« 町内会のバス旅行 | トップページ | 得道の人あり!(2) »

得道の人あり!(1)

  今回の日高同人との交流会は不思議な、それでいて、これほど尊い旅も久々だった。

  まず、高齢になられ、京都参りも、最近はままならない古い日高同人から、いまの喜びを窺った。これが、爆笑に次ぐ爆笑という愉快な話で、同時に、ご法への厳しさには身がひきしまり、またその尊い味わいに一同涙し、お念仏とするという希有ものだった。善知識である悟朗先生への篤い思いと、そしてお念仏の朗々とした声となり、もうその人自身の喜びがダイレクトに、飾ったり、構えたり、何かを隠したりするのではなく、そのまま伝ってきたのである。その後、悟朗先生の身をかけた説法獅子吼のご法話があった。

Img_65692 それから、バスに乗って、日高同人たちの町へ。まずは、伊藤先生や悟朗先生との出会いの前に、この地で真実の教え説き、多くの同行を目覚めをさせた先徳の鎌田顕照師を顕正する念仏碑(どこかに、このことに詳しく触れている文章があると思ったけども見当たらない)にお参りさせてもらう。あまりにも激しいお勧めは、静かな村を二分する大きな対立を生み、外から招聘された鎌田師は、村を去らねばならない自体がやってくる。その後、故郷でご往生。村人たちの善知識探しがはじまり、たまたま隣町の豊岡市で布教中の悟朗先生と出会い、鎌田師の追悼法要の法座がもたれるのが、55年ほど前のことである。いまの同行の一世代、二世代前のことである。当然、先生も皆さんも、まだ10代、20代、30代の青年時代のことなのだ。

 念仏碑参拝の後は、村を一周して、生きたご旧跡として同人宅の前や、時々はお仏壇にお参りさせてもらった。参加者の中には、それを楽しみにされておられた方もあるが、まだ、1~2年のご縁の方には、まったく見ず知らずImg_65672のお宅だ。別に田舎の住宅街。名所でも旧跡でもない古い家々を、バスを降り立った人たちが、2グループに分かれてゾロゾロと歩くのである。「ここが〇〇さんが喜んだお宅」、「この川で、増井先生がよく水泳されていたところ」、「ここのお名号は伊藤康善先生のもので…」などと解説付きだ。そして、時よりお念仏の声がしている。滑稽といえば滑稽な風景。そして最後は、それぞれの分級座談のグループで、法座会場宅での、座談会が2時間ほどある。

 それぞれのグループに特色あって、尊かった。ぼくたちのグループは、故瀧雄氏のお宅。遺影がお迎えしてくださる。そして、はなれある氏の書斎へ。これが、顕彰記念館のように華光双書やテープ、写真、手紙、そして法座ノートがビッシリとおかれている。一冊のノートを手にして驚いた。講習会のテキストを書写しておられたり、法話も板書のみならず、要点をしっかりと押さえてかかれていた。そんなものが何十冊もあるのだある。奥様のお話を窺う。熱心なご主人を避けてきたこと。特に、ご臨終の様子と、最後の最後の喜びの様子を伺いながらも、それを受け止められなかった「逆」っていたご自分を懺悔なさる内容だった。その中で、「私は後生の一大事と言って、真剣なつもりで聴聞していたも、その最中に一匹の蚊が腕に止まっただけで、そちらが一大事になって、必ず叩きにいく。私の一大事は、そんな程度の虚仮だなのだ」と。

 この言葉が、はじめて参加されて、昨夜から真剣に聴聞され、お念仏をされようとしていた女性に響いた。昨日までの苦しそうな念仏が一転して、晴々とした念仏に変わった。彼女は、聞法旅行に参加するつもりもなく(ある偶然から、最後に申し込まれた)、華光とのご縁も浅くて、日高のことも、同行のことも、瀧雄さんのことも、まったくご存じない。ここに来ることもよくわかったおられなかったかもしれない。ただ連れられるままに家々を不思議な気分でまわり、ここに引き出されて座られたのである。ひとりひとりの仲間となり、日高同人の言葉となり、奥様の口をかり、瀧雄さんが還相回向のお働きでお導きくださたとしか思えなかった。

 土徳ということばがあるが、すべてこの地に息づいてるお念仏の功徳のたものもなのである。だから、不法懈怠のこの身にも、その柱に、その畳み、そしてそ壁のひとつひとつに、これまでしみこんだお念仏さまが、多数の念仏者を迎えて、一気に躍動したかのようだった。隣近所もある普通の民家だが、どれだけお念仏しようとも、ここは、お叱りも、苦情もない。「今日は、いつもよりちょっと賑やかだったなー」というようなものであろう。

 他のグループでも、またいろいろなご縁があったようだ。みな、お念仏の根付いた地で、心ゆくまで遠慮なくお念仏をさせてもらった。

|

« 町内会のバス旅行 | トップページ | 得道の人あり!(2) »

法座と聞法」カテゴリの記事

コメント

明治以降の真宗でも、幾つかの熱烈な信仰運動があったが、人々が多く集まり、大きな寺でも建てると、それ以後の運動は、みな大体ダメですな。
内輪もめしたり、金で争ったりしている。

真実の仏法は、ワラジばきで広められるものであることを、深く心に銘記しておかなくてはならぬ。
また、真実の仏法というものは、それほど多くの人々に、チヤホヤされるものではありませんぜ。
やはり「国に一人、郡に一人」と言われるほど、重い仏法ですわ。

(命がけの信)87P

本当にその通りですね。
真如苑もすごい規模の精舎を建てたり、東京の郊外に土地を買ったりしています。でも、それでは膝と膝をつき合わせてのご法座、ご示談は出来ないんですよね?

組織が巨大化していくほどに本来の仏法の姿から、かけ離れていく。やはり、世の中、カッコいいもの、力のあるものが注目を集めますから。でも、それは真理とは違うということなんでしょうね。

投稿: 阿波の庄松 | 2010年11月17日 (水) 18:00

はい、外ではなく、自己ですからね。同時に、同志が集うことで、大きな力にもなるけどね。

投稿: かりもん | 2010年11月18日 (木) 01:45

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 得道の人あり!(1):

« 町内会のバス旅行 | トップページ | 得道の人あり!(2) »