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仏の子供大会~野外活動・海水浴編~

 仏の子供大会は、いろいろな行事がある。

 野外活動では、海水浴(水泳)、追跡ハイキング、キャンプファイヤーが、三大行事。それに、室内オリンピック(今は、省略して楽しみの夕べ)が加わることもある。

Img_1467 昨年は、華光会館だったので、海水浴がプールになった。漁村の会場の時には、追ハイのコースがなくて別のものになったり、時に、ファイヤーが室内ファイヤーになったりするが、今年は、海、山が揃ってたので、野外活動は充実していた。ただ、下見段階では、水泳場や追ハイも3月時点だったようで、その点ではかなり心配もしたが、さいわいうまくいった。Img_1465

 海水浴は、初めての日本海若狭湾へ。バスなら20分で到着するので、楽だ。しかも、大きな水泳場でないので空いていたし、水もきれいだった。少し雨まじりの曇天だったが、水もあまり冷たくなく、ほとんど波のない状態。子供たちも、楽しそうに泳いでいた。恒例の楽しいゲームもある。これも、子供大会Img_1485の伝統あるゲームだ(今年は、お爺さん、お婆さん)。

 そして、みんな(いまは探すのも難しい)この水泳帽。世代遅れで、逆に、すごく目立つ。今年も、少し離れたところに言っていた子供たちが、すぐにわかった便利なもの。これもImg_1508、ぼくには、子供大会の風物詩。  

 ところで、子供大会の海水浴といえば、子供心に忘れられない強烈な思い出がある。毎年、水泳の始まる前に、水泳注意として話題にする、年に1度だけ思い出す思い出だ。

 小学校5年生の子供大会。日高が会場で、日本海での海水浴。その日は、猛烈な波で、小さな子供たちは、波打ち際でも十分楽しめた。ちょっと泳ぐと、息ができないほどの波に飲まれた。ぼくたちの横には、水泳教室のグループが来ていて、しばらくすると女性の生徒さんが溺れた。指導員が救出に向かったが、次々と波にさらわれ、結局、最初の女性は助かったが、二人の青年が目の前で水死した。さっきまで、楽しそうに元気にしていた人たちが、次ぎの瞬間には、泡を吹き、目を剥いた苦痛の形相の姿で、浜に引き上げられてきた。ちょうど、ぼくが海からあがった時に、二人の遺体も、ぼくの目の前に引き上げられてきたのだ。その恐怖というのか、苦悩の形相を、目の当たりにしてしまった。からだにはべったり砂がついている。すぐに、カラフルなレジャー用のタオルが顔に掛けられたが、なんともその不似合な色合いが、強く印象に残っている。

 死体を前に、みんなスイカが食べられず、しょんぼりと宿に戻った。バスの中で、はしゃぐ人はだれもなった。

 その夜には、恒例の地獄のスライドを見たのである。

 そして、帰宅した数日後、強烈な夢をみたことが、少年期のぼくの聞法の大きな契機になったことはいうまでもない。子供心に、ぼくに、死ぬことが実感できるとか、できないとかは関係ない。無常が実感できなくても、自分の思いとは無関係に、次ぎの瞬間には死が訪れるのである。生と死は、いつも背中合わせなのだ。しかも、出かけていくのは、ひとりぼっちなのである。たった、ひとり。真っ暗な、寂しい世界に堕ちていく…。

 その思い出が、なぜか、今年スライドの全体会で、突然、蘇ってきた。「ああ、ぼくの真横で、泡を吹き、目を剥いた苦痛の形相で亡くなっていった人は、ぼくの仏様だったんだー。仏様が、こうして命を捨ててくださっているのだ」と。

 35年ぶりにそう実感したのである。涙がこぼれて話が詰まった。お念仏がでてきた。

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