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金沢の法座

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 1年ぶりの金沢。北陸に向かうのも、昨年の9月以来だ。そのときは、福井での聞法旅行。車だったが、シルバーウィークの渋滞に巻き込まれて、ぐったりした。今度は、サンダーバード。ちょっと車窓風景を撮影。琵琶湖は、いつ見てもきれいだ。滋賀県のこのあたりは、琵琶湖と比良山系に挟まれた狭い範囲で、コメが作られている。山の方には棚田も拡がっていて、Img_0713美しい。京都から大津までとは、ずいぶん違う風景だ。

 それが、福井や石川に入ると、急に耕作面積が広くなるのがわかる。遠くに雪を抱いているのは、白山連峰だろうか。今年は、妙な天気で、数日前までは重ね着をしたり、毛布Img_0719が必要たったのが、、急に夏の陽気になって、半袖が恋しい。遅い初夏の訪れに、標高の高い山では、残雪がきれいだ。

 2時間強で、金沢に到着。

 今年から、昨年までの犀川のほとりにあった犀川荘から別会場になった。方向も逆で、駅から兼六園の横を抜けていく。金沢に来ても、残念ながら観光するわけではないが、この地も、高山や京都同様、外国人も含めImg_0728て観光客が多いようで、車内も満席だった。皆さんが、京都に来ても、京都駅から十条駅を往復して、華光会館しか知らないのと同じだ。

 会場は、浅野川のほとりの高台にある。犀川と浅野川に挟まれた天然の要塞。このあたりも、京都や高山の地形とよく似ている。

  さて、法座は法話が三席だ。土曜日は、各地で話してきた『歎異抄』第九章(あとは大阪と京都だけになった)と、難信にして、易信である他力信の世界。それは、親鸞様をして、四不十四非という否定的な表現を使うしか、「不可称、不可説、不可思議」の他力回向信をのべることはできないが、それは、ちっぽけな自力のあさはかな智愚の毒を破る、広大無辺の智慧の世界であること示された「大信海釈」のお取次ぎ。翌日は、これもしばしば取り上げている。「いのちの大切さ」についてがテーマであった。

 聞法歴は長いが、華光とのご縁はまだ1~3年以内という方が大方である。それでも、この1年で、聴聞の方向が変わってきておられるのがわかる。ご法やご文を、外側において対象的に捉え、なんとかこの頭で理解して、信心を得ようという聞き方から、そのご法を理解するのではなく、それが私自身を問う鏡であり、その鏡を手がかりに、真の自分自身を問題にする聞き方に変わっておられた。だから、力みなく、聞けるようになるので、法話も届いていくのである。そうなると簡単なようなのだが、実は、この変わり目が、まず難解だ。これも、種々のお育てのおかげなのだ。といてっも、それが、そうわかるのも、また難しいものだなー。

 その意味では、皆さん、ずいぶん育っておられることに、感銘した。しかし、妙なところで握ったり、止まらないで、さらなる一歩を踏み出してもらいたい。そこからが、実は、ご法の厳しさであり、真の楽しみなのである。さらに、もう1歩。ご縁が新しい方が多いだけに、またこれまでの聴聞の蓄積があるだけに、これからの展開が頼もしいとも思った。

 そううそ、懇親会もずいぶん賑やかでよかった。噂では、お酒不足との心配もあったが、いろいろと楽しめた。もっとも、法ではなく、酒に酔う人まででる盛況ぶりだった…。

 日曜日は12時に終わると、金沢転勤中のMayさんのご主人に駅まで送ってもらって、急いで京都に戻った。

 華光会館での「日曜学校同窓会」に顔をだしたかったからである。(つづく)

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コメント

何が起こるかわからない中、それでも仏法を聞くためにやっと人間に生まれさせてもらい、ありえなかった今の御縁がある。不思議としかいい様がありません。一歩のために万難を排して(おおげさではなく、そう思わなければ何かあったら聞かない私だから)聴聞させてもらいます。
あの~もちろん法にも酔ってたんですけど・・・

投稿: 酒奉行 | 2010年5月22日 (土) 07:36

華光会では三願転入について、どう解釈されていますか? 今の真宗界において三願転入を説くところは稀のようですが。

確かに獲信したとおっしゃっている方はいますが、
信巻には信後の心として、専心、深心、深信、堅固深信、決定心、無上上心、真心、相続心、淳心、憶念、真実一心、大慶喜心、真実信心、金剛心、願作仏心、度衆生心、大菩提心、大慈悲心、これだけ述べられているんですよね?

果たして、そういう心になっている人がいるでしょうか?

投稿: 阿波の庄松 | 2010年5月22日 (土) 08:04

阿波の庄松さん
これは、「皆さん」にとっては、いい質問だなー。
「専心、深心、深信、堅固深信、決定心、無上上心、真心、相続心、淳心、憶念、真実一心、大慶喜心、真実信心、金剛心、願作仏心、度衆生心、大菩提心、大慈悲心」
おお、なんとありがたいやろうね。こんなにありまか。どれだけならべても、これぜんーぶ、「南無阿弥陀仏」っていうことなんだよね。そして、私から起こすものはひとつもなくて、すべて他力回向からの信心のお徳。

>果たして、そういう心になっている人がいるでしょうか?

ところが、ぼくのこころは、まったく正反対。無漸無愧にして、真実心も清浄のこころのかけらられない。小慈小悲もなけれど、当然、有情の利益なんか、まったく考えない。いつもフラフラし、自分中心の欲得と、愼恚にあけくれている。見事なほど正反対だー

だから、もったいなんですよ。
そんな無慈悲、無智のぼくの口から、真実の塊の南無阿弥陀仏が出て下さるんだなー、これが。そこにかえるしか、ぼくの上には、「専心、深心、深信、堅固深信、決定心、無上上心、真心、相続心、淳心、憶念、真実一心、大慶喜心、真実信心、金剛心、願作仏心、度衆生心、大菩提心、大慈悲心」のかけらもないんだー。

「南無阿弥陀仏」って、尊い塊やなー。

投稿: かりもん | 2010年5月23日 (日) 01:09

酒奉行さん>いい、奉行ぶりでしたよ。楽しかったし、やりくりや工夫に脱帽しました。
何かたいへんなことがあったようだね。でも、そのことを通じて、きっと南無阿弥陀仏のお心が、いっそう光り輝くよ。だって、聞法の向きが変わってきたこととも、うれしく思ったし…
そうやね、酒じゃなく、法に酔ってたんだね。
そうそう、6月の北陸もお世話になることになりました。

投稿: かりもん | 2010年5月23日 (日) 01:15

昨年の華光大会のかりもん先生の姿を見て、これらの心が感じられたことは確かです。

本当に真宗界はマニアックで誰がいいのか何が正しいのか、分からない。基本的に情報が少ない。

もう、お亡くなりになった先生方も多く、じゃ、今、どうやって、誰に聞けばいいのか?が分からない。

信後の心…それらは確かに書かれてあることなんですが、相手に仏様を求めてはいけないと気をつけるようにはしています。

投稿: 阿波の庄松 | 2010年6月 5日 (土) 05:18

阿波の庄松さん、なるほどね。
何が正しいのやら、間違っているのなら、確かにわからないですよね。

少なくても、ご聴聞の上では、私は迷っている、間違っているところを聞かせてもらっていければいいんじゃないかなー。「南無阿弥陀仏」の阿弥陀さまのお心だけが、真実だと。

もちろん、たんへん恐縮ながら、ぼくの中にも、まったくまことのかけらはないことだけは、真実です。南無阿弥陀仏に出会っても、地獄一定の私にはかわりはない。ただ、わが身かわいい、愛妻愛子の凡夫の姿が、ますます浮かび上がるばかりで、慈悲の心も、報謝の思いもないんです。でも、自利利他円満した、智慧と慈悲が満々た「南無阿弥陀仏」が、この腐った口から出て下さるのが、不思議なんです。その私にかけられた願いを聞かせてもらって喜び、その大慈悲心のお心に涙させてもらって、ただ「南無阿弥陀仏」なんですね。

投稿: かりもん | 2010年6月 6日 (日) 23:04

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