広島にて~平和公園編~
義姉の家(連れ合いの実家)に、預かってもらっていた子どもたちを迎えに広島へ。毎月1度は、広島市で法座がある。ただし、8月だけはおやすみなので、今月は広島行きがないはずだったが、プライベートでの広島。
お盆の帰省が始まっていて、横も、前も、小さな子どもを連れた家族連れで、下りの新幹線は満席状態だった。
8日ぶりの再開だ。下の子は、子ども大会前からなので、ゆっくり会うのは12日ぶりになる。ちょっと照れくさそうなしぐさをしていた。
まだ、台風の影響はない。それでも、厚い雲の覆われて、ときよりバラバラと雨交じりだったが、路面電車に乗って、平和記念公園に向かった。子どものころ乗っていた京都市の路面電車が今も走っていて、懐かしい。料金は、大人でも、150円とかなり安い。
原爆ドームへ。史上初の原子爆弾の投下は、このT字の相生橋を目標にしたと言われている。この橋の近くに、義姉が経営する会社があるので、発声訓練を受けに、しばしばここには通っていた。
このドーム上空で原爆が炸裂したと思われがちだが、実際の爆心地は、ここから2、300mほど離れたところにある島病院(島内科・外科)だ。実は、連れ合い(当然、MAYさんも)のクラブ仲間でもある同教生のご実家の上空だ。噂には聞いていたが、ここは初めて前に立った。記念碑・案内板がひっそりと立っている。
川岸には、広島市の花でもある、「キョウチクトウ(夾竹桃)」が咲いていた。原爆により、その後75年間は、草木も生えないといわれた不毛の焦土のこの地に、いち早く咲いた可憐な花は、多くの市民に希望と光を与えたという。今年も鮮やかに咲いていた。
よく事情のわかっている上の子は躊躇していたが、平和記念資料館へも入った。入館料は、大人が50円、子どもは30円だ。パンフレット代にもならない。ぼくは、中学生の時と、広島であった聞法旅行以来なので、今度が3度目。それでも、子どもたちを連れきたかった。
初の米国大使の出席した65回目の原爆の日が終了した直後のお盆休みとあって、家族連れや外国人も含めて、館内はかなり混雑していた。
上の子は、負傷者の惨烈な写真に、かなりショックを受けていた。ぼくは、以前とはまた違ったところで、感慨深かった。衝撃的なものよりも、何気ない子どもたちの日常の遺品や親への言葉が胸に迫ってきたのだ。日常が瞬時に一転し、壮絶な悲劇が待っていることが、まさに衝撃である。
実物大の原始爆弾も、思った以上に小さいなものだ。人間がこの手と、心で造った一つの兵器が使用されて、何十万もの尊い犠牲と、その後の心身共にいい知れない苦しみが、いまだに続いているのである。
65年たった今も、いまだに核兵器のない平和な世界は実現していない。
戦争を知らない世代のぼくたちは、現実の世界も含めて、まず事実を知ることからしか始まらないのだ。
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