日曜学校同窓会法座
3時30分をすぎてから、「日曜学校・子ども会」同窓会法座に合流した。
朝から始まっていて、もう勤行や2座の法話に、会食も終わっていて、近況報告の座談会が始まるところだった。父が法話をしていたこも、ちょっと驚いたが、ホッともした。
子ども大会が始まってから、もう50年以上の歴史があるが、こんな形で集まるは初めてだ。しかし、今回はすべてのメンバーではなく、古い同人方への呼びかけである。というのも、今回の呼びかけ人は、30数年前に、華光会館に間借り居住していたMさんたちである。
もともと、創立当時の華光会館は、信仰に熱心でも、組織もなく、金もない。あるのは、借地の家賃と、会館創建のための借金である。でも、それを返すあてはないが、熱情だけはあった。この会館の館主になった悟朗先生夫婦が、布教活動以外の副業で返済していった。主には、文化教室や学習補導、そして、会館の間借り収入(単なる学生下宿ではない)だ。だから、まだぼくが子供の時には、1階に4家族が住んでおれらて、家族連れの内も2家族もあった。そこで家業(ミシンの音を覚えている)をされている方まであった。同じ世代の子供(みんなぼくの先輩)たちも5名はおられた。2階には、下宿生がたくさんいって(行事のないとき、道場をまじきって使用)、そのうち、2階は2人の大学生になったが、その2人のお子さんが、いまでは仏青の主力であるというのも、不思議な因縁だ。
その間借り組の中でも、信仰に熱心であったMさんが、30数年ぶりに、東京公演会をきっかけに復帰されて、とうとうインド旅行までご一緒することになった。そのMさんと、Kさんたちが中心となって、長らくご縁の遠のいている元同人や日曜学校の生徒さんたちにお声をかけをしてくださったのが、今回の企画である。
だから、ぼくより上の世代で、さらに姉より上の世代が中心である。50、60、70代の方で、父親の代わりに参加していた1名を除いて、年長の先輩ばかりだった。それでも、みんな懐かしい顔ぶれである。皆さんに、可愛がってもらい、育ててもらった。ぼくが子どものころ、班長や先生をして、指導してくださっていた方もおられる。ひとりひとりの思い出も、あれこれある。でも、お久しぶりの方は、外ですれ違っても、お互いわからないなーと話していた。その人の中では、ぼくはまだ中学生なんだものなー。
さらに、京都におられた時には、華光会館の事務、書道教室、法座では、いつも悟朗先生片腕となり、また、悟朗先生がアメリカ長期布教(冬場の2ケ月間)中には、毎年、先生の代わりを勤めてくださっていた、新潟のI先生にも久しぶりにお会いした。先生もに、ずいぶん可愛がったもらい、またお世話になってきた。華光会館でご法話をいただくのは、会館再建の法要法座以来かもしれない。もともとは、初代の日曜学校の主任をしてくださっていたのが、今日のご縁である。そして、伊藤先生から最古参同人であった、やはり新潟のFさんは、金沢の法座からの合流である。さらには、会館に住んでおられた娘さん、またそのころの日曜学校や仏青で活躍された方も、みんな、30数年ぶりにお出でくださって、とても懐かしく、うれしかった。
一言ずつ、言葉をいただく。みな涙ぐみながら、ご法に会ったこと、自分のいま原点を気付いてもらったことをなどを、感慨深くお話くださった。
たまたま最後に、姉が発言した。考えられないほど、幸せな子供時代を送ったと、彼女は言った。その理由は、ひとりの念仏者として、一人前に尊重されていたというのである。もちろん、当時のことである。いまのような、(時代も含めて)ゆるい雰囲気ではなかった。だから年齢に限らず厳しく接せられることでもあったが、いまから考えると、子供扱いで、適当にあしらわれないで、しっかりとご法を伝えてくださっていたという。たしかにそうだったなー。法の上では、また無常と上からも、大人も、子供もないのである。
でも、ぼくは、そんな話を聞きながら、たしかに幸せだったかもしれないけど、同時に、小学校時代から常に淋しさという、影も感じていた。それはいまも同じかもしれないが、どんなに家族と一緒にいても、たったひとりだという孤独感がつきまとっていたのである。しかし、ぼくがひとりと向き合わせてもらえるのも、皆さんに包まれていたからなのかもしれないと感じている。孤独感は強かったが、有り難いことに、閉じ籠もったり、孤立していたという思いはないからだ。
そんなことを味わってながら、あらためて皆さんの、歳月を経た顔を眺めた。
いつも、ぼくたちは、目の前のこと、自分のことしか考えられない。しかし、ほんとうはこの皆さんの周りにも、たくさんの故人となられた先輩同人がおられて、その方々のおかけで、仏法が相続され、私達の聞法道場も続いてきたのだ。そう思うと、この畳一枚、一枚が、尊く感じられた。そこにも、ここにも、これまでの同人の涙がこぼれ、お念仏の声が染み渡っている。仏様のいのちが捨てられていない場所はないのである。自分のひとりで求めている、聞いていると思っていたら、大きなうぬぼれなんだと。
ぼくには短時間だったが、単なる懐古ではなく、何か、大きな力をいただいた気がした。
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コメント
もう、現在は華光会館に間借り居住は出来ないのですか?
京都で就職があったら、聞法三昧の生活と夢のJR生活、そして、京都みなみ舘通い(?)をしてみたいと思うのですけど。まぁ、これは”願望”ということです。
投稿: 阿波の庄松 | 2010年5月24日 (月) 07:40
昔は、間借り以外に、お手伝いしながら、求道する人も、よくあったけれど、残念ながら、いまの会館では無理だね。
まあ、願望ということで…。
投稿: かりもん | 2010年5月24日 (月) 23:59