高山支部法座・余談編
高山支部法座の会場。
毎回、お世話くださるF家。ぼくだけでなく、仏青の若い人や、東海や富山、ときには関東からと、遠方の同行の宿泊を受け入れてくださっている。今回は5名と、宿泊少な目だったが、多いときには10名を超える宿泊者がある。受入れ側は、同じ華光同人、仏法を求める法友として、温かく向かえて下さり、懇親会では、夜遅くまで、おいしい地元のお酒に、山の幸、そして高山ラーメンまでだして歓待して下さるのである。
世間的な意味では、なんの縁のない人達を、毎回、毎回、お世話くださり、宿泊させ、ご法座の会所を提供くださる。
これだけでも、ほんとうは有り難いことなのだが、自分のこととしか考えらなれいものには、当たり前のように振る舞っているだけで、ご恩を感じることもないのが、恥ずかしいなー。
仏法は、理屈や原理でなはい。縁の下のさまざまなご縁に支えれて、静かに拡がっていくのである。
だから、私の上に届いてきた南無阿弥陀仏が、十重二十重の輝きが増すのだか、自分中心で、ご恩のかけらのない身には、その尊さ、豊かさが味わえない。まさに「貧苦」なのである。その「貧苦」の私に普く救おうと、大施主となってくださるのが、阿弥陀様である。功徳の塊である南無阿弥陀仏をいただくということである。
さてさて、ぼくの高山のご縁は、12月か3月の冬場ばかりだ。だから、雪景色も風情を味わうことが多いが、今回のように新緑がまぶしい季節も美しかった。
泊めていただく部屋から対岸を臨む。写真のように3月には雪が降ってきたが、今日は、初夏の風が窓から入ってきた。布団に転がりながら、1枚。
昼休みに少し散歩した。皆さん、ベランダに出て談笑されている。話し声は聞こえないが、対岸にまで、笑い声は響いて来る。
このあたりは、国府町の三川。アルプスからの冷たい水が、宮川に流れ込んでいるようだ。
おやつにはこんなかわいいものが…。カエルのまんじゅうは、子供たちが好きな絵本、「バムとケロ」、ケロちゃんにそっくり。お隣の方から、もうひとつもらったので、子供の土産になった。
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