予定変更~これから高山~
午前中はピアノの調律。会館にピアノを寄付をしてくださり、無報酬で調律のために、1年1度会館に顔をだしてくださる日高同人だ。先日の同窓会にもなんとか出席してもらいかったが、残念ながら、法座はご縁がない。同窓会の話題から、なんとか9月の日高での聞法旅行をお誘いしてみたが、いい返事はきけなっかたが、なんとかご縁がつながないかなー。
すぐに、白馬社との正像末和讃の再校の打ち合わせ。まだかなりアカがなるし、和讃の総索引も造りたいので、あと2校はでるだろう。華光誌の編集があるので、次は再来週になる。あと2校はあって、なんとか7月の壮年までには、下巻の発行を目指したい。
これから、高山支部法座に出かける。もともとが父の予定が、永代経の後で変更となった。それで、ぼくの予定だった日曜日の大阪支部は、K先生が快く引き受けてくださった。ところが、そのK先生が、昨夜になって体調不良から、欠席の連絡。慌てて、代打の代打を探して連絡を急ぐ。さいわい、若手のO先生が都合をつけてくださり、大阪とも話が付いて、ホッとした。いざとなれば、先生クラスの力のあるお同行さんもおられる。感話や輪読、座談会でも対応できるのだから、その点では、慌てながらも、心のそこでは安心している。
1)高山支部法座
日時:29日(土)夜7時、30日(日)朝9時、昼1時30分
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/takayama2010-5.htm
2)大阪支部法座
日時:30日(日)1時30分~4時30分
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/osaka2010-5.htm
3)仏教青年会月例会
日時:30日(日)1時30分~5時
会場:華光会館3階研修場
大阪支部とかぶっているが、華光会館では、仏青の月例会。
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/bussei2010-5.htm
◎では、高山でお会いしましょう。こんな気候にいい時期に高山に出かけるのは、初めてだ。5月末というのに、朝晩は肌寒い日が続いているなー。
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コメント
遅レスで申し訳ございません。華光大会では皆様方に大変御世話いただき有難うございます。
悟朗先生の御身体の加減は如何でしょうか? K先生まで体調を崩されたとか。
取り立てて話題もないので最近読んだ本の紹介です。
大田利生先生の『無量寿経の研究』(永田文昌堂)と伊藤瑞叡先生の『法華経成立論史』(平楽寺書店)。どちらも大分以前に購入していたのですが、今一興が乗らず、気になるところの拾い読みしかしてなかったのですが、今回、全部拝読させていただきました。
大田先生のは、これまでの諸先生方の説を総括されたうえで、主に後期無量寿経における「聞名思想」を通大乗思想として、大乗諸経または阿含との影響関係の考察を踏まえて位置付けなされようと努力されている労作だと思いました。華光会の名称の基になっている「華光出佛」の一段が、『荘厳経』には無いことなど、基本的なことで知らなかったことも多く、大変勉強させていただきました。
伊藤先生のは、これまでの諸先生方の成立論に御批評を加えながら、伊藤先生が自説を展開なさっています。浄土真宗系の常盤大定先生や横超慧日先生、真言宗系の渡辺照宏先生、同じ日蓮系でも八品派(本門法華宗)系の田村芳朗先生や刈谷定彦先生など、伊藤先生から観て他宗他派系の先生方の説には総じて手厳しい批判をなさっています。
『不機嫌な職場』(講談社現代新書)まるで自分の身の回りのことのようで考えさせられます。以前読んだ『成果主義トメンタルヘルス』も再読しました。2冊はそれぞれ立場や思想は違いますが、参考になります。
投稿: 縄文ボーイ | 2010年5月30日 (日) 12:29
K.Yさん、お大事にしてください。
聖典講座にお出でになったら、ぜひ、お声おかけください。
今日のところは、不思議とそれほどの不快感がなかったので、自分でも妙に感じています。それで残してしておいてもいいけれど、ご希望とあれば消去しておきます。
投稿: かりもん | 2010年5月31日 (月) 00:19
縄文ボーイさん、ようこそ。
大田先生は、姉の修士論文(大経の胎化段・仏智疑惑の問題)の時には、お世話になっていたように思いますが、なぜか、ぼくはご縁がなく、講義も受けたことがありませんでした。
『不機嫌な職場』は面白いかったですね。なぜかインドの機内で読んだので、そのことが印象に残っています。
投稿: かりもん | 2010年5月31日 (月) 00:23
これまでの私のコメントはすべて消して頂くと有り難いです。最近暴走族がほとんどいなくなりましたが、私が暴走族になって周囲に迷惑をかけまくりたいほどストレスが溜まっています。お金に困っていて(足の裏に一年以上水ぶくれ)本や遠くの法座のために、儲けたいのはやまやまなんですが・・
なるべく自分を抑えて大人しくしますのでよろしくお願い致します。
投稿: K.Y | 2010年5月31日 (月) 20:10
K.Yさん、了解しました。このコメントを除き、すべて消去します。
爆発しそうなほどのストレスなんやね。少しゆっくり進めればいいですね。
投稿: かりもん | 2010年5月31日 (月) 22:31
>伊藤先生から観て他宗他派系の先生方の説には総じ て手厳しい批判をなさっています。
「安心調べ」を古本で読みましたが、他を排他する、攻撃的な内容で驚きました。これが獲信した人のいうことだろうか? あまりにも上から目線、傲慢さを感じました。
信巻に書かれている信後の心に叶っているでしょうか? 人間的な見方かもしれませんが、その18の心が感じられるかどうかで私は判断したいと思います。
失礼ですが、もう、伊藤バブルは終わったと思います。
投稿: 阿波の庄松 | 2010年6月 1日 (火) 04:03
なるほど。阿波の庄松さんには、上からの傲慢な態度で攻撃的に思えるものは、信後の心にかなっていないので、そんな態度の人は信じられない。そこが、信・未信の判断基準ということかなー。
投稿: かりもん | 2010年6月 1日 (火) 22:33
阿波の庄松さんへ一言だけ。
>伊藤先生から観て他宗他派系の先生方の説には総じ て手厳しい批判をなさっています。
私の上のレスで言う伊藤先生というのは、前後を読んでもらえばおわかりかと思いますが、『安心調べ』の著者で、華光会の創始者である、真宗興正派の伊藤康善先生のことではなくて、立正大学の教授で佛教思想學会(私も入れて頂いてます)代表の伊藤瑞叡先生のことで、日蓮宗の方です。御父さんは、昔、西本願寺に隣接していましたたが、筋の悪い諸事情を抱えていた本国寺(国は本来、旧字体でしたが、水戸黄門様の御母堂が有名な日蓮宗の外護者でしたので遠慮して字を変えたそうです)を山科に移転された管長です。
余談ですが、その旧本国寺跡地は、当時の某政治家(有力門徒)の尽力もあったとされますが、現在は西本願寺境内となっています。
投稿: 縄文ボーイ | 2010年6月 5日 (土) 11:39
失礼致しました。
縄文ボーイさんは小○さんでしょうか?
もし、そうなら、お聞きしたいのですが、信後の心として、専心、深心、深信、堅固深信、決定心、無上上心、真心、相続心、淳心、憶念、真実一心、大慶喜心、真実信心、金剛心、願作仏心、度衆生心、大菩提心、大慈悲心、以上の心が変わると信巻に書かれていますが、こういう心になられましたか?
私は信心というのは喜ぶ心ではなくて、菩提心だと聞いています。当然、菩提心が起きたのなら、行いが変わるはずです。仏法、広めることに勇猛心で取り組んでいくことになると思います。信心、得たなら、後はブラブラ遊んで余生を楽しもうとはならないはずですよね? また、仏様というのは人を助けるために、下の境遇にも落ちてきてくださり、ともに悩み苦しんでくださるわけだから、真実信心を得た人なら、上から目線ではなく、ともに落ちようぞと、そういう心を持っていますよね? 地獄へ落ちたくない人が目指しているの浄土ではなく、天上界を目指す信仰であって。
いわゆる信罪福心ですよね?
投稿: 阿波の庄松 | 2010年6月 6日 (日) 08:24
地獄へ落ちたくない人が目指しているのは、浄土ではなく、 (訂正)
投稿: 阿波の庄松 | 2010年6月 6日 (日) 08:39
>縄文ボーイさんは小○さんでしょうか?
小○さんというのが誰を指しているのかわかりませんが・・・・。
私のところで言えばということなら、前に、かりもんさんが仰っていたのと同じですが、
「専心、深心、深信、堅固深信、決定心、無上上心、真心、相続心、淳心、憶念、真実一心、大慶喜心、真実信心、金剛心、願作仏心、度衆生心、大菩提心、大慈悲心も、菩提心」も、みんな、みーんな「こんなつまらない無佛無法の私一人のところにまでも真実が、仏法が届くように、仏法を広めることに勇猛心で取り組んでくださる、私を助けるために、私の境遇にも落ちてきてくださり、私とともに悩み苦しんでくださる、上から目線ではなく、私とともに落ちようぞという」仏様、南無阿弥陀仏様の御心、御力、御名の外にはありません。
私の本性から出る私の業(心もその一つ)は、変わりようもないですが、その私一人の地獄の釜底まで飛び込んで下さり、私の業火で共に苦しんでくださる南無阿弥陀仏様の御心は言葉で言い表せない真の真の御心、御姿です。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>地獄へ落ちたくない人が目指しているの浄土ではなく、天上界を目指す信仰であって。
いわゆる信罪福心ですよね?
そうだと思います。かりもんさんもブログに書かれていましたが、「大乗仏教の起源」にも関係すると思います。
投稿: 縄文ボーイ | 2010年6月 6日 (日) 11:49