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2010年7月の26件の記事

明日から仏の子供大会

明日から、3泊4日間の仏の子供大会。

華光会でいちばん長く、かつ準備もたいへん、お世話もたいへんな、でも、それだけ意味のある大会がやってくる。

子供の成長は(人の成長もそうだが)、お湯をかけて3分と、インスタントとはいかない。大会中も、ほんの短いの行事のために、何時間もかけて準備をする。子供大会の法話もそうだ。レジュメを造り、予行練習もしていく。それでも、実際は、10分ほどで終わる。効率という点だけでみれば、割に合わない仕事だ。しかし、速攻の成果だけでは、計れない長い長いお育てのたまもので、私が仏縁にあいえたことを思えば、この大会の深い意味も知れて来る。

今回は、初めての会場で、不安もある。下見は先生方に一任しているので、ぼくもまったく初めて。会場も、追跡ハイキング、海水浴、キャンプファイヤーと、初対応なので、緊張もある。

子供は少なめ、先生も少ない。その割には保護者は多い。でも、少数精鋭の方がもりあがるだろう。

遅れていた準備も、どうやら前日の今朝から急ピッチで進んで、さきほど、だいたい終えた。ほんとうと、数日前に終わっておかないといけないことばかり。今年ほど、事前の仕事がうまくいかなかったことは、近年では稀だ。これは反省もしている。やはり柱になる中心者が必要で、今回の先生方でも、随分、経験や熱意の差があるのは、気になる。これからは、もう一つ若い世代(大学生世代)へのつなぎも、大きな課題になっている。少々、打ち合わせもラフになってしまったが、それでもどうにか開催にこぎ着けた。

大事なお子さんを預かるのである。まずは、4日間、事故や病気もなく、安全に進行することを願うばかりだ。猛暑の中での大会となるが、どうか実り多く、かつ法り深い集いになればと願っている。

昨年は、華光会館が会場だったので、毎日、速報をだしたが、今年は、しばらくここもおやすみ。報告は、後日に…。

では、行ってきます。

参加の皆さんも、どうかお気をつけてお出かけください。

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いよいよ最終段階

最終稿の第5校正を出版社に渡せた。

 夕方5時の約束が、どうにか慌てて、4時30分に、終えることができた。

 頁が確定してので、上下巻の合わせた和讃の索引も作製したのだが、これかなかなかたいへんだった。最後に残っていた「あとがき」も、凡庸な記事だが、書き終えた。いちおう、ぼくが書かねばならないことはすべて終了。

 これだけでも、かなり重荷が取れて、ホッとした気分である。

 しかし、まだすべて終わったわけではない。「索引」や部分、今回新たに渡したことろの校正が、あと1~2度はあるのりが、本文に比べると、量は少ない。一応、そちらはお盆前までには、すべて終える計画である。

 ちょうど、昨年の子供大会の前に、上巻の作業をしていたことを思い出した。それが、上巻の初校だった。1年2ケ月に渡って作業がつづいたが、どうやら最終盤に差しかかってきた。

 8月末に、おいしいお酒が飲めそうだなー。楽しみ。

 すべての仕事がおわり、発行の日時が決まれば、またお知らせします。頁数の関係で、上巻より、200円程度、安くなるかもしれない。

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仏縁

  さて、福岡での法座。

 この地にも、お釈迦様の尊いお命が捨てられているおかげで、いま、ご法縁が結すばれるわけです。

 少しずつだけれども、九州も、人のつながりご縁が広がっている。初めてお参りくださる方、ネットだけでこられた方もある。そうかと思うと、子ども大会からのメンバーが、いつのまにか4名も揃っていて、仏青大会と間違えそうだ。

 昔の華光同人のお母様のご縁で、華光会館にやっとやっとたどりつかれた方の記事を書いたことがある。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-352a.html
 その方が、今度は、妹さんや、姪御さんなど4名でお参り。特に妹さんは、終始、本人も分からないまま、泣きながらのご聴聞。これもひとえに、お母様のご威徳のたまものである。最後に、お声をかけたら、また泣かれた。どうか、お母様が、聞き抜かれた後生の一大事の解決に焦点をあてた聴聞に進んでもらいたい。

 また、この1年にわたり各地の法座に熱心に聴聞し続けておられた方がある。(この方には、何度めの「重誓偈」のご法話になるのだろう。重ねすぎ?)。座談で、「聞けない自分、変わらない自分」に出会って、聴く心のない私にこそかけられたご本願の尊さに、涙してくださったことが、とてもうれしかった。自分はまったく変わらない。でも、その変わらない自分に、ほんとに出会うと、変わらないままで、実は変わっていく不思議があるんですね。だって、分かるはずのない南無阿弥陀仏に、この私が願われているのですから。そのことに、初めて触れる身になったのだから、こんな大転換はない。傍目からも、最初の聞法姿勢からは、著しい変化。それにしても、妙だなー。発言は、「私の中味、本質はまったく変わらない」というのに、実は、その内実の変化が著しいのだから…。

 その聴聞の姿勢が、ほんとうに尊い。

 阿弥陀様は生きて働いておられる。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、働いておられる。

 いろいろな方に出会うにつけて、一座、一座の法座、ひとりひとりのご縁を大切にしていかねばと、改めて思わされた法縁だった。

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袖触れ合う他生の縁

 福岡市天神にある会計事務所での法座に向かう。

 夏休みに入った最初の週末。新幹線は混んでいる。ネットで座席の予約状況が分かるが、1週間前に予約したら、窓際のE席はすでに満席。3人席の窓側に、ほんの少しだけ空席があって、慌てて押さえた。博多までなら3日前の早割が、とても安い。

 ところが、京都駅で乗車する、既にぼくの座席に男性が座っておられる。座席表の号車や座席番号を何度も確認して(たまに列車を間違れられたこともあるが)、読書中の男性に、「あのすみませんが…」と声をかけたら、「ハイ、ハイ。隣です」と、すぐに移られた。通路側にも人がいたら、真ん中を開けて座ることも、よくあることだ。

 お二人もと大きな荷物。「すみません」と立ってもらって、奥に入った。が、こんな時は、自分の座席表(チケットレスで切符ではない)を間違ってないか、ちょっと気持ち悪くて、なんとなく何度も確認してしまう。

 いつもなら、すぐに読書を始める。今日は、和讃本の校正作業と、お昼からの法話の教案の整理もある。会計事務所のセミナールームなので、職員や初参加があれば、講演的な法話も考えておく必要がある。結局、書類は広げずに、なんとなく法話のことを、あれこれと考えていた。

 しばらくたつと、隣の男性が、「博多までですか」と話しかけてこられた。「ハイ」と返事したら、ニコニコと、「いま読んでいる本がとてもおもしいろいですよ」と話し始められた。最初は、「ハアハア」と曖昧な相槌を打ったが、よほど感銘深かったのだろう。「著者は、かなりのインテリジャスで、これも、いわゆる江戸時代礼讃でも、単なるナショナリズムに陥ることなくて、幕末から明治にかけての外国人識者の日記を精査し、彼らの言葉によって、江戸時代に再照射し、エルフ(妖精)国に、西洋的な法や権利の思想を持ち込んよいのか葛藤があったようですね……」と、滔々と解説が続いた。渡辺二著の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)。うん、管見にして、著者の名は初めて聴くが、ぼくも関心が起こって、こころの中にメモをしながら、「ハイ、ハイ」と、話を窺っていた。

 反応がよかったのか、「ご本を読むのはお好きですか」と尋ねられた。 「エー、まあ好きな方ですね」(もっといまは映画ばかりだが、今日は、河合隼雄の『生と死の接点』を読む予定だ) と答えると、「実は、私も著述がありましてね…」と、ご自身の本の説明をされた。『利他性の経済学』という題だそうだが、ちょっと、「利他」のフレーズが、、ピンときた。たって、ぼくはこれから、「自利利他円満」の極致である南無阿弥陀仏のご法縁に出かけるのでから…。

 なぜか、名刺まで頂戴したら、有名な国立大学の博士で、「ああ、ここの大学教授で、以前、華光同人だった方もおられたな」ーと、そんなことを思い出した。これから大阪で講演会だそうで、そのチラシも見せていただいたが、単なる経済、経営学のことではないことが分かった。

  で、ぼくのことも尋ねられたので、浄土真宗の僧侶だと名乗ると、「道理で、いいお声ですね」。ああ、それはちょっとどうかなー。でも、逆にそこから話題は出る。「葬儀や勤行を第一にせずに、仏教本来の、いま活きている私達に届く信仰活動をしているんです。これからも、福岡のお寺ではなく、会計事務所での講演会でしてと…」と、若干だが、華光会の活動にもお話した。残念ながら、ぼくの名刺はカバンの奥に入って取り出せなかったが、足元の紙袋に10月の東京公演会のチラシが入っていた。まあ、こんなもので悪いですが、「もし、ご因縁が整えばお出でください」と、お渡しておいた(講演無料だし)。連れ合いの絵も誉めてくださっていた。せっかくお話が弾んだが、すぐに新大阪に到着。時間にすれば、ほんの10分足らずの短時間だが、なかなか興味津々の時間となった。

  これも「他生の縁」ですよね。

  また、どこかでつながるかもしれない。

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暑い

 とにかく、暑い。

 皆さん、元気にお過ごしですか?

 17日に、梅雨が明けてから、厚い雨雲に覆われていた空が、一転、真夏の空に。そこから連日の猛暑だ。京都も、連続の猛暑(35度超え)日。昨日は、37、5度と、微熱の体温を超えた酷暑が続く。

 Img_1301とはいっても、ぼくは、寒さよりも暑い方が好きだから、不快とは思っていない。

 仕事の合間に、自転車で移動して、逆に気分転換をしている。確かに、日中の熱風は痛いぐらい強烈だが、真夏の太陽にあたれば気分も変わる。

 仕事は、和讃の作業の追い込みだ。最後の校正で、産みの苦しみに直面。本文の校正はあらかた完成したのが、問題は、索引の部分。思った以上に作業に時間がかかって、苦労している。PCでの自動検索は機械的で、かなり不備がある。353首を1首、1首、手作業で確認し、内容を記載している。

 今週末は、子ども大会の準備のために法座が入れなかったのに、父に変わって、明日から、福岡での法座を引き受けた。しかも、和讃にばかりに関わるわけにもいかず、来週の金曜日からの「仏の子ども大会」の準備が遅れいてる。今回は、京都に助っ人も少なくて、しかも初めての会場というとこもあるので、事前準備に不安を抱えているのだ。

 この先の日程を考えると、ぼく自身も、不安になってきて、眠れなくなて、朝も早くから目が覚めた。おかげて、今日は、イライラとした一日。火曜日までに、和讃が完成しなけれど、あとは、「子ども大会」以降に延期してもらうことになるだが、そうなると、お盆にかかって、大幅に遅れる。なんとかそれは避けたいが、どうなることやら…。

 和讃の合間に、不在日の子ども大会の仕事の段取りをつけ、お盆参りの連絡など、いろいろあった。早く、明日の準備に移らないと…。公認会計士の先生の事務所で、一般にも呼びかけた仏教講演会もある。http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/kyusyu2010-7.htm

Img_1305 さあ、これからの1週間、猛暑のなかで、法座、和讃、子ども大会と綱渡りとなりそう。いかに気分転換し、集中して作業をするかだなー。

 そんなときに、こんなうまそうなお中元が届いた。猛暑には有り難い。ヘエ-オーストリア、ベトナム、チェコ、フィリピン、イタリー、タイ(これはタイで飲んだ)のビール。暑いときには、いちばんの気分転換。ありがとう。ご馳走さまです。

 

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ロバ、犬(番犬)の集い

 今年の「壮年の集い」は、仏青のように、壮年幹事によって、運営、進行。これまで曖昧だった、年齢制限も、今回から厳守されるようになったわりに、参加が多かったのは、有り難かった。でも、あれれ? あんなに盛り上がった、「旧日校や子ども会」の同窓会からの参加は誰もなく、ちょっと寂しいかなー。子ども大会からの参加者も、ぼくも含めて、3名ほど。学生時代から仏青出身者もほとんどなく、仏青からの継続者も、全体では1/4程度かもしれなかった。ほとんどが、ここ、3、4年以内に出会った人が中心で、40代、50代の男性が多いが特徴。

 みんな、仕事に、家庭に、いろいろとたいへんな年代。

 なかには、癒しを求めて参加している人もあったようで…。たんへんな世の中、気分時にはわかるけれど、ここは迷いを「超えていく」「出て行く」世界を聴くところ。

 というわけで、グリム童話からお借りにして、こんな法話から始めました。

 昔、神様が、人間は万物の霊長として、動物の上に立った楽しい人生が約束されるかわりに、その楽しい寿命は、たった20年(一般にはここが30年だけど)。

 でも、貪欲な人間はそれでは満足せずに、ロバから30年、犬から20年、そしてサルからも20年の寿命をもらって長寿になるけれど、それでも、まだ不満げ。

 だから、親の庇護のもと、仕事やお金の憂いもなく、自由にあそびれる子ども時代、青年時代は短く、20数年もすると、このあとの30年は、ロバのような重労働の毎日が続く。この炎天下に汗水を流しながら、時に鞭に打たれて、背負いきれないほどの重荷を運び、しかも粗食に甘んじること、30数年。

 しかし、どうにか一国一城の主となり、少しは財産ができたので、藁のような粗食から肉をもらうようになったけれど、結局は、鎖につながれた範囲だけの自由で、歯を剥きだにして、番犬として、犬小屋のような家や財産を減らないように、それを守るために、昼も夜も休むことなく、神経をすり減らしつづけるも、20数年もすると、番犬の歯も抜け落ちて、足腰も弱ってくれる。

 そうなると、あと待っているは、子どもや若者にバカにされ笑われながら、腰も曲がり、しわだらけになり、サルのような人生が続くが、それでも、飽き足らずに、まだまだ長生きすることだけに執着し続けている。

 では、最後は、なにが待っているのか。

 扇は末広がりではなく、実は、末しぼみの人生。あとは、大無常の死が、ポッカリと口を空いてまっている。そして、汗水垂らして、財産や家族を貯めるために作った、罪業だけが道ずれになっていく。

 それが、最後に「浄玻璃の鏡」に、ありのままに写し出される。別名、「業鏡」。ありありと映し出されていく私のほんとうの姿こそ、法蔵比丘が覩見くださった、私の本性の姿そのもの。

 最後の全体会の振り返りで、「これまで閻魔さんが怖い人だと思っていたけど、自分の罪業が恐ろしいですね」と発言した人がいたけれど、その通り。厄も、災難も、外からやってくると思っているけれど、自分の中にこそ、恐ろしい災いや厄が満ち満ちているわけですね。

 ところで、今回は年齢制限で、悲喜こもごも。きっと「壮年の集い」という名称だからなので、「ロバと番犬の集い」とすれば嫉妬されない? しかも、そこを卒業する時には、「サルの集い」も、そろそろ立ち上がりそうですしね。

 そもそも、ロバや犬や、サルとしての生きざまでなく、「はやく人間になりたい」にならないとね。人間だけが、仏さまになることができるわけすから。もっとも、自利利他円満で、働きずめの仏には成りたいとは、なかなか思ってませんが…。

 火の粉ではなく、火の元を消す教えなんです。

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月例会の帰りに

 月に1度の、真宗カウンセリング研究会の月例会。長年、ここの世話役を勤めている。

 ぼくが担当してから、2度目のロージャズの「必要十分」論文。

 いまは、不一致から、自己一致の項目を読んでいる。傷つきやすく、不安で、(感情的になったり、防衛的だったり、閉じてしまったり)する、経験課程と気づき(意識)や表現の不一致状態に対して、経験過程に開いている、いま、ここの自分であって、純粋で、透明で、全体性、統合されいる、自己一致について、さまざまな角度から活発に話あわれた。ぼくのさやかな経験の上からも、いろいろと感じることが多かったなー。

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 帰路、会場の龍谷大学の深草キャンパスを歩いている、こんな掲示伝道が…。法句経の有名な一節。
(暗闇で、写真はちょっとボケてしまったが…)

 生死(しょうじ=迷い)を超える(離れる)のが、仏教の教えだ。

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『ローラーガールズ・ダイヤリー』

Rollergirls_01

 「日米対抗ローラーゲーム!!」と、司会(土居まさるだった?)の声。東京ボンバーズ、佐々木陽子、「コールオフ」と宣言して腰に手を当てて…。味方の手や足で助走を付けてホイップする。走るブロレスとして、そのスピード性と、格闘技の醍醐味、さらには「日米」対抗というのも、受けた要因か。ああ、けっこう覚えているもんだなー。

 毎回、テレビで観戦して、ローラースケートもできないのに、みんな真似をして遊んだものだ。でも、それは、ぼくが、小学校の高学年の1~2年間限定。ローラースケートを買おうとみんなが言い出したころには、ブームは去っていくところだった。35、6年前のことだろうか。当然、30代や年輩の方には分からないだろう。局地的な狭い範囲で、40代後半から50代ぐらい世代の方で、懐かしく思う人もいるかもしれない。

 限られた時機、日本中で、大ブームを巻き起こし、あっという間に飽きられるスポーツがある。ぼくの子ども時代なら、ボーリングと、キックポクシング(沢村忠)、そしてこのローラーゲームが、それだ。もっとも、ボーリングは、観るスポーツから、やるスポーツに、キックも、K-1などに分裂したり、発展したりしているが、ローラーゲームだけは、数年で、見事に飽きられて、一般には消えていった。いまから考えると、ボーリングや、ローラーゲームは、男性よりも、女性の参加が好まれたのだろうか。男性5人女性5人で、男女別に得点を競い合ながら、時に、男女混戦での乱闘シーンもお約束だったような気がする。当時は、プロスポーツや、格闘技は、男性のものだった。それだけに、小柄な日本女性が、巨大なアメリカ人、時に男性と血みどろになって戦う姿は、確実に、当時の日本人の何かをくすぐるに、十分なものだった。

 で、なんで、こんな懐かしいことを急に書くのかというと、ローラーゲーム(アメリカでは、ローラーダービー)に、青春をかける女性が主人公の、『ローラーガールズ・ダイヤリー』を観たからだ。

 アメリカでは歴史も古く、いまでもさまざまなリーグーもあって盛んだというのだ。しかも、男性でなはく、女性のスポーツとしてだ。もっとも、盛んといっても、メジャーではないだろう。この映画の中でも、憧れて飛び込んだ主人公が、入団テストの時に、「ところで、ルールを教えて」と、尋ねるところから始まる。もちろん、これは観客向けでもある。各国に配給される時のものだろう。それだけに、試合の様子が、たびたび登場してくる。

 もっとも、ぼくには、子どもの時のような、ワクワク感はこのジャムからは感じられなかったなー。場外乱闘や、敵の協力なしでは絶対不可能な大技など、もっと演出されてたのかもしれない。もっとも、映画自体は悪くなっかった。

 ドリュー・バリモアの初監督作。どこかで、自分の子ども時代(彼女の場合は、映画世界だけど)を投影している作品にもみえたが、なかなか爽快な青春エンタテインメントといっいい。

 アメリカの片田舎町で、母親の果たせなかった夢を実現させるために、優等生美人コンテストと、退屈なバイトを過ごす、17歳の女子高生。ある日、ローラーゲームに出逢って一変する。高校生の妊娠物語(これはいい作品)『JUNO/ジュノ』のエレン・ペイジが、好演。娘に、自分の夢を投影する母親、日々不満を持ちながらも、夫婦円満を第一に、首をすぼめて生きる父親…。母子物語なので、母親役の評価が高いけれども、個人的には父親が素敵だと思った。夢を実現するために、家を飛び出す娘。両親を責める捨てぜりふを残す。愛娘に痛いところ詰られながらも、その娘の謝罪を素直をと受ける。「もう忘れたよ」とサラリ。かっこいいなー、こんなセリフ言ってみたいな。

 難をいえば、どれだけ天性のものがあったかしらないが、ド素人の高校生が、この一癖も二癖もある女性集団の中で、簡単に頭角をあらわすのは、ちょっと不自然か。でも、まあそれもいいかなか。

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情報提供(アンコール放送のお知らせ)

 華光同人の丸山顕子さん出演された、NHK第2ラジオの「宗教の時間」が、アンコール放送されるそうです。以前、聞き逃された方、ご存じなかった方もどうぞ。

題: 「心は変わることができる~仏さまに出会って」

アンコール放送:NHKラジオ第2放送

日時:8月1日(日)午前8時30分~9時
       8日(日)午後6時30分~7時

聞き手:金光寿朗氏。

 聞き手の金光さんは、林先生のご縁で、西光先生、そして増井先生、さらに長谷川晴保氏の、NHK教育テレビの「こころの時代」やラジオの宗教の時間に際して、何度もお世話くださり聞き手にもなってくださっている方です。華光会館へも収録にお出でになりました。今回も、不自由な体を押して、丸山さんの住居にまで、機材を運び収録されたそうです。

 http://www.nhk.or.jp/kokoro/future/index.html

 以前も紹介しましたが、丸山顕子さんは、生まれて初めて故郷を離れるのに際して、まずは、華光会館に住み込みで仕事のお手伝いをされながら、自立の訓練をされていました。当日は、まだまだ精神的にも不安定な時代でしたが、これまで度重なる自殺未遂を乗り越えて、華光会の先生方や同行、真宗カウンセリングのメンバーなどの物心両面からの援助もあり、その後、働きながら一人暮らしを始められています。その後のご活躍の様子は、皆さんご承知のとおり。

  機会がありましら、お聞きください。

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キノコ

事務所にある観葉植物の木。

重いので、ずっと事務所の中におかれている。事務所は、直射日光が入らないように、だいたいブライドがしたある。

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ジメジメとして長い梅雨が続いたある日。

ふと、連れ合いがこんなみのを見つけて、みんなびっくり。

立派なものが、ニョキニョキとこんなに育っているではないか。

決して誰かさんが、食料品代わりに育てていたわけではない。その方の突然の笑い声やハイテンションは、決して、このキノコのせいではないのだ。

  その締め切った事務所でも、しっかりキノコの胞子が飛び交っていたのが、なんとも不思議、かつなんなとく不気味な気分。

しかも、1日で、グングン伸びた、またみんなびっくり。

翌17日から、山鉾巡行に合わせて、梅雨も明けた。

一転、真夏日が続く。

事務所もしっかり換気されるようになった。

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祝! 10周年

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 いつもお世話になっている、自力整体教室のナビゲーター(先生)の、教室を開設10周年のお祝い会を開いた。

 今年の2月ごろだが、たまたま教室で、「自力整体を始めて何年になりますか?」というアンケートがあった。初Img_1292めて体験したのが、連れ合いが骨折したリハビリがご縁。子どもの年から、指折り数えてみたら、2002年2月のことで、ちょうど8年が経過し、9年目に入るところだ。そのことを、先生と話していたら、「教室を初めてもう10周年になりますね」との答えが返ってきた。

Img_1260 ぼくは、初めての体験教室のあと、ヨガ教室に通っていた関係で、本格的に通いだすのは7月からだが、それから、ほぼ毎週、毎月(4回)は、欠かさずに継続しているので、これはなかなか大したものだ。この教室では、いまでは、2、3番目の古株になっているようだが、同じように長年の経験者は、自らナビゲーターに、指導者になっておられるので、いまだに生徒として、定期的に通っている中では、いちばん古株なようだ。Img_1274

 先生には、日頃から、ぼくら夫婦だけでなく、両親もお世話になっているし、他力信心の華光の方でも、こちらの自力(自然治癒力の略)に熱心な方もおられる。「10周年になるのなら、ぜひ、お祝いしましょうか」と、お約束した。すぐに、長年の生徒さんを中心に発起人に名を連ねてもらい、日時を決めた。土曜、日曜の昼間Img_1264、ぼくの都合がよいのは、今日だけ。宿泊法座の「壮年の集い」の前日なので、空いている。会場のマチャプチャレの都合もよく、会費などを決めて、案内状を作り、皆さんに呼びかけた。残念ながら、いま教室にこられている方が中心になったが、(主婦を中心に)平日の昼間の方が都合のよい方も多く、残念な方も多かImg_1265ったが、それでも、多くの方が関心をもってくださった。

 いろいろと忙しかったので、内容もお祝いの品も、すべし一任してもらったので、仕事はスムーズ、かつ効率的に進んで、負担はほとんどなかった。

Img_1261  会場は、川端、正面通にあるオーガニック(自然食)のお店、マチャプチャレ。ゆうこの絵で飾られているお店。外で、皆さんをお迎えしていて初めて気付いたけれど、正面通をまっすぐみると、豊国神社の鳥居が見れる。大阪冬の陣のきっかけにされた、「国家安康」の大梵鐘がある方広寺も隣で、その手前には、耳塚もあって、いわば豊臣ワールドの地である。Img_1270

 ちょうど20名が出席。そのうち、男性は3名(夫婦連れが2組)と、教室の割合からみると大目。年齢からみても、連れ合いや幼稚園仲間のお母さんでも若手になる。だいたい、40~60Img_1272代の、女性の方が集まっておられる。ほんとうの若手は、ひとりだけ。少し前まで学生だった男の人が混じっていが、彼は、筋ジスで筋萎縮と筋力低下と戦いながら、ひとりで働きながら頑張っておられる。自力整体のおかげか、医者が驚くほどの進行具合だそうだ。参加してくれて、ありがとう。Img_1267

ぼくが、司会進行。皆さんの自力整体とのかかわり、いまの思いなどを、ひとりひとり語ってもらって、お祝いの言葉にした。和気あいあいと笑顔で、時に真顔で皆さんの言葉が、とても温かかった。もちろん、今回は、生徒さん同士の交流も含めて、企画、呼びかけをしたので、その点でも、お顔しかしらなImg_1279_2い人とも、またお近づきになれて、楽しかった。

 今日は、野菜を中心にした、ベジタリアンの料理で。ハムにみえるのも、違う。写真は一部で、豆腐やきのこもおいしくて、こちらも、満足した。長年のおつきあいで、大サービスしてもらったようだ。最後に、茗荷と生姜、韓国糊のチラシ寿司が出たが、残ったものをいただいて、わが家の夕食になった。

 料理も、飲み物もおいしかったし、皆さんの話題の内容もとてもImg_1285充実していて、2時間の予定が大幅延長で、結局、4時間ほどお世話になっていた。ここは、無用な冷房(クーラー)はないが、それでも、ゆっくりしたいと思える空間が有り難い。

 先生には、連れ合いの見立てで、例の堀田医師お勧めで、宝石テラピー用のオリジナルリングをプレゼントした。なかなかいい色合いもいいなー。

 皆さんも、喜んでくださり、ぼく自身も楽しいひとときをすごさせてもらって、満足の集いだった。

 ありかとう。

 これからもよろしく。 

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宵山

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 拙ブログも、この時期になると、必ず祇園祭の話題である。

 それが、鉾立てだったり、曳き初めだったり、または、17日の山鉾巡行(たとえば、この記事)http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_0723.htmlだったりImg_1227する。

 実は、わざわざというより、京都シネマで映画を見たついでのことが多い。四条烏丸にある関係で、映画館のビルが鉾に囲まれているからである。

Img_1232_2

 それで、今年も、14日に『モリエール』、15日に『ローラーガールズ・ダイヤリー』と観たついでに、雰囲気だけは味わった。しかし、残念ながら、両日とも、天気は優れず、昨日は、雷雨と共に土砂降りになったかと思うと、急に、どんよりとして黄色の空気に覆わImg_1194れる、妙な天気だった。

  今日は、久しぶりにいい天気で、気温も上がった。子どもを、一度、宵山に連れていこうという話になった。ところが、夕方には、雷雨である。HPの検討や和讃の校正、そして明日の準備もあるのImg_1193で、雨ならやめておこうと言っていたが、微妙なことに、6時前にはあがった。

  久しぶりの、(わざわざ)宵山である。地下鉄から、烏丸御池に昇ると、烏丸通はすでに歩行者天国になって、両側にImg_1196屋台が出ていた。駒形提灯に明かりがともり、いい風情。といいたいところだか、たいへんな人である。前日までが大雨で、例年に比べるとかなImg_1201り人出が減少していたらしいから、連休前の金曜日に人出が集中しているのだろう。

 例年、四条通りは避けて、いつも、 三条通あたりから、室町通り、新町通りの山や鉾を見Img_1203ることが多いが、今年も、このあたりから、山や鉾を見て、路地に入って 会所飾りを見ながら、ブラブラと歩いた。

Img_1221

 何度もの大火で山が消失したままで、復興がまたれている「鷹山」の会所飾りを見つけたので、初めて見せてもらった。

 宵山は、別名、屏風祭ともImg_1214言われて、町衆たち飾る、家宝の屏風や骨董を見ていくのも楽しみの一つで、けっこう覗いた。

 しかし、子どもたちは、そんなものはどうでもいい。夜店での買い物と、外食が出来るのが楽しみで、お祭りにきいてる。かき氷を食べたImg_1229_2 り、ヨーヨー釣りをしたりして、楽しんでいた。

 弘法さんの縁日の屋台もそうだか、ここImg_1253外国人の姿が目立った。浴衣を着ている人もおおかったが、宿のパックになっているのだろう。それより、観光客というより、夜店も国際化が進んでいて、近くでは、トルコアイスクリームを売っていた。あんまImg_1222_2り祭の風情じゃないけどね。

 そうそう、関係ないといえば、途中開放されていた、専門学校で、こんな妙なものと記念撮影もして、二人は喜んでいた。ぜんぜん、これは関係ないImg_1250が、いちばんうけた。

  最後は、少しコースを外れて、夕食を食べて、わざわざ四条通の雑踏の中に戻って、帰って来た。これだけの雑踏の中を歩くのも、ちょっと違った経験で、どこか新鮮。地下鉄までが、通勤列車のようで、満員だった。

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5年目突入だ!

 別の記事(『ローラーガールズ・ダイヤリー』という、ローラーゲームにかけた乙女の青春成長物語の映画)を書こうと思っていたら、昨日が7月14日。忘れてました。

 2006年7月14日に始まった「かりもんブログ」も、まるまる4年が経過したんですね。

 というわけで、今日(えーっと昨日から?)、5年目に突入

 最初は、手近な目標(とにかく1年は続けよう、10万アクセスまでは頑張ろう。それが、3年になり、20万を目標にし)と、何かを目標に続けてきました。いまでは、特に何もなく、知らぬ間に5年目。継続は力です。

 この間、アクセス数は、26万5600を超えました。記事数は1325個。すべて、バックナンバーをクリックしていただくと、隅々まで読めますので、お暇な方はどうぞ。コメント数も、1226個と、同数ぐらいいただいています。もちろん、消去されたH系のスパムコメントは含まれません。

 いつ、「しばらく、おやすみします」になるかもわかりませんが、まあ、特に目標もおかず、気楽に続けきます。

 どうぞ、続いている間は、ご贔屓に

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東京国立博物館

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 6月の最終日、東京法座の後、午後から少し時間ができたので、上野にある東京国立博物館に行くことにした。全林野会館から、プラプラ歩いてJR大塚駅の山手線へ。こちらから回るのなら、上野駅ではなく、鴬谷駅が近いらしい。駅から、100Mも歩くと、すぐ博物館の敷地があった。しかし、そこから、正面口までは少し距Img_0974離があって、先に、国立科学博物館のクジラが観えてきた。でも、今日は、ここも国立西洋美術館などの数々の美術館も、素通りにして、東博へ。

 日本の国立博物館は、長らく東京、京都、奈良の三カ所だけだったが、平成になって、九州に一つ増えた。京都や奈良は、場所柄、仏Img_1000や仏像関係のものが多い気がする。それに対して、東京は、縄文(出土品)から近代にかけての日本美術が体系的に集めてあるし、何より規模が違う。随時、国宝の展示替えもあるようなので、常設展だけでも、かなり楽しめそうだ。Img_1033

 平日の昼間だったので、とても空いていた。しかもそれは、時折訪れる、学生グループを除くと、断然、海外の観光客の方が多い。

 しかも、予想以上に規模が大きかった。メーンの本館(1、2階)は、日本の美術史が体系的に展示されていた。オリエント美術が中心のImg_1049表慶館、法隆寺から献納された(聖徳太子時代ものもある)宝物が常設される法隆寺宝物館は、正倉院と並び名宝がある。そして、発掘文化(考古)財を展示する平成館。その上、東洋館は耐震工事中、黒田記念館も休館日だったが、もう4ケ所でも、回るだけでもかなりたいへんだった。Img_1079

 何より、いちばん驚いたことは、国宝や重文でも、(フラッシュや三脚はダメだが)、写真もビデオもフリーだということだ。もちろん、ガラス越しではあるが、横に監視員がいるのに、最初はかなりドキマぎして、何度Img_1018も、確認をするほどだ。いろいろな美術館に行くが、こんなところは始めて。このケチケチしない太っ腹の精神には、驚いたなー。

 収蔵品もだが、重文に指定されている建物はそれぞれ荘厳だし、逆に、古いものが収納されている場所ほど、新しImg_1026いモダンな建物だったのも、印象的だった。

 いろいろな意味で、仏像関係や法隆寺の宝物にはこころを引かれた。あと、いちばん、最後にみた発掘文化財の意匠が、とてもおもしろく気に入った。みんな、教科書にImg_1058出ているやつばかりだ。

 ただ、広いわりにレストランや飲食場所が少なかったのと、一カ所が工事中で、ホテルのレストランが一カ所だけで、これはちょっと寂しかった。

 結局、3時30分ほどみたが、最後は、駆け足となImg_1087って疲れた。

 ちみなに、料金は、驚きの600円也。これは、すごーく安くて、お勧め。

 帰りは、上野公園を通って、上野駅から。出張続きで、新幹線のポイントが溜まっていたので、グリーン車が利用出来た、これまたラッキー。

 いろいろ写真を撮ったので、また紹介します。

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浅野屋洋食店

 拾遺篇の第2弾。

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 名古屋での通夜の夜は、参列の同人の方と、久しぶりに浅野屋洋食店へ。もしかして、ブログを開始後、初登場か?

 今回は、式場-ホテル-浅野屋が、それぞれが歩ける距離の範囲の中に、しかも同じ幹線道路沿い(つまり1本道)にあるのだから、移動は楽だった。もっとも、夏とはいえ、葬儀の衣体は大きくて、重いので、タクシーや姉の車で送迎してもらっての移動でしたが…。

 Img_0953楽しく会話も弾み、久しぶりの料理も、ワインもおいしくて楽しいひとときでした。

 もっとも、この近くが仕事場の人もあって、最近は、東海有志の皆さんも、ちょくちょくご利用くださっているようで、ありがたいです。まあ、少しImg_1192続くいたので、メニューを食べ尽くしてしまったという人もありましたが…。

 たまたま11周年(なんか微妙な感じ)の、プレゼント期間中で、迷わずに、ワインオープナー(ソムリエナイフ)にしました。別に、誰かさんのように持ち歩くわけじゃないですが…。いちばん、高そうだったんので、目敏く発見。

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 皆さんも、名古屋のお出かけのさいには、ぜひ、ご贔屓に!

 定休日は、水曜日。

 ノレンや看板の「浅野屋料理店」、そして、この「無碍道」の扁額も、すべて父の書です。

 みなさんと全体写真も撮ったので、お店の雰囲気がわかるけれど、目隠しをすると、みんな犯罪者みたいにみえるので、その写真は、パス。まあ、それはリンクしたHPでお確かめください。

 http://www.geocities.jp/asanoya15/

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平日の輪読法座で感じたこと

 珍しく月曜日の輪読法座。

 週末は、地方の出張や宿泊行事があるので、だいたい月曜日はOFFにして、映画を2本は見に行くと決めている。今日も、せめて、朝に1本と思ったが、雨も降っていたし、咳も続くので、無理をしないことにした。残念。

 久しぶりの平日の昼間、雨も強かったので、参加者が少ないかもと思っていたが、広島からの参加者もあり、おめでたで少し休んでいた人が、久しぶりに顔をだしてくださったりと、それなりに参加者はあった。

 巻頭言は、求道者の内的葛藤がテーマだが、少しだけ、かかわり側の問題点も指摘しておいた。このあたりは、カウンセリング態度や心理的姿勢にも、学ぶ必要を感じている。外側の言葉だけでなく、そのうちの中での変化や心境にも、敏感になって、その声なき声を聴かせてもらうことも大切なのである。

 「聖教」は、「選択本願は浄土真宗也」の一文。まあ、ここはかなり難しい表現があると、ぼくも思ったいた。

 案の定、中には、どうも難しかったと感じていた人もおられた。特に、聖教の質問から、最近問題にしている、大経の法蔵発願の段を説明をしたのだが、これが余計に難しく(というより、あまりにもスケールが大きくて、まさに超世の悲願で、人間の尺度では計れない)なったようで、その上、みんなのように、うまく発言もできずに、だんだんつまらなくなって、付いていけないというのである。ところが、ここからが不思議なのだが、そのあたりのつまらない気持ちを語ってもらって、それを、みんなが受容的に聞いていくと、その頑だった心が、どんどん開いてきて、「話せない」という口が、なぜか饒舌になっていかれた。しかも、聖教の話は、全部難しくてダメかというと、「正信偈のところは、とてもよくわかりました」と、そこは喜んでおられることが、ハッキリしてきた。すると、さきほどまでの、頑な顔が、にこやかな雰囲気になっていかれるのだから、なんとも不思議だ。

 ぼくたちの心は、簡単に、どちからに100%で決めつけていく。詰まらなかったら100%ダメとなる。まあ、そのほうが楽だから。でも、疎外感で、そこを表明しておこないと、次の参加もいやになることもある。それなら、その気持ちを正確に見つめ、表現することで、ほんとうは得をするのだ。外側の問題にしてもそうだ。質問を受けても、「ありません。わかりません」と片づけないで、丁寧に、ここはよく分かっておもしろかったが、ここがわからなかった。または、ここはつまらなかったが、それでもここまではOKだったとか、このあたりがわからないかったと、もし表現できるのならば、場に深みがでてくる。自分の気持ちだってそうだ。そのようにきめ細かく表現できるようになれば、話し手にとっても、聞き手にとっも、有り難いことだ。それには、自分の否定的な、もしくネガティブな気持ちに気づき、表現できるように、心がけてみることも肝要だし、そんな話題も語れる雰囲気の集いになっていかねばならないと思っている。その方向性は目指しているが、いくつかクリアーにしなければならない課題があることも、確かだ。

 終了後も、少し話が続いたが、出版社との打ち合わせがあるので、お開き。下巻の作業も、いよいよ大詰めだ。校正も、とうとうあと1回になった。そして、あとは、索引と、ぼくが「あとがき」を書けば、すべて揃う。そうなると、晴れて、8月中には発行の運びとなる。上巻が300頁だったのに対して、下巻は、240頁。少しは、値段が安くなるかもしれないが、このあたりは、まず中味が完成してからの相談。

 思えば、上巻の最初の校正作業は、7月から始まっていいる。間が開いた時機もあるが、1年の渡る長丁場も、来週で、いよいよラストスパートに。最後の詰めだ。

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仏の子ども大会の法話会

 朝の日曜礼拝は欠席したが、午後からは仏教青年会の例会を兼ねて、仏の子ども大会の法話検討会。残念ながら、参加者は午前中とまったく同じ人だけで、新たな参加はなかったのは、寂しい。いまの課題は、若手が増えているけれど、仏青や日曜礼拝の先生をやる人が出でこないこと。若い世代にバトンタッチできないまま、先生もベテランぞろい。実社会でも、教員や大学で講師をしているひと達が、活躍してくれている。その意味では、法話にしても、野外活動にしても、何も心配はない。みな子ども大会出身者で、この大会を愛してくれている人ばかりだ。ただ、それが20代の後半から30代の前半に差しかかり、出産や仕事も忙しくなっているので、この先の将来を考えると、若い高校生、大学生世代の育成が課題となっている。もっとも、まったく皆無というわけではない。今回も、高校3年生のMさんが、準備を含めて、フル参加をしてくるなど、その意欲がうれしいーもうひとりの参加者も、高校生のT君。まあ、カードは少なめだが、確実に意欲的な人はでている。中心になって動いてもらえるまでには、まだ少し時間は必要だが、ここは、根気よく、若手を育てていかないとなー。

いまのことろ、お世話の先生は、ここに集まった3名と、たまたま、同時刻に福岡でカウンセリング研修を開いてた3名、あと、名古屋の1名の7名に、高校生が加わることになる。小数ながら精鋭なのは有り難い。夕方まで、役割とこれからの準備の打ち合わせ。

ところで、今年の会場は、初めてのところ。若狭の山にあって自然も豊かだが、同時に、若狭湾にも遠い。ただし、京都からだと、JRの最寄り駅からでも、1時間はかかる。車がないと、途中参加は不便なところだが、それだけ静かな環境だ。

http://www.nouson-kaminaka.com/

案内状は、ここからどうぞ。大きいので、横になっていて見づらいが、プリントアウトができる。なお、いつものように間違い探しの図は、ゆうこ作だが、あとのカットは、子どもたちが書いた。うらのドライヤーと、仏様は、一年生のナナの作。ドライヤーって、持ち物に中にないんだけどなー。カンロは、表側の、勤行の様子と、なぜか、薬の絵。こちらは、持参品にある。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/2010kodomo.pdf

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33年ぶり

 広島法座。数日前から、ちょっと風邪気味。このところタイトな日程に、京都シネマから雨の中を自転車で帰ったこともあり、どうやら下の子の夏風邪をもらったようだ。ノドの調子が悪くて申し訳なかった。それでも、聖教の解説法話の時は、力が入るのか、長時間の話となった。ただし、あまりに容量が増えすぎると消化しきれないで、真面目に聞こうとされる人ほど、思考停止になられるようので、要注意。

 広島を後に、京都に戻って、中学校の同窓会に出席。最初は、欠席の連絡を入れたが、広島の皆さんにお願いして、会場を駅近くに変更してもらって、出席することが出来た。

 中学校の同窓会は、卒業以来初めてなので、33年ぶりだ。ある人から、「なんか33回忌の年忌みたいですね」といわれた。それより、「秘仏の観音様が33年ごとのご開帳されるイメージだよ」と、ぼくも、よくわからん返答をした。なにか、古いものなのだけれども、新しい今のところでので出会いになればいいなと。

 地元に住んでいながら、卒業以来、ほとんど付き合いがなかったので、誰が出席するのかも知らない。それでも、車中で、何人かの顔や名前は浮かんできた。さいわい、新幹線側の新・都ホテルが会場だったので、新幹線を降りて、直行した。楽しみなのに、この歳月は、初めの会合よりも、妙な緊張感もあった。

 30分ほど遅れて入ったが、まだ先生方のあいさつが続いていた。会いたかった恩師は、残念な知らせを聞いて、ちょっと寂しかった。

 たぶん、学年の半数程度は出席していたのだろう。学年同窓会なので、3年間、まったく接点のない人もあった。同じクラスの人でも、もう覚えていない人もいた。まあ、お互いわからないのはいいけれど、困るのは向こうが覚えているのに、こちらに記憶がない場合。逆に、こちらが懐かしいのに、一向に思い出してもらえないと、ちょっと寂しいが、まあまあ、これとてもお互いさま。それでも、適当に話を合わせているうちに、パッと記憶が蘇って来るから不思議だ。しかも、一つの回路がつながると、どうでもいいようなことが、次々と茫洋の彼方から立ち上がって来る。なかには、じわり、じわりと滲み出てきて、帰宅してから、「ああ、彼かー」と、突然、ハッキリしてくることもあったけれど、このあたりも、記憶と体験の面白さだ。逆に、「はじめまして」みたいな人と、いまの接点をさぐりながら話すのも、どこかおもしろかったりもしたし、なぜ、この人と学生時代に接点がなかったのが、分かる気もした。

 どうも、ぼくは小さくて(いちばんチビだった)、おとなしくて、かわいいい(まあ、なんとなくいまのうえの子の感じ)イメージ(あとメガネね)があったらしいのか、「ずいぶん痩せたね」と、言われた。これは、家の内や外で、次々と苦労が絶えないから仕方がないけど…。その人に、昔の面影を感じつつ、名前もわかるのに、どうしても、結びつかない人もあった。時には、歳月のおそろしさに身震い(表現が失礼かー)もした。やはり、未熟で、どこか荒れていた15歳のころの自己表現手段と、50を前にした大人のコミニケーションのスキルは大違いで、しかも、アルコールが入ると、あっという間に時間は過ぎていった。

 体調がいまひとつだったが、盛り上がって二次会もご一緒。お開きになっても、みんなその場をなかなか離れず、結局、その後も、4人で飲んで帰ったが、不思議と、身体はしんどくなかった。

 ただただ、単純に楽しかったからなー。 

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3日間に6法座

 明日は、土曜日なのだが、広島支部法座。日曜日に子ども大会の法話会がある都合だ。ところが、その後で、33年ぶりの中学校の同窓会が開かれることになって、会場などを変更してもらうことになった。終了後は、すぐに帰京する。さいわい、駅前のホテルなので、30分ほどの遅刻ですみそう。

 というわけで、今週は、土曜日が広島法座、日曜日の朝が日曜礼拝、昼が、仏教青年会で子ども大会の法話検討を兼ねておこない、夕方から子ども大会の打ち合わせ。他に、大阪支部も若手講師の法座がある。月曜日は、平日だが、、輪読法座があって、夕方には、「三帖和讃講讃・下巻」の第4校を出版社に渡す段取りだ。東京支部でも、平日の法話会があるようだ。

1)広島支部法座:10日(土)昼1時~5時
 6月にブリントを配りながら持ち越した、「重誓偈」がテーマ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/hirosima2010-7.htm

2)日曜礼拝:11日(日)朝10時~12時(華光会館)
 今月は、日曜日が取れずに、変則。昔の形態で、日曜日の午前中のみ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/nitirai2010-7.htm

3)仏教青年会:11日(日)昼1時30分~3時30分(華光会館)
 HPの案内は、5時までになっているけれど、仏青の法話会としては3時30分ぐらいまで。今年の「子ども大会」テーマの、「感謝」について。ぼくが問題提起して、その後、『子どもの聖典』の資料篇でも、少し学んでいく。
 終了後に、子ども大会の打ち合わせをする予定だ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/bussei2010-7.htm

4)大阪支部法座礼拝:11日(日)昼1時30分~4時30分
 
ほんとうは悟朗先生の予定だったが、しばらく出張法座はおやすみ。若手の講師がご法話くださいます。大阪支部の集いだけどれ、会場は、奈良の生駒駅前で。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/osaka2010-7.htm

5)華光誌輪読法座:12日(月)昼1時30分~5時(華光会館)
 もともとは、土曜日を予定していたが、ぼくの出張法座が増えたので、平日になった。最新号の輪読。主に、巻頭言と、聖教のこころ(選択本願)を味わいます。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/rindoku2010-7.htm

6)東京支部法座:12日(月)昼1時30分~5時
 
同日に、東京支部も、平日に法座。講師のご法話もあります。文京区大塚の全林野会館。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/tokyo2010-7.htm

 今週は、土曜日、日曜日、月曜日の3日間に、6つの法座ですね。ぼくは、大阪、東京以外に出席します。

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葬儀

 6月の下旬から7月にかけては、出張法座が続いたので、、触れず仕舞いのことがたくさんある。2、3の落穂拾いをすることにする。

 6月24日、25日の名古屋での葬儀を引き受けた。和讃(3校)の作業もあったり、翌日から広島、東京と続くしので、迷ったが、一応、その日だけは空いていた。これもなにかのご縁である。基本的なスタンスは、あくまでも法座が中心。しかし、平日だったり、日時が折り合うならば、いまは積極的に依頼を受けることにしている。もちろん、経済的な意味もあるが、それ以外にも、単なるお経の配達ではなく、遺族の方との関わりや、法縁としての意味があると、最近は考えるようになっているからである。それなりに、遺族の方にとって、意味のある葬儀を行なう自信もでている。といっても、年に1、2度あるかないかの程度だから、まったく本業とはほど遠いし、あまり依頼が増えても困る。あくまで、副業程度で、コソコソと。

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 浄土真宗では、本来、位牌は不要だ。でも、葬儀の時は、葬儀屋が、白木の位牌が用意している。京都ではふたつもある。名古屋は一つだった。この話をすると、広島はなくて、半紙に法名を書くそうである。さすがは、安芸門徒である。でも、用意されているものは堅苦しく考えずに、通夜は半紙に書いたものだったが、葬儀は、位牌に書くことにして、ホテルで作業した。「尼」もいまは、不要だが、昔に頂いた法名なので、そのままにしておいた。あとは、名古屋なので、何も言わないと、お東の荘厳になっていたので、葬儀の時は、変えてもらった。それでも、お仏飯は、平らに盛ってあった。

 今回も、通夜、葬儀でも、短めながら法話をした。「満願」という、法名の意味を頂いた。葬儀では法話がないが、せっかくお参りの方が多かったので、5分程度でも、皆さんに向かう。名古屋は、参列の方が、最後まで列席されているので、驚いた。京都のこのあたりは、焼香がすみ次第、参列者は帰宅する。

 八事にある火葬場に向かった。名古屋大学のキャンパスをとおり、こんな都会の中に、火葬場があるのは、少し新鮮。しかし、オートメイシーョン化には驚いた。ちょうど48番。でも、すぐ隣では、日蓮宗の方の火葬がおこなわれている。少し待って、まだ横の遺族がおられるのに、すぐに火屋勤行。隣が終わったので、こちらが始めたら、隣の日蓮宗のお坊さんが、閉まった扉の前で、突然、大声でお経を唱え出された。いやいや、参りました。ぼくの声など、かき消されていく。5分足らず、すぐに火葬へ。後ろをみると、すてに、次ぎの遺族方が…。今度は、神道式の葬儀。、神官が立っておられだ。これも初めて拝ませてもらった。都会の火葬場では仕方ないが、それにしても、最後のお別れぐらいは、個別の配慮がほしいところだ。

 2時間30分ほどまって、還骨勤行と、初七日法要だ。遺族や親しい人だけになる。お疲れだろうが、ここで初めて、遺族向けてのご法話となるので、ちょっと時間をかける。京都から、勤行聖典も20冊持参。勤行の前に、いまからのお経の意味と、故人に一番親しい方が皆さんであったこと、そして、いろいろな心境があろうが、ここは心を一つにして、故人の偲ぶと共に、逆縁ではあるけれども、わが身、わが姿を省みる時間として、共に声にだして、お念仏し、読経することを説明する。なかなか、声は大きくならないが、それでも、皆さん、真剣に関わり、そして、小声でも、お念仏される。終わってから、「白骨」となる人生の意義について、いま、初めて声に出した「南無阿弥陀仏」のこころに触れるように努めた。

 その後、お膳となる。ここでは、全員の方(たとえ故人と縁が薄い方でも)に、故人の思い出やエピソードを、一言披露してもらうようにしている。ただ、飲み食いだけでは、面白くない。人数は20名ほどだったが、それでも、小1時間ほどはかかった。他人のぼくのこころまで、温かくなるようで、時に笑いがあり、また時に故人の偲び涙して、皆さんの気持ちが一つになったような貴重な時間であった。
 当たり前のことだが、その関係によって故人の呼び方が違う。ある人には、「お母さん」であり、ある人には、「おばあちゃん」であり、ある人には、「お母様」であり、ある人には、「お姉さん」であり、またある人には「ミッちゃん」であり、またある人には、「Bさん」である。その呼びかけの異なるところで見えて来る、故人のさまざまな顔、それでいて、どこか共通のものも流れている。また、同じ孫でも、「厳しかった」というものもあれば、「私にはやさしいおばあちゃん」だという、独り独りでもまた違うのだが、それがつながっていくことで、その人のパーソナリティーが立ち上がってくるかのようだ。最後に、一番関係が深いであろう、お嫁さんと息子さんで締める。一番、仏法のご縁があるは、お嫁さんで、共に、病床で、法話テープを聴聞されていた。冒頭に歎異抄第3章の言葉から始まり、嫁と姑の関係のエピーソドを披露。でも、人間的な密接な対決と、深いところでのつながりも感じさせられた。締めは、喪主のご長男さん。治療ために遠くに移転され、最後に二人で旅(人生で、これだけ、母と話す機会はなかったといわれた)のエピソードには、こちらも涙が溢れてきた。

 一通り終わったところで、今回の葬儀を引き受けた、ぼくの気持ちをお話した。それが、故人の願いでもあったからだ。一般の僧侶を断り、わざわざ指名くださったのは、単なる、故人追善供養のためではなく、あくまで残された皆さん方への仏法聴聞のご縁として、元気な間に、生きた仏様に出会う仏縁てもらいたいという、故人のたった一つの願いが、生きて働いて、皆さんとぼくをここに引き合わせてくださった。だからこそ、自分のためにご聴聞くださいと結んだ。

 2日間、いつもの法座とは違って疲れはしたが、充実したご縁を結ぶことができたのではないだろうか。

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文句はない!

 高山法座の法話は3回。今回は、焦点は一貫していて、「法蔵の発願」のおこころというべきもの。東京法座と同様に、最初は、、『大無量寿経』についての外観を、丁寧に窺っていく。皆さんに確認を取りながら、このお経の性格と、位置づけ。親鸞さまが、ご本典に、『大無量寿経』-真実の教、浄土真宗-と細註され、次ぎのように述べらている。

それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。この経の大意は、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで、功徳の宝を施することを致す。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲すなり。ここをもつて如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。

 ご本願こそがもっとも大切な肝要であり、本願名号を体(本質、そのもの)として出来上がっているのである。しかも、これは、お釈迦様の出世本懐の教えでもある。だから、親鸞さまは、お正信偈には、

如来、世に興出したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり  

と示されている。つまりは、大経が出世本懐であるということは、実は、唯、阿弥陀様のご本願を説きたいがために、この世にお出ましになったわけである。お釈迦様のご本意はそこにあるのだ。

 では、この私は、何のために、この人間界に生まれてきたのか。金儲けのため? 好きな人と結婚し、幸せな家庭を持ち、子ども育てるため? 生きがいを求めて、自分のなすべき仕事をやり遂げるためなのか。それとも、ただ食べたい、着たい、遊びたいで、欲望のままに樂しむだけの人生か? 幸せになるためといっても、私のほんとうの幸せは、この身を樂しませ、家族を大切にし、金儲けしたいだけなのだろうか。自己実現、自分成長……なにを求めているのだろう。

 そんな私に、はっきりと示されているのが、「弥陀の本願」を聴くために生まさせていただいという、仏様のお言葉である。これは、単なる答えでなはい。答えであると同時に、私自身を貫く厳しい問いではないか。正解を覚えてもしかたがない。自らに問うてみるしかないのだ。まさに、わが機にまかせず、機を責めるのである。真反対の生き方をしている私に、ほんとうに「弥陀の本願」を聴くため生なのか…。

 そして、「唯、弥陀の本願を聴くためだ」というのなら、脇目をふっている時間はない。焦点を絞って、阿弥陀様のご本願のお心を聴かせていただくだけである。

 それで、『大経』の法蔵発願の因(選択思惟)のご文を、ひとつひとつ窺っていった。

 なぜ、私は53仏の諸仏の救いに漏れたのか。なぜ、本師本仏たる阿弥陀仏が、正覚の座を捨てて、法蔵比丘となりさがり、頭を下げて教えを請われたのか。なぜ、一劫(大経異訳の荘厳経)もかけて善悪の粗妙を覩見されたのか、なぜ、五劫もの時間をかけて、最高の行を選択摂取されたのか。そして、だれのために、選択本願をお建てくださったのか。しかも、重ねて誓い、そして、選びに選んだ行を、大満足、寂静の境地での兆載永劫のご修行中に、なぜ、一念一刹那も不満やためらいや、不審が起こられなかったのか。そして、聖人は、お正信偈に、

(時)法蔵菩薩の因位のとき、(所)世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えん。

とあるが、なぜ、兆載永劫のご修行が省略されているか、などの問いを通して、本願の生起してきたお心、法蔵様の発願のお心を窺い、その結果である、選択思惟されたご本願についてお話をさせていただいた。

 最後の座で、『三帖和讃講讃』上巻の24頁にある、五劫の「劫」の説明を、を、磐石劫や芥子劫だけでなく、器世間世界の無常である(壊劫(20中劫)→空劫(20中劫)→成劫(20中劫)→住劫(20中劫)を一大劫とする説などを、テキストを元に詳しくいただいた。詳しくいただけばいただくほど、まったく想像だにできない、歴史的な、もしくは科学的な、人間の次元などでは計り知れない、真実の世界のことだとしか思えなくなり、思わず知らず、「これで文句のある人は言ってください」と出てしまった。すると、誰も何も言われない。「文句がないのなら、南無阿弥陀仏です」と。

 そうだ! ぼくの中は、文句タラタラ、それしかないのである。それがである。不思議にも、こんな、ある意味ではデタラメの、ある意味では人間のはからいを超越した真実が、私独りためのご苦労だったと、知れているのである。それは、そう思うとか、思わないとか、これが正解とかではないのだ。まさに、「そうなのだ」と、絶叫せずにはおれない事実なのである。愚痴や文句しかないのには変わらないのかに、同時に、南無阿弥陀仏の真実か満ち満ちてくださり、私の口から「南無阿弥陀仏」と出てくださっている。

 これこそが、真実のまことの選択本願の念仏!

 法蔵菩薩様が、ここにおられます。

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高山法座~H家紹介篇~

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 昼休みに、庭を挟んで、離れにある仕事Img_11402場を覗かせもらった。

 飛騨の名匠。

http://www.h5.dion.ne.jp/~higasi-k/index.html

 飛騨一位一刀彫。

 一位は、木の名前。一位をいただいている。一Img_1162刀というから、一つのだけの鑿かというと、そうではなくて、一彫り一彫りにImg_1157丹精を込め、彫目をいかしていくということらしい。それにしても、すごい道具の数だ。でもこれでもまだ一部。名人は、高山祭りの屋台にも、各地の寺院の龍などの大型作品も多い。以前の家には、美術館のような作品が展示されていたが、持ちなれた仕事道具も含めて、すべて灰になってしまった。

 仕事場での作業中の作品のみを拝見。Img_1155

 ちなみに、これは、日本の武将をコマにした木彫りのチェスを作製中。盤も入れてのお値段が半端じゃなくて、とてもきりのいい数字で、びっくりしてしまった。Img_1147庶民にはほど遠いが、バブルが弾けても、もっておられる方は、まだもっておられるんですなー。

 こちらは、対になっているもので、もう一方は上に伸びていた。

 法座の合間の休憩には、静かな庭もあり、いろいろと見学するところもって、飽きることのない環境だ。

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高山法座~ちょっと旅情篇~

Img_1122

 ご一行と東寺で別れて、高山へ向かう。東に向かったので、雨足は弱まり、高山線も定刻どおり運転。ここは単線で、渓谷を縫って走るので、しばし遅れることもある。今回は、行き帰りともOK。雨は弱くなってきて、山からの霧が川面を覆っていた。Img_1125

  法座は、いつものF家ではなくて、久しぶりにH家の家庭法座。いつもとは方向が違うので、お迎えのTさんと一緒に、駅の近くで簡単な夕食。メニューには焼きそばが並ぶ、焼きそば専門店のだが、ぼくImg_1123は高山ラーメンを食べた。ラーメンといっても、関西でいうところの、中華そば。日本そばはダメだが、中華そばは好きだ。

  H家へ。新装なってからは、ぼくは初めての法座だ(昨年8月は父だった)。もともと、ぼくが初めて高山法座に臨んだ時は、このH家だった。たぶん、もう15年も前のことになるImg_1127だろう。12月で大雪だったことを覚えている。そのころは、わざわざ風呂上がりに着るパジャマまで用意してくださっていたのだが、すべて火事(全焼)で焼けてしまった。

Img_1129 では、法座の前に、H家のご紹介しょう。

 滝のある庭を抜けて、玄関を入ると、囲炉裏のある間がある。

  ここが、法座会場Img_1138

 仏壇も豪華なものだが、もちろん、阿弥陀様はご自身の作。華光会館の3階の阿弥陀様もそうだが、そちらは、Img_1146_2わざわさ金箔にして、真宗式に変えてもらっている。仏壇が金ピカすぎて、容量が大きくなって、画質を落とさないとアップできなかった。

 仕事場は、翌日には覗かせてもらったImg_11422のだが、これは、次に改めて。

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会計事務所様ご一行と東寺へ

 土・日曜日と高山支部法座。東京支部と続くが、今日は途中下車にはならなかった。名古屋に戻ることになるからである。

 法座は夜からなので、昼過ぎに出発すればいい。

 午前中は、いつもお世話になっている福岡のY会計事務所様ご一行をお迎え。職員の旅行を兼ねて、京都にある顧客巡り。若い女性ばかりで、まったく仏教や真宗のことは初めて聞くという人ばかり。第一、今日、ここで勤行や法話があることも、詳しく知らされないまま寄られた。なんでも、朝は伏見稲荷(観光地としては、ここもいい)経由しての会館入りである。

 だから、まずは、外側の目に見える関心から入っていた。僧侶や門徒、同人の当たり前は、世間の方には不思議なことばかり。それで、念珠(真宗の場合は、数珠ではない)や勤行聖典の説明や扱い方をお話する。案外、同人の方でも新鮮なようだ。讃仏偈の勤行をしたが、皆さん、初めての体験だといわれていた。そのあとも、しばらくは外観の違いから入っていく。なぜ、華光会館にはビルなのか。そして道場に内陣がないのか。真宗(もしくは浄土宗)の寺院(本堂)と、(このあと訪れる)東寺などとの違いでも、誰を対象にした教えであるのかが、よく分かる。東寺の講堂などは、そのほとんどが須弥壇であって、あとは修行僧の礼拝(修行)の場だから、一般の民衆の場がそこにはない。一方で、浄土教の本堂は、内陣よりも、同行のための外陣がグーッと広い。それより華光会館は、聞法道場であって、仏壇も奥まっていて、内陣もなく、すべてが同人のための聞法の場となっている。そして、仏様にしても、真宗の阿弥陀様は立っておられるが、東寺の五智如来も菩薩も、座像である。それもまた、教えを体現しているのである。前に一歩踏み出し、前かがみになって迎えにきてくださっているのである。そして、その48本の後背は、私を胸にいま届き、照らしてくださる光りである。さらに真宗は、現世利益や呪術でなく、葬式や法事のためのお経でもない。これもまた、私を照らす鏡であり、ほんとうの生き方を示してくださるの灯火となる光であること。真宗の教えは、ほんとうの私を教えてくださるのであり、それは三世(過去、現在、未来)貫くのだということを、やさしい言葉でお話したら、あっというまの予定の1時間になっていた。

Img_1117 すぐ近くの世界遺産の東寺(教主護国寺)へ向かう。残念なことに、土砂降りだ。

 日本に(現存する)木造の五重塔としては、もっとも高くて55Mもある。だいたい、外から眺めて、東寺を観た気になるが、ここは拝観料を払って入るだけの意味のあるお寺だ(ただし、五重塔の初層は特別拝観のみ)。Img_1116久しぶりに訪れたら、受付でもらったパンフレットの表紙が、青空に東寺から、梵天像に変わっていた。

 空海の宇宙観(密厳浄土)を表現しているという立体曼陀羅(←写真はここから、スキップしていくといろいろみれます)の講堂に入るが、天気が悪い時は、日が入らないので、後ろの仏様方は見づらいのが難点。それでも、荘厳さ、迫力はすごい。五智如来(ただし後補で重文)、五菩薩、五明王(大日如来の忿怒の相)と、それを護る四天王と、梵天、帝釈が取り込んしいる。15躰までが、平安仏教を代表する一級の国宝である。芸術品としては、人間に近い(つまり天や菩薩)ほど、表情豊かで秀作であることは、素人でもわかる。ここの天部は、いつみても魅力的だ。よく見ていると、明王グルーブの中に、足まで6足の方を発見。六面六臂六足で水牛に乗っておられる。よく三面六臂などと、顔や手が複数あるのは珍しくないか、足がたくさんあるのは、なかなか面白かった。さらに、国宝の金堂(こんどう)にある、薬師三尊。大きな仏像だが、薬師如来(←写真はここから)の台座には十二神将が護っておられる。

 雨足が強くなり、庭園や五重の塔の方には回らなかったが、食堂(じきどう)や、国宝の大師堂へもお参り。ここには、秘仏の不動明王や弘法大師像やがおまつりされている。ちなみに、真言宗は即身成仏の教えなので、弘法様は、肉体的な死をもって即身成仏され、今日もなお、高野山で入定(にゅうじょう)されておられるといわれている。しかし、心は、この東寺にあると言い伝えられているそうだ。

 というわけで、昨年まで、どもを東寺保育園に預けていたので、毎日、前を通っていたが、久しぶりに中を拝観させてもらった。強い雨でなかったら、もう少しいろいろと見れたんだけど…。皆さんとは、ここでお別れして、高山への車中の人となった。

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今日はこんな1日

 同人からのメールに、用件とは別に、「今日は、どうお過ごしでしたか」と添えてあった。

 改めて、今日はどんな1日だったかなと振り返ってみた。

Img_1106

 朝、簡単にミィーテングのあと、振替を払い出し、そのまま、2週間ぶりに自力整体へ。葬儀で一週抜けていた。ランチのお誘いがあったけれど、雨もふりだしたこともあって、あわてて小学校の授業参観へ。1日中解放されている自由参加の参観日。上の子の教室は空っぽ(プールだった)だったので、一年生の教室へ。音楽の時間が終わり、笹の葉に短冊をつけていたが、すぐに給食。わが子はImg_1108_2給食当番。まだ1年生だと、給食の時間を観るだけでも、けっこう楽しい。除去食の子どももいる。うちの子も、乳製品はやめているが、牛乳を配っていた。食事が始まったところで、ぼくも抜けて、ティ・コンセプションというお店で一人ランチ。家では肉がでないので、肉料理にした。センロンティーを飲みながら、10年日記を付ける。雨もあがったことだし、京都シネマで、映画を1本。観たかった『クレイジー・ハート』。これはいい。ダメ中年親Img_1111爺の音楽映画は、胸にきます。過去の栄光はあっても、いまは凋落。でも、このダメな男が、すごく魅力的なんだなー。きっとサントラも購入するだろう。男優賞と、主題歌賞を授賞作品だが、これで主要な今年度のアカデミー賞の受賞作はすべて観た。未見は、月曜日に予定している、喧々諤々ある「ザ・コーヴ」(例のイルカ猟のやつね)だけ。また詳しく触れてみたいなー。

 5時に戻って、明日の教案づくり。広島や東京は口頭だった、大経の「思惟摂取」をプリントにした。夜の7時前になって、白馬社から、「三帖和讃講讃」(下巻)の、第4校が届く。だいたい10日ぐらいで渡す話になったが、変更したことで頁が狂ってきて、表組みが乱れている。ちょっと頭が痛いが、もう1校必要になった。3校から校正をお願いしているTさんに連絡して、これからの段取りを打ち合わせ。子どもを風呂に入れ、遅い夕食(野菜中心の粗食、身体にいいと信じるだけ)を食べて、皿を洗い。それから、明日の準備にかかる。高山法座というより、午前中にある福岡からの来客に向けた準備。お世話になっているY会計事務所の社員一同さまをお迎えしてのミニ法話がある。遅くなってから、ブログを書いたり、広島と東京の皆さんからのメールをチェック。両者で、ぼくとの人間関係の上で積極的な心理的接触があったので、これからの関係が、展開が樂しみな雰囲気が感じられてうれしい。まだ返事ができていないが、これは高山からも戻ってからだ。

 まあ別に波瀾もない普通の1日だった。華光誌も終わり、和讃校正も夜までこなかったので、仕事は少なめだったけれど、それでも、夜はバタバタしています。

1)高山支部法座

日時:7月3日(土)夜6時30分(7時法話)~4日(日)朝9時~夕4時半頃
会場は、新装なった東家(豪邸)です。お持ちの方は、「浄土真宗聖典」、華光誌69巻2号(法蔵菩薩のご修行)をご持参ください。高山の皆さん、お世話になります。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/takayama2010-7.htm

2)聖典講座

7月4日(日)昼1時30分~5時iは、華光会館では、「正信偈」の聖典講座がある。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/seiten2010-7.htm

3)東海支部座談会

同じ時に、岐阜市での若手講師による、法話・座談会もある。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/07/toukai2010-7.htm

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華光誌の発送

 今日から7月。ムシムシした梅雨空なれど、雨は降らなかった。

 1日なので、華光誌69巻2号の発送を行なう。

 今号の誌上法話は、インド仏跡(涅槃の地、クシナガラでの)「自灯明、法灯明」について。聖教のこころには、「選択本願」について触れている。特集は、先日の(旧)日曜学校や高校連盟などの「同窓会」法座。よほど楽しく、感銘が深かったのか、皆さん、筆が踊っている。それにほとんどの方が原稿を送ってくださって、中には、華光誌完成の前日に届いた(もちろん未掲載)ものもあるほど。あと、本文とは別に、折り込みが多いので、ちょっとご注意を!

1)福井県若狭町での、7月30日(金)~8月2日(月)の「仏の子ども大会」の案内状。

2)兵庫県豊岡市(城崎温泉の近い海辺)での聞法旅行。9月18日(土)~20日(祝)で、古参の強信者の多い、日高(旧江原)支部の古老たちとの交流法座のご案内。

3)テープと、三帖和讃講讃(上)の広告。まだ下巻の広告は出せなかくて残念。

 特に、「子ども大会」と、「聞法旅行」は、〆切があるので、お早めにお申し出ください。

 また、人によっては、「壮年の集い」の案内状が同封されていたり、他にも、法座のお参りされずらい一部の人には、本の「貯金箱」のお知らせも…。

 時代がかわり、表現が変わっても、華光会の生命線は、法座活動と、この華光誌での誌友・同人のつながり。単なる法話だけでなく、同人の信仰体験記録が綴られているのが特色てす。まもなく70年。同人(会員)の敷居の高い方など、ひろくご講読くださるとうれしいです。

 お手許には、明日から随時、今週中に配達される予定ですので、お楽しみに! 

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