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2010年5月の22件の記事

如来様にぶつかれ

 さて、肝心の法座の中味である。

 法話は、3座。「常識と他力信心」と題して、大信海釈をいただき、翌日は、大経の法蔵菩薩の発願から、重誓偈のこころをいただいた。かなり、ご法話は、丁寧にお取り次ぎした。高山の方は熱心に、お念仏をしながら聞いてくださるので、ついつい力が入って、長くなる。

 今回は、東海組が3名に、飛び込みで富山から1名。日曜日に、さらに富山などからも加わり、結局、35名ほどのお参りがあった。

 求道者は、苦しいところにたっている人たちが多かった。これからが聞法の始まりだったり、いまは結果を探らず、しっかりご聴聞してくださいという方もあった。すぐに衝撃的なことや、外側の烈しい衝動は目につきやすいが、実は、そんな派手なことがなくても、その内では少しずつお育てをいただいて深まっている。逆に、外面に派手というか、烈しい体験をするのに、まったく深まらない人も、たまにはいる。それを繰り返する人は、何か心理的な傷を抱えているのかもしれない。それはともかく、大方は、内面の深まりには、本人は気付けないものだから、どうしても、ハッキリした結果ばかりを焦る苦しい時期が続く。意識のレベルでは、なにも変わっていないからだ。それどころか、まったく闇に包まれて、むしろ後退したとしか想えないのである。宙ぶらりん状態ほど、苦しいことはない。聴聞に行くのも、絶対に嫌だが、さりとて行かないわけにもいかず、家にいても苦しいだけだ。何か、惰性でお参りしているが、さりとて聞き開けるようには思えない。口を開いても、どうも取り繕っているばかりで、本心もわからないというのである。実は、そんな時が、説き手側も、要注意である。八方塞がりで、こちらもその苦しさを変えてやりたいと、焦って何かを与えてしまいがちである。求道者側にしても、苦しいのだがら、何かすがりたい。そこに、渡の船で与えてもらうと、有り難いものや、念仏やプチ体験などを握ったり、取り込んだりして、出来上がろうとする人が多いのだ。しかし、そんな誤魔化しは、先輩同行の前では通用しない。みんな、同じ道を通ってきたので、よくわかっているのである。そこで、同行の中には、相手をよく理解しないままに、すぐにつぶしにかかる人がある。だいたいが、自分が我慢できないのである。それで、大事に握っているのもを強引に奪ってしまって、相手を傷つけたり、妙にこじらしてしまうことが多々ある。実は、そんなに無理をしなくても、破綻するものは自ずから破綻する。むしろ、そんなときほど、じっくり構えて、多少泳がせているぐらいのほうが、いいケースが多い。といっても、これもそれぞれのケースがあって、絶対的なものはない。ただ、誤魔化している時ほど、何かチクチクしている、針の筵はないでのある。本人がいちばん分かっているのは確かだ。

 でも、ほんとうは、その苦しいところからが聞法が始まるのである。まったく何度も聞いても変わらない、分からないときこそ、苦しい私の内部では、大きな格闘が起こっているのである。そこを、お同行さんに励まされたり、叱咤されたり、ときにやさしく受容されたりしながら、私-如来との一対一に向き合う世界に出せてもらう。だから、本気になって、如来様にぶつかってみればいいのである。きれいごとではなく、わからないものは、わからないと、ぶつかってみる。ここで、遠慮はいらない。自分の生地一杯で聴くしかない。自力だろうが、他力だろうか、どうせ、私にはそれがわからないのたから。私の理解の浅さは、意識=自力、無意識=他力、程度でしかない。ならば、精一杯、如来様に尋ねてみたらいいのだ。

 如来さまの、「汝、一心正念にして、直ちに来れ!」の、本気の呼び声が、ハッキリ届く世界があるのだ。

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高山法座の前後のこと~訃報と、鹿の衝撃~

 高山支部法座。夜からなので、一仕事すませて、昼過ぎに京都を出発。天気もよくて、やっと初夏の陽気になった。十条駅から近鉄に乗ると、父が、屋上を散歩しているのが、見えた。すっかり元気を取り戻し、医者から、少し歩いたり日にあたったりすることを勧められている。もとに戻るには、もう少し時間がかかるだろうが、かなり意欲的になっているので、少し安心している。

 高山駅では、東海支部の最近の常連お二人のお迎えを受けた。夕食をすませて、法話の準備をしていたら、「先生、会館のTさんから電話です」との呼び出し。相変わらずケイタイをもたないので、めったなことでは(呼び出しの)電話はかかってこない。何か事故か、急病か、それとも誰かが亡くなったか、とにかく緊急の用件で、ロクナことは思い浮かばない。覚悟をしてでると、やはり訃報だった。

 「大阪支部のAさんが亡くなられて、〇〇がお通夜、〇〇が葬儀だそうです」との電話。以前、家族の葬儀を依頼されたことがあったで(その後、遠方なのでお寺さんを紹介した)、今回も依頼なのかと思ったが、違った。家族葬なので、あとの連絡や対応の相談。

 それにしても、意外だった。

 Aさんは、5月の永代経法座に、娘さんやお孫さんに連れられて、ほんとうに久しぶりにお参りくださっていたからだ。孫さんが、おばあゃんの指にかわいいマニキュアをされていたのが、印象的だった。少しお話したが、お体は元気そうで、お参りにきてくださったことが、うれしかった。旧知のお同行さんも、次々と話しかけられて、ニコニコと笑っておられた。

 それからまだ3週間ほどでの訃報。急すぎる。

 だれも、あの時が最後になろうとは想像もしていなかったが、死の縁無量。

 法座も終えて、K T兄弟と、東海二人組と会食。宮川のほとりImg_0870に立つお店で、こんな豪華な 御馳走をいただいて、最終のひだ号に乗り込む。

 ここは本線といっても、単線で、対抗列車の待ち合わせもあるし、これまでも事故が起こっている渓流(景色はいいが)を走ることもあって、4、5分程度の遅れは当たり前。少し前には、信号機Img_0849の故障で30分以上も待たされたこともある。でも、今回は、順調にスタート。1号車の2番が座席。運転席から眺めもいい。わざわざ1番の座席を予約した鉄チャンらしき人たちも、景色を堪能している。すっかり日も長くなったが、さすがに7時をすぎると、暗闇になった。華光誌の編集作業のためにパソコンを開いていたが、下呂駅をすぎてから、少し眠ることにした。3席とも、かなりハリキッて法話したので、お疲れである。

 ウトウトと気持ちよく寝ていたら、突然、ドーンという衝撃があって、目が覚めた。すぐに前のめりになるほどの急ブレーキがかかる。「あーあ、これは後味悪いなー」と、前列からの声。なにかにぶつかったらしい。一瞬、最悪のことが頭をよぎった。しかし、外は暗くて、なにも見えない。列車の下に「何か」を巻き込み、轢いているのだろう。

 「ただいま、鹿と衝撃しました。安全確認のため、車両の緊急点検をおこないます」とのアナウンスがあった。鹿と衝撃(衝突ではないのが不思議)するとは、まったく予想していなかった。しばらく外で作業があって、ゆっくりと列車が動きだしたが、すぐに停車。安全な場所まで進んで、車両の点検が始まった。アナウンスは、同じことの繰り返しのなで、鹿がどうなったのかは伝えられなかった。

 高山線では、鹿との衝撃は、そう珍しくないことらしい。

 結局、20分ほどの遅れで列車は、出発した。わりと順調な作業だったのだろう。それでも、乗り換えの新幹線には間に合わずに、窓口で後発の新幹線の指定券に交換。なぜか、前の指定券にも「列車事故」のハンコが押されて、ホッチスキで指定券が重ねる方式だ。自動改札機も通れずに、直接、職員に渡した。

 それにしも、まったく目に触れていないというのは、なんとも恐ろしいものだ。衝撃で、なんとなく予想はつくのだが、実際、血みどろの遺体を見ることがないと、実感がなくて、ほとんど麻痺している。なんとなくいい気はしないが、自殺か、人身事故でなくてよかったーといちばんに思った。それでいて、同人の訃報にしてもそうなのだが、すぐに人ごとで、平気になる。まったく無慈悲な身なのである。

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予定変更~これから高山~

 午前中はピアノの調律。会館にピアノを寄付をしてくださり、無報酬で調律のために、1年1度会館に顔をだしてくださる日高同人だ。先日の同窓会にもなんとか出席してもらいかったが、残念ながら、法座はご縁がない。同窓会の話題から、なんとか9月の日高での聞法旅行をお誘いしてみたが、いい返事はきけなっかたが、なんとかご縁がつながないかなー。

 すぐに、白馬社との正像末和讃の再校の打ち合わせ。まだかなりアカがなるし、和讃の総索引も造りたいので、あと2校はでるだろう。華光誌の編集があるので、次は再来週になる。あと2校はあって、なんとか7月の壮年までには、下巻の発行を目指したい。

 これから、高山支部法座に出かける。もともとが父の予定が、永代経の後で変更となった。それで、ぼくの予定だった日曜日の大阪支部は、K先生が快く引き受けてくださった。ところが、そのK先生が、昨夜になって体調不良から、欠席の連絡。慌てて、代打の代打を探して連絡を急ぐ。さいわい、若手のO先生が都合をつけてくださり、大阪とも話が付いて、ホッとした。いざとなれば、先生クラスの力のあるお同行さんもおられる。感話や輪読、座談会でも対応できるのだから、その点では、慌てながらも、心のそこでは安心している。

1)高山支部法座

日時:29日(土)夜7時、30日(日)朝9時、昼1時30分

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/takayama2010-5.htm

2)大阪支部法座

日時:30日(日)1時30分~4時30分

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/osaka2010-5.htm

3)仏教青年会月例会

日時:30日(日)1時30分~5時
会場:華光会館3階研修場

大阪支部とかぶっているが、華光会館では、仏青の月例会。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/bussei2010-5.htm

◎では、高山でお会いしましょう。こんな気候にいい時期に高山に出かけるのは、初めてだ。5月末というのに、朝晩は肌寒い日が続いているなー。

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ソフトオープン?と、閉店と

 例の京都駅南側(八条口の西側)の大型ショッピング・モールが、オープンを迎える。

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 オープンは、6月4日なのだか、なせか、昨日からオープンの広告が入り、十条通にまで、「直進」とか「3つの信号右折」といったプラカードをもった乗用車の誘導員が並んでいる。なんでも、グランドオープンの前に、ソフトオープンと称して、1週間営業するらしい。まあ、本格的になる前のシュミレーションも兼ねているんだろうが、わかりずらいわー。もう、この段階で、交通量が増えている。以前は、京都駅への抜け道に使っていて脇道が駐車場への道に整備されて、抜け道として使えないのが、痛い。

 朝、自力整体に向かうときに、お店前には、すでに人込みができている。ここも通路なので、ちょっと不自由。それにしも、どこから人が湧いてくるんでしょうかね、皆さん、すごいやー。

 自力整体のあとは、自力のお仲間とランチへ。7月に教室10周年のお祝いを提案、企画したので、その打ち合わせを兼ねている。自分で仕事を増えしてしまったけど、なにか勢い。七条側から戻って、八条口のコーダルオンという玄米のお店に決めた。ショピング・モールと同じ八条口でも、こちらは東側になる。

 しかし、お店の前にたって、「が~ん」。数日前に行ったら、営業日なの閉まっていて、おかしいなとは思ったいた。でも、まさかね。なんと、5月17日をもって、営業終了の張り紙が…。近場で、おいしい玄米料理や無農薬コーヒーが飲めるので、かなり重宝して、家族でもよく利Img_0225用していた。それに、ブルースやジャズ音楽が中心なのも、うれしいところで、たまにあるライブ演奏も楽しみにしていただけに、かなりがっかりした。ちょうど後片付けのために店から出てきたオーナーとばったり出会った。「あれ、家内から閉店の連絡してませんでしたか。すみませんでした。また別の場所で再開する予定ですので、そのときは連絡します」と。そうえいばメールアドレスまでは教えていなかったようだ。契約は5月一杯なので最後の後片付けだそうで、店をのぞくと、手作りのカウンターも、テープルも撤去されていた。後に入るお店はまだ未定だそうだ。いくら洒落た大型店が出来ても、気心も知れて、ゆっくり出来るお店が消えるのは、さみしいかぎり。いまや、個人経営の小さなお店は、状況がきびしんだよなー。

 このあたりをうろうろしたが、ファミレスしかないので、ポルタまで戻って、「『はーべすと』という野菜中心の自然食バンキングのお店へ。仏青や子供大会でも利用していて、大手のチャーン店なんだけれども、まだましだ。ぼくの日頃のランチにしてはちょっと高いけれど、からだにやさしいものが多い。もちろん、貧乏性のぼくは、あれも、これもとちょっとずつでも食べたい。だから、食べすぎしてまって、結局、からだに負担をかけるんで、まったくからだにやさくしないだなーこれが…。

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興正派鹿児島教区法中研修会

 金沢での法座のあと、日曜学校の同窓会に出て、翌日は鹿児島へ。

 連れ合いの関係から、ご縁が出来て、真宗興正派の鹿児島教区の僧侶の研修会にお招きいただく。担当者が、連れ合いの大学院でお世話になっている方。でも、その初めは、興正派のご縁で、伊藤康善先生の『仏敵』を購入にこられたのである。いまから、6年ほど前の話。その時、ぼく以外は留守で、たまたま上の子の幼稚園バスのお迎えがあった。まだ年少で、お迎えがないとバスは出られないので、みんなに迷惑をかける。ほんの10分ほどだが、慌てて出ねばならない。しかたないので、初対面の彼に、「あなた、悪い人に見えないので、しばらく留守番しておいてね。電話がかかっても無視していいから」と頼んで、大急ぎで待ち合わせ場所に行ったのてある。まあ、たのむ方もたのむ方である。それが、不思議と連れ合いがお世話になり、それ以外にも、ゼミの前後の個性的な華光同人がいて、今回の縁となったのでのある。

Img_0745_2 鹿児島を訪れるのは、今回が3回目だ。前2回は、華光会の聞法旅行で「かくれ念仏」の遺跡を巡拜したときである。でも、それは市内のこと。よく考えたら奄美大島にも2度、夏休みに遊びに行っている。だから鹿児島県は6回目の訪問となるなー。飛行機なら、たった1時10分。でも、京都から伊丹が時間がかかる。間悪く、名神集中工事で、京都南ICが閉鎖中で、リムジンパスが迂回している。用心して、早めに出発したので、飛行機に乗るまでに2倍は必要だった。Img_0759_2

 京都は晴天だったのに、こちらは小雨。お迎えの先生方と、昼を済ませて、別院へ。鹿児島の中心街になって、空港からは40分ほどだった。

 鹿児島の同人も二人が特別に参加以外は、鹿児島の真宗興正派のご住職や副住職が中心のなで、みんな黒の布袍姿だ。25名ほどの参加があった。Img_0753

 前夜には、少しだけ教案は用意したが、あとはその場の雰囲気を大切にしながら、行き当たりで進むつもりでいた。「布教活動における真宗カウンセリングの実際」という演題を挙げたので実習もする予定だった。それには、参加の皆さんが、どれだけ真宗カウンセリングに関心があるのかも不明なので、そのあたりも確かめたかった。ただ、導入だけは、華光会やImg_0756伊藤康善先生のことに触れる予定だった。

 真宗興正派の伊藤先生のこと。『仏敵』、華光会の創立の経緯にしても、もともとは興正派の建物(当時は華園会館)とも、関連してる。そう考えると、真宗カウンセリングの誕生のもとだって、ある意味、ここから始まっていると言ってもいい。 

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 ただ、講義だけなら、退屈だろ。ぼくだって、その場の雰囲気が楽しめる、研修や実習の方が、自分を発揮できる。休憩場でお茶を飲んだのをきっかけに、こちらに会場を移して、車座に座って、気持ちをのチャックイン。質問が出てたことに答えて即興の演習やゲームをふたつ。これは面白しろかった。あとは3名組での如是我聞ゲーム。最後まで聴き、そしてなるべく正確に、気持ちの部分を明確化して返していく、その際、自分の意見や思いは交えないという学習法である。Img_0757

 皆さん、熱心に取り組んだくださり、ぼくも楽しかった。小宗派ならではの相互の親密感、結束力の強さが、打ち解けた雰囲気となっていた。その日は暑い1日だったが、場所を移したら、窓が開き、入り口が開いて、急に風通しがよくなってきた。寺院での真宗カウンセリングを導入するひとつは、これまでの長年の澱んだ檀家制度や寺院の体質から、少しでも僧侶と門徒さんの間の風通しがよくなること、相談や発言のしやすい開かれたお寺に生まれる変わることを目指しているのだがら、これはひとつの象徴的な雰囲気がした。

 あっという間に4時間は終了。華光同人のお二人の見送りに、玄関に出ると、ひとりの老Img_0758が、話しかけられた。

 「実は、昔、お父様に、私のお寺に布教に来てもらったことがあるんです。帰りは大型台風とかち合ってたいへんだったんです。妻も、伊藤先生のお隣のお寺から嫁に来ていてて、私も、学生時代は華光の信仰活動に参加していたんです。もちろん、いまでも、仏敵も、華光誌ももってます。そうそう、伊藤先生や増井先生、そしてT先生たちと、本山で撮影した写真もありますよ」と、父のことを尋ね、懐かしそうに話しかけてこられた。ああー、その写真って、『華のひかり』にでている、「龍象火を吐きし頃」という例のやつだ。この方も、まさか華光の話がでるなんて想像されておられなかったようだ。それより、鹿児島で、伊藤先生当時の、60年以上前の華光同人に会うなんて、ぼくの方が驚いた。やっぱり、興正派のご縁があるんだなー。

 もちろん、別院には、『仏敵』を寄贈しておいた。(つづく)

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これもお下がり?

今日も、8時すぎからエアコン工事。結局、夜のカウンセリング研修会の30分前に終了して、撤収となったが、どうにかまる二日で完了した。

 一階では仕事にならないのが、ちょうど三階の救護室で、和讃の作業中。昨日から、小部屋で過ごしている。ただ、朝は、ちょうど参観日だったので小学校に行いって、そのまま京都シネマで、塚本晋也の『鉄男』The Bullet Manという体感型映画。もともとはカルト映画から、ハリウッドでのリメイクまで計画されていた作品を観て、簡単にランチをして帰って来た。

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 学校のすぐ横では、京都駅南側の再開発で、大型のシッピング・モールのオープニングが間近だ。写真は、校舎の窓から写したもの。ふたつの大きな建物につなぐ、京都市内最大級のものになるらしい。ほんとうは、昨年秋にオープン予定が、関東資本の会社が完成前に破綻。結局、建設会社からイオンが引き受けて、今年春のオープンとなった。春オープンの予定が、6月に、やっとスタートする。ぼくには、京都市内では3軒目のシネコン型映画館ができることで、ちょっと関心があった。でも、大手は同じものしか上映されない。同じなら、少々遠くても、松竹系と、東宝系の既存の映画館を利用するだろう。会員になって特典が大きいからだ。もっとも、6割は、京都シネマを利用しているので、さほど影響はない。たしかに、便利になるだろうが、どうも全国画一化された大型店に、それほど魅力は感じないなー。それより、あきらかに人や車も流れも変わる(すでに変わっている)ので、小学校としてはむしろ心配のタネだ。

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 小学校の保護者の受付にいくと、あれれ、連れ合いコラージュが飾ってあって、びっくり。昨年もあったが、今年もPTAで指導するらしい。その予告。芸は身を助けるである。

 一時間目のナナの教室を少し覗いてから、カンロの教室へ。ちょうど体育の授業が始まるととろ。最近の小学校は、体育や音楽、算数や理科も、別の先生が教えることがある。

 今回から、鉄棒が始まる。全員、白のシャツに、紺色の半パンツ(すでにブルマーではない)を着ているのに、わが子だけ、袖に青いラインに入った白シャツに、スカイブルーの短パンと、衣装が違う。

 「なんで、ひとりだけ違うの?」と尋ねると、恥ずかしそうに、「あんな、いま洗濯中なので、幼稚園のやねん。110なんで、まだ着れるやろうって」、と言っている。たしかに。「ワイワイキッズってロゴがあるなー」と言うと、「恥ずかしいんで、言わんといて」と、言っている。
 帰宅して、そのことを連れ合いに話したら、
「アハハハ。カンロのと違って、ナナの保育園のやつやねん。まだ着れるのかなー。小さくなってなかった?」

 あのね。5年生になって、保育園の妹のお下がり(?)って、どんなんやねんー。

 ああ、上から下じゃなくて、下から上なんだなー、これが。

 

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エアコン工事と、番頭の心

 さて、昨年の同時期と同じく、今日から、1階のエアコンの総入れ替え。最終日は予備日で、一応、3日間の予定。しかも、大雨だったが、予定どおり工事があった。昨日の遠足といい、五月晴れを期待していたのに、うまくいかない。

 フロアーごとに、3年かけて入替えを行なう2年目。昨年はエレベーター修理、1月はボンプ修理と、再建15年を迎えて、電気系統の故障が相次いでいる。今回は、故障ではなくて、ある程度、折り込み済みとはいえ、ここ3年の修理の総額だけでも、1,000万円もの仕事になる。それでも、外壁の寄付があったので、今回のエアコンに関しては寄付は募らないことになっているから、なかなかたいへんである。

 昨日の法座も、真夏日だ。すこし遅れてきた暑がりの方。「暑い、暑い」といいなが、すぐにエアコンを強くされたら、まもなく部屋が冷えてきた。年輩の方は、どうしてあんなにクーラー好きなんでしょうか。昔の華光会館には、扇風機しかなかった。しかも、専属のものがないので、行事中は、会館中の扇風機をかき集めて回したが、みんなの熱気もあって、追いつかない。みんな汗をかきながら、聞法していた。「クーラーつけましょう」と、文句を言っても、ないものは仕方がなかった。第一、それだけお金もかかる。Img_0794_2、一旦、手に入ったら、「維持がたいへんなので、止めます」とは、なかなかいかない。結局、みんな快適に過ごしたいので、昔の不便さには戻れないのだ。でも、空調設備やエレベーター、そして車もそうだろうが、少しでも便利で、快適に暮らすための道具は、電気代(燃料費)にしても、維持・管理していくにしても、また環境面からしても、いろいろと無理が生じていいる。自然に逆らってまで、私の至便性や快適さを追い掛けていきたいてものなー。当然、経済的にも、それに見合う投資も必要になってくるわけだが、こちらは、なるべく私(の懐)にやさしくとしか願っていない。Img_0801

 朝8時すぎから、業者のバンが3台入ったきた。昨年のことを思い出したが、1階は、まだ台数が少ない。もう廃止するものもあって、かなり割引になったが、ビルトインタイプの交換なので、スッキリはしているものの、経費といい、設営作業、撤去作業は、それなりにたいへんである。事務所が対象なので、今日は、事務所は臨時休業にして、皆さんには休んでもらった。案の定、これでは仕事にならImg_0800_2ない。それでも、誰かが居る必要あるので、「和讃」の仕事の予定があったぼくが、2階に詰めていた。養生だけでも、1階の事務所や玄関の出入りも不自由である。

 まあ、こんな日に限って、事務の電話がよくかかる。それに、朝いちばんでも、ご示談の申込み。タイミングが悪い。さすがに、今日は無理だと思ったが、わざわざ関東から、昨日の学習会に参加して、少しぼくにも会いたかったのだそうだが、残念ながら、ぼくは広島だった。京都に1泊までされたそうなので、1時間ほどならということで、道場でお話を窺うことにした。さいわい、それほどの騒音はなかった。

 今生の相談のあと、本題へ。

 自ら、番頭の心は役に立たない。自分にはたのむことも、まかせることもできない。ただ、バンザイとおまかせするだけ。もう有り難いにもなれない。このこころは変わらないと、自力無効ということを、言葉を替えてお話くださる。あれ、よくわかっておられるなーと、ひとつひとつの話に頷きながら、心境の変化を聞かせてもらっていた。ずいぶん、聞かれているなとおもったが、それでも、どこかひとつが抜けていない。そうだ、「ああだ、こうだ」の言葉ばかりで、たったひとつ、「南無阿弥陀仏!」とならないのである。

 だから、夜にも、一言だけと電話がかかってきたが、同じことの繰り返し。「ただまかせるだけだ」と言う言葉と、「南無阿弥陀仏!」と称えることは、まったく別のものなのだが、その一言ことが、至難なのだ。

 「もうそこま出ておられるなら、『まかせられない。だから我をたのめと仰っている』のだと仰る口で、四の五の言うたのは昔のことで、「南無阿弥陀仏!」とたのんでご覧なさい」と、促してみた。しかし、同じような状況説明が始まって、とうとうその一言が出て来ないまま、強制終了した。

 次は、この虚仮の(正しい)言葉ではなく、その虚仮の口からでる、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の、真実の言葉が響くといいですよね。

 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

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真夏日の法座と、雨の日の法座

 土曜日の華光誌の輪読法座。

 暑い。暑いはずで、早くも30度を越す真夏日になった。今年の天気は、極端から極端に振れている。法座は、土曜日なのに、参加者は、これまでいちばん少なかった。広島から、例のカップルが、今日もお参りくれた。毎週、その執念には脱帽だー。少ない人数でも、華光誌の内容は、しっかり読んでいただいた。「法蔵菩薩のご修行」-テーマが大きく3つある。羽栗先生の具体的な罪悪観の見方、そして、その具体性の極みである「善太郎同行」の歌。まさにこれは仏説である。そして、具体的な法蔵菩薩のご修行の中味へと展開していくのだが、今日は、前のふたつまで、。手前味噌だが、ぜひ、この内容は何度も繰り返し読んでいただきたいと願っている。

 好天で暑いのに、今夜から天気が崩れて、明日は、大雨になるという。でも、日中は、そんな気配はもうとうないが、最近の天気予報の精度は高い。

 明日は、ぼくは広島法座だが、日曜礼拝の遠足があるのだ。大津の膳所公園まで。雨なら中止にしたいところだが、遠足に子供を預けて、京都支部学習会に、ぜひ参加してもらいたいお母さんもいる。雨ならどうするのか。好天の下で、雨の予定を考えることほど身に入りづらいものはないが、一応、2案ほどが出ていて、当日の様子を見ることにした。

 夜半から雨が降る出した。残念ながら天気予報どおり、朝には強く降っている。

 1時間集合を遅くして、子供たちが集まっている。わが家の二人が、小学校に入ったこともあって、同級生を中心に30名は集まリ、とても賑やかだ。遠足とはいえ、久しぶりにこれだけの子どもたちが集まってくれると、なにかうれしい。でも、賑やかなことはうれしくても、引接の先生はたいへんである。結局、雨が強く降っているので、近場の京都市の科学センターに行くことになった。

 ぼくが広島に向かうのと、出発が同時。近鉄に乗車したら、エレベーターをあがってきた子供たちの姿が見える。京都駅までは、4分。ジロジロと人の顔をみられないので、足元をみる。おお、こんな雨の日は、洒落たレインブーツを入ってる女性がちらほら。ブーツ型といっても、要は「長靴」なのだけれども、おしゃれ度が高くて、その上も素敵な女性が多かった。

 京都駅は、修学旅行生で一杯だ。昨年のインフル騒動が、うそのよう。あれ、なんだったんでしょうか。広島までの車中も、プチ仕事。和讃の校正。1週間で再校を仕上げたいので、今週は、われながらよく頑張っている。荒神集会場に到着。並べられたクツの中に、かわいいレインブーツを発見。まあ、こんな洒落たものは、このメンバーなら、「ブッダ」のママぐらいしかないだろうと思っていた。でも予想外。「それ、私のです」と、Tねこさん。旦那がネットで教えてくれた品だという。ああ、ぼくも、まだまだ人を見る目がないなー。修業不足を、反省。

 広島の法話は、北陸でも取り上げた、「大信海釈」。

 仏法は、難しい? それとも易い? 親鸞様、盛んに難信(難中之難)だといわれが、蓮如さまは、易い安心だと言われている。いずれにせよ、常識的な聞き方、判断、はからい、世間的な段階的な学習法で得られる世界ではなく、結局、そうしてはからい続けるこの「私」自身が、ご法の真実の鏡に照らされていくところを、聞かせてもらうしかないのであるが、自分を知る、聞くことこそ、いちばん難しい。目は外をみるように付いていいて、みんな、ずぐに一人前の評論家になるけれど、自分のことはいちばんわからない。

 だからすごいのは、他力回向の信心…。結局、親鸞聖人をしても、否定(四不)と、非ず(十四非)でしか、他力の信心の広大さは説明ができず、結局、「不可思議、不可称、不可説」の信心だと言われている。だから、その南無阿弥陀仏の薬をはやく飲ませてもらわないと、私のはからいの毒は直らないのだと。

 聞けば聴くほど、有り難いお示しですよね。

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日曜学校同窓会法座

 3時30分をすぎてから、「日曜学校・子ども会」同窓会法座に合流した。

 朝から始まっていて、もう勤行や2座の法話に、会食も終わっていて、近況報告の座談会が始まるところだった。父が法話をしていたこも、ちょっと驚いたが、ホッともした。

 子ども大会が始まってから、もう50年以上の歴史があるが、こんな形で集まるは初めてだ。しかし、今回はすべてのメンバーではなく、古い同人方への呼びかけである。というのも、今回の呼びかけ人は、30数年前に、華光会館に間借り居住していたMさんたちである。

 もともと、創立当時の華光会館は、信仰に熱心でも、組織もなく、金もない。あるのは、借地の家賃と、会館創建のための借金である。でも、それを返すあてはないが、熱情だけはあった。この会館の館主になった悟朗先生夫婦が、布教活動以外の副業で返済していった。主には、文化教室や学習補導、そして、会館の間借り収入(単なる学生下宿ではない)だ。だから、まだぼくが子供の時には、1階に4家族が住んでおれらて、家族連れの内も2家族もあった。そこで家業(ミシンの音を覚えている)をされている方まであった。同じ世代の子供(みんなぼくの先輩)たちも5名はおられた。2階には、下宿生がたくさんいって(行事のないとき、道場をまじきって使用)、そのうち、2階は2人の大学生になったが、その2人のお子さんが、いまでは仏青の主力であるというのも、不思議な因縁だ。

 その間借り組の中でも、信仰に熱心であったMさんが、30数年ぶりに、東京公演会をきっかけに復帰されて、とうとうインド旅行までご一緒することになった。そのMさんと、Kさんたちが中心となって、長らくご縁の遠のいている元同人や日曜学校の生徒さんたちにお声をかけをしてくださったのが、今回の企画である。

 だから、ぼくより上の世代で、さらに姉より上の世代が中心である。50、60、70代の方で、父親の代わりに参加していた1名を除いて、年長の先輩ばかりだった。それでも、みんな懐かしい顔ぶれである。皆さんに、可愛がってもらい、育ててもらった。ぼくが子どものころ、班長や先生をして、指導してくださっていた方もおられる。ひとりひとりの思い出も、あれこれある。でも、お久しぶりの方は、外ですれ違っても、お互いわからないなーと話していた。その人の中では、ぼくはまだ中学生なんだものなー。

 さらに、京都におられた時には、華光会館の事務、書道教室、法座では、いつも悟朗先生片腕となり、また、悟朗先生がアメリカ長期布教(冬場の2ケ月間)中には、毎年、先生の代わりを勤めてくださっていた、新潟のI先生にも久しぶりにお会いした。先生もに、ずいぶん可愛がったもらい、またお世話になってきた。華光会館でご法話をいただくのは、会館再建の法要法座以来かもしれない。もともとは、初代の日曜学校の主任をしてくださっていたのが、今日のご縁である。そして、伊藤先生から最古参同人であった、やはり新潟のFさんは、金沢の法座からの合流である。さらには、会館に住んでおられた娘さん、またそのころの日曜学校や仏青で活躍された方も、みんな、30数年ぶりにお出でくださって、とても懐かしく、うれしかった。

 一言ずつ、言葉をいただく。みな涙ぐみながら、ご法に会ったこと、自分のいま原点を気付いてもらったことをなどを、感慨深くお話くださった。

 たまたま最後に、姉が発言した。考えられないほど、幸せな子供時代を送ったと、彼女は言った。その理由は、ひとりの念仏者として、一人前に尊重されていたというのである。もちろん、当時のことである。いまのような、(時代も含めて)ゆるい雰囲気ではなかった。だから年齢に限らず厳しく接せられることでもあったが、いまから考えると、子供扱いで、適当にあしらわれないで、しっかりとご法を伝えてくださっていたという。たしかにそうだったなー。法の上では、また無常と上からも、大人も、子供もないのである。

 でも、ぼくは、そんな話を聞きながら、たしかに幸せだったかもしれないけど、同時に、小学校時代から常に淋しさという、影も感じていた。それはいまも同じかもしれないが、どんなに家族と一緒にいても、たったひとりだという孤独感がつきまとっていたのである。しかし、ぼくがひとりと向き合わせてもらえるのも、皆さんに包まれていたからなのかもしれないと感じている。孤独感は強かったが、有り難いことに、閉じ籠もったり、孤立していたという思いはないからだ。 

 そんなことを味わってながら、あらためて皆さんの、歳月を経た顔を眺めた。

 いつも、ぼくたちは、目の前のこと、自分のことしか考えられない。しかし、ほんとうはこの皆さんの周りにも、たくさんの故人となられた先輩同人がおられて、その方々のおかけで、仏法が相続され、私達の聞法道場も続いてきたのだ。そう思うと、この畳一枚、一枚が、尊く感じられた。そこにも、ここにも、これまでの同人の涙がこぼれ、お念仏の声が染み渡っている。仏様のいのちが捨てられていない場所はないのである。自分のひとりで求めている、聞いていると思っていたら、大きなうぬぼれなんだと。

 ぼくには短時間だったが、単なる懐古ではなく、何か、大きな力をいただいた気がした。

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金沢の法座

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 1年ぶりの金沢。北陸に向かうのも、昨年の9月以来だ。そのときは、福井での聞法旅行。車だったが、シルバーウィークの渋滞に巻き込まれて、ぐったりした。今度は、サンダーバード。ちょっと車窓風景を撮影。琵琶湖は、いつ見てもきれいだ。滋賀県のこのあたりは、琵琶湖と比良山系に挟まれた狭い範囲で、コメが作られている。山の方には棚田も拡がっていて、Img_0713美しい。京都から大津までとは、ずいぶん違う風景だ。

 それが、福井や石川に入ると、急に耕作面積が広くなるのがわかる。遠くに雪を抱いているのは、白山連峰だろうか。今年は、妙な天気で、数日前までは重ね着をしたり、毛布Img_0719が必要たったのが、、急に夏の陽気になって、半袖が恋しい。遅い初夏の訪れに、標高の高い山では、残雪がきれいだ。

 2時間強で、金沢に到着。

 今年から、昨年までの犀川のほとりにあった犀川荘から別会場になった。方向も逆で、駅から兼六園の横を抜けていく。金沢に来ても、残念ながら観光するわけではないが、この地も、高山や京都同様、外国人も含めImg_0728て観光客が多いようで、車内も満席だった。皆さんが、京都に来ても、京都駅から十条駅を往復して、華光会館しか知らないのと同じだ。

 会場は、浅野川のほとりの高台にある。犀川と浅野川に挟まれた天然の要塞。このあたりも、京都や高山の地形とよく似ている。

  さて、法座は法話が三席だ。土曜日は、各地で話してきた『歎異抄』第九章(あとは大阪と京都だけになった)と、難信にして、易信である他力信の世界。それは、親鸞様をして、四不十四非という否定的な表現を使うしか、「不可称、不可説、不可思議」の他力回向信をのべることはできないが、それは、ちっぽけな自力のあさはかな智愚の毒を破る、広大無辺の智慧の世界であること示された「大信海釈」のお取次ぎ。翌日は、これもしばしば取り上げている。「いのちの大切さ」についてがテーマであった。

 聞法歴は長いが、華光とのご縁はまだ1~3年以内という方が大方である。それでも、この1年で、聴聞の方向が変わってきておられるのがわかる。ご法やご文を、外側において対象的に捉え、なんとかこの頭で理解して、信心を得ようという聞き方から、そのご法を理解するのではなく、それが私自身を問う鏡であり、その鏡を手がかりに、真の自分自身を問題にする聞き方に変わっておられた。だから、力みなく、聞けるようになるので、法話も届いていくのである。そうなると簡単なようなのだが、実は、この変わり目が、まず難解だ。これも、種々のお育てのおかげなのだ。といてっも、それが、そうわかるのも、また難しいものだなー。

 その意味では、皆さん、ずいぶん育っておられることに、感銘した。しかし、妙なところで握ったり、止まらないで、さらなる一歩を踏み出してもらいたい。そこからが、実は、ご法の厳しさであり、真の楽しみなのである。さらに、もう1歩。ご縁が新しい方が多いだけに、またこれまでの聴聞の蓄積があるだけに、これからの展開が頼もしいとも思った。

 そううそ、懇親会もずいぶん賑やかでよかった。噂では、お酒不足との心配もあったが、いろいろと楽しめた。もっとも、法ではなく、酒に酔う人まででる盛況ぶりだった…。

 日曜日は12時に終わると、金沢転勤中のMayさんのご主人に駅まで送ってもらって、急いで京都に戻った。

 華光会館での「日曜学校同窓会」に顔をだしたかったからである。(つづく)

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充実

 昨夜遅く、鹿児島から帰宅した。

  週末の金沢の「北陸支部法座」から、「旧日曜学校同窓会法座」。そして、鹿児島の「興正派別院の研修会」と、「鹿児島法座」と、充実した法座が続いた。それぞれに感銘深く、いろいろと味わいがあり、ネタも満載である。特に、初めて訪れところは、それだけ信鮮度が違う。如何せん、詳しくのべる時間の余裕はないが、これからボチボチと報告をしていこう。

 今日は、月曜日から始まる、空調機(エアコン)の総入れ替えのための下見と契約で、いろいろと相談も続いた。それに、先生の体調もあって、来月の宿泊法座の予定を調整する必要もある。

 さすがに、今週は映画のペースが落ちた。それでも、韓国映画の傑作『息もできない』、ラスト、ちょっと小さく震える。もう1本は、ライトコメディーにして、人生の教訓が語られる、メキシコ映画『ルド&クルシ』は、サッカー好きにももってこい。そして、今日は、合間時間に『オーケストラ』という、ありえないけれど、15分以上の演奏場面が見せ場のフランス映画に行った。しかし、鹿児島法座の中に、正像末和讃の校正が来たので、明日から仕事に入る。残念ながら、今週は3本どまり。来週も、そんな感じかなー。

 週末は宿泊はないが、それなりに法座は充実。もう明後日から法座だ。

1)華光誌輪読法座 
 日時:22日(土)昼1時30分~5時
 会場:華光会館研修場
 内容:華光誌69巻2号の輪読。「法蔵菩薩のご修行」のところ。焦点が明確で、しっかり読めば、かなりいい内容だと自負しております。来月と2回に分けます。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/rindoku2010-5.htm

2)広島支部法座
 日時:23日(日)昼1時~5時
 会場:荒神集会所
 内容:法話と信仰座談会。法話の内容は、いまのところ未定。これから考えますが、重誓偈は、今月はやらないつもです。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/hirosima2010-5.23.htm

3)日曜礼拝遠足
 日時:23日(日)朝9時(華光会館集合)厳守~夕4時ごろ解散
 場所:滋賀県・琵琶湖~膳所公園(プラネタリウムなど)
 内容:毎年、秋にある遠足は、今年は5月に。琵琶湖畔の膳所へ。京都からは近いし、気候もいい時期なので、湖畔は気持ちよいことでしょう。交通費、入場料などの実費が必要です。電話やメールでいいので、必ず、事前に申込みください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/nitirai2010-5.htm

4)京都支部学習会
 日時:23日(日)昼1時30分~5時
 会場:華光会館研修場
 内容:支部独自の集まりですが、毎月、華光会館を会場に継続されています。内容の詳細は、以下のページから、お探しください。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/kyoto2010-5.htm

★なお、法座案内には、22日(土)・23日(日)「日高支部法座」の予定でしたが、都合にりより、今回は中止(延期)となったので、ご注意ください。★ 

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サイフ

 2日間の金沢での北陸支部法座を終えて、急いで、京都に戻る。京都駅で、近鉄の時間の合間に、月末の高山行きの切符を購入。もともと父の予定が、急遽、ぼくに変更になった。新幹線や特急券は、自宅のパソコンで予約して、チケットレスか機械で受け取るだけだ。しかし、高山行きだけは、いままでどおり窓口で購入しないといけない。新幹線から特急券の乗継割引が適用されずに、割高になるからだ。近鉄の時刻までは、7、8分しかなかった。早く合流したいので、急いでいた。両手は、お土産やお気遣いいただい品で塞がっている。購入をすませて、近鉄に急ぐ。でも、残念ながら、予定の電車には間に合わなかった。それでも、15分ほど待つだけ。どうにか、3時40分には皆さんと合流できて、懐かしい顔ぶれと楽しいひとときを過ごすことができた。終了後も、昔の写真をみながら、ワイワイやっていた。

 夕食前、後片付けと、清算のために領収書などを探そうとして、サイフを取り出そうとしたが、どこにもない。カバンには、次ぎの鹿児島行きの荷物をすでに詰めている。帰宅して、バタバタと荷物をおいて、道場に向かったので、どこかに置き忘れたのかと、いろいろと行っ先を探したが、どこにもない。駅までの記憶を呼び戻すと、窓口で切符を買ったときに、後ろの人のために横に寄って、急いでそこを出たことを思い出した。横に寄った時に、まだサイフをカバンにも服にもいれていなかった。もし忘れたり、落としたりするとすれば、そのときだ。お金は、切符を購入したので、1万円程度。しかし、運転免許証やクレジットカード、JRのカードも入れてある。お金は覚悟するとして、カード類は厄介だ。ネットで忘れ物案内を探して、電話してみた。サイフの特徴や忘れた時間帯を話すと、すぐに照合し、アッというに、保管先が判明して、届いているとのこと。よかったー。こんなことでも、ホッとする。「京都駅の八条口ですが、今日中に受け取りにこれますか」と言われた。窓口も近い。夕食を食べずに、すぐに受け取りに向かった。

 ところが、窓口での対応がすこしへん。「なにも来てないなー。隣の交番と違いますか」との話だ。でも、ほんの15分ほど前にJRの係との電話で、京都駅八條口の案内所の忘れ物の係だということを、何度も確認している。「ほかに忘れ物係がありますか」と尋ねたが、ここしかないという。すると、「忘れ物の番号を聞かれていますか」と質問される。はあー、ここも少し食い違い。電話で必要なものを尋ねたら、「サイフの中の免許証で確認しますから、不要です。サインでいいので、印鑑もいれません」とだけ教えられたので、大急ぎで来たのである。せっかく喜んだものの、ちょっと雲行きがあやしくなってきた。しかたないので、もう一度、忘れた状況やサイフの形状を説明すると、しばらく聞いて、「ああ、それなら来ているわー」と、もうひとりの方が思い出してもらえた。すぐに忘れ物の原簿を確認し、「〇〇〇サンですね。届いてます」と、すぐサイフが出てきた。やれやれ。ほっとする。「それでは、この書類に、住所、氏名と、捺印をお願いします」。おいおい、やっぱり印鑑も必要なんじゃーん。
 念のために、保険証と印鑑を持参していておいてよかった。

 さあ、おそるおそる中味の確認。

 開くと、まずカード類は無事。ではお金?

 ああ、お金も…。まったく無事だ。パっーと、うれしい気分。良寛さんの銭を拾うの気持ちがわかる気がしたなー。別に、得したわけじゃないんだけどなー。

 電話で照会したとき、ほんの1、2分で見つかったのは、たぶんコンピュータで一元管理されているからだと思っていたが、窓口では完全なアナログ的対応だったの、なんとなく不思議な気分だ。

 それにしも、日頃の行いがいいのか、それとも霊験あらたかなサイフなのか。

 ハッキリしているのは、ぼくもかなりお疲れモードということですなー。

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金沢、日校同窓会、鹿児島法座

 5月になって急に夏になったと思ったら、天の気もうまい具合にバランス調整があるのか、ちょっと一休み。昨日、今日と、肌寒い日々が続いてますね。今週は、なにかと慌ただしかった。これからの法座の変更を相談したり、法事依頼があったり、急な相談に、エアコンやHPの事務的なアポもあって、バタバタした1週間。それでも、今週は、合間、合間には、時間を作って、1日1本のペースで、映画館通い(それでたいへんという説もあるが)。この先、なにがあるかはわかりませんから、チャンスは生かしておかないとー。

 さて、今週の以降の法座案内。

1)北陸支部法座

日時:5月15日(土)1時30分、19時、16日(日)朝9時~12時
会場:石川県青少年総合研修センター

 ぼくは、1年に1度だけの金沢。今回が、2度目。その点では、ほかの支部に比べると、近くて遠い支部ですが、まあそれだけ新しい支部ということもあります。福井、石川、富山、そして新潟の同人を中心に、他の地域からのお参りもあります。新しいご縁の方多いんで、妙なところで、妙なものを握らないで、聞法・聴聞の土台を作ってもらいたいですね。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/hokuriku2010-5.htm

2)日曜学校・仏教青年会同窓会

日時:5月15日(日)朝11時~17時
会場:華光会館
対象:旧日曜学校(生徒、教師)、旧仏教青年会、高校連盟会員

 直接的な法座ではないですが、元メンバーの皆さんの発案で、疎遠になっている人も含めて、むかしの仲間が集います。その意味では、参加対象が限られていますが、古くからの同人の方もあって、その意味では楽しみですね。お久しぶりに、新潟からのI先生にもお会いできるのも楽しみ。さいわい、北陸支部法座は、日曜日か正午終了なので、ぼくも3時30分には合流できそう。いまのところ、悟朗先生も顔をだされる予定です。
HPでの案内はありません。

3)鹿児島家庭法座

日時:5月19日(水)朝10時~15時30分
会場:鹿児島市 石原荘

 昨年の北陸支部法座の直後も、呉~熊本と法座が続いたけれど、なぜか今回も、すぐに、鹿児島でのご縁。もとものメーンは、前日(18日・火)にある「真宗興正派鹿児島教区法中研修会」での真宗カウンセリングに関する研修講義。ご縁をたどると不思議なんですが、やっぱり伊藤康善先生のご縁が興正派と聴くだけで、感慨あります。できれば、そんな方面からも、華光のことがお話できればと願っています。

 その翌日が、鹿児島での初めての家庭法座。こちらも感慨深いですね。人が集まるから心配でしたが、すでに鹿児島の方だけで、12名の申込みがあるようです。なるべく、わかりやすいテーマでのご法話になるでしょうね。鹿児島は、隠れ念仏の聞法旅行で2度。でも、皆さんとは、ともに初顔あわせなので、ちょっぴり緊張、大いに期待という感じでしょうか。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/hirosima2010-5.htm

3)東海支部座談会

日時:5月15日(日)朝10~12時、1時~5時
会場:じゅうろくプラザ・JR岐阜駅前

 こちらは支部主催ですが、岐阜での1日の開催。午前中は、カウンセリング的な研修会も初めてのようで、意欲的に動きだしたようですね。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/toukai2010-5.htm

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長谷川等伯展

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 4月の最終日。長谷川等伯展』にリベンジ。混雑しているだろうと、夜間開演の閉館前をねらって、夕方6時30分に家を出発。閉館時間が近いのに、中に入るまではまだ列が出来ていて、20分待ち。結局、閉館8時まで中にいたけれど、けっこうな混雑ぶり。夜なので、わが家は子連れ。それでも、少し大きくなったので、子供たちもちょっとは喜んでいたが、人出が多くて、一年生の子どもは、最後はお疲れモード。涅槃図などの仏教に関するモチーフなImg_0453_2ら、多少の説明してあげられるが、あとは、この6歳の彼女の感性が説明。有名な国宝をみても、「ああ、大きなスリッパやな」(おお、たしかに。青いスリッパやわ)とか、「これは、傘地蔵やな」とか、「この人、ヨロヨロなんで、もうすぐ死ぬなー」などの解説は、真顔で鑑賞中の人まで、「アハハ」と笑いを引き出す迷解説ぶり。まあ、みんなも、解説板や図録を読んで、それかあるのを確認にしていくようなもんですからね。

Img_0450_5第1室 能登の絵仏師・長谷川信春
第2室 転機のとき―上洛、等伯の誕生―
第3室 等伯をめぐる人々―肖像画―
第4室 桃山謳歌―金碧画―
第5室 信仰のあかし―本法寺と等伯―
第6室 墨の魔術師―水墨画への傾倒―
第7室 松林図の世界

 こんなテーマで、各時代ことに展示されていたけれど、個人の中でも、これだけの画風や心境のあきらかな変化が体系的にみられるのは興味深かった。才能もさることながら、どれだけ大きなチャンスをもらうか、また支援・支持があるかで、発揮され、開花する潜在的な能力もあるわけですから、その意味では、恵まれていたと同時に、相当な政治力もあったのでしょう。

 個人的には、圧倒的な大きさの「涅槃図」と、金箔画の中では、柳と橋と水車の屏風、さらに「波濤図」のスケールもすごかったけれど、なんといっても、有名な「松林図」。この静寂ぶりは、神業ですね。同時に、屏風前に集まる群萌の喧騒ぶりもすごかったれけど、魅了するのもホンモノのすごさ。

 余談ながら、先日、カラヴァッジオの映画 http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-1a15.htmlをみたけれど、この人も、等伯と同じく1610年没。つまり、没後400年を記念した映画が封切られていたわけ。16世紀~17世紀の、イタリアと日本。現在のように世界の距離が縮まり、画一化されつつある社会では考えられないほど、それぞれの地域で、こんなにも独自の豊かな文化が進行していたと考えると、これまた興味深いですね。

 ちなみに、下がチラシ。この左の青い部分が、ナナちゃんにはスリッパに見えた。以来、ぼくにもスリッパにしか見えなくなったけれど、国宝のスリッパということですね。

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いまは元気です

 先生の体調について、ご心配をおかけしています。最初に、お断りしですが、これを読んで、逆に心配される方もあるかもしれないが、いまは、変わらず元気であることをお伝えする意味でも、少し書かせもらいます。せっかく写真も撮ったんだしー。

 内蔵に病気があるわけではなく、自宅で元気で生活中。ただし、排尿時が不自由なので、今月の出張法座はお休みさせてもらいます。

 すでにお参りの方はご承知の方も多いが、永代経法座の2日前から、まる1日、排尿がまったくなくなって、すぐにかかりつけの泌尿器科へ。加齢共に、前立腺肥大が起こるのは、避けられ難い老化現象のひとつ。それが、なぜ急に留まったのか、直接の原因はわからないけれど、とにかく、永代経中は、管を通して人工的に排尿をすることになった。それでも、懇親会にも参加するほどの元気があった。連休明けに、再度通院して、もう少し自立した排尿を目指す方向になって、金曜日の伝道研究会にも顔を出していた。

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 ところが、その翌日、土曜日の夜になって、急に、「寒い、寒い」といいだして、発熱。一気に40度近くあがって、様子おかしい。もともと低体温で、こんな高熱になることはない。一連との関係があるのだろうが、ひどく咳き込むのでインフルの可能性だってないことはない。素人では判断できないので、多少、大袈裟かとも思ったが、高齢なので用心のために救急車で病院に向かった。子どもと外出した後で、アルコールも入っていて眠たかったのに、こんな事態になると、急に、違うスイッチが入たように、シャッキーンとするのでから、人間もけっこう不思議なものだなー。救急車は、連れ合いの骨折以来、2度目。フラフラして歩けないが、意識はしっかりしていた。

 診察の間、深夜の大病院で、数時間ほど待機。その間にも、救急車や赤ちゃんなどの急患があったが、それ以外は静かだ。炎症を起したらしいが、迅速な投薬と点滴の処置で、すぐに回復。「晩御飯がまだなので、お腹すいたわー」と、医師に言って、帰ろうとするので心配はない。「迷惑かけたなー。からだがあったら、食べなあかんし、着なかあかんし、厄介やわー。なかなか、バイバイといって、お浄土には行けんもんやなー」と、笑っていた。

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 それでも、日曜日は、まだ微熱があったので、聖典講座は休んで、月曜日は、再度、病院へ。朝1番と言われていたが、例によって午前中は熟睡タイムで、なんとか受付外の午後いちばんにしてもらって、出発。それでも、大病院での診察を受けるための仕事は、ただ待つこと。ぼくは、新書版の『鑑真』をもっていたので、待ち時間に読み終えた。2時間以上は待たされたが、診察と説明は10分弱で終了。結局は、手術(勧められない)も、入院もなく、投薬でこのままで様子を見、自立できる方向をめざすことになった。

 途中、落とし物や忘れ物もあって、4時間仕事。「患者様」と呼ばれたり、受付も支払いも、機械化されて、便利になっているにも関わらず、こんな居心地の悪い場所はないなー。なにもしないで、待つだけなのに疲れる。やはり、「病」の気が集まってるものね。自宅に戻ると、すぐにシャツをまくり上げて、肘から下を水洗いし、今日のことは「水」に流しておいた。

 また高熱がでるようなら、今度は、入院しないといけないそうだが、まだ、炎症を抑える薬は飲んでいるが、今日は、普通に元気で、表情も、穏やかだった。

 いろいろとご心配をおかけしたり、また変更等で不自由もおかけするが、どうぞ、ご了解くたさい。講師の変更等は、最新のHPで、直前までご確認を!

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重ねて誓う

 日曜日、聖典講座。

 急きょ、悟朗先生の代わりに、登壇することになった。

 もともと永代経法座の直後なので、出張法座をいれなかったのが、さいわいした。

 決まったのは、前日の深夜のこと。準備の時間もない。「聖典講座」なので、参加者のなかには、聖典の解説や講義を期待している方もあるかもしれない。それで、法話ではなく、聖教を取り上げる講義スタイルにした。いまは、『正信偈』講義なので、それ以外のもので。さいわい、これまでの蓄積があって、『大経』や『歎異抄』などなら、プリントも用意が出来ている。

 永代経のご満座で取り上げたこともあって、もう一度『重誓偈』をいただくことにした。あの時は、三誓のところだけの法話だったので、今日は、大経での位置づけ、全体の構成、そして、その意味について、かなり時間を割いた講義形式とした。

 要は、なぜ、法蔵菩薩は、四十八願だけでなく、重ねて誓わねばならなかったのか。そのお心を聞かせていただくことが、ご聴聞だといっていい。結局、私達は自分の欲望の願いばかりで駄々をこねて、肝心の親の願いには心を閉ざしている。それでいて立派な信心だけは欲しいのだから、凡夫の求道はまったく本末轉倒だ。ならば、信が生じるもとである仏願を、おのれを空しうして聴く、そのお心を頂けばいいのである。

 本願から重誓へ。つまりは、願いと、誓い(誓願となると同じ意味だけど)は、それぞれに意味合いも違う。平たくいうと、南無阿弥陀仏ひとつで、お前を必ず仏にしてみせると、十方衆生に願いをかけてくださり、それが、もし実現しなければ、「設我得仏~~~不取正覚」-私はけっして仏にはなりませんと、諸仏(世自在王仏)にお誓いくださった。つまり、それは単なる願いではなく、誓いに裏付けられた願いが、私ひとりかけられている。それが、重誓偈では、「誓不成正覚」と、三度も-48願(全体)、18願、17願を重ねてお誓いを建ててくださっているわけ。

 しかもそれは、単なる願いではない。「我建超世願」-我、超世の願を建つ-と始まる。世を超えた願いなんですね。世俗や世間を超越していると同時に、諸仏に超え勝れた願。それは、一劫もかけた罪業調べと、さらに五劫思惟にすえに建てられた本願を、さらに重誓ってくださっている。もちろん、衆生の疑いを晴らさんがための重願であり、また次ぎの18願のこころにある「貧苦」を救う「大施主」になろうという、他力回向のおこころも顕し、さらには、その救いの手立てを、「名声超十方」と、名号という名乗りとなって示してくださった。まあ、念には念を入れたお手回しなんです。そのあとは、三誓に基づいた、光明と名号の徳をもった最高の如来になることの決意表明が続いて、最後に、それがすべて真実であることを法界(全宇宙)の証明を請われたわけです。

 五劫思惟の末に、四十八願を建て、重ねて誓(重誓偈)われたあと、六種震動の宇宙の証明があって、いよいよ兆載永劫のご修行に入られるわけです(その修行の具体的な中味は、前号の華光誌誌上法話を参照)。

 つまりは、このわたしひとりの疑いを晴らすために、この私に「南無阿弥陀仏」と称えさせるために、全宇宙の総動員、総掛かりなんです。なのに、その「南無阿弥陀仏」ひとつが信じられない、それひとつだけでは満足できないのが、ここにいる私の正体。だから、頭を垂れることのできなかった疑いひとつのために、これまでも、そしてこれからも迷っていくわけでしょう。これだけ願われ、誓われている阿弥陀様と、親子の名乗りができないなんて…。こんな淋しい、空しい、悲しいことはない。

 聞かせてもらせいましょう、「南無阿弥陀仏」の親の呼び声を。

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ブルーメの丘

Img_0702 GW中は、宿泊法座が中心で、子どもたちを遊びに連れていけなかったが、かろうじて、最終日に、2時間ほど、近所の公園へ。まあ、距離ではなくて、一緒に遊んだり、楽しんだりすることで、二人は満足してくれる。そりゃそうだなー。どんな素敵場所でも、ケンカや厭味な嫌な奴と一緒だったり、悩み事があると、気分は台無しなのは大人も同じ。遠いや近い、豪華や安いに関係なくて、親と思いきっり遊んで、大Img_0700笑いしたら、大満足のお年頃である。

 といっても、もう少し色もつけないと、3日間、よく頑張ってくれたわけですから。それで、例によって、近い、安い、(親は)楽を、合言葉に、行き先を決めた。それでも、大人が喜ぶところ(美術館や海辺のカフェ)に決まることが多いが、毎回それでは、子どもも不満がある。最近は、子どもたちが喜びそうなところへ。近いは、車で1時間程度。安いは、入場料が何百円で収まるところ(だいたい公共施設か、自然の中Img_0585)になる。で、見つけたのは滋賀県日野町のブルーメのへ。車で1時間強。

 ところが、こんな日は、出かける前にトラベルがおこる。小さな子どものいる家庭では、よくあることで、忘れ物がある、探し物が見つからない、はしゃぎすぎた子どもがImg_0578、ケンカやケガで、親からおこられる…まあ、わが家の今日も、そんな小さなトラブルがつづき、最後は、ナナが大泣きをして、1時間遅れての出発。しかも、発車すると、10分もしないうちに、「気分が悪いー」といい出して、あっちで休み、こっちで車を止めて、1時間の行程が倍近くかかって、さてImg_0628そろそろあと5分程度のところで、「ゲーェー」と車中で吐いてしまうのも、また、わが家ではよくある風景でして……。大人同士の行動ではなくて、小さな子どもがいると、こんなトラブルも計算できるようになって、ある程度はイライラせずにおれるように、おかげで人間ができてまいりました。以前は、予定通り行かないと、すぐにイラついて、「なに怒ってるの」と、たしなめられるのが、お約束でした。結局、計画よりImg_0618、2時間弱の遅れで、なんとか到着。

 だいたい雰囲気は悪くなくて、統一された園内施設で、自販機などもなく、緑も豊かで、天気もよくて、気分は良かった。ただ花畑は、端間期で、チューリップが終わり、バラになる直前だったのは、ちょっと残念。そんなことも、ネットで調べてわかっていたことだけどね。結局、行く前から、いろいろな評判や情報がわかるのも、よしImg_0634悪し。なんか、ネット情報を確認にいくんじゃないんだからなー。

 欠点は、何をするにも、妙な小銭が必要なのこと。貧乏性にぴったりかも。まあ、乗馬体験が500円はまだいいが、モルモットを抱くのは200円(大人も同室するので4倍)、芝生の滑るなんて無料かと思えば、ソリ代が(20分)300円(子どもそれぞれが欲しがるし)、しょぼい迷路が300円、園内の車にImg_0680乗るの400円と、小銭を少しずつとられて、それが4名もいると、それなりにかかる仕組みになってましたなー。まあ、致し方なしだけどね。もうひとつは、ネット情報(滋賀県民として恥ずかしいとまであった)安藤忠雄氏建築の小さな美術館が、ひどい扱いをうけているところ。今回なら、強風で窓が割れたまま、修理もせずに放置されていて閉館に…。

Img_0656 そうはいっても、子どもたちは、大好きなハムスターが抱けたり、動物に触れ合えたり、何よりも、親と一緒にはしゃげたりで、大満足。親も気分転換で気持ちよく、帰路は、みんな熟睡で車酔いすることもなく、1時間で帰宅。

 出発が遅れた分、帰宅は遅くなったが、「楽しかったね」と、疲れたからだをシャワーでいやし、機嫌よく晩酌をしながら、子どもたちと思い出の分かち合を楽しみ、あとは子どもを寝かすばかりと思っていた矢先に、長い1日のメーンがやってくるとは、まったく予想もしていなかったのだった…(つづく)

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伝道研究会

 今月の伝道研究会は、永代経法座の振り返り。

 参加者の都合で、当初の案内から日時が変更にある。それ変更はメンバーに伝えていたものの、案内状との混乱があって、参加者は4名だけ。前回も、3名からスタートするという具合で、今年に入って集まりが悪い。それについては、そろそろ次ぎの段階に向かって発展的に進む時期かのかもしれいと感じている。

 主に、各先生方の分級座談会の分かち合い。今回、ぼく自身が感じたことは、短時間で(1時間以内)で、顔ぶれの入れ替えがある時の座談では、参加者の自主的な動きを待つというより、ぼくがアクティブに動いた方が、効果的だということ。それには、ぼく自身が自由であること。自分の構えや防衛に敏感に気付いていることの大切さを、より感じた。その点、ご法の力は偉大で、どんどん自分の着ている上着を脱がされていく。3日間の法座が進むよつれて、「ぼくは、こんなにも厚着をしていたのだなー」ということに気付かれることがある。

 そのおかげで、今回の法座なら(特に1階での座談会)、ふたつの動きになった。

 ひとつは、まったく反対の表現でお勧めできたこと。詳しくは書けないが、特に長年の聞法歴があり、これからの聴聞も信頼がおける人には、いまのその人の思い込みやはからいを氷解するような、意外な言葉がけが展開するということである。その人の場合は、捨てるとか、飛び込むとか、称えよといった言葉がけでなはく、「決めよ」という表現を使った。一聴すると、自力的に聞こえる表現で、ご本人の決定(けつじょう)を促してみたのだ……。そこでは、説き手も、聞き手も、「こうあらねば他力ではない」「信心を獲るときは…」という方法論や概念に囚われてばかりで、せっかく活きた本願力のお働きが死にものになっていると思ったからだ。同時に、相手への信頼感もある。だから、そこを飛躍するには、それに先に気付いたもののまったく違う角度からの働きではないか。

 もうひとつは、言葉以外での表現のアプローチ。これまでも、ある種、寸劇仕立てや、からだを使った聞法、役割(ロール)の交代やゲシュタル的な(エンプティーチェア)関わりで、やはり、ここでも、求道者のこだわりからの淀みや袋小路からの飛躍のために、その場、その場でひらめいたことをおこなってきた。それが、今回なら、「わかりません」という方に、言葉ではなくて、絵(こころの天気)で、そのいまの感じを表現してもうらことが、ひらめいた。躊躇しないで、すぐに用意して、に参加したい人だけが行なったが、こちらも、当人も、「わからない」「なにもない」と、すぐに括ってしまって、それ以上の探求も表現もやめてしまうことは、ある種安易だが、あきらめないで、何かを感じている、何かが動きだしていることが見えている以上、その言葉になりずらい思いやこれまで表現してこなかったからだの感じに触れることができて、またそこから、僕自身が感じさせてもらえることも、自由に表明させてもらうことで、さらなる響きあいがあったことは、ひとつの収穫だった。

 その声にならなかった言葉が、絵をとして解き放され、また言葉となって気づきが起こって時、そのプロセスをご一緒していたぼくの頭にひらめいた言葉が、「無碍光」だった。

 ふたつのアプローチを通して、それが即=信心獲得という形ではないが、そんなガチガチに固まった予定概念がひとつほぐれる、そんなきっかけにはなったと感じた。

 その他のグループも有意義だったようで、特に救護室での3名限定の少人数のグループも、数を重ねるうちに、だんだいとその意義があらわになってきた。なんでも、3日間、通した参加者もあったようだ。ほかにも、対人関係の苦手なひとは、分級座談には参加しないという形の選択もありうるし、若い先生方によるグループや、お同行中心の集まりなども、それぞれに意義があった。多様な集いを幅広く持つためにも、今後も、個々人がさらに一層の力を付けていくことが大切になってくるだろう。

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『しかしそれだけではない。~加藤周一 幽霊と語る』

 京都シネマで映画を2本。

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 最初は、享年89歳で亡くなった、加藤周一の独白、『しかしそれだけではない。~加藤周一 幽霊と語る』。一旦断定して、そこを反転して、さらに複眼的にとられる視点が、「しかし、それだけではない」という、このタイトルにこめれているというのだ。「幽霊たびたび出会うが、みんな友好的なので怖くない。幽霊は歳をとられない。戦前、戦中、戦後と生き延びた人は変化して、意見を変える。だけど、幽霊の意見を変えない」と始まる。といっても、別にオカルト的な憑依ではない。「変わらない世界から、豹変しつづける世界を観る視点」といっていい。戦後日本の代表的知識人であり、医学博士であった加藤周一の歩みと、彼の最後のメッセージを伝えるドキュメンタリー。彼の博覧強記ぶり驚くのだが、幽霊と語るというのは、その思想性の深みが、生死を超えた死者との理性レベルでの魂(精神)の声を聞く域にまで達しているということなのだろう。人形浄瑠璃、世阿弥、そして源実朝に始まる冒頭から、権力の犠牲となり、若くして戦死していった師や学友たちとの交信(知的な憑依)にしても、そのエピーソドにしても、さまざまに知的好奇心を刺激される。そして、「九条の会」に込められた願い。精神の自由がある、若者と老人の連帯を訴えている。権力による殺人である、戦争や死刑に反対し、子どもの不条理な死(死ぬことは、不条理なんだけども)にも不快感を示している。 

 彼の話は刺激的で面白かったが、ちょっと編集が退屈だったな。それより、今日は疲れていたので、けっこうな熟睡も与えてくれたことを、感謝? この手の映画でも、連休が終わった翌日なのに、そりなりに人が入ってる。このあたりも、京都なんだなーと、妙なところで関心したが、わりと年輩の人が多かった。

 もう一本は、低予算ながら、知的なSFサスペンス、『月に囚われた男』。登場人物は、ほぼ1人に、人工知能ロボット。シンプルながら、斬新なアイディアで、けっこう楽しめた。少し余韻が残った。

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SLに乗って…

Img_0535 3日間の法座の翌日にしては、元気。昼から、義父母と、子どもをつれて、近所の梅小路公園へ出かけた。

 ツツジが満開。蝶々も飛んでいる。子どもの日の割には、特にイベントもなく、それほどの混雑でもない。日差しが強くて、木陰や人工の小川、水辺で、みんな、お弁当を広げている。Img_0477

 今日は、何度も園内をSLが行き来する。休日で、ピストン運転をしているのだ。ナナが、どうしても、乗りたいといいだした。日頃、散歩Img_0478でくる公園(会館から歩いて20分弱)なのだが、見るばかりでぼくも乗ったことがない。いまいる場所から、乗車口は反対側だったが、連れて行くことにした。今日は、歩くだけで、汗ばむ。4月下旬は、天候も不順で、気温もなかなかあがらず、コタツを片づけたのが、永代経の前日。それが、一気に初夏のこの陽気だ。Img_0525

 ところが、せっかく来たのに、SLに乗車するには、蒸気機関車館の入場料も必要だという。義父母の帰りの時間も迫っている。あまり時間がなかったので迷った。でも、せっかく暑い中を歩いてきたので、ナナと二人で入館することにした。それというのも、料金が安いのが魅力だったしね。むかーし、日曜学Img_0498校の遠足で引率して以来だなー。旧二条駅の駅舎が、入り口になっている。ちょっと、旧華光会館にも様子が似てなくもない。

 さいわい、ドンドンと折り返し運転をしてImg_0501いるので、それほどの待ち時間もなく、すぐに乗車できた。大きな汽笛や煙に、ナナは驚いていた。ほんの短時間でも、喜んでいた。それより、大人のぼくの方が、懐かしくてうれしいかったかもしれない。

Img_0486 ここは、日本で唯一、常時、動態状態のSLが展示されている施設なのだか、近すぎImg_0504るので、滅多なとでは訪れない。もっもと、いまは水族館建設問題で揺れている。

 少しだけ、機関車館も覗くことにした。 

運転席に座ったナナが、「ふるいなー。ボロボロや。真っ黒だし…」と言っている。後ろImg_0518に回ると、「大正15年製造」とあった。もう、84年前だ。

 SLの線路の横では、現役の在来線が走り、その向こうには新幹線も走っている。静かに、役割を終えた機関車たちが、歴史的な遺品として展示されている。Img_0516

 この年月、いろいろな感慨が浮かんできた

Img_0499 わが家には、大正14年生れの父が、まだ現役で活躍。頭が下る。同時に、なんとも言えない思いが去来する。

 しかも、今日は連れ合いの両親と一緒である。

 長らく体調を崩していた広島の義父が、義母と共にお参りしてくれた。大好きなアルコールをやっと止Img_0512めて、静養中なのだが、それでもかなりお参りしてくた。久しぶりの会館は、ずいぶん顔ぶれが変わったという。以前は、年配の女性が多かったが、いまは、中年の男性が増えたのではないかと。たしかにそうだ。今回は、仏青が担当ということで、20代、30代の人達が多かったが、やはり、いまは、ぼくと同世代の40代~Img_0520_350代の男性が目につく。上と下に挟まれて、仕事でも、家庭でも、なにかとしんどい世代の人たちである。

 その義父母が、お別れに同人を見送りながら、「いつも、お世話になってます。これからも娘をよろしくたのしみます」と、頭を下げていた。こちらは老いたり、病気だったりの、両親を心配しているつもりだが、それ以上に、子どもを見守って下さっている。親心はほんとうに尊いなー。

 予定もしていなかったSLに乗り、予想もしていない親のご恩を少し思わされた。

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華光の財産

 3日間の永代経法要、お念仏と共に終了。

 連休中で日が良すぎて差し障りが多かったのか、最近の傾向にしては、参加者は少なめ。延べではかなりあったけれど、3日間、7座通す方が、案外少なかったので、逆に、北海道に、盛岡からの初参加者、そして沖縄から父子、そして九州や関東など、遠方からの参加者が目立つ気もした。

 今回は、5年ぶりに仏青の皆さんのお当番。この5年間で仏青を卒業した世代もあるし、学生から社会人になり、独身者が家族を持ち、または母や父(親)にもなり、もしくは、まだ同じような生活を送りながら、それぞれが、みんな変わらず聞法をし、そこに、新しい人達が加わって顔ぶれも少しずつ入れ替わりながらも、みんなが、法の上でも、人間的にも、飛躍的に成長していることが、ひとりひとりの姿に現れてきて、ほんとうにうれしかった。

 ああ、華光は、こんな風に次世代の念仏者を、しっかりと育てきたいるんだなーと。それは、画一的な態度や姿勢ではなく、ひとりひとりが個性をもちならがも、どこかで如来の統一されている。そのことを、誰の目にも見える形で示してもらって、またこれからの歩みの力と、意欲、そして喜びをもらった気がした。

 それにつけても、運営委員会の会議から、あらためて華光の有り様、方向性について考える機会をえた。遅くまで起きて(これは反省やなー。毎回)若い先生方と話しを聞いてもらったり、終了してから、世話人などと飲んで、自分なりに咀嚼した思いが、フツフツと湧いてきている。「華光」の70年の重み、歩みを受け、同時に、たまたまこの世にあって、ご法が、「華光」という形の中で、さまざまな出会い、多くの先輩や先生のお導きをいただき、ここで育ててもらって、ぼく上にも、真実が華開いてきたのである。そのことを喜ばずにはおれない。

 もちろん、仏法のこととはいえ、限りある今生の社会の中で、しかも凡夫同士の集団に、問題や摩擦が生まれないはずがない。お金や仕事、役割、人間関係、現実の厳しさや問題点もついてまわる。

 しかし、そんな摩擦や葛藤も含めて、逃げることなく、受けて聞かせてもらいたいのである。

 なぜなら、ぼく自身が、今も、皆さんに育ててもらっていると同時に、しっかり、ひとりひとりに育ってもらっていかねばいけないからだ。最後はご因縁次第だというものの、連続無窮のお働きによって、いまぼくたちが受け取ったバトンを次ぎの世代、また、次々の世代へと引き継いでもらう。そんな法に出会い、人が育つ場を、しっかりと護っていく役割を担っている意味を、あらためて思った。そのことが、また時代により、人によって、新たに展開していく。その展開の動きそのものが、華光という集いなのではないのか。

 その元は、すでに釈尊の時代から出発している。釈尊が、成道(お悟り)を開かれた直後、そのまま涅槃に入られようとしたとき、梵天の3度の勧請を受けて、伝道を決意。そして、初転法輪で、釈尊と五比丘が誕生し、ここに、仏・法・僧の三宝が揃い、仏法がこの世に姿を顕した。その僧とは、今日の僧侶ではなく、僧伽(さんが)、僧侶の集団、仏教教団である。当然、その役割は、日夜、修行に励み、布教することであって、なんらの生産性をもたない人達である以上、所帯か大きくなるにつれて、彼らを支えるその周辺の、在家信者の役割が大きな意味をなしてくる。それは、時に、ビンビサーラや阿闍世のような王族や貴族であり、祇園精舎を寄進した大商人や新興勢力であり、その多くは、無名の一般信者たちもあったのだろう。もちろん、政治利用や商売、勢力争いなどきれいだけで終わってはいない。しかし、釈尊亡き後、その在家信者たちによって、仏教の新たな潮流が生まれる源泉となり、次ぎの大乗仏教興隆や、阿弥仏信仰への萌芽へとつながっていくのであろう。

  どんどん話が大きくなって、かつ別の話題にも拡がりそうで、このあたりでやめる。

 とにかく、今回は、分級座談会で気付いたことも多かった。司会者の態度や姿勢、「決める!」のアプローチ、言葉で表現できないことを、こころの天気で表現してもらったアプローチ。そして、先生方の法話や劇、ぼく自身も重誓偈や伏せたコップのたとえなど、また参加者の態度で気付いたこともあったが、またの機会に触れていこう。

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5月は永代経法座から

 午前中、『三帖和讃』(下)正像末和讃の初校を渡した。予定より1週間ほど早くできたが、これから連休が入って来る。最初の仕事は、統一や変更でたいへんだったが、それでも、上巻での流れがあるので、前回に比べると、とてもスムーズに作業が進んだ。手直しや追加が多くあるので、2校までは少し時間がかかりそうだ。5月中旬までは、校正作業は一休み。もう1、2校正あって、7月中には発行が出来そうだ。上巻の売れ行きも順調で、下巻の問い合わせもあるようだ。巻末に、和讃の索引の掲載もしたい。

 午後から、子どもの家庭訪問の合間に、2日から始まる永代経法要法座を前に、準備をする。

 おみがきや掃除が、今日、明日とある。

 事務所でも、事前準備は、着々と進んでいる。

  法話や分級座談、運営委員会などの打ち合わせは、だいだい澄んだ。一座だけの出席だが、K先生も久しぶりにご法話がある。2日目の夜に、依頼していた仏青の企画物も考えてもらっている。当初は、二座予定していた、ぼくの法話の担当も、一座だけになった。ぼんやり2座分の予定は考えていたので、逆に少し削らないといけないなー。ちょっぴり、悟朗先生の調子がでないのが、心配だけど…。

 その法話は、「願」を聞くということがテーマ。仏願、本願、誓願、(本)願力。要は、私の願い、思い、欲求ではなく、如来様の「願」に、焦点が当たらないかぎり、聞法にはならないし、いつまでも、自力から離れることはできない。人間の目は、表面的に見えているところ(その上に視野が狭い)でしか、物事を判断することができない。その迷いの自分の思いや自分を当てたよりにするこころを捨てるのが、本願を聞くことであり、それが他力だといっていい。

 自分の思い、感情、欲望を聞くことばかりに焦点を当てないで、「願い」を聞かせていただく。

  では、仏さまの願いとは何なのだろう。

 そこを、頭を垂れ、懇ろに聞かせていただくのである。

 一座だけでのお参りでもいいので、どうぞお出かけください。

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/eitaikyo2010-5.htm

 

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