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5年目突入だ!

 別の記事(『ローラーガールズ・ダイヤリー』という、ローラーゲームにかけた乙女の青春成長物語の映画)を書こうと思っていたら、昨日が7月14日。忘れてました。

 2006年7月14日に始まった「かりもんブログ」も、まるまる4年が経過したんですね。

 というわけで、今日(えーっと昨日から?)、5年目に突入

 最初は、手近な目標(とにかく1年は続けよう、10万アクセスまでは頑張ろう。それが、3年になり、20万を目標にし)と、何かを目標に続けてきました。いまでは、特に何もなく、知らぬ間に5年目。継続は力です。

 この間、アクセス数は、26万5600を超えました。記事数は1325個。すべて、バックナンバーをクリックしていただくと、隅々まで読めますので、お暇な方はどうぞ。コメント数も、1226個と、同数ぐらいいただいています。もちろん、消去されたH系のスパムコメントは含まれません。

 いつ、「しばらく、おやすみします」になるかもわかりませんが、まあ、特に目標もおかず、気楽に続けきます。

 どうぞ、続いている間は、ご贔屓に

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

いつも楽しみに読ませていただいています。記事数1325個、ほぼ毎日書き続けてこられたのですね。

「法座と聞法」のカテゴリーで書かれたものは、自宅でご法話を聞かせていただいているようで、何度も読んでいます。

これからも楽しみにしています。

投稿: Anne | 2010年7月16日 (金) 08:14

 多分同じ頃のスタートと思って調べてみたら、2006.6.25 わずか20日前後私のほうが早かった。
 もっとも記事の数はダントツに抜かれているわけですけど継続は力なりだけは私も実感しています。
 私はまぁ自分の向上心だけを目指してがんばって書き続けようと思っています。これからもブログ仲間です。よろしく!!!

投稿: saisho | 2010年7月16日 (金) 09:20

ブログってやみつきになりますよね。

だって、誰からも頼まれもしないのに自分公開、自分発表ですよ? で、それが安心感や快感になるんですよね。

かくいう僕もブログやってた時期があったのですが、僕の行く先々に非通知の電話やファックスなどの嫌がらせがあったり、実害が起きてきたので、閉鎖しました。僕は芸能人でも何でもないのに、どうして、僕なんかに注目するんですかねぇ…。どうせ、注目されるんだったら、若い女の子から注目されたいですよ!

投稿: 阿波の庄松 | 2010年7月16日 (金) 16:55

私はこのブログを書かれている方とは違いますが、コメントさせて頂きます。
>どうせ、注目されるんだったら、若い女の子から注目されたいですよ!
私も同感です。学生時代に女の子と話す方が楽だったこともあったから、余計にそう。以前のコメントを拝見させて頂いて、映画をよく見られる阿波の庄松さんは素晴らしいと思います。その点私は映画のときに寝てしまいますから。家でひとりで見ているときもそう。だから、阿松の庄松さんは本当に素晴らしいですし、女の人の感心を引くと思います。私はブログなんて出来ないくらいに機械オンチです。素早く文字を入力することすらできません。

年上だったら本当にごめんなさいm(_ _)m私は前にしてはいけないであろうコメントをしたので、ほっておけませんでした。申し訳ありませんが自分が感じたことを書きます。

>非通知の電話やファックスなどの嫌がらせがあったり、実害が起きた。
それは、そうされるような原因を阿松の庄松さんが生み出していたからだと私は思います。人に言われなくても内省しないと。つらくても認められなくても。親鸞聖人が歎異抄に、「善悪の二つ、総じてもって存知すべからず」と言われているように、たとえ阿松の庄松さんが良いと思ってされていることでも、悪く受け止められている可能性があります。時代によって善悪の判断は変わっていきますし。私は電車の中で念仏を称えてしまって、白い目で見られました。怖かったです。中に創価学会の人もいますから。だから二度としないように努力してます。

阿松の庄松さんのコメントを見て、華光に行きたくなくなったという人がいるかもしれませんよ。その人はどうするんですか。阿弥陀仏に救われなければ、きっと今よりも苦しみが大きい世界に堕ちて、果てしのない長い間苦しみ続けないといけないんですよ。教典通りだと。
ここでは気楽なことも書かれているけど、このブログの先生の書かれた本は難しいですが、すごいと思います。私が言える立場ではありませんが。
不快な思いをかけて申し訳ありませんでした。でも浄土真宗を信じている人には、本当に本当に、一人一人に重大な責任があると思うんです。

投稿: K.Y | 2010年7月17日 (土) 02:37

5年目ですか、すごいですねー
ネットはほとんど見るだけで、発信することはあまりないなー ネタがあまりないのと、どうも舌禍な人なので、あまりうかつに発言出来ないです。うっかりバトルになると血圧が上がる。沈黙は金と言うしね・・・

投稿: ねこ丸 | 2010年7月17日 (土) 03:15

沈黙は金だということで、こんなコメントは、これきりにするようにします。

投稿: K.Y | 2010年7月17日 (土) 13:14

≫それは、そうされるような原因を阿松の庄松さんが 生み出していたからだと私は思います。人に言われ なくても内省しないと。つらくても認められなくて も。親鸞聖人が歎異抄に、「善悪の二つ、総じても って存知すべからず」と言われているように、たと え阿松の庄松さんが良いと思ってされていることで も、悪く受け止められている可能性があります。

そういうことはもう、仏様しか分からないのではないでしょうか。じゃ、秋葉原で殺された人は何をしたというのですか? まったく関係ないのに殺されたんですよ。

≫阿松の庄松さんのコメントを見て、華光に行きたく なくなったという人がいるかもしれませんよ。その 人はどうするんですか。

私も座談でいろいろ言われて、もう、華光には行きたくないと思いました。でも、テープ聴聞や座談に出ない参加の仕方など、自分に出来る求道をしていこうと思っているのです。人のせいにしようとは思いません。大体、内省なんていいますが、5才の子供にどう内省しろというのです? (私は5才の時、100度のお風呂に転落し、全身火傷を負いました。) そうしたら、今生のことは認めるんですか?とこういう。でも、この世の中、弱肉強食なので、弱い立場を強いられたら這いあがることが出来ないんです。たとえは違うかもしれませんが、南アフリカのスラムに生まれたら、そこから、這い上がり、幸せな人生を送れる人はエトゥーというサッカー選手、一人だけですよ。あとはマフィアやドラッグ中毒が関の山でしょう。

そもそも、聴聞とは18願の心を聞く、南無阿弥陀仏のいわれを聞くことではないでしょうか。私は因果の道理や19願の諸善の勧めなどは聴聞ではないと聞きました。ちなみに私は30代後半です。

投稿: 阿波の庄松 | 2010年7月17日 (土) 17:54

あれ、まる1日見てなかったら、勝手に進行していますね。お二人さん、お手柔らかに。

まあ、それはともかく本題。Anneさん、saishoさん、阿波の庄松さん、そして、お久しぶりのねこ丸、皆さん、励ましてのコメントありがとう。5周年に向けて、とにかく歩きだしました。

K.Yさん、調子はいいですか? まあ無理せずに、自分のペースでいきましょう。

投稿: かりもん | 2010年7月18日 (日) 01:26

阿波の庄松さん、皆様、すみませんでした。こんなところで偽善者ぶっても、煙たがられるだけで、何にもならないですね。

投稿: K.Y | 2010年7月18日 (日) 02:09

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