« ブルーメの丘 | トップページ | いまは元気です »

重ねて誓う

 日曜日、聖典講座。

 急きょ、悟朗先生の代わりに、登壇することになった。

 もともと永代経法座の直後なので、出張法座をいれなかったのが、さいわいした。

 決まったのは、前日の深夜のこと。準備の時間もない。「聖典講座」なので、参加者のなかには、聖典の解説や講義を期待している方もあるかもしれない。それで、法話ではなく、聖教を取り上げる講義スタイルにした。いまは、『正信偈』講義なので、それ以外のもので。さいわい、これまでの蓄積があって、『大経』や『歎異抄』などなら、プリントも用意が出来ている。

 永代経のご満座で取り上げたこともあって、もう一度『重誓偈』をいただくことにした。あの時は、三誓のところだけの法話だったので、今日は、大経での位置づけ、全体の構成、そして、その意味について、かなり時間を割いた講義形式とした。

 要は、なぜ、法蔵菩薩は、四十八願だけでなく、重ねて誓わねばならなかったのか。そのお心を聞かせていただくことが、ご聴聞だといっていい。結局、私達は自分の欲望の願いばかりで駄々をこねて、肝心の親の願いには心を閉ざしている。それでいて立派な信心だけは欲しいのだから、凡夫の求道はまったく本末轉倒だ。ならば、信が生じるもとである仏願を、おのれを空しうして聴く、そのお心を頂けばいいのである。

 本願から重誓へ。つまりは、願いと、誓い(誓願となると同じ意味だけど)は、それぞれに意味合いも違う。平たくいうと、南無阿弥陀仏ひとつで、お前を必ず仏にしてみせると、十方衆生に願いをかけてくださり、それが、もし実現しなければ、「設我得仏~~~不取正覚」-私はけっして仏にはなりませんと、諸仏(世自在王仏)にお誓いくださった。つまり、それは単なる願いではなく、誓いに裏付けられた願いが、私ひとりかけられている。それが、重誓偈では、「誓不成正覚」と、三度も-48願(全体)、18願、17願を重ねてお誓いを建ててくださっているわけ。

 しかもそれは、単なる願いではない。「我建超世願」-我、超世の願を建つ-と始まる。世を超えた願いなんですね。世俗や世間を超越していると同時に、諸仏に超え勝れた願。それは、一劫もかけた罪業調べと、さらに五劫思惟にすえに建てられた本願を、さらに重誓ってくださっている。もちろん、衆生の疑いを晴らさんがための重願であり、また次ぎの18願のこころにある「貧苦」を救う「大施主」になろうという、他力回向のおこころも顕し、さらには、その救いの手立てを、「名声超十方」と、名号という名乗りとなって示してくださった。まあ、念には念を入れたお手回しなんです。そのあとは、三誓に基づいた、光明と名号の徳をもった最高の如来になることの決意表明が続いて、最後に、それがすべて真実であることを法界(全宇宙)の証明を請われたわけです。

 五劫思惟の末に、四十八願を建て、重ねて誓(重誓偈)われたあと、六種震動の宇宙の証明があって、いよいよ兆載永劫のご修行に入られるわけです(その修行の具体的な中味は、前号の華光誌誌上法話を参照)。

 つまりは、このわたしひとりの疑いを晴らすために、この私に「南無阿弥陀仏」と称えさせるために、全宇宙の総動員、総掛かりなんです。なのに、その「南無阿弥陀仏」ひとつが信じられない、それひとつだけでは満足できないのが、ここにいる私の正体。だから、頭を垂れることのできなかった疑いひとつのために、これまでも、そしてこれからも迷っていくわけでしょう。これだけ願われ、誓われている阿弥陀様と、親子の名乗りができないなんて…。こんな淋しい、空しい、悲しいことはない。

 聞かせてもらせいましょう、「南無阿弥陀仏」の親の呼び声を。

|

« ブルーメの丘 | トップページ | いまは元気です »

法座と聞法」カテゴリの記事

コメント

かりもん先生、いつもブログをありがとうございます。聖典講座のテープをお待ちしています。
ところで悟朗先生の代わりをされたと言うことは悟朗先生のお身体の調子が本調子ではないと言うことでしょうか。(永代経の前に少し触れておられましたが)
以下は2008年の華光大会の懇親会での会話です。

私「悔しいことに耳がだんだん遠くなってるんです。」
悟朗先生「それはありがたい事やな。」
私「えー?ありがたくないけど。。」

昨日久々に悟朗先生の聖典講座のテープをお聞きしていて、「当て頼りにならない自分を益々見せてもらってそこがありがたいな」と言う意を込めてそうおっしゃったのかも知れないと納得しました。(実は全然違うかも)悟朗先生によろしくお伝え下さいませ。

投稿: チャン | 2010年5月11日 (火) 15:07

チャンさん、ご無沙汰しています。皆さん、お元気ですか?
ご心配おかけしました。
先生は、元気ですよ。ただ、一点だけ、生活が不自由な点があって、今月の出張法座はお休みさせてもらうと思います。来月以降は、その様子ですね。来週の「日曜学校同窓会」には、顔を予定にしていて、会館の行事は、変わらず参加できると思います。詳しいことは、また同人会MLやブログでも、触れます。

投稿: かりもん | 2010年5月11日 (火) 23:58

かりもん先生ありがとうございます。ブログの「今は元気です」も拝見しました。実は、聖典講座を休まれるくらいだから相当お悪いのかと思ってしまいました。こちらはお蔭さまで元気にしてしております。

「日曜学校同窓会」の懐かしい顔ぶれを悟朗先生も楽しみにしておられるでしょうね。

投稿: チャン | 2010年5月13日 (木) 15:16

そうですね。堺からも、ちょっと懐かしい方お出でくたさいますよ。よく考えると、皆さん、深い深いご縁をいただていた、仏の子どもたちですものね。

投稿: かりもん | 2010年5月14日 (金) 01:08

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 重ねて誓う:

« ブルーメの丘 | トップページ | いまは元気です »