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懐かしい

Img_1844  昨年、99歳で亡くなった同人の1周忌法要。ほんとうは、少し早いが、お盆を兼ねて、この時期に、初盆と合わせてもたれた。

 例によって、故人と一番親しかった方が、心を合わせて、声をだして勤行してもらうために、日常聖典を持参もした。

 だから、法事だけれども、長い三部経ではなく、「阿弥陀経」を、皆さんと一緒に、とてもゆっくりあげる。もちろん、その間は、Img_1848携帯は電源を切ってもらう。

 まず、簡単にお経の意味を説明。そして、善導さまの、「経は縦糸」という意味をお話して、さらに、「経、教、鏡」と、私を照らす鏡であることをお話する。法事の勤行は、故人をしのぶだけでなく、自分を照らす鏡なのであると。その後には、お経のImg_1850心を聞かせていただく、「お説教」があることも説明した。もっとも、ここでの法話は、華光会館のようにはいかない。だいたい20分ぐらいだが、それでもご法話はしっかり話している。

 持参した聖典だけで足りずに、自宅にある聖典もだしてもらったら、華光会館で作製した、手作りの「礼拝聖典」があった。ああ、懐かしい。表紙も手製、表紙の金文字も一冊一冊違う。中味も、一Img_1851字一字、手書きで、謄写版印刷されている。父から、この聖典を作る苦労を聞かせてもらったことがあるが、かなり長く使用されていた。いまは、市販のものを使っている。

 もう一冊あったのは、『子どもの聖典』の改訂版の前。これも、その後、2度進化して、いまの形(赤い表紙)になっている。こちらも手書きで、ペラペラしたものだか、歴史を感じる代物。まだ「子どもの聖典」ではなく、「礼拝のしおり」になっていた。

 共に、会館には残っているのが、いづれも保管用だ。古い同人宅では現役なんだなー。

Img_1843 法要が済んでから、皆さんと近くのお店で、ご馳走をいただいた。

 例によって、故人の思い出を全員に一口ずつ。これも、葬儀の後の初七日、四十九日、と三度目。息子、娘世代、孫世代に、曾孫世代まで。この一年。どんどん故人のことは遠くなる。しかし、改めため、故人をしのぶ、皆さんの言葉が尊かった。故人のさまざまな面が窺えるか、それだけではない。結局、故人を通して、ひとりひとりが問われる共に、いまこの場にいるひと達がの心が一つになる感覚が、ぼくにも伝わったきた。

 

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