西山別院で得度習礼
今未明、大雨にみまれた。豪雨と共に、いなびりと烈しく雷鳴が轟く。七が、「お父さん、お父さん」と呼んでいる。耳を押さえて怖がっていた。甘も、原爆の展示のことを思い出したようで、こわかったそうだ。台風
の影響での大雨だ
。
5時すぎから30分ほどが、もっとも烈しい雨となったが、連れ合いが得度習礼中の西山別院のある西京区では、1時間に100ミリを超すゲリラ豪雨となっていた。その最中、4時半起きをして、西本願寺へ移動。ご本山の晨朝勤行の臨んでいたようだ。この滝のような雨の中で、法衣姿で移動するのは、たいへんだったろう。
6時をすぎると小康状態になっていたが、今日は、ときおり雨が混じる天気。
子どもたちを連れて、桂にある西山別院へ向かう。何年ぶりだろうか。得度してからは、もう30年、教師を終えてからでも、20年以上は経過している。
実は、線路を挟んだ向え側に連れ合いが下宿していた。学生時代から結婚する前まで住んでいたので、このあたりは生活圏だった。その意味でも懐かしい。
解散式が少し長引いていた。親御さんたちであろう。雨が降るので、皆さん、軒下待機中だ。
「エッー」とみると、びっくり。A先生の奥様だ。なんでもご子息が、同じ時に得度されているのだ。「おめでとうございます」。あとで尋ねてもみだ、班が違ったので、連れ合いとは面識がないまま終わったようだ。
覚祖いませし、西山に~
そう、ぼくが得度したころは、毎朝、体操のあとに歌ったものだ。
もっもと、連れ合いの話では、今回は、体操も、歌もなかったという。古い建物で、寒い冬でも、暖房は火鉢で、勤行だけでなく、講義も、食堂も、まだ正座の時代だった。その年は、やたら寒かったことを覚えている。
まもなく式が終わって、ピカピカに光輝く(ほんとうに剃りたては光るんだ)、ほやほやの僧侶たちが、出てきた。
ゆうこも、ちょっと目を腫らして登場。
「釈光雲」の法名。
感激して、泣いたのかなー。とにかく、11日間ご苦労さま。ちょっと疲れで痩せている様子。
新聞、テレビ、電話(携帯もすべて没取)と、俗世間から隔離されて、しかも、毎日、「動くなー」、「寝るな、目をつぶるなー」と怒鳴れ、怒らればなしの11日間。5時起きで眠いわ、、正座はひたすら足が痛いわ、夜まで課題の練習に、厳しい試験はあるわ、ドンドン課題や行事がやってくるわで、想像以上にたいへんだったようだ。今日の普段の日常生活の身には、かなりハードな非日常だけれども、ちょっと考えれば、所詮、たった11日間だけ。
結局は、どれだけ成績が悪くても(最後まで呼び出しがあるが)、無事にその間を過ごすと、みんな資格が得られるシステム。もちろん、信心の有無は沙汰は、一切ありません。ここは、見事。だって「習礼」なんでから、僧侶としての礼を習い、正信偈が正調であげられるようになり、あとは、僧侶の心得にあるように、ひたすら教団に従順することを誓う場といってもいいわけです。
それでも、11日間の隔離からの開放感と、達成感で充実した顔もうれしそうだが、それ以上に、軒下で待っていた、親御さんたちも、ほんとうにうれしそうである。まずは、住職継承の最大の関門が、ここにクリアーできたわけ。学生なら、バイクでも買ってもらうのか、それもと、奮発して車もあるのかなー。
ゆうこは、次長として、同じ班の特に女の子リーダー。終了後、班の子(学生が多い)を集めて、記念撮影。そして、さっそく華光誌を配布して布教活動だ。車で迎えにいったので、4名の若い子を拉致(?)して、華光会館の道場へ。
ほんとうは、遠方のひとたちが、雨で濡れて困っているだろうと、シャワーを浴び着替えてもらってから、京都駅前での打ち上げに向かうのでした。
11日間、ほんとうにご苦労さまでした。
本人ももちろん、子どもたちも、ぼくもお疲れさまでした。
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コメント
本当に本当にお疲れさまでした。
読ませてもらって、私も自分の時のコトを思い出し
懐かしくなりました。激ヤセして、しばらく物欲も
無くなったなぁ~。
ゆうこさんはやっぱり次長さんでしたか。
布教活動するところがさすがです!
私みたいにひとりでも引っ掛かるといいですね。
ゆうこさん、かりもんさん、そして子供たち、本当に
お疲れさまでした
投稿: 蓮華 | 2010年8月13日 (金) 01:13
蓮華さん、ありがとう。懐かしいでしょう。
もともと、中仏の通信での出会いですものね。考えると、不思議な出会いですよね。遠く宿縁を慶べです。
彼女の班は、龍大の先生(仏教や真宗ではない)が、班長だったそうです。ぼくも、教師の時は班長で、最後も全体の代表でした。
投稿: かりもん | 2010年8月13日 (金) 11:44