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またまた、えー、またで…。

 法座の報告も、6月に入ってバッタリ止まっている。

 5月の鹿児島の家庭法座、6月5日(土)の輪読法座、6日(日)の中仏の通信教育(大阪支部)の華光会館(聖跡巡拝!!)法座、12、13日の支部長研修会に、カウンセリングの月例会。さらに、今週の金沢と蒲郡の法座…。

 そこに、本と映画のことも少しある。別に何も書いていないわけではないが、書きかけになった下書きのものが途中だったり、なんとなく出すタイミグを逸したりで、かなり溜まっているのである。

 それというのも、今は「華光誌」が終わり、「和讃」(第3校)の作業中で、そちらに専念しているからだ。これもなんとか今夜終わって、明日点検し、昼過ぎには渡すところまでこぎつけた。しかし、まだまだアカが多いので、下手をすると、もう2度あるかもしれない。それに朝のうちに、「仏の子供大会」の案内を印刷所にもっていけば、未完は「聞法旅行」の案内だけである。

 まあ、この調子なら、明日中に終わり、金曜日は余裕ができそうなので、自力整体の後で、映画を見ようと、今朝の時点では計画していた。

 でも、午前中から、そうはいかない事情が起こってきた。まったく予想もしていなかった方(なぜか、最近の「かわいい来館者」の文章にイニシャルで登場されている)の、葬儀の依頼があったのだ。法座と重なるならお断りしたが、うまい具合に合間で、導師が可能である。亡くなった同人の方が、信心のないお坊さんに依頼されるのなら、葬儀は不要だと遺言されたというのだ。実は、故人のお母様も同人で、その時も依頼があったが、報恩講か何かの行事と重なりお断りして、別の先生にお願いした。一度お断りしている経緯もあったし、先方も、葬儀をしないわけにもいかず、困惑された遺族の、恐る恐るお尋ねになったお困りの様子が、電話口でもよくわかった。ちょっと考えたすえ、お引き受けすることにした。まあね、「せひ華光の先生でお願いします」というのなら振り分けてもいいのだが、「信心のある方」に言われたら、困っちゃうんだよね。誰にもお願いできなくるよなー?と、苦笑しながら、仕方ないので、自称獲信者の、ぼくが窺うことになった。まあ、会の収益アップにもなるお話だしね…。有り難いことです。

 真宗は平生業成の教え。だから、ご聴聞に熱心だった故人のために引き受けたというより、むしろ、遺族の方に、次ぎの仏縁を結びたいからで、たぶん、故人の思いも同じで、そんな遺言をされたのだろうと思っている。しかし、遺族の方のお気持ちは違う。あくまで、故人の追善供養のための儀礼でしかないのだ。だからその点を、少し強くお話してみたいと思っているし、報恩講でも、永代経でもいいので、華光会館にも、ぜひお参りいただくご縁になればと願う次第だ。

 というわけで、明日の夕方から名古屋入りして、そのまま宿泊する。式場は、姉の店にほど近いようだ。余裕があれば、久しぶりにお店にも寄りたい。翌日からは、広島支部大会、東京平日法座と続くのだが、まあこれはなんとかなるだろう。そうそう、誰かさんには、またまたご心配を掛けるけどね。

1)広島支部大会

日時:26日(土)13時(受付)13時30分~27日(日)17時
会場:神田山荘

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/06/hirosima2010-6.htm

2)東京支部法座

日時:29日(火)昼13時30分~17時 夜19時~21時
会場:全林野会館

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/06/tokyo2010-6.htm

 なお、華光会館でも、京都支部の集まりが続く。金曜日は、聴き方、伝え方の体験学習。日曜日は、法話会である。

3)京都支部学習会

日時:25日(金)夕17時~夜20日
会場:華光会館

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/06/kyoto.gaku2010-6.htm

4)京都支部法座

日時:27日(日)昼13時30分~17時
会場:華光会館

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/06/kyoto2010-6.htm

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コメント

うちは仏光寺派ですが、法事をしても、「後生の一大事」や「仏法は聴聞に極まる」についてはまったく話されません。阿弥陀堂を建てるとかで50万の寄付のお願いが来てましたけど、そこで説法をやるわけでもないし…。まぁ、うちはお金なかったんで払ってないんですけど。「信心なんかなくてもいいよ」と軽くおっしゃる。こっちは必死なのに。

お亡くなりになられた同人の方は信心を得られていたのでしょうか? 私もこのまま行けば、聴聞テープすら買えなくなるな、未信のまま、臨終を迎えてしまうな、と不安になります。

話は変わりますが、小林よしのりのハイデカー評。
人間は死を遠ざけて、生ばかり気にしている。
老後にしても、「老後の生」の問題。より快適な老後の生活を求めて、高齢者向けのマンションとか。

まったく持って、出て行く先の後生、六道輪廻など、気にしていない。ハイデカーは親鸞聖人を知るには年が遅すぎたといっています。

そうそう、映画にしても、洋画って何か、感覚が日本人に合わないような気がするんです。それは一神教の影響だと思います。日本人には西洋人の持つ一神教の感覚は分からない。

投稿: 阿波の庄松 | 2010年6月24日 (木) 06:40

北陸法座、有難うございました。新潟の上の方からお参りさせて頂いた越後屋です。疑っている私のために重ねて誓って下さったのだなあ、と法話を味わわせて頂いたかと思えば、お同行の方から「それで、後生はどうなん?」ときかれると、「よく分かりません」としか答えられない自分がいます。結局自分の問題になっていないことを突きつけられます。いつまでこんなことを繰り返しているんだろう、と思います。でも、普段の私の生活には真実はなく、やっぱりご法やお同行の方々とのご縁を持たせていただいて、お導き頂くしかないと思っています。とりとめ無い話ですみません。ご多忙の中、御身体お大事になさって下さい。

投稿: 越後屋 | 2010年6月24日 (木) 22:03

阿波の庄松さん、なるほど「老後の生」ですか。うまいね。映画も、たしかに、アメリカやヨーロッパのものは、キリスト教の父性原理の影響が強いですね。

越後屋さん、ようこそ。いいね、このハンドル。そうそう北陸のあとの東海法座で、学生時代の越後屋さんの同級生(もちろん、Oさんも知っていた)に、またまた会いましたよ。なんかおもしろかった。

投稿: まとめてbyかりもん | 2010年6月29日 (火) 01:21

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