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葬儀

 6月の下旬から7月にかけては、出張法座が続いたので、、触れず仕舞いのことがたくさんある。2、3の落穂拾いをすることにする。

 6月24日、25日の名古屋での葬儀を引き受けた。和讃(3校)の作業もあったり、翌日から広島、東京と続くしので、迷ったが、一応、その日だけは空いていた。これもなにかのご縁である。基本的なスタンスは、あくまでも法座が中心。しかし、平日だったり、日時が折り合うならば、いまは積極的に依頼を受けることにしている。もちろん、経済的な意味もあるが、それ以外にも、単なるお経の配達ではなく、遺族の方との関わりや、法縁としての意味があると、最近は考えるようになっているからである。それなりに、遺族の方にとって、意味のある葬儀を行なう自信もでている。といっても、年に1、2度あるかないかの程度だから、まったく本業とはほど遠いし、あまり依頼が増えても困る。あくまで、副業程度で、コソコソと。

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 浄土真宗では、本来、位牌は不要だ。でも、葬儀の時は、葬儀屋が、白木の位牌が用意している。京都ではふたつもある。名古屋は一つだった。この話をすると、広島はなくて、半紙に法名を書くそうである。さすがは、安芸門徒である。でも、用意されているものは堅苦しく考えずに、通夜は半紙に書いたものだったが、葬儀は、位牌に書くことにして、ホテルで作業した。「尼」もいまは、不要だが、昔に頂いた法名なので、そのままにしておいた。あとは、名古屋なので、何も言わないと、お東の荘厳になっていたので、葬儀の時は、変えてもらった。それでも、お仏飯は、平らに盛ってあった。

 今回も、通夜、葬儀でも、短めながら法話をした。「満願」という、法名の意味を頂いた。葬儀では法話がないが、せっかくお参りの方が多かったので、5分程度でも、皆さんに向かう。名古屋は、参列の方が、最後まで列席されているので、驚いた。京都のこのあたりは、焼香がすみ次第、参列者は帰宅する。

 八事にある火葬場に向かった。名古屋大学のキャンパスをとおり、こんな都会の中に、火葬場があるのは、少し新鮮。しかし、オートメイシーョン化には驚いた。ちょうど48番。でも、すぐ隣では、日蓮宗の方の火葬がおこなわれている。少し待って、まだ横の遺族がおられるのに、すぐに火屋勤行。隣が終わったので、こちらが始めたら、隣の日蓮宗のお坊さんが、閉まった扉の前で、突然、大声でお経を唱え出された。いやいや、参りました。ぼくの声など、かき消されていく。5分足らず、すぐに火葬へ。後ろをみると、すてに、次ぎの遺族方が…。今度は、神道式の葬儀。、神官が立っておられだ。これも初めて拝ませてもらった。都会の火葬場では仕方ないが、それにしても、最後のお別れぐらいは、個別の配慮がほしいところだ。

 2時間30分ほどまって、還骨勤行と、初七日法要だ。遺族や親しい人だけになる。お疲れだろうが、ここで初めて、遺族向けてのご法話となるので、ちょっと時間をかける。京都から、勤行聖典も20冊持参。勤行の前に、いまからのお経の意味と、故人に一番親しい方が皆さんであったこと、そして、いろいろな心境があろうが、ここは心を一つにして、故人の偲ぶと共に、逆縁ではあるけれども、わが身、わが姿を省みる時間として、共に声にだして、お念仏し、読経することを説明する。なかなか、声は大きくならないが、それでも、皆さん、真剣に関わり、そして、小声でも、お念仏される。終わってから、「白骨」となる人生の意義について、いま、初めて声に出した「南無阿弥陀仏」のこころに触れるように努めた。

 その後、お膳となる。ここでは、全員の方(たとえ故人と縁が薄い方でも)に、故人の思い出やエピソードを、一言披露してもらうようにしている。ただ、飲み食いだけでは、面白くない。人数は20名ほどだったが、それでも、小1時間ほどはかかった。他人のぼくのこころまで、温かくなるようで、時に笑いがあり、また時に故人の偲び涙して、皆さんの気持ちが一つになったような貴重な時間であった。
 当たり前のことだが、その関係によって故人の呼び方が違う。ある人には、「お母さん」であり、ある人には、「おばあちゃん」であり、ある人には、「お母様」であり、ある人には、「お姉さん」であり、またある人には「ミッちゃん」であり、またある人には、「Bさん」である。その呼びかけの異なるところで見えて来る、故人のさまざまな顔、それでいて、どこか共通のものも流れている。また、同じ孫でも、「厳しかった」というものもあれば、「私にはやさしいおばあちゃん」だという、独り独りでもまた違うのだが、それがつながっていくことで、その人のパーソナリティーが立ち上がってくるかのようだ。最後に、一番関係が深いであろう、お嫁さんと息子さんで締める。一番、仏法のご縁があるは、お嫁さんで、共に、病床で、法話テープを聴聞されていた。冒頭に歎異抄第3章の言葉から始まり、嫁と姑の関係のエピーソドを披露。でも、人間的な密接な対決と、深いところでのつながりも感じさせられた。締めは、喪主のご長男さん。治療ために遠くに移転され、最後に二人で旅(人生で、これだけ、母と話す機会はなかったといわれた)のエピソードには、こちらも涙が溢れてきた。

 一通り終わったところで、今回の葬儀を引き受けた、ぼくの気持ちをお話した。それが、故人の願いでもあったからだ。一般の僧侶を断り、わざわざ指名くださったのは、単なる、故人追善供養のためではなく、あくまで残された皆さん方への仏法聴聞のご縁として、元気な間に、生きた仏様に出会う仏縁てもらいたいという、故人のたった一つの願いが、生きて働いて、皆さんとぼくをここに引き合わせてくださった。だからこそ、自分のためにご聴聞くださいと結んだ。

 2日間、いつもの法座とは違って疲れはしたが、充実したご縁を結ぶことができたのではないだろうか。

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コメント

こんにちは。

今日は西本願寺の高松教堂で聴聞してきました。81才になる婆ちゃんを連れて行きました。婆ちゃんにとっては初の浄土真宗のお寺参りとなりました。

死んだ爺ちゃんは御利益信仰ばかり熱心にしていました。母は真如苑をしていますが、それ以外はまったく信仰のない家庭に僕は育ったんです。

菩提寺は仏光寺派で死んだお爺さんの3回忌の法事を今年、やりました。しかし、その席でも聴聞ということは話されませんでした。寂しいことです。

おそらく、死んだ爺ちゃんは浄土真宗の法話を一席も聞いたことがないと思います。婆ちゃんにしても同じで、今日、81才にして初の聴聞となりました。

投稿: 阿波の庄松 | 2010年7月10日 (土) 20:21

幾度も読み返しました。私のような葬式坊主のあるべき姿のヒントがたくさんありました。
こちらの葬式はほとんど流れ作業、なんの疑問もなく淡々と進んであっという間に終了です。楽です。でもよくみると、そのなかにも割って入っていくらかのつながり、工夫が可能なことも結構あるのです。今はまだいかしてきれていないだけですけど・・・
大いに参考にさしてもらいます。

投稿: saisho | 2010年7月11日 (日) 07:28

そうですか。阿波の庄松さん、おばあちゃんを連れっていくなんて、なかなかエライじゃないですか。81歳での初聴聞か。でも、生きているうちですからね。ほんとうの葬式は。

saishoさん、大都会の東京はまた違うでしょうね。でも、いろいろと工夫はできると思います。ほんとうに、その先の徹底といわれたら、それは難しいけれども、一つ一つ積み重ねていかねばならないことも、あると思いますね。特に、これからのおきあついもつづくでしょうからね。また、教えてください。

投稿: かりもん | 2010年7月12日 (月) 00:23

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