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花祭り

 華光会館の子どもの花祭り。

 残念なことに、今日は、この地域のお祭りと重なってしまった。ここらは、伏見稲荷大社の氏子(町内単位で世話役がでる)で、その稲荷大社から小学校の向かえにあるお旅所までの巡行があるのだ。その神輿行列と子供のお練りがあって、朝から、先導の太鼓を打ち鳴らした車が走っていた。すると、どこから、遠山の金さんよろしく背中などに華やかなペインティング(ホンモノ)をされた威勢のよい方々も多く現れて、神輿で練り歩き、そのあと、子供たちがついて歩いての巡行。終了後、お菓子をもらうのである。それで、この町内の同級生たちは、ほぼ全滅。参加者がすくいなのが心配されたが、別に関係ない地域の子どもたちもいて、大人、子供と合わせると、34、5名の参加があった。

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 ナナの保育園関係のお友達に声をかけたので、1年生、2年生が多数。もっと小さな幼児もいて、難しい話はできる雰囲気ではない。どうも、10分、15分をすぎると、子供たちの集中力がなくなる。お釈迦様の姿をみて、右手の人指し指で天を指し、左手で地を指して、「天上天下 唯我独尊」と喝破された、お心を窺った。「我独り尊し」なんですよね。そして、花祭りの「花」、華光の「華」について、私の泥田の心に、蓮の華を咲かしてくださる、そのお心について考えてもらうことにした。それにしても、こころとは不思議なもので、外からはみえないし、どこにあるとも言えない。でも、確かにそれが痛んだり、傷ついたり、淀んだり、怒りで塞がったりと、大忙しだから、なんとも不思議だ。日頃は、意識していないくても、いろいろな縁によって、その業が立ち上がってくるとき、それが知れて来るのである。

 大人の分級座談では、ごく最近、お母さんを亡くされた同人方の涙を、皆さんと共有して、分かち合った。それを聞く思いは、人それぞれである。その方が、経験した親や連れ合いとの生前の関係と、その別れ方との違い、経験の違いで、聞き方、とらえ方が千差万別であったところが、やはり面白い。

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 座談会を中断して、予告にもあった、わたなべともえさんのミニライブ。べーちゃん、ありがとう。子どもが騒がしいなかで、しかもマイクなどもないところで、ナマ歌を聞かせてもらった。彼女の雰囲気がなんともいい。声楽的なうまいとか下手とかを超えた、シンプルな飾り気のない雰囲気がいいのである。子ども向けに、童謡なども歌ってくれたけれど、彼女のオリジナルも何曲が入っていたが、『引っ越し』なんてなかなか名曲やなー。

 参加者の中に、以前から、彼女のストロベリー・フラワー時代のヒット曲、「ピグミン 愛のうた」の歌詞が好きだという人がいたが、それがまるで私について下さる菩薩様のようだと言っていた。ふーん。確かに哀愁のある歌ですがね。http://www.youtube.com/watch?v=Pm199r3Kxdc

 たまにはこんな企画もいいけれど、今度こそ、もう少し静かなところで聞きたいなー。

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日曜日は華光日曜礼拝の「はなまつり」 花御堂もお飾りをされ、お釈迦様に甘茶をかけてみんなでお祝い。子どもたちによる献灯・献花・献灯のあと散華、おつとめをして、ちかいの言葉。早めに集まった子どもたちが、何度も何度も練習して行う。 うちの子は二人の息子が「献灯」と「ちかいの言葉」担当だ。 ご法話は本職M先生。花祭りの「花」と華光の「華」を通じて、「泥中の白蓮華」である仏様の「おこころ」そして、「こころ」はどこにあるのかというお話。 4月は学生が卒業・就職したり、帰省や職場の変化などでボランティア... [続きを読む]

受信: 2010年4月27日 (火) 05:05

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