺永代経法座。プログの話題でも、恒例になっている。

 十条駅から近鉄なので便利だが、3度の乗り越えがある。田原本駅から西田原本では、外の道を歩いて王寺線というワンマンに乗換え、池部駅からお寺まではタクシーに乗らねばならない。

 ところが、今年は、例の阪神高速京都線と第二京阪が開通し近畿道と直結し、西名阪と通って法隆寺ICまで、一直線。これはかなり早いぞ。ICから、河合町佐味田までは、10分もかからない。1時間ほどの予定なので、初めて車で出かけることにした。新しい道なので、ナビ標示が追いつかずに、川や畑の上を飛びように車が走っていく。ただ、同じ高速道でも、すぐに「この先は別料金」となるので、6、7ケ所は料金所を通って小刻み課金されて、少々割高にはなる。しかしその分の時間短縮は大きい。会館からら教行寺まで、1時間以内。これなら、K先生に、華光会館にのご出講もお願いしやすいなー。

 さて、寺院布教は、なるべく平易な話題や言葉を使ってお説教させてもらっている。要点は同じだが、お聖教の解説が主になると、皆さん、それだけで敬遠されてしまうので、せっかくのご縁が勿体ない。

 今年は、「家で、テレビをみたり、講演会を聞いたりするのと、お寺でのご聴聞は違うのかどうか」という問いから入った。皆さんは、「違うな」と応えられる。では、どう違うのか。「仏様の話」だとか、「有り難い、結構は話だから違う」といった程度の反応が寄せられる。もう少し詰めて補足すると、「後生の一大事」の解決(生死を超える)教えをお聞かせに預かる。(世間の)迷いの延長の話か、それを超える話かは、大きな違いだということになってきた。

 それには、ただ話を話として聞いているだけではダメ。ここは、単なる知識でも、理解する対象でもない。そこを、皆さんに引き寄せて、何をお聞かせに預かるのか、どこを外さずにお聞かせに預かるのかを、具体的にお伝えしていった。あとで、お寺の皆さんとお話していたら、それこそ「結構な有り難いお話」をしてくださる先生はおられるが、案外、聴き方のポイントを具体的に絞って聞くことは少ない。だから、結局は、漫然と、なんとなく惰性でお参りして、大半が、有り難かったり、ためになるところだけで喜び、少し進んだ人でも、教義や聖教を覚えたりするような聴き方が多いのだと言われていた。

 要は、ご聴聞は、まず「自分」を問題にして聞くことである。

 でも、ここが難しい。普通は、「自分」で、「仏法」を問題にして聞いているのである。だから、無常も、罪悪も、お救いも、「わかってます」と応えられていく。聞けば、「わかった」気にもなる。でも、それは、いざとるなと、「それと、これとは別だった」と泣いていかねばならないような、いつも人ごと、一般論の聴き方で終わっている。もちろん、聖教や教義を対象にして理解したり、覚えたりするのでもない。

 お経に照らされた、教えを鏡として、仏様の目に移っている私をお聞かせに預かるのである。

 では、その如来様の目に、「私」は、一刻も争う緊急患者、無明業障の恐ろしき病におかされている、優先順位1位の大病人と映っているのだ。しかし、私の目には、「私」は健康と映っている。いや、悩みや苦しみはたくさんある。症状はボッボッと出ているのだが、私はただその苦しみ、痛み、症状さえ収まればいい、楽にさえなればいいというような聴き方をしている。そこで安心したいのである。というのも、どれだけの緊急を大病人なのかという自覚が、私にはまったくないからだ。これは、肉体の病気でも同じこと。たとえば、激しい痛みのある歯痛では、大急ぎで歯医者に通うが、命には別状はない。命に別状あろうが、なかろうが、ひたすら痛みを軽減したいのである。痛みが無くなれば、治ったと思っている。しかし、痛みも伴わず、静かにガンは内部で進行していく。ガン検診を受けて早期発見をしないかぎり、もし自覚的な痛みに襲われたとしたら、もうその時は手遅れになっているようなものだ。

 だから、表面の痛みをとるだけの対症療法では役に立たない。そのことをしっかりと告知してくださり、診察してくださる名医に出会うことが大切だ。しかし、どんな名医に会っても、信頼関係がないと、けっしてその指示を聞く気にはなれない。どんなにいい治療を受けたとしても、自己流で解釋して、勝手なことをやり続けているならば、症状が悪化するばかりだ。

 善知識に出会う。その仰せを、仰せのままにお聞かせ預かる。そして、お聞かせに預かったままを、お聞きしていく。それだけなのであるが、どこかで、歪めてしまったり、自分流で聞いたしまったり、喜びを小さなものしていくのである。

 一劫もかけて、私の症状、病気を隅々まで診断しつくして、治療法を考え抜かれて、この私のために極重悪人を必ず救うという「南無阿弥陀仏」の醍醐の妙薬は完成くさった。しかも、「あなたひとりのために作り上げたお薬を、はやく飲んでおくれ」と、私の目の前に回向してくださっているのである。そのことをひとつを教えてくださっているのである。

 そのことを、いまここで、教えていただいている。そのために、いまお参りしている。ならば、その仰せとおりに、応えていくだけではないのか。

 そして、ほんとうに私の如来様に会わせてもらう。そのために、この世に命をいただいたのだと思うと、こんな勿体ないことはないではないか。そこまで喜ばせてもらえるご法。ここにお集まりのおひとり、おひとりが、ほんとうに南無阿弥陀仏に出会われましたか。そこを腹の底から喜んで、お念仏されていますか。もし、まだそうではないという方は、仏様に出会って、ほんとうの幸せの身になっていただきたい。そうでないと、この人生は詮がない。

 まあ、こんな流れで、具体的な例話を交えてお話ししてみた。

 皆さんの手応えや、反応も、感じることができた。

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得道の人あり!(2)

 日高同人のお宅を訪問して、個性的で強烈な日高同人のお念仏に触れたあと、聞法旅行の最終日は、「連続無窮のお働き」と題して、ご法話をした(前半)。もう生きた説法にあった後で、何もいうことはなかったが、いま体験したままをお話させてもらった。

前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前(さき)を訪(とぶら)へ、連続無窮にして、願はくば休止(くし)せざらしめんと欲する。無辺の生死海を尽くさんがたそのゆゑなり。『化土巻・後序』

 凡夫の私の歩みは、その私の前を歩いてくださった数々の知識、同行のお導きのおかげによって、そのみ跡、その影を慕って歩ませてもらうだけなのである。まさに、前に生れんものが後の者を導いてくださり、後に続くものは、その前に歩くものを訪(とぶら)っていく。それが、また私の後をも続き、そのうねりが連続にして窮まることのない歩みとなり、けっして休止することなく、連なり続けていくというのだ。それは、ひとえに辺がない無辺の生死の苦海に沈む迷える生きとし生きるものが、最後の最後のひとりまで、すべてを救い尽くさんという、無辺光のお働きが止むことがないというものでもある。まさに、これは菩薩の四弘誓願であり、法蔵菩薩の無量寿、無量光のお働きそのものではないか。

 ところで、親鸞様は、半分だけ聞いたり、中途半端に喜んだり、名聞や利養のために聴聞を利用したりするような、半他力・半自力の聴き方を「聞不具足」、また同じく中途半端な信心を誡められるために、やはり『涅槃経』から「信不具足」の文を、いくつかを抜粋されて、何度も引用されている。その中のひとつに、

また二種あり。一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心ただ道ありと信じて、すべて得道の人ありと信ぜざらん。これを名づけて信不具足とす。『信巻』・『化土巻』

 といわれている。せっかく真実に至る道、お念仏の道を信じ、連続無窮のお働きを聞きながらも、その道を実際に歩んでいる人を信じていない。もしくはそんな得道の人に出会っていないというのも、これまた信不具足で、この金言を深く了知して、離れるべきだと誡めされているのである。

 道があることだけではない。その道を歩んでいる人に出会ったのである。では、道はなんのためにあるのか。けっして、ただ道が完成したことを眺めて喜ぶためではない。その道を歩ませていただくためにあるのだ。しかし、私ひとりの力では、歩むべき道も分からず、また歩み方すらもわからない。それを、お釈迦様のお勧めとして、また阿弥陀仏の呼び声としてあるのだが、具体的には、それを私の一歩、半歩前を歩く導き手によって、つまり私の前を歩く現実の同行や知識となって、そのお導きによって真実を知らされ、私の小っぼけな(それでも昿劫から執着してきた)殻を破ってくださり、大法海に放り出してくださったのである。

 ただただ、謝しても射し難きご恩徳のたまものである。

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得道の人あり!(1)

  今回の日高同人との交流会は不思議な、それでいて、これほど尊い旅も久々だった。

  まず、高齢になられ、京都参りも、最近はままならない古い日高同人から、いまの喜びを窺った。これが、爆笑に次ぐ爆笑という愉快な話で、同時に、ご法への厳しさには身がひきしまり、またその尊い味わいに一同涙し、お念仏とするという希有ものだった。善知識である悟朗先生への篤い思いと、そしてお念仏の朗々とした声となり、もうその人自身の喜びがダイレクトに、飾ったり、構えたり、何かを隠したりするのではなく、そのまま伝ってきたのである。その後、悟朗先生の身をかけた説法獅子吼のご法話があった。

Img_65692 それから、バスに乗って、日高同人たちの町へ。まずは、伊藤先生や悟朗先生との出会いの前に、この地で真実の教え説き、多くの同行を目覚めをさせた先徳の鎌田顕照師を顕正する念仏碑(どこかに、このことに詳しく触れている文章があると思ったけども見当たらない)にお参りさせてもらう。あまりにも激しいお勧めは、静かな村を二分する大きな対立を生み、外から招聘された鎌田師は、村を去らねばならない自体がやってくる。その後、故郷でご往生。村人たちの善知識探しがはじまり、たまたま隣町の豊岡市で布教中の悟朗先生と出会い、鎌田師の追悼法要の法座がもたれるのが、55年ほど前のことである。いまの同行の一世代、二世代前のことである。当然、先生も皆さんも、まだ10代、20代、30代の青年時代のことなのだ。

 念仏碑参拝の後は、村を一周して、生きたご旧跡として同人宅の前や、時々はお仏壇にお参りさせてもらった。参加者の中には、それを楽しみにされておられた方もあるが、まだ、1~2年のご縁の方には、まったく見ず知らずImg_65672のお宅だ。別に田舎の住宅街。名所でも旧跡でもない古い家々を、バスを降り立った人たちが、2グループに分かれてゾロゾロと歩くのである。「ここが〇〇さんが喜んだお宅」、「この川で、増井先生がよく水泳されていたところ」、「ここのお名号は伊藤康善先生のもので…」などと解説付きだ。そして、時よりお念仏の声がしている。滑稽といえば滑稽な風景。そして最後は、それぞれの分級座談のグループで、法座会場宅での、座談会が2時間ほどある。

 それぞれのグループに特色あって、尊かった。ぼくたちのグループは、故瀧雄氏のお宅。遺影がお迎えしてくださる。そして、はなれある氏の書斎へ。これが、顕彰記念館のように華光双書やテープ、写真、手紙、そして法座ノートがビッシリとおかれている。一冊のノートを手にして驚いた。講習会のテキストを書写しておられたり、法話も板書のみならず、要点をしっかりと押さえてかかれていた。そんなものが何十冊もあるのだある。奥様のお話を窺う。熱心なご主人を避けてきたこと。特に、ご臨終の様子と、最後の最後の喜びの様子を伺いながらも、それを受け止められなかった「逆」っていたご自分を懺悔なさる内容だった。その中で、「私は後生の一大事と言って、真剣なつもりで聴聞していたも、その最中に一匹の蚊が腕に止まっただけで、そちらが一大事になって、必ず叩きにいく。私の一大事は、そんな程度の虚仮だなのだ」と。

 この言葉が、はじめて参加されて、昨夜から真剣に聴聞され、お念仏をされようとしていた女性に響いた。昨日までの苦しそうな念仏が一転して、晴々とした念仏に変わった。彼女は、聞法旅行に参加するつもりもなく(ある偶然から、最後に申し込まれた)、華光とのご縁も浅くて、日高のことも、同行のことも、瀧雄さんのことも、まったくご存じない。ここに来ることもよくわかったおられなかったかもしれない。ただ連れられるままに家々を不思議な気分でまわり、ここに引き出されて座られたのである。ひとりひとりの仲間となり、日高同人の言葉となり、奥様の口をかり、瀧雄さんが還相回向のお働きでお導きくださたとしか思えなかった。

 土徳ということばがあるが、すべてこの地に息づいてるお念仏の功徳のたものもなのである。だから、不法懈怠のこの身にも、その柱に、その畳み、そしてそ壁のひとつひとつに、これまでしみこんだお念仏さまが、多数の念仏者を迎えて、一気に躍動したかのようだった。隣近所もある普通の民家だが、どれだけお念仏しようとも、ここは、お叱りも、苦情もない。「今日は、いつもよりちょっと賑やかだったなー」というようなものであろう。

 他のグループでも、またいろいろなご縁があったようだ。みな、お念仏の根付いた地で、心ゆくまで遠慮なくお念仏をさせてもらった。

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町内会のバス旅行

 町内会の恒例のバス旅行(遠足)。

 8月の地蔵盆、10月の学区運動会と、町内の三大行事が続く。バス旅行(日帰り)は、ぼくが子どもの時(それ以前からも)ずっとあるのだが、参加したのは小学校の時まで。あとは、30数年もご無沙汰だったのが、町内会長に選ばれたのと、ちょうど上の子が小学校になったこともあって、時間が会えば参加している。しかし、だいたいが日曜日。行事や法座とかさって、不参のことも多い。今年も、大阪法座の予定があったのだが、有り難いことに父がかなり回復してきた。日高の聞法旅行に参加された方はご存じだろうが、ご法話にも力強さが戻ってきている。日帰りなら出張法座には出れるようだ。連れ合いは、比良のR-cafe での臨地仏青法座があって、こちらは欠席。それで、ぼくが、子守りを兼ねて参加することになった。

 なるべく、町内の集まりに参加し、親睦を深めておくことも大切だと思っているのある。昔からのご近所の方は、よく分かっておられるのだが、新しい方にしてみれば、どうもここはけったいな建物である。概観はお寺ではない。それでいて、週末には、多くの方が集まって、鐘が打たれ、お経の声が聞こえてくる。それどころか、月1度は、他府県ナンバーの車も集い、駅からは、荷物を抱えた方がたくさん出入りされる。そして、なにやら深夜遅くまで、ワイワイと笑い声が響くかとおもれば、時には、烈しいお念仏の声や泣き声も響き漏れてくる。あそこは、お化け屋敷か?  客観的にみれば、どう考えても、あやしいところ以外の何者でもない。せめて、門戸を閉ざず、ごく普通におつきあいをさせていただくことで、ご理解をいただくことも多々ある。知らないということほど、不気味なことはないもの。どImg_2558うせ、町内の皆さんには、ご迷惑をおかけてしているのだろうから、出席が出来る行事には、参加させてもらうことにしている。

  神戸にあるフルーツ・フラーワーパークへ。日曜日の朝というのに、珍しく宝塚トンネル付近がまったく渋滞していない。休日1000円になってから、ここで渋滞に合わなかったことはなかった。平日でも混んでいて、10㎞の渋滞は当たり前だ。時には20㎞、GM中には50㎞という、道路というより駐車場状態のネックの場所だ。それが、スイスイ走って、1時間もかからずに到着してしまった。こんなに早く着くのかと、近さにちょっとびっくりした。Img_2602

  関西初がうたいのモンキー・ショーをみて、バーベキューを食べて、あとは、時間まで自由に風呂に入ったり、遊園地で遊んだりというプログラムだ。ところが、このモンキーショーが、かなりしょぼかった。そのうえ、ぼくには少し不快だった。もちろん、愛情込めて仕込んでられるんだろうけれど、これなら、昔の猿回しのほうがまだ哀愁や覚悟を感じられる。妙にショー仕立てに無理にしている分、逆にちょっと悲しい気分になったのかもしれない。

Img_2591  まあ、 あとは、子どもたちとレトロな遊園地やゲームをして遊んだ。一年生の子どもにはこれぐらいでちょうどいい。二人とも小学校になって、かなり手がかからなくなっている。

  空は、もう秋だ。風も冷たかったりする。それでも、日中は、まだ少し暑い。子どもたちと、園内を歩き回ると、けっこう疲れた。体内年齢は若さを維持しているはずだが、やっぱり実年齢相応である。

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残り15分から~輪読法座~

 9月の華光誌輪読法座。

 最近、参加者が固定してきたが、今日は、久しぶりの方もお参りくださった。小人数の集いで、10名の参加。このくらいのほうが、座談会や輪読会は活発になるものだが、特定の人に発言が偏ったりもする。もう少し積極的な参加者があってもいいのかもしれない。

 「自灯明・法灯明」の続き。浄土真宗で、これをどう味わうのか。ブログもここに触れる予定だった。

 ぼくには、まだ聞法旅行の余波もあって、その時の余韻や味わいを聞いてもらったりしたが、全般にはちょっと盛り上がりに欠く展開。残り30分ほどになって、都合の悪い方が、一人、二人と帰っていかれた。残り時間も20分。最後の分かち合いにはいって、残ったひとりひとりが、感想を話していた。

 ある京都の同人が、自分の心境を語りだされた。日頃は、自分からは積極的には話されない方である。要は、どうもスッキリしない、モヤモチしたものがあるというのである。しかし、先生から、「もう一度聞き直せない」と言われていることが、ひっかかっているというのである。

 そんなことはないのですよ。確かに、一度煮えた米は、もう生米には戻らない。しかし、後生の一大事、油断あるまじきことである。私の出て行く後生がかかっている。大事のなかにも、大事をかけて、,ここは大切にお聞かせに預かりたい。むしろ、不審があるのなら、誤魔化せず、妥協せず、念仏や体験で逃げずに、また喜びを取り込まずに、わが胸を打ち出して、「どかぞお聞かせください」と、頭を垂れてお聞かせに預かる態度こそが、浄土真宗なのではないか。ハッキリしたら、往生決定、それで卒業顔で、わが胸がお留守になって驕慢に陥るより、ずっとずっと尊いと、ぼくは思っていますよと、お伝えした。

 スーッと 顔色が変わった。真剣な表情。逆に、自己の喜びに、ハッキリとダメを出されたと受けられたようだ。自分でダメだといいながら、どこかで、「これでいいのではないか」という思いもあったのではないか。だから、励ましてもらったり、もう少し頑強に補修したり、少し軌道修正すればいいのではないかという、「だいたい」という奴が、この腹底なのである。

 でも,それでは、あまりに悲しい。浄土真宗は「だいたい」のお救いではない。だいたいのご本願や、ほぼ間違いないお救いではなく、100%の絶対のお救いだ。そして、絶対に堕ちていかねばならない0点の私ではないのか。常に、0か、100かである。

 「わが胸はダメでも、如来様はなんと願って、呼びかけてくださっているのですか」と尋ねたら、「そのまま来い、直ちに来い」と呼んでくださっています、との即答の返事。

 その前に、「南無」というは「帰命」、その帰命には、勅命(直ちに来れ)と、信順(仰せに従い、お召しかなう)の意味がある。まず、先手の「仰せ」があり、それを耳で聞き、順っていくだけだなのだが、そんなやさしいことが、とても難しく、迷いを重ねているのだという話をしていた。だから、ここからの話は早かった。

 「『そのまま来い、直ちに来れ、必ず救うぞ』との勅命があるのを聞いたなら、その仰せに従って、いますぐに応えていくだけしか用事はないのではないか」と、お話し始めた端的に、それ以上のお勧めも、促しもないのに、「ハイ」と、返事されたかと思うと、サアッ、サアッと立ち上がり、仏壇の前へ。そして、これまで聞いたことのない声で、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」との号泣念仏か始まったのだ。

 周りのものは、みんな唖然とするばかりだ。まず、その方が、そんな不審を抱いていたことを告白されるとも、またこんな烈しいお念仏をされることも、そして、誰ひとり強くお勧めをしていないのに、ほんとうに自然に勅命を従っい、押されるように動かれたことも想定外だった。しかし、そのすべてが尊かった。文字通り一歩踏み出された姿勢が、有り難かったのだ。

 あとは、その方とご一緒に、お念仏をさせていただくだけだ。

 時間は関係ない。ご法座は、最後の最後まで、何がおこるかわらかないなー。

 この後も、前々日の法要から感じた、Kさんのお父さんを偲ばれるお話も、また有り難く、大きなお徳をいただいた。南無阿弥陀仏

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満月の夜に

Img_2514 満月の夜。

 昨夜が、いわゆる中秋の明月だったが、月齢では、今夜が満月だ。

 昨夜、急遽、両親のリクエストで、ゆうこのギャラリーへ同行することが決まった。子どもたちも一緒となると、週末に限られて、時間がImg_6728_2なかなか合わない。ここは夜の営業はないのだが、ちょうど満月の夜だけ、いろいろな企画と共にお店が開いた。それに夕方からなら、法事から戻ってこれるので、ぼくも好都合だ。ただ、1日開けての連続になるのだが、これは仕方ない。

Img_67152_3 残念ながら、朝から雨が降っていた。夕方になって、少し回復したきたが、まだ黒い雲に覆われている。

 比良まで161号線とおって、湖西へ。Img_2525び石の祝日の夜とあって、道は空いている。車で1時間ほど。琵琶湖にさしかかると、雲間から満月が顔を出してきた。

 満月の柔らかで、不思議な閃光が、上空から湖面を静かに照らしている。

 黒々とした湖に、やさしいさざ波の音と、虫の音だけが響く、なんImg_2477とも静かで、幻想的な風景だ。

 ふと思い出した。
 身も心も死に至る病に犯された阿闍世王が、お釈迦さまの発する「月愛三昧」という光明に浴して、まずその身が癒されていく。そのあと、名医ギバの勧めによって、月明かりImg_6734の中を、真の救いを求めて、涅槃を前にしてた釈尊の許へと一歩を踏み出されていった。そのときの月明かりは、どんなにか柔らかだったのだろうか。

 しばらくして今夜の企画が始まっていた。浜辺では、満月の夜のヨーガが開かれている。30名ほどが、月明かりと、浜辺におかImg_2523れたキャンドルの光の中で、瞑想されている。ちょっと不思議(異様?)な光景だった。

 実は、ぼくも、佐保田鶴治博士の高弟にお世話になって、2年ほどかじったことが、その後、自力整体に転じた。もちろん、今夜は、ギャラーリをみて、家族との食事がメーンである。Img_2527昨夜は、ウクレレナイトで、ウクレレの演奏会だったそうだ。どうせなら、そらの方がよかったけどなー。他人のヨーガを眺めても仕方ない。

 家族で、食事を楽しむ。昨日と違うハワイのビールやカクテルを飲んだ。食事も、アルコールもおいしく、満腹になった。写真は、前菜とサラダ。これも美味しかった。

 月は、雲の合間に見え隠れしながらも、静か湖面を照らしている。猛暑から、一転。今夜の湖面を吹き抜ける風は、かなり冷たい。秋が一気にやってきたようだ。 Img_67212

 

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釋聞名師の七回忌法要

Img_2505 午前中は法事。華光同人の大先輩、釋聞名師の七回忌法要だった。

 三回忌の法要は、法供養として、ゆかりの同人がお参りされている。拙ブログが始まって間もないころのことだ。↓

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_7ece.html

  この年は、春のお彼岸ごろに、大切な善知識が往生され、そして、聞法旅行が済んだ翌日、秋のお彼岸の間に、同行の代表者といっていい同人を亡くしたのだ。聞法旅行といえば、宴会の最後は、きまって師のあいせつで締めくくられるのが、恒例だった。今年が、日高への旅行だったことを思うと、とても感慨深い。

 京都競馬場を横を通り、競馬場のすぐ近くの淀のご自宅まで。昨日は36度を示していた道路の温度標示が、今は22度。10度以上も涼しい。朝の雷雨で、一気に空気が入れ替わった。法衣姿に、この涼しさはずいぶん助かる。

 華光同人の中でも、ずばぬけた存在だった。

 それでも、けっして威張ることもなく、柔らかな物腰と、まったく外見も気にされない飾らない人柄で、多くの同人を育てられた。しかし、ご法のことでは妥協せず、廃立の厳しさをもっておられたお方だった。ある意味、頑固者だったのかもしれない。ぼく自身も、長い期間にわたって、ずいぶんとお育てをいただいた。その意味では、今回の聞法旅行でも家庭法座でお世話になった故瀧雄氏とは、柔と剛と両極端のタイプのお二人だったが、ぼくも育てられ、華光同人に多くの影響を与えられた。

 そうだ。先輩方は、仏法が大好きだった。ご法座が大好きで、華光が大好きの人だったのである。奥様が、よく愚痴られていたが、台風が来たといえば、自宅を留守にして、華光会館にお出でになって、華光のことを心配されている。自宅や家族は二の次である。そのことで口論になると、「仏様のお家を護るのことが一番じゃないか」と、平然と仰ったというのである。

 華光のすばらしさは、こういうお同行さんが育つところにある。なにも、僧侶や学識のある先生だけが善知識ではない。タイプが違っても、それぞれが、私の上に届いたご法を、この身一杯で喜び、顕してくださっている。実は、ご法とは、そこでしか聞けないし、生きていないのである。どんなに立派な教学を覚え、聖教を並べて、またはいくら念仏しようとも、泥凡夫の代表者であるこの私が抜けていると、なんとも虚しいかぎりである。

 こういう同人に育てられた身を幸せに思う。

 聞法旅行のご法話(連続無窮のお働き)の中でも触れたが、こんな法の仲間に出会えた、その仲間入りをさせてもらえたことが、一番の幸せなのである。凡夫の仏道は、これに尽きるといっていい。善導さまを受けて、親鸞さまや蓮如さまも仰っているが、いくら口に念仏を称えることがあったとしても、善知識や善友をもたず、近づくことがないのなら、それもImg_2504また雑修の失なのだと。その意味では、私の上になんの努力も、才能も関係なかった。謝しても謝しきれない大恩の上に、今日の私があるのだ。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 余談ながら、この小さなお仏壇が、師と華光とのご縁のすべての始まりなのである。詳しくは、上の3回忌の記事に触れているので、いまは省略する。そう考えると不思議だ。もう50年以上ものお念仏のお付きあいである。

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『楽園』絵画展で寛ぎ、『ミックマック』を観る

Img_2501 今月1日から始まった連れ合いのギャラリー展示。華光誌と布教、そして聞法旅行の準備と多忙だったこともあって、やっと訪問することができた。Img_2497

 昨日から引き続いて宿泊されたお嬢さん方をエスコートして、滋賀県湖西、比良にあるRカフェへ。連れ合いも、芸大時代のお友達と一緒だったので、5名の小さな旅。空は、小雨だったが、気分はよかった。

Img_2471 JRの湖西線で、だいたい35、6分というところか。

 目の前には、静かな琵琶湖が広がっている。

 到着するころには、晴れ間Img_2472も覗き、かなり蒸し暑い。

 さっそく作品を見せてもらう。

Img_2487_2 お店の雰囲気やシチュエーション、周りの風景にも、ピッタリと溶け合っていた。

 京芸大時代のお友達も一緒なので、ちょっと専門的なことも話している。

 ここ数日、華光の同人の方も、訪ねてくださっImg_2490ているようでした。作品もお買い上げくださる方もあって、ボチホチSOLD OUT の印が…。ちょっとは売れてもらないと、材料費もばかにならないだろうしなー…。ほんとうは、学費を稼ぐほどは頑張ってもらいたいところだけれど、それはいまのところは、ちょっと無理そう。なにせ、安いもの。

 さあ、ハワイのビールで乾杯! このために、わざわざJRで来たのImg_2488である。

 これが、フルーティーで濃厚な味。昨日も、城崎温泉の地ビールをご馳走になったが、連続で、おいしいビールにありつけた。おかわりは、タヒチのビール。こちちは、スッキリ、サッパリ系の飲みやすかった。ちゃーんと、グラスも交換しもらえる。Img_2489

 ランチはこちら。皆さんは、ロコモコ(うん、ハワイ風の定番)、ぼくは、スープパスタ。ベースはカレー味。スプーンとフォークで食べかけたら、お友達からダメ出しが…。「イタリアじゃ、誰もスプーンなんて使ったないよ。なんで、日本でこんな風習になったのかなImg_2474ー」と。彼女は、仕事の関係で、ミラノに4年近く住んでいた。あれま、そうでしたが。でも、本場のご意見ではありますが、スープパスタのスープの場合は、どうすればいいのしょうか? もちろん、ここは日本なので、スプーンを使かImg_2475_2わせていただきます。

 ゆっくり食事をし、いろいろと談笑しているうちに、あっというまにお時間が…。お帰りのお客さんに代わって、次のお客を迎える連れ合いとは別行動で、ぼくは、京都駅に戻って、地下鉄で、京都シネマで映画を1本の予定。ところが、昨日までの疲れもあったし、めったに飲まない昼からアルコールで、ちょっと時間感覚がマヒして、「ああ…」とImg_2484_3いっている間に、電車が到着するのが、見送っていた。まあ、仕方ない。これは、無理するなというサインだろう。次の列車にして、自宅に戻ってゆっくりするつもりでいた。ところが、うまい具合に、快速に連絡した。しかも、電車で、グーンと寝たので、ちょっと元気になった。映画の20分前に京都駅に到着。ここからなら、10分あれば、京都シネマに到着Img_2485_2できる。

 結局、ひとりになったけれど『ミックマック』を観に行った。ユーモアというか、ウィットにとんだ、喜劇であって、大人のおとぎ話といっていい内容。兵器製造会社へのイタズラ(=ミックマック)たっぷりの復讐劇(ハングマンだなー)に出るお話なのだけれど、監督が『アメリ』のジャン=ピエール・ジュネなので、なImg_2502_2かなかユニーク、かつ愛らしいフランス映画だった。かなりお気に入りだったなー。

 ちょっと戻るけれど、きれいな琵琶湖(透明度が回復しているなー)を前を眺める、美熟女(?)3人組。のんびりしていて、列車は出ていくのだった。うーん。後ろ姿でも、わかる人には、完全にわかるのでした。

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すばらしかった聞法旅行

  今年の聞法旅行、ほんとうに「聞法」旅行でした。まさに、お念仏旅行。

  日高支部の皆さん、お世話になりました。昨年の福井の反省会で、Nさんが一言が、きっかけで、今回の旅が実現し、支部長さんが、何度も何度も打ち合わせのために京都にきて下さり、整えてくださいました。ほかの支部の皆さんもいろいろとお手伝いくださり、新しい方をお導きくださいました。司会役のユニット、Wタツヤ’Sもよかった。帰途も、教えていただい脇道で、今年は、ほとんど渋滞知らず。ただ、夕食をすませたので、9時30分になりましたが、法座も、交流会も、宴会も、城崎温泉も、とても充実した聞法旅行でした。

 ぼくには、最後の全体会の25分。20数年ぶりに参加された日高同人の師弟の方の言葉が、あまりも尊くて、涙が溢れ出ました。ぼくが、ご法話をしたままを、そのまま体現されている、生きたお念仏の証言者でした。嗚呼、ここにもご両親の形をとって、菩薩様の連続無窮の、無辺の生死海を尽くさんとするお働きがある。それに、「逆」い続けている私がいる。しかし、いくら私が抵抗しようとも、それを超えて、摂取不捨して離されない、南無阿弥陀仏が生きて働いていおられる。彼女が、「なぜ、私が今回、ここに来ることになったのか分からなかたんです。ただ、先生に会わないといけない、なぜか来ていました」と。そして、ただお出でになっただけでない、ほんとうの久遠から呼びかける親に出会われたのです。

 毎年の聞法旅行での聖跡(仏跡)巡拝で、昔の念仏者や妙好人の遺跡を訪ね、立派なお寺や遺品を見せていただくけれど、残念ながら、いまに生きている念仏は、そこにはない。しかし、日高の地には、何も文化財も立派な遺跡もないけれど、いまでに、ほんとうに生きたお念仏が躍動している。しかも、それが、私に働きかけてくださっている。その念力に皆さん打たれまくれました。特に、新しい人が多い東海支部の皆さんのお心に、しっかりとそのお念仏の弾丸が、次々と打ち込まれていったのです。

 とにかく最後の全体会も、あんな予想外の結末があろうとは…。壮絶でした。ああ、このお念仏の大音声の響きこそが、日高の皆さんが、残してくださっているお念仏だった。このお念仏を申させてもらうために、ここに寄せていただいた。前では、悟朗先生のご示談が続くなから、皆さんは、お念仏と、涙の「恩徳讃」を歌って、大急ぎでバスに乗り込み帰宅の途へ。皆さんを見送り、後片付けをしたあとも、先生のご示談は続いていました。先生は、皆さんがお帰りになったのに、まったく気付いておられませんでした。

 法話・分級編、日高支部同人との交流会編、そして、宴会&城崎温泉編と書きたいことはあるけれど、とにかく、速報で、「ありがとうございました。南無阿弥陀仏。この生きたお念仏さまに掴まれてしまいました」と申し上げたいです。

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完全勝利!「裕越感」に浸る

 数日前のこと。自力整体の教室が帰ったら、連れ合いが、ちょっといまひとつの声でいった。

 「どうやら、わしら同級生だったらしいわ」。

 例の体組成計の体内年齢で、彼女も25歳だったのだ。

 こんな偶然ってあるんやね。これは夫婦そろって大したものなのだ。

 しかし、彼女の声がいまひとつなのは、ぼくと同じだったからだ。彼女なりに、自信があったのだろう。

 「引き分けということは、ぼくの優勢勝ちということやなー」

 追い打ちで、ぼくがいった。実年齢では、7歳以上の差があるのだから、普通なら、彼女の方が、1、2歳若くならないと、負けも同然。同年齢なら、ぼくの判定勝ちになるからだ。

 「悔しいなー。珍しく、前日に、ブタ肉(冷シャブのサラダ、肉の夕食は、1月に1、2度)を食べたからなー」と、言い訳をしつつ、「細かな数字を比べて勝負しょう」と言ってきたが、ここは男女の違いがあって、一概にはいえない。みな若干ではあるが、内蔵脂肪は、彼女の方が少ないが、筋肉量や基礎代謝は、ぼくが上回っているからだ。

 そして、「よしー。今度は、絶対に24歳をめざすわー」と、かなり強気な宣言。彼女の闘志に火がついたようだ。

 それから1週間。今日は、レッスン日で、珍しく同じ教室に、別々に向かった。

 レッスンが終わって、皆さんが計測する。別に、誰もが、「25歳」になるわけでなく、その人なりの、それなりの数字が出ているようだ。たとえば、40歳の女性なら、「36歳」でもやはりうれしい模様だし、先生が、「毎週計って変化をみますよ」の声、「エー、そんなんー、毎週ですか」と、凹んでいる人もあった。

 さて、彼女が先に計測器に乗った。

 「ああ、ゆうこさん、内蔵脂肪も、体脂肪も減ってるわー」との先生の声。

 そして、体内年齢へ。

 「ああ、すごい、すごい。24歳やって」

 「エー!、アハハハハ」と、彼女の弾んだ甲高い笑い声が、教室中に響く。

 クソー、なんてこった。宣言どおりに若返っていやがる

 ヤバイ!  この1週間、何もしていないし、昨晩の夕飯は、9時30分と遅かった。こんなことなら、もう一度、トイレにいければよかったなーなどと思いつつ、誇らしげなゆうこが見つめるなか、測定器に乗る。このあとは嫌だなーと、ちょっと不安げに、測定してもらう。

 「ああ、かりもんさんも、減ってるわー。内蔵も、体脂肪も、それでいて筋力量が増えてるよ」との、先生の声。

 ええ、ほんと? これは期待が出来そう!

 最後は、いよいよ体内年齢だ。

 「ああ、すごいわー。23歳やって」

 「エー、ウソ、ちょっとー。エエー、それなんかおかしいんと違う」と、ゆうこの声。

 すぐに数値を詳しく覗き込んでいる。「なにー、あんたいやらしいなー。なに、密かにやっていたの…」

 アハハハハ、残念でしたネ。

 前回は、判定勝ちだが、今回は、ぼくの完全勝利。正義は必ず勝つ!のだ。

 別にお昼を食べて帰宅したら、ぼくの顔を見るなり、また始まった。

 「朝に、紅茶飲んだからな」、「今日は、レッスンの間、ほとんど寝てたからなー。やっぱりしっかりやらんとなー」、「それより、あの機械、やっぱりおかしいん違う?」とか、次々と、敗者は、言い訳や文句を並べるのであった。

 負けん気の強い彼女のことだ。よほど悔しかったのだろう。

 アハハハ、「あなたとは、身体の柔軟性が遥かに違うものなー。きっと、ぼくは、触光柔軟の願の影響で、お浄土のみ光を蒙って、身体が柔らかなくなっているのと違うのかなー」と、常から思ったいたのだ。

 「まあ、自動車ばかり乗ってないで、自転車や歩きにして、少し筋肉を付けたらどう?」と、アドバイスしたら、マジで悔しいそうだった。

 マイナス2歳になったことより、彼女を破ったことがうれしいのである。

 これは、まさに裕越感やなー。

 当然、明日の法話のネタにもなります。

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もうすぐ聞法旅行~友同行の働き

 今朝、華光誌が印刷所に無事渡った。

 版下を事務所のムラ君に、主な校正はT嬢に、お願いしているので、原稿の手直しやウメの文章やレイアウトを考えるのが主な仕事になっている。おかげて、昔のように一人三役で、やっていたころに比べると、ずいぶん負担が減っている。以前は、前日は、どんなに早くても深夜2、3時、半分は、徹夜しないと完成しなかったものだ。いまは、そんな無茶はしなくてもよくなった。

  それでも、今回(というより9月はいつもそうだが)は、「聞法旅行」が迫っているので、打ち合わせや資料作製の作業が、平行してあったので、ちょっと慌ただしくはあった。

  週末は、いよいよ山陰豊岡市の日高支部への「聞法旅行」である。

  それで、昨日も支部長さんが来館されて、大きな打ち合わせが終わった。また、名札、部屋割り、分級わけなども済んで、名簿と、役割分担表できあがったので、今夜は、事務作業に来てくださる方もあって、会館の作業は、だいたい終わったようだ。あとは、当日、無事に皆さんがおいでくださるのを待つだけである。

  会場は城崎温泉方面だが、華光同人のおられる日高町までは40分ほどかかる。

  楽しみである。

  日高支部の古老たちを見るつけて、連続無窮のお働きというこを、切々と感じている。

  煩悩具足の泥凡夫の身には変わらないが、ただなんの注文もなく、無条件で喜べることは、正しくお導きくださる先生に出会い、そして厳しく指摘し、時に温かく見守りお育てくださった、たくさんの先輩同人が、ぼくの前を歩いてくださっているということである。

 道があるだけでなく、その道を歩く人、得道の人に出会えたのである。

  なんという幸せだろうか。

  ただ、都合のよい友達というのではない。また、決して学のある学者というわけではない。世間には、名のある先生を次々と追い回して、腰の定まらない人も多いが、むしろ、その凡夫の身一杯で、お念仏を喜んでおられた同行たちに、ぼくは聴かせてもらった。ある意味で、とても厳しかった。すごく怖かったし、避けたいと思う強烈な人も多かった。しかし、けっして、いい加減な喜びに止まることなく、その眼差しは、常に「ほんとうか!」と、私の虚仮不実の胸を貫いて、,導いてくださったのである。ほんとうの同行・知識にめぐり会えたことが、ぼくの喜びの原点にあるといっていい。

 だから、我が身を振り返り、いつも思う。

  仏法は、 一人で聞かねばならない教えであると。

  しかし、一人では絶対に聞けない教えだったと。

  伊藤康善先生が仰った。

  「自力は怖くない。怖いのは邪見・驕慢に陥ることである」と。

  凡夫は、すぐに、安心したいのである。すぐに、わかりたいのである。だから、何かを握ったり、安心したり、仕上がったもを握り、せっかく生きた(躍動する)念仏や体験が、フリーズ(静止)状態になっている。そんな、聞いた、分かった、有り難いの法悦の仮面こそが、曲者なのだ。先輩同人たちは、そんな私の虚妄を前に、「ぜんぶ、ウソでしょう」と破ってくださる、厳しいご縁をくださった方々なのである。

   時に、こんな幸せを、自分一人に留めておいていいのかとも思うが、残念ながら、「華のつぼみ」の中で、安穏に念仏に逃げて止まっている人もおられるようだ。

  ならば、そんな小さな殻を後生大事にせずに、つとめて同行・知識に親近し、一切を放下して、聴聞させてもらいたいものだ。わが心にまかせずして、わが機を責めてお聴かせに預かるしかないのてある。

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小さな一歩

 真夏並みの太陽の中、法衣姿で自転車に乗る。お盆でも、こんな暑い日ばかりじゃないのになー。今日も、予想気温は、36度の猛暑日になっている。車の駐車が難しい場所で、自転車になったが、さいわいそれほど遠くないので、助かった。暑さは確かにこたえるが、それより熱風で、衣の裾がめくれて、かなりセクシーになるのが、困った。

 珍しく同人でも、その師弟でもないお宅の法事。

 お盆に2度だけお参りしたことがあるだけで、なぜここにお参りするかの詳しい経緯は、父にしか分からない。

 例によって、持参した日常聖典を配り、心をひとつにし、ご一緒に勤行をお願いした。お仏壇の荘厳にしても、皆さんのご様子にしても、ほとんどの方が初めという様子が分かったので、かなり丁寧に説明をしたつもりだった。しかし、やはり、声に出して勤行するのには、まだ抵抗があったようだ。目でおってくださるだけでも、よしとしないとなー。それで、ご法話も、かなり説明調ではなあったが、親鸞さまや浄土真宗について、ほんとうに初歩的なお話をした。頷きながら聞いてくださり、反応は悪くない。最後に、南無阿弥陀仏をと称える意味をお話して、ちょっと予行練習をしてみた。そして、最後に合掌・礼拝と促すと、かすかな小さな声ながら、初めて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、皆さんが称えてくださった。

 こうして、小さな小さなご縁を結ばせていただく。しかし、これも尊い仏縁である。

 帰宅すると、日曜礼拝。後片付けをして、ご法話の途中(もう終わりの方)からだったが、少しお話を聴かせてもらった。

 最後の方になると、1年生の女の子たちが、からだを動かし、半分遊びながら、退屈そうにお話を聞いている。無理もない。それでも、「最後にもう一度正座してください」との声がかかると、正座して、小さな手を合わ、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、かわいい声で、お念仏を称えている。

 すっかり忘れているだけだ。ぼくもこうしてお育てを預かってきたのだ。

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お待ち受け法要

 この週末は、法座案内に未掲載の布教や法事(年忌法要)が続いた。

Img_2383 土曜日は、姫路市に隣接する、兵庫県宍粟市の山崎町のお寺へでの布教。

 といっても、お寺単独の法座ではなく、宍粟市のお寺の集まり(組「そ」という単位)が、21ヶ寺あって、組の主催での、来年の親鸞聖人750回大遠忌に向けた「お待ちうけ法座」があった。本山からも文書伝達がある公式な行事ある。Img_2382

 最初は、連続研修会に、ちょっこと750回大遠忌に向けての何かを話せという程度の話をいただいた。そのつもりをしていたら、連研の日時と会場を使って、けっこう規模の大きな法要法座になっていた。 

 当然、お坊さんも20名は出勤されて、大遠忌に合わせて、「宗祖讃仰作法」の音楽法要が営まれた。音楽法要なので、ご和讃も、念仏Img_2390も流れるように進んでいくのは、不思議な感覚だった。

 でも、今回も、企画者(いや、首謀者(?))のお気持ちは、単なる法要で終わるのではなく、ご法話もしっかりと聞いていただきたいとの趣旨がこめられている。なんのために、大遠忌があるのか。親鸞様のご苦労があるのかを聞いていただきたいImg_2389と言われた。

 出勤されたご住職方も、皆さん、ご聴聞される。だいだい200名ぐらいのお参りだったようて、ご法縁に篤い熱心な地域だ。

 今日はまた真夏に逆戻り。本堂は、暑い。扇風機は回っているが、よくみると、講師のところは、何もない。そのせいではないが、ちょっと力をいれて、少し厳しい目の導入となった。

 「音楽法要」の冒頭に、親鸞さまのお手紙(御消息)の拝読があった。

「弥陀の本願と申すは、名号を称えん者をば、極楽へ向えんと、誓わせたまいたるを、ふかく信じて称うるが、めでたきことにて候なり」

 演壇を前に、お念仏をした。しばらくお念仏し続けてた。反応はない。無言で、皆さんのお顔を眺め、お一人お一人をみ渡しながら、またお念仏をした。すると、ボチボチとお念仏の声がでるが、ほんとうに反応はうすい。うーん、お寺はなんのためにあるのか。こんな大きな建物をたて、皆が集うのは、ご聴聞の場であるからだ。それは、私自身を聞く。仏様の鏡に移った私を聞くのである。そして、その行き先を聴かせていただく。そして、阿弥陀様のお心に触れたならば、阿弥陀様のお仰せにあったならば、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏させてもらうのである。なんの憚ることも、なんの遠慮も、なんの心配もなく、称名念仏するための場が、このご本堂である。

 たとえ、荘厳な法要があっても、お念仏の声がしないお寺では、まったく意味はない。では、なぜ満堂の皆さんから、「南無阿弥陀仏」の声が出ないか。別に、人ではない、私のこの虚仮不実の心をもって、この不浄の口から、真実清浄の「南無阿弥陀仏」の呼び声がお出ましくださるのである。この私が、お念仏を喜ぶ身に成らせていただくのである。そのこと一つが、親鸞様のご恩徳に報いる道なのである。

 終了したあと、お世話の僧俗の方々と、つまみを食べながら談話し、一言ずつ感想を述べてくださった。法話に触れられない方もあったが、お念仏が続いて、すごくインパクトを受けたという方もあった。中には、「今日から、朝晩5分ずつ称名念仏します」と言わた方もあった。一方で、「聴聞しても、なかなか人間ができません。すぐに腹立ちの心がでるので、しっかり聴聞してたしなめる人間になっていきたいです」との発言もあった。「そこがお目当てじゃないんですか。まずは、その自分をありのままにお聞かせに預かっていきたいですよね」と答えたが、あまりピンとこられている様子はない。皆さんの発言から、門徒やお世話役でも、なかなか自分を問題にし、後生を問題にして、聞法することの稀さを痛感させられた。しかし、お寺の連合なので、そのお寺のご門徒さんによっても、意識が違うのが、よく分かる。だから、お寺によっては、お育てを受けて、自分の問題として聞かれているご門徒さんも、しっかりと育っておられるのは、有り難かった。

 自身の力の無さに、時に、虚しい気持ちになることもある。しかし、何もしなけれど、何も変わらない。といっても、一度ぐらい変わったことをしたことろで、簡単には浸透しないのである。たとえ、その場の手応えがなくても、自らが聴かせていただた信じるところを、根気よりやり続けることでしか道はないのである。決して、たやすいことなはでい。しかし、ほんの少しのずつではあるが、意識に変化がみられていく。その場ではなくても、いつかは花開くこともある。

 今回のテーマの「連続無窮のお働き」ではないが、そのような先に歩く先達のお導きによって、長い長いお育てを受けたのである。そして、後のものが、またその後に続くのある。前の人達を導かれ、後の人達に励まされて、私が仏道を歩ませていただくのである。

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25歳!

 先月末から、自力整体のレッスンが、少々パワーアップというか、レベルーアップして、正味で100分のメニューに。慣れない動きもあるけれど、ぼくにはこちらの方が気持ちいい。

 同時に、体重やBMIだけでなく、体脂肪や内蔵脂肪、筋肉量、骨密度、水分量、基礎代謝などの体内組成が計れる体重計(組成計)で、割り出された体内年齢を測定することになった。定期的に計って、前夜の食事の時間や量などでの変化を見ていくのである。

 ぼくは、実年齢よりは若い自信はあった。それでも、自宅で密かにはかるのはいいが、教室でとなると、ちょっと戸惑うなー。別に公表されることはないが、先生が記録されるのだ。教室にはいると、「若い若い」と、歓声がおこっている。一方で、「家で計ってきましたので、いいです」という人もおられる。男性以上に、女性は、体重や脂肪量と聞いただけでも怖じ気づくだろうが、そこに体内年齢が加わわるのである。

 身長(165㎝)、年齢(48歳)、男性、独身(違うか)と入力して、いざ測定。

 数値を見ながら、先生が内蔵脂肪、体脂肪…と記入されて、最後に体内年齢。

 「わーあ、すごく若いわー。25歳だって」。

 「エー、ほんとうですか」と、ぼくも確認にした。

 測定前は、健康なんかを数字や数値で計れないよなー、なーんて思っていたくせに、一転。人間はおべっかや上手もいうけれど、機械はウソをつかず正直だもんなーって、調子よすぎやな…。

 もちろん、その後のレッスンも、ニヤニヤとごきげんな1日となったのは言うまでもない。

 帰宅して連れ合いに、「何歳だったと思う」と尋ねたら、

 「そうやなー。たぶん若かっただろうから、40歳か」

 「いやー」

 「じゃ、35歳くらいか」

 「いやー、まだまだ」 

 「うそ、30歳? まさか20歳台ということはないやろう。もしかして50歳やったとか」

 あのー、なんで、上にいきますか。

 「そのまさかで、25歳やったんや。アハハハ」

 「うーそ! その測定器、人を見て、おべんちゃらする機能付きと違うか」。

 いくら関西といっても、機械なんですから。

 「アハハハ、きっと私の作る粗食気味の料理がいいんじゃー」

 あのね、どこまでも自分をほめるのね。

 そして最後は、「きっと、法話のネタにするやろう」ってね。

 まあ、これだけ大当たり。さっそく、明日のお寺で披露。 

 次回は、彼女の番。こうなれば、彼女と勝負だ。
 でも、なかなかの強敵だ。ぼく以上に節制していて、タバコはもちろん、アルコールやコーヒーも口にせず、早寝早起きを実践しているた。好勝負になりそうだ。

Img_2378 ちなみに、京都のどこかの観測所のように、ツル草が絡まった疑惑値でないことを、写真で証明しておこう。

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光雲展の動画紹介

光雲展の動画をちょっと紹介します。

カフェだけでも素敵なロケーションなので、また足を運んでやってください。

9月29日まで。ただし、木曜日が定休日。あと18時closeと、営業時間が短いです。

ぼくも営業努力して、行きつけのカフェや映画館に案内の絵はがきを置いてもらってます。

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『三帖和讃』から『正信偈』へ

 『三帖和讃』講讃(上)(下)が完成したので、次は、再版する法話集にとりかかることになる。そして、そのあとには、『正信偈』講讃の計画をしている。実は、こちらが父の念願でもあるのだ。和讃のように詳細なプリントはあるが、量は、和讃に比べるとかなり少ない。

 これまで、何度か講義されているが、3年に渡って講義された「講習会」テープの起しを、皆さんに依頼して、ボチボチと進めていくことになった。しかし、問題は、これからの編集方針だ。

 プリントはまとまっているので、これだけならすぐにでも発行できる。しかし、説明はやはり不足してくる。テープを起した講義は、説明が詳しいし、周辺の話題もありがたいので、講義に彩りができる。でも、一覧にかけたり、まとまりという点では、ずいぶんわかりづらい。

 その折衷として、プリントはそのまま採用して、「講義」として解説部分を文章化するのが、一番いいようだが、実は、そうは簡単にはいかない。

 と悩んでいても、結局は進まないので、とりあえず、序説の部分だけをまとめてみて、華光誌の誌上法話として掲載してみることにした。誌上法話の作業にもなるので、一石二鳥だ。

 それで、プリントに再現ではなく、講義スタイルを採用。今回は、序説の『正信偈』の位置づけや意義、組織のような概観が中心なので、ちょっと堅苦しい。

 次回もこの続きで、第一段「帰命無量寿如来…」の、帰敬表宗のところの講義をまとめていく。

 『和讃』から、『正信偈』へ。編集スタイルが違う作業が始まっている。

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4泊5日

 大きなリックを背負って、小5になる長女が、4泊5日の日程で、小学校のキャンプに出かけた。

 ぼくが子どものころには、こんな行事はなく、6年生の時の1泊2日間の修学旅行だけだった。夏の林間学校もあったようだが、夏休みの、有志への呼びかけで、学校行事での取り組みではなかった。

 いまは、4年生から、3泊4日で伊勢志摩の海の家があり、5年生になると4泊5日と長くなる。京都市立の小学校は、学校順に、花背にある山の家で、キャンプや民家への宿泊などをするのだ。でも、プログラムは学校別でマチマチのようで、どうも、うちの小学校のメニューはハードな様子で、なかなかたいへん。

 3ケ所で宿泊するので、大、中、小とリックが3つもいる。3つも担げないのでどうするか。小リックに荷物をつめ、中リックにも荷物をいれて、それを大きなリックにいれて詰めよという指導のようだか、みんな荷造りに苦労していた。無理に、新しいものを買わないといわれけれど、そんなリックないもんなー。うちは、ほかの小学校の方にお借りして、どうにか一件落着したが、ほかにも無い物をあって、例によって、直前にバタバタ。それより、わが子は、ぜんぜん乗り気じゃなくて、かなり嫌な様子。まあねえー、楽しいいだけじゃないわなー。それでも、今日は、グズラズいわずに参加したようで、一安心。

 ただ、連日、気温は37度以上が続く、こんな猛暑に出かけて大丈夫かとも思っていたら、今度は、台風が接近中で、強い夕立があったりする妙な天気になった。猛暑は、いまは一服したものの、ムシムシした暑さは残っている。第一、こんな時機に、日本海から台風が直撃するなんて、おかしな天気だ。猛暑の方を心配していたら、台風の中でのキャンプになるかもことが心配になった。

 下の子は、防災の日に、台風の映像をみて、かなり脅されてきて、異様に怖がっている。水がついて流れるのではないかと、思い出しては「こわい、こわい」といって、「3階で寝よう」と提案している。まあこちらは、特に心配はない。5日間、一人っ子で、彼女の天下だ。

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広島「ブッダ」「ながと」訪問

Img_2346_2 とうとう行ってきました。広島県廿日市市にある、スタンド「ながと」と、bar「ブッダ」。

 昨年に引き続き広島・九州支部合同法座。昨年は、福岡開催だったので、今年は、広島がお当番。法座の内容は、また報告するとして、まずは、法座後に企画された親睦会のご報告。昨年の終了後、お楽しみが、同人の経営する、博多しゃぶしゃぶ「あり多」だったので、広島の方もいろいろと相談し、企画くださったが、考えすぎて、逆に会場や企画を巡ってスッタモンダがあった。それでも、どうにか当初の予定どおり同人の美人姉妹が経営する飲み屋で開催されることになった。残念ながら、遠方の九州組は不参加となったけれど、広島の方も、皆さんが初めてで(バーやスナックに入るのも初めてという方ばかり)に、金沢の方も加わって、賑やかな楽しい集いとなった。Img_2350

 ずっーと話には聞いていたし、毎週のように、法座のおっかけをされているので、「お店はどうなっている? 一緒にお店をされているお母さんにお断りしておかないとなー」という思いもあったので、とても楽しみにした初訪問。

Img_2348_2 法座会場から、初めて法座にも参加くださったお友達の運転で、40分ほどで、廿日市市へ。JRと、広電の廿日市駅結ぶ道にある、スナックやバーの密集する飲み屋街。

 まずは、妹さんの経営するbar「ブッダ」を表Img_2349敬訪問。

 でたー。いきなり、悟朗先生揮毫の「ブッタ」の看板。お店の前の看板にも、たくさん並んでます。これは多仏的な表現だ。まるで舎衛城の千仏化現ですね。ちなみに名刺は、偶然48個。それにても、ここがインドネシアじゃなくてよかったー。あちらは、「ブッタ・バー」ですか。

 ただし、奥まった怪しい雰囲気のビルの奥にあって、かなりわかりずらい。このローケションに、この店名、果たしてお客さまはくるのでしょうImg_2355か? まじで心配…。

 でも、お店は、狭いながらも、彼女の雰囲気があられたお店。

 彼女が、タイなどで購入した趣味の民芸品と、彼女の絵が飾られています。Img_2353

 おお、マンガ「ブッタ」の両脇に、しっかり華光双書。ボトルの横に『仏敵』が並ぶ、日本でただ一つのバーですね。

 ただし、本日は休業日で、お店探訪だけ。

Img_2362 さあ、お向かいにある、お姉さんがママをしている、スタンド「ながと」に移動。

 初めてお会いするお母さんや妹さん、それに友人のお子さんやお友達と、皆さん総出での大歓待を受けました。もう、それだけでも大感激。Img_2364

 はい、ある方のブログに敬意を払って、手デレの皆さんが総出演。それにしても、料理も、お酒も、びっくりするほど豪華なもので、失血大サービスでした。超高級ワインも飲み放題。ほんとうに甘えさせていただきました。

Img_2363 ところで、お店の名前は、「ながと」。お母さんのご実家の姓。ママのお母さんのお母さん、つまりお祖母さんが、亡くなる最後の最後まで、法を求めれたら念仏者だったんだですね。もともと、福岡の大沼法竜師にお育てをうけられた筋金入りの求道者でした。ぼくが、出会ったのは、もう晩年の方で、いまから20年以上も前のこと。この方のご縁を巻頭言にImg_2366書いたことがあります。だから、お祖母さんに付き添って、10代のころからご聴聞されているんですね。

 それで、今夜も、単なる歓迎会でなはく、少しでも、身内の方にご縁をつけたいという願いから起っています。でも、身内だからこそ、難しい。あまり強く勧められたり、あまりにも熱心すぎて、かなり反発もあるらしい。そんなことを聞いていたので、今日は、まずはお会いするだけと決めていた。そして、いつも二人をこ法座に出してくださることに、御礼申し上げたかったのだ。あとは、同人の方の雰囲気に触れてもらえれば、それで十分だ。

Img_2369_2 こちらのお店にも、ゆうこの絵(偶然、これも多仏の表現だなー)や、東京公演会のチラシも貼ってくれている。ありがとう。

 大ママ手作りの、名物の「自信教ニンジン」(もちろん人信のもじり)もだされて、つぎつぎと御馳走三昧。Img_2372

 さあ、カラオケも始まって、盛り上がってきたところだが、残念ながら、ぼくは新幹線の最終列車の時間があって、ここでお別れ。

 妹さんのY嬢に送ってもらって、プラプラとJRの駅へと歩く。ああ、この道を通り、この駅からJRに乗り、新幹線で、いつも京都までImg_2368来てくれているんだなーと思うと、二人がぐっーと身近に感じられた。もっともいまは、車を運転される方のおかげではありますが…。 

 きっと、真ん中の妹さんにも、お母さんるも、そしてNさんのお子さんやお友達にも、いつの日か仏縁が生まれることでしょう。だって、お祖母ちゃんの執念があり、そして阿弥陀さまの強い願いがかけられているんですからね。

 それにしても、楽しかったなー。皆さんの笑顔の写真を、また送りますね。ご馳走さまでした。

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「幾度も お手間かかりし 菊の花」東京法座振返り

 先週末は東京法座だった。

 ここは、ずいぶん顔ぶれが入れ替わる。初めての方も多いが、特色としては、女性より男性が多い。しかも、年代も30、40、50代の壮年世代。

 実は、いろいろと書きたい思いもあるが、また機会をみたい。「分からない」「分からない」といって、方法論ばかり捕らわれる方よりも、「有り難い」「有り難い」と、縁他力の喜びのに留まる方のかかわりの難しさを痛感したからだ。

 でも、まずは簡単に法話の振り返り。4座もあったが、ほんとうは3座で、もう少し信仰座談会ができるようにしていきたい。いまは、顔ぶりが変化しているので、しばしお育てが必要なのかもしれない。

1) 正信偈の「極重悪人唯称仏~大悲無倦常照我」の源信様のところ。「極重悪人」とは誰か。私はわたしのことを、どう捉えているのか。「あなたは誰ですか」のワーク(これが面白い)をしたり、「常」と「恒」についてのお取り次ぎをした。

2)夜は、三帖和讃(上下)が刊行されたので、浄土和讃の構成と、そのなかから、現世利益和讃を声に出して頂いた。これは、法話のリクストがあったので、余分に加えた。

3)K先生の阿弥陀様のカルテを借用し、そこから、随煩悩、根本煩悩を具体的に見ていった。「極重悪人よ」と、わざわさ指されているのに、キョロキョロと余所見ばかりしている。まったく重病人の自覚もなく、症状にも無頓着では、阿弥陀様のお薬を飲もどころか、したい放題で、予後がますます思いやられる。

4)しかし、3)こそがお目当ての機。実は、その阿弥陀様のお心をいただかいないのが、「自力のこころ」である。そのことを、真宗の正意の安心のお領解を正しくお示しくださった、「領解文」で詳しくいただいた。

 ただし、3)のような煩悩を具体的にわが身に引き寄せて聞くことはわかりやすいが、4)の「雑行、雑修、自力のこころをふり捨てて」ということになると、急に観念的な理解になってくる。実機にあって、自力の壁にブチあたり、真に涙したものでしか、この最難関の関所を超えた喜びは湧かないであろう。単に、どこかに煩悩があったり、別に自力のこころがあるのではない。この私そのものが、頭の先から爪先まで100%地獄行きの極重悪人の身であると同時に、100%、弥陀に逆らい続ける疑いの塊なのである。その自分が死ぬことなのだから。

 ところで、K先生の「阿弥陀様のカルテ」のご法話に、患者名の前に、担当医というものを加えた。もちろん、そこは釈尊であり、七高僧や親鸞様なのであるが、その方々は顧問であって、直接、診断し、ご指導くださった善知識がおられる。「ああ、ぼくは、はっきりと、ここに担当医の先生をお名前を書けるなー。もしかすると、そこがぼくの喜びのすべてかもしれない」と、善き師に出会えた喜びを、改めて痛感したのだった。妥協することなく、自力の迷情が破れるところまで、しっかり命終まで、粘り強く、そして倦むことなく、ご指導(治療)下さったたまものなのだ。領解文でいうと、「師徳」ということにあるなー。

 明日からは、広島・九州合同支部法座。3)、4)あたりが中心になるだろう。

 昨年は、福岡での開催で、父と一緒に旅をした。しかし、今年は、一人だ。その代わり、福岡から、若手の先生がご法話をしてくださる。なんとなく一人でないということでも、気分はずいぶん違う。きっと、違った方向からの関わりも出来そうである。初めての方も何名かお会いできそうで、楽しみだ。

「幾度も、お手間かかりし、菊の花」(千代女)

 

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増井光雲『楽園』絵画展

Img_1031 昨日から、滋賀県湖西、比良にある素敵なカフェ、Rカフェで、連れ合いのギャラリー展示が始まった。目の前に、静かな琵琶湖が拡がっている。

  このカフェとの出会いは、偶然だ。3年前の夏休み、子ども連れで、マキノ高原に遊びに行ったときのこと。昼は、友人の教えてもらった、滋賀県の高島にある棚田の見える、山の中のカフェと決めていた。ところが、その日、お盆のあとでの臨時休業。しかも、子どもたちが、車酔いをして、順番に気分が悪いと言い出して、なかなか目的地に付かずに、運転するぼくは、かなりイラついてきた。少し休んでいこうということになったが、残念ながら、161号線沿いに、あまりいいお店はない。そのとき、道からは逆方向だが、偶然、このお店の看板が目についた。イラつきついでに、アクセルをふかしてたどり着いてみると、その前に琵琶湖が拡がる素敵なお店で、いっぺんに機嫌を取り戻したことがあった。

 でも、ぼくがこのお店を訪れたのは、この3年前が、最初で、いまのことろ最後だ。

 それが、このお店で、連れ合いがギャラリーをやることになった。彼女は、その後、何度もこのお店を尋ねているらしく、そこでこんな話ができたようだ。ギャラリーの様子は、お店のブロImg_2338グから、http://ameblo.jp/rcafe-biwako/

 得度から戻ってから、8月31日まで、大作に取り組んでいた。メーンは、畳一帖分はあるキャンパスが2コ繋がImg_2336っている。新作もあるし、逆に、小さいミニサイズのものも書いていた。 

 会期は、9月29日まで。残念がら、ぼくはまだ行っていない。17日が華光誌の版下渡し予定と、直後には聞法旅行と続くので、20日を過ぎてからになりそうだ。そのときは、ぜひレボートしまO0300045010725118413_2す。 

 関心のある方は、素敵な場所にあるので、ぜひ、お越しください。

 湖西線の比良駅下車で、徒歩で2、3分O0400026710725118416です。

 9月26日(日)の仏青例会は、ここを会場に行なうそうです。

 なお、以下の3枚の写真は、お店のブログから使用させてもらっているものです。

O0400026710725118415

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浄土に人天や菩薩が…

 9月の伝道研究会。6月から同人を対象にオープンにしているが、平日の夜にもかかわらず、参加者が増えてきている。

 法蔵菩薩の四十八願の名称のところ。阿弥陀様の願いを聞くといっても、その一つ一つを味わうということは、滅多いにないのではないか。ここでも、私達は持ち前の鷹揚さ、懈怠の姿を余すところなく発揮している。テキストでは、四十八願の名称、願名が、ただ四十八個並んでいるのだが、その願の名前だけ読んでも仕方ないので、浄土聖典で、その願を一つ一つを、声に出して輪読していった。ただそれだけのことでは、何のことかも分からない方もあっただろうが、最低限の解説だけしか加えなかった。たとえば、親鸞様か、真実の願とご覧になられたり、逆に、常に十九願とセットで語られる「見道場樹」の二十八願のように方便の願としてご覧になられたりしている点だ。ほんとうは、現代語訳『浄土三部経』と照合しながらすすめていけば、もっとわかりやすかったのかもしれない。

 僕自身も、滅多に、こんな順番に音読するような読み方はしないのだが、こうしてみんなで声に出して、順番に読みすすめることで、気付かされることもある。形式はみな同じ「設我得仏……不取正覚」なのだが、その願いの対象になるものが、微妙に違うことが明らかになってくるではないか。

 国土(浄土)を建立荘厳するための願である、第1願や31、32願などは、仏国を荘厳するための願いである。

 また、仏自身の仏身を荘厳するための願が、第12、13願の光明無量、寿命無量の願である。

 仏国にしても、仏身にしても、いずれも、衆生済度のための国土であり、身であるのだから、そのお心は衆生済度の一つにある。

 そして、残りの大半の願は、さまざまな衆生を修めるための直接の誓願なのであるが、その対象が微妙に違うのが、面白い。

1、国中の人天

2、国中の声聞(14願)

3、国中の菩薩

4、十方の諸仏(17願)-これは、仏身と見ることもできる。

5、十方の衆生(18、19、20願)

6、他方諸仏国の衆生

7、他方国土の菩薩衆

ということである。だいだいが、1(前半の願に多い)、3(中盤の願に多い)、6、7(最終盤に多い)の、3つに分かれる。

 だから、こうして順番に読ませていただくことで、私達が浄土往生をさせてもらう、5の生因三願が、「十方の衆生よ」、「生きとし生きるものよ」という呼びかけになっていることが、目に見えて明らかになってくることが、有り難かった。

 そのうち、ある方が、「なぜ、国中(弥陀の浄土)なのに、人・天や菩薩などに分かれるのですか」と質問された。まったくそんなことに気付かなかった人あろうし、なぜ、それが問題なのかも分からない人もあっただろう。中には、「浄土に鳥や花があるのだから、人や天もいて当然ではないですか」という声もあった。でも、弥陀同体の悟りならば、浄土に、人・天だけでなく、声聞があるのもおかしな話ではないか。

 その場では、ほかにも皆さんがご自分の味わいを述べられたが、「来月の宿題にします」と、お伝えした。この問いにしても、自分で取り組み読むことで、軽いところではあったが、自然と起ってきたものである。それなら、すぐに答えを与えてもらってもまったくおもしろくないし、せっかくの伝研の意味がない。

 実は、浄土に人や菩薩などの差別(違い)の表現があることについて理由は、『大経』でも示され、親鸞様も、浄土和讃の中でお答えになっているからだ。

 もちろん、その先の、ではなぜそう順じるのかは、それぞれの味わいになってくる。

 もっとも、自分中心の極重悪人のこの泥凡夫に、自利利他円満した寂滅の境地の菩薩のお心がわかるはずはないのだから、うぬぼれにもほどがある話だが…。

 しかし、結局のところ、この四十八願は、誰に向けて、何を願ってくださっているのか。そこ一つに帰らせていただくことで、ここでお聞かせに預かれると思うのである。

 来月の皆さんのお答えが楽しみである。

 10月6日(水) 夜7時30分~9時50分

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