映画を2本
途中下車の合間に、京都シネマで映画2本。簡単に触れるだけ。
まずは、『空とコムローイ』~タイ、フンティップ村の子どもたち~は、タイ最北端の貧困の山岳民族「アカ族」の子どもや女性たちと、30年にわたり彼らを支援しているイタリア人神父の施設での生活を、日本女性の目で7年間に渡って追い掛けた、日本製ドキュメンタリー。昔ながら山岳生活に迫る資本主義の波。貧困のゆえに、都会への出稼ぎ、売春の誘惑、そしてエイズの蔓延という、現実も迫る。そんな中で、貧しくても、また幼いうちに母親(エイズなどで)死に別れた子どもの悲しみ。温かい施設の中で見せる、とびきりの笑顔が美しい。
次ぎに、『あの夏の子どもたち』というフランス映画を見た。予告や批評などで目にしていたが、つとめて内容は見ないようにしていた。まだ映画の半ばで、予想外の展開がやってきて、展開がかわる。玄人に評価の高い、映画プロデューサーとして充実した仕事を送り、妻と、3人の娘(下の二人がほぼわが家と同じ世代)、しかも、彼の年齢は47歳の設定。なんか、人ごとのようにはおもえなかった。彼の充実した仕事の裏で、経営は苦しく、資金繰りに悩んでいた…。(内容はダメでも)大作や話題作か、もしくは助成金などもある小さなインディーズ系は乱立しているが、両極端ばかりが盛んで、真ん中の中堅どころの良心的な製作がなかなか難しいのは世界共通。いえ、出版や芸術、もしくは宗教界だって、そうかもしれないなー。前半、彼が家庭を大切にしながら、特に幼い娘との触れ合いが、あまりにも自然で、温かく、画面からも幸せ感が伝わって来るだけに、一転、主役が変わり、静かな、それでいて耐えて歩むしかない悲しみの深さ、喪失感が、ジワジワと押し寄せてくる手法は、悪くなかった。傷を負いながらも、徐々にその受け入れ難い傷を受容しながら、進んでいくしかないのである。静かな秀作。 一つだけ疑問。家族での、最後のイタリア旅行。(ラヴェンナのフレスコ画によく似ていたけど)教会に描かれる神の手(ゴッド・ハンド)が、なにを示唆していたのかなー。
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コメント
華光会でも本音を言ってはならないことに気づきました。今まで申し訳ありませんでした。「あの夏の子供たち」の後に出てくる主人公のように、受け入れ難い自分を受け入れていかないといけないと思います。悪口や悪意のある咳ばらいをされたときは、「南無阿弥陀仏」と称えてしのぎます。
投稿: K.Y | 2010年6月29日 (火) 14:49
悲しきかな、愚禿@阿波の庄松
徳島の風俗店で愛欲の広海に沈没し
(中略)
恥ずべし傷むべし。
阿弥陀様は風俗嬢にもなってくださる。苦しみが多すぎないように性欲をも解消してくださる。でも、どこか寂しく虚しい。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
投稿: 愚禿@阿波の庄松 | 2010年6月29日 (火) 23:29
K.Yさん、だいじょうぶ? いろいろと気になるのだろうけど、無理せず、ゆっくりと。
阿波の庄松さん、そうか。苦しみが軽減されたり、性欲が解消されても、いいしれない、寂しさや虚しさがあるんやね。
投稿: まとめてbyかりもん | 2010年7月 1日 (木) 23:48