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城崎にて

 朝から、JRに乗って城崎へ。

 9月の聞法旅行の下見と、それに合わせて企画してくださった日高支部での法話会である。

 まだ免許取得前は、JRでお邪魔していた。大学生になったばかりで、30年も前のことで、まだ「白兎」という急行が走っていた時代だ。江原駅につくと、故谷本滝雄氏が、自転車でお迎えに来てくれていた。駅から、お宅までは近い。

Img_2315 複線化の区間も増えて、時間はかなり短縮されている。京都駅の31番線から出ている「はしだて」に乗って福知山まで。そこで、新大阪から来る「北近畿」に連絡している。車両は、かなり古い。終点の「城崎温泉」駅まで。だいたい2時30分程度かかる。車窓からは福知山城が見える。

 車中では、原稿の手直しと、河合隼雄の『ユング心理学と仏教』が、Img_2306かなり読めた。このところ、岩波現代文庫から「心理療法コレクション」として6冊文庫化されたシリーズを楽しんで読んでいる。あいからわず、仏教関係の専門書は読まない。

 ちなみに、帰路は、江原駅から乗車した。京都まで直通する「きのさき」という特急列車。途中で、舞鶴からの特急と連結したりすImg_2308るので、2時間15分ほどかかった。城崎からだと、直通も乗換もほとんど差はない。

 城崎温泉駅に到着。出口は一カ所。ここが送迎バスの待ち合わせ場所になる。Img_2307

 すぐ温泉街で、駅前も城崎の風情がある。

 観光名所も多いので、時間が許せばもう1泊して、城崎めぐりをするのもお勧めだ。

 支部長のRさんが仕事のやりくりをしてお迎えにくださった。
 会場の民宿「よしおか」までは、駅から3キロほど。車なら5、6分程度だ。すぐ近くのRさんの知り合いのお店で、ナンのついてカレーを食べたが、なかなかおいしかった。なんでも、Img_2309マスターの義姉がスリランカ人で、その直伝だそうだ。ちなみに、法座が終わって帰宅したら、わが家の夕食もカレーだった。まあ気が合うのか、合わないのか。わが家は、子どもたちが作った野菜カレーで、肉の代わりに麸が入っている。しばらくカレー三昧が続く。

 聞法旅行の会場は、民宿だがそれなりに広い。全館貸し切り状態で、好意的にお迎えくださる。料理も楽しみだ。座談会も、別の部屋を使わせてもらえる。温泉だが、大浴場がすこし狭目なのと、Img_2310時間の制約があるが、2日目は城崎の外湯めぐりをするので、それほど問題はない。それでも現地にいって、問題がいくつか分かった。宿泊は相当数が受け入れられるが、問題は、宴会会場である。60名以上で、舞台を明けると、お膳がならばないというのである。広間は3つあるのだが、一番大きなところで、48帖だそうだ。まあ、少々狭くても、肩を寄せ合って食べるのも悪くないかもしれない。
 あとは、日高支部での法座会場などで、いくつかのと変更点も起こって来たり、連休中で、すく近くの城崎マリーンワールドに向かう車で、混雑するとの予想があったりで、このあたりは不確定な要素もある。Img_2311_2

 講師室からは、気比の浜が見えていた。歩いても、5分ほどなので、朝晩の散策もいいだろう。

 準備や打ち合わせは、これからだ。

 すぐに日高支部の家庭法座の会場に向かう。円山川に沿って、40分弱。

 平日の昼間で、参加者を心配したが、10名の参加があった。お仕事でこられない方もあったようだ。

Img_2312 「先生、これかポッポちゃんですよ」と、ある方が写真を指された。
 前号の華光誌の日曜学校の同窓会の記事(69-3号の34頁)に、姉が書いていた。「生まれつきからだが弱く、もうすぐ死ぬので、早くご縁に遇わせてもらったのだよ」という言葉が、子ども心に突き刺さったとあった記事だ。
 幼くしてお念仏と共に亡くなっていた御方である。もちろん、ぼくはまったく知らないが、この方もまた、連続無窮のお働きによって、私を導いて下さった知識である。

 ここは、前の善知識の生が亡くなり、悟朗先生とのご縁ができて、すでに55年以上の歳月がながれている。まだ華光会館が完成する前のことだ。老、病、死の現実に、なかなか京都にもお参りできない状況になっておられる。さいわい、父も元気を取り戻し、今回の聞法旅行を楽しみにしている。母が、ここを訪れるのも何十年ぶりだろうか。日高(旧江原)での法座の集大成になると思うと、楽しみであると同時に身も引き締まる思いがする。たぶん、一期一会になるかもしれないし、今生での最後の出会いとなる人達と、お念仏と過ごす3日間である。

 〆切を過ぎたが、まだ8月末日ぐらいまで受け付けられる。どうそ、奮ってご参加いただいて、日高の古老たちの生きたお念仏に触れていただきたい。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/09/monpou2010-9.htm

 

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コメント

あー、志賀直哉だ、昔読みました。高校の頃。
嫁の不貞を許すかどうかって話だったかな。
白樺派では、武者小路実篤が好きだった。お坊ちゃんで純粋で。あんまり本文と関係ないコメントですみません。

投稿: ネコ丸 | 2010年8月27日 (金) 01:29

ネコ丸さん、暑いけど、元気にしている?
そうです。志賀直哉ゆかり旅館もあるし、城崎文芸館には、ゆかりの遺品もあります。なかなか風情のあるところですよ。
文学青年だったの?

投稿: かりもん | 2010年8月27日 (金) 17:53

そう言われればそうだけど>文学青年、一通り古典を読んだぐらいです。中学の時は武者小路実篤が好きで、その後高校で太宰にはまりました。まあ、定番のパターン?です。

投稿: ネコ丸 | 2010年8月28日 (土) 00:11

定番でも、白樺派なんて、さらっとは出ない。いまの大学生で、武者小路実篤を読んでいる人、多くなさそうだもんー。
ぼくも、学生時代は、文庫で小説をよく読んだよ。いまは、まったく読まない。ほとんど新書はかり。

それと、コメントありがとうね。ちょっとした配慮とうか、心遣いが、ネコ丸さんの持ち味だよね。

投稿: かりもん | 2010年8月28日 (土) 00:43

いや、配慮じゃないです。彼にはずっとシンパシーを感じていたので一言言いたかった。(僕もそうなので)弱い人には共感出来るのです。同志というか。
配慮というと、なんか上から目線な感じがする。そうじゃなくて同じ目線の高さでシンパシーを感じたのです。せっかく褒めてもらったのに、アレですが・・・(;・∀・)

投稿: ネコ丸 | 2010年8月28日 (土) 01:37

聞法旅行の関係で例によって朝から問い合わせをしてまたまた御迷惑を御掛けしまして(白浜へ出発なさる日だったみたいですね)申し訳ございません。

前に質問した『荒涼館』の映画については、BBCがテレフィーチャー化して、DVDも出ているようで、自己解決しました。流石にあれだけの大作となると通常の映画化は難しいみたいです。BBCは、科学ドキュメントやSFでも良作が多いです。

文学書の話題が出てますが、私は、子供時代からの漫画の延長で、SFやミステリに嵌まり、その周辺の文学書に親しみました。幸い、家には文学全集の類は充実してました。上記の『荒涼館』も筑摩の全集で読みました(今も愛読してます)。
中学~高校時代には平井和正。高校時代以降は筒井康隆。これも定番かな? そして、その筒井大先生の影響で、マルケスや、セルバンテス、ボルヘス等のラテンアメリカ文学にも嵌まりました。

後、高校時代あたりから、やはりSFとかの影響もあったのか、「神」の問題とか「宗教」にも関心を持ち、椎名麟三、遠藤周作、加賀乙彦、曽野綾子といったカトリック文学も読むようになりました。
仏教関係では、碩学渡辺海旭先生の甥の武田泰淳とかも読みました。高校の倫理の先生が、吉川親鸞をぼろくそに評して、丹羽親鸞をべた褒めしてましたので、丹羽文雄の『親鸞』も読みましたが、当時はほとんどわかりませんでした。丹羽文雄の『蓮如』もその頃、出たと思いますが、当時は蓮如上人の名前すらよく知りませんでしたので読んだのは大分後になってからです。
大仏次郎の『日蓮』や、司馬遼太郎の『空海の風景』もその頃読んだかな。
後、ドナルド・キーンが、空海や道元を大変評価していましたし、哲学者のK・ヤスパースがナーガールジュナを大変尊敬なさっていましたので、仏教に漠然とした関心を持ち、松原泰道先生や、紀野一義先生等の御著書を仏教を勉強しようと思い読みました。
そんなわけで、『仏典』(主に岩波文庫)や、『聖書』、『ウパニシャッド』等は高校時代から親しんでいました。これも今思えば、大いなる仏縁、大変なお育てだと思います。

太宰よりは私は、坂口安吾に嵌まりましたね。これもミステリ(『不連続殺人事件』)を書いてることもありますが。安吾の作品も、『桜の森の満開の下』を篠田正浩監督が、『不連続殺人事件』を曽根忠生監督が、『肝臓先生』を今村昌平監督が、それぞれ映画化なさってますがイマイチ成功とは言い難いですね。
私が一番好きな『夜長姫と耳男』も芝居にはなってますが映画化は難しそうですね。

そんな訳で、また雑談が多くなりました。聞法旅行御世話になります。

投稿: 縄文ボーイ | 2010年8月28日 (土) 12:01

縄文ボーイさん、暑いですが、お元気ですか。今日は、文学の話ですね。『聖書』はともかく、『ウパニシャッド』を読む高校生って、あんまり聞いたことないけど、あなたらしい。それに、縄文ボーイさんと坂口安吾の組み合わせも、なんかよくわかる気がします。安吾は、一時、京都伏見で下宿生活を送っているけれど、伏見稲荷の駅裏あたりに下宿か飲み会があって(学生時代でもう記憶が定かでないが)、このあたりだなと歩いたことあります。
 週末の東京の行き帰りは、山口益博士の『大乗としての浄土』を、これまた学生時代に以来の再読。いま読むほうが、断然、面白いです。
 暑いですが、ご自愛ください。楽しみにしています。

投稿: かりもん | 2010年8月31日 (火) 00:00

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