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ロバ、犬(番犬)の集い

 今年の「壮年の集い」は、仏青のように、壮年幹事によって、運営、進行。これまで曖昧だった、年齢制限も、今回から厳守されるようになったわりに、参加が多かったのは、有り難かった。でも、あれれ? あんなに盛り上がった、「旧日校や子ども会」の同窓会からの参加は誰もなく、ちょっと寂しいかなー。子ども大会からの参加者も、ぼくも含めて、3名ほど。学生時代から仏青出身者もほとんどなく、仏青からの継続者も、全体では1/4程度かもしれなかった。ほとんどが、ここ、3、4年以内に出会った人が中心で、40代、50代の男性が多いが特徴。

 みんな、仕事に、家庭に、いろいろとたいへんな年代。

 なかには、癒しを求めて参加している人もあったようで…。たんへんな世の中、気分時にはわかるけれど、ここは迷いを「超えていく」「出て行く」世界を聴くところ。

 というわけで、グリム童話からお借りにして、こんな法話から始めました。

 昔、神様が、人間は万物の霊長として、動物の上に立った楽しい人生が約束されるかわりに、その楽しい寿命は、たった20年(一般にはここが30年だけど)。

 でも、貪欲な人間はそれでは満足せずに、ロバから30年、犬から20年、そしてサルからも20年の寿命をもらって長寿になるけれど、それでも、まだ不満げ。

 だから、親の庇護のもと、仕事やお金の憂いもなく、自由にあそびれる子ども時代、青年時代は短く、20数年もすると、このあとの30年は、ロバのような重労働の毎日が続く。この炎天下に汗水を流しながら、時に鞭に打たれて、背負いきれないほどの重荷を運び、しかも粗食に甘んじること、30数年。

 しかし、どうにか一国一城の主となり、少しは財産ができたので、藁のような粗食から肉をもらうようになったけれど、結局は、鎖につながれた範囲だけの自由で、歯を剥きだにして、番犬として、犬小屋のような家や財産を減らないように、それを守るために、昼も夜も休むことなく、神経をすり減らしつづけるも、20数年もすると、番犬の歯も抜け落ちて、足腰も弱ってくれる。

 そうなると、あと待っているは、子どもや若者にバカにされ笑われながら、腰も曲がり、しわだらけになり、サルのような人生が続くが、それでも、飽き足らずに、まだまだ長生きすることだけに執着し続けている。

 では、最後は、なにが待っているのか。

 扇は末広がりではなく、実は、末しぼみの人生。あとは、大無常の死が、ポッカリと口を空いてまっている。そして、汗水垂らして、財産や家族を貯めるために作った、罪業だけが道ずれになっていく。

 それが、最後に「浄玻璃の鏡」に、ありのままに写し出される。別名、「業鏡」。ありありと映し出されていく私のほんとうの姿こそ、法蔵比丘が覩見くださった、私の本性の姿そのもの。

 最後の全体会の振り返りで、「これまで閻魔さんが怖い人だと思っていたけど、自分の罪業が恐ろしいですね」と発言した人がいたけれど、その通り。厄も、災難も、外からやってくると思っているけれど、自分の中にこそ、恐ろしい災いや厄が満ち満ちているわけですね。

 ところで、今回は年齢制限で、悲喜こもごも。きっと「壮年の集い」という名称だからなので、「ロバと番犬の集い」とすれば嫉妬されない? しかも、そこを卒業する時には、「サルの集い」も、そろそろ立ち上がりそうですしね。

 そもそも、ロバや犬や、サルとしての生きざまでなく、「はやく人間になりたい」にならないとね。人間だけが、仏さまになることができるわけすから。もっとも、自利利他円満で、働きずめの仏には成りたいとは、なかなか思ってませんが…。

 火の粉ではなく、火の元を消す教えなんです。

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