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華光の財産

 3日間の永代経法要、お念仏と共に終了。

 連休中で日が良すぎて差し障りが多かったのか、最近の傾向にしては、参加者は少なめ。延べではかなりあったけれど、3日間、7座通す方が、案外少なかったので、逆に、北海道に、盛岡からの初参加者、そして沖縄から父子、そして九州や関東など、遠方からの参加者が目立つ気もした。

 今回は、5年ぶりに仏青の皆さんのお当番。この5年間で仏青を卒業した世代もあるし、学生から社会人になり、独身者が家族を持ち、または母や父(親)にもなり、もしくは、まだ同じような生活を送りながら、それぞれが、みんな変わらず聞法をし、そこに、新しい人達が加わって顔ぶれも少しずつ入れ替わりながらも、みんなが、法の上でも、人間的にも、飛躍的に成長していることが、ひとりひとりの姿に現れてきて、ほんとうにうれしかった。

 ああ、華光は、こんな風に次世代の念仏者を、しっかりと育てきたいるんだなーと。それは、画一的な態度や姿勢ではなく、ひとりひとりが個性をもちならがも、どこかで如来の統一されている。そのことを、誰の目にも見える形で示してもらって、またこれからの歩みの力と、意欲、そして喜びをもらった気がした。

 それにつけても、運営委員会の会議から、あらためて華光の有り様、方向性について考える機会をえた。遅くまで起きて(これは反省やなー。毎回)若い先生方と話しを聞いてもらったり、終了してから、世話人などと飲んで、自分なりに咀嚼した思いが、フツフツと湧いてきている。「華光」の70年の重み、歩みを受け、同時に、たまたまこの世にあって、ご法が、「華光」という形の中で、さまざまな出会い、多くの先輩や先生のお導きをいただき、ここで育ててもらって、ぼく上にも、真実が華開いてきたのである。そのことを喜ばずにはおれない。

 もちろん、仏法のこととはいえ、限りある今生の社会の中で、しかも凡夫同士の集団に、問題や摩擦が生まれないはずがない。お金や仕事、役割、人間関係、現実の厳しさや問題点もついてまわる。

 しかし、そんな摩擦や葛藤も含めて、逃げることなく、受けて聞かせてもらいたいのである。

 なぜなら、ぼく自身が、今も、皆さんに育ててもらっていると同時に、しっかり、ひとりひとりに育ってもらっていかねばいけないからだ。最後はご因縁次第だというものの、連続無窮のお働きによって、いまぼくたちが受け取ったバトンを次ぎの世代、また、次々の世代へと引き継いでもらう。そんな法に出会い、人が育つ場を、しっかりと護っていく役割を担っている意味を、あらためて思った。そのことが、また時代により、人によって、新たに展開していく。その展開の動きそのものが、華光という集いなのではないのか。

 その元は、すでに釈尊の時代から出発している。釈尊が、成道(お悟り)を開かれた直後、そのまま涅槃に入られようとしたとき、梵天の3度の勧請を受けて、伝道を決意。そして、初転法輪で、釈尊と五比丘が誕生し、ここに、仏・法・僧の三宝が揃い、仏法がこの世に姿を顕した。その僧とは、今日の僧侶ではなく、僧伽(さんが)、僧侶の集団、仏教教団である。当然、その役割は、日夜、修行に励み、布教することであって、なんらの生産性をもたない人達である以上、所帯か大きくなるにつれて、彼らを支えるその周辺の、在家信者の役割が大きな意味をなしてくる。それは、時に、ビンビサーラや阿闍世のような王族や貴族であり、祇園精舎を寄進した大商人や新興勢力であり、その多くは、無名の一般信者たちもあったのだろう。もちろん、政治利用や商売、勢力争いなどきれいだけで終わってはいない。しかし、釈尊亡き後、その在家信者たちによって、仏教の新たな潮流が生まれる源泉となり、次ぎの大乗仏教興隆や、阿弥仏信仰への萌芽へとつながっていくのであろう。

  どんどん話が大きくなって、かつ別の話題にも拡がりそうで、このあたりでやめる。

 とにかく、今回は、分級座談会で気付いたことも多かった。司会者の態度や姿勢、「決める!」のアプローチ、言葉で表現できないことを、こころの天気で表現してもらったアプローチ。そして、先生方の法話や劇、ぼく自身も重誓偈や伏せたコップのたとえなど、また参加者の態度で気付いたこともあったが、またの機会に触れていこう。

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コメント

三日間ありがとうございました。
法話・座談中心の参加、しかも少人数の座談担当なのであまり多くの方と絡むことは無かったんですが、やはり「連続無窮のお働き」ゆえの「今」というところでいろいろ思わされます。

終了後の飲み会で聞いた話などにも刺激されてますが、今の立ち位置での関わりなのか、あるいはまた違う動きもしてみるのか、まぁもう一度考えてみる時期なのかなぁと。

そんなことを味わってます。

投稿: MANU. | 2010年5月 7日 (金) 00:46

MANU.さん、お世話になりありがとう。
そして、今夜の伝道研究会でも、いろいろと刺激もらいました。

投稿: かりもん | 2010年5月 8日 (土) 00:56

負け組一定

いずれの願いも叶い難き境遇なれば
負け組は一定、すみかぞかし

釈尊の時代で好きな弟子はチュラパンタカですね。
かっこ悪く、ドジで要領が悪い。そんな彼が辛抱強く修行を続けることで阿羅漢の悟りを開いた。負け組一定の僕としては一番、共感が持てます。


投稿: 阿波の庄松 | 2010年5月 9日 (日) 08:05

なにごとも、「一定(いちじょう)」=「決定(けつじょう)」するのなら、定まるわけですから、ぶれない。大した境地ということですよね。

投稿: かりもん | 2010年5月10日 (月) 01:02

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