真宗カウンセリング研究会の総会
真宗カウンセリング研究会の総会。
別に大きな組織でも、営利などの利害関係があるのでもない小さな集まりなので、総会も、月例会同様、参加者は、10名にも満たなかった。
それで、参加者の居所が聞き会い、あとは昨年の各セッション、集いの振り返りするという感じで進行。
それでも、参加者の中には、真宗(仏教)と、カウンセリング(心理療法)の接点、出会い、融合や統合を指向しているご縁が、徐々に増えているから、なんとも頼もしい。真宗からカウンセリングに出会った人、カウンセリングから真宗に出会う人もいる。今回、初めての参加者が、 まったく在家(俗人)でありながら、浄土真宗に帰依し、そこからカウンセリングや心理療法に関心をもっていたが、またはその逆に、カウンセリングの専門職から、浄土真宗を目指している在家の人もいった。そんな人達が、引き寄せられるように集ってくるは、まったく不思議だ。これまでの浄土真宗の既製教団、特に世襲の僧侶は、これらか何を目指し、何を伝えていきたいのだろうか。その周りでは、規格品の教えではなく、生きた人にアプローチする、本来の浄土真宗のありように魅力を感じ、自らその道を歩もうとする若い人達もいるのである。そんな人達のニーズを既製の巨大教団はくみ上げられているのかと思うと、はなはだ心もとない。
昨年のセッションの振り返りのところで、エンウカンターグループ(心理的なカウンセリングの出会いの場)と、真宗カウンセリングWSが続けて報告があった。でも、外から見ただけで、言葉の説明だけでは、両者の違いはわかりずらい。そこにもう一つ、真宗法座(華光のような先日の「真宗法座の集い」のような信仰座談会のみの法座)との違いはどうなのか。カウンセリングの集いと、真宗カウンセリングの集いと、真宗法座の集いの三者の違いといっていい。それを参加してない人に、言葉だげて説明するのはわかりずらいと思ったので、逆に、ぼくからその違いについて質問する形で、尋ねてみた。単なる仏法の話題になるから、真宗法座、カウンセリングでは、仏法の味わいを語れないとか、突っ込めないとか、往々にして、カウンセリング=受容的に聞くことで、侵攻的なアプローチや質問はタブという極端な理解まで含めで、実は、単なる話題の違いや、表明の違いで区別することはできないである。そうなると、ますます三者の境界を明確に示すことは難しいのである。でも、そんなことを質問したおかげで、ぼくの中でハッキリしてきたこともある。
西光義敞先生が示された、真宗とカウンセリングの二重構造(A型、B型(AからC移行)、C型)という、例の三角形の図表である。それは、話題ではなく、両者の指向しているところであり、また同時に、カウンセラーの立脚している地平、つまり、カウンセラー(もしくはクライエントを)が何に、その根底から支えされらているのか、その超越的な地平にある法、南無阿弥陀仏があり、またその大悲から働きかけによって、究極的には、今生を超えた後生の一大事の解決、信心獲得を目指しているものと、今生の苦の解決や成長を目指すものの違いだといっていい。その意味では、いくら話題や言葉が仏法的であったとても、まったく真宗でも、カウンセリングでもないもの時もあるだろうし、逆に、用語以上に、超越的な世界からの呼びかけに応じ、両者がその呼び声を聞く世界が拡がる可能性もあるということである。
とにかくいろいろと考えさせられた。
| 固定リンク
「カウンセリング・DPA」カテゴリの記事
- 「必要・十分条件」省略されている重要なこと(3)(2022.05.31)
- 「必要・十分条件」省略されている重要なこと(2)(2022.05.31)
- 『必要・十分条件』省略されている重要なこと(1)(2022.05.31)
- 4月下旬の法座のまとめ(1)(2022.04.20)
- 2月の月利会~共感的理解~(2022.02.16)
コメント
久々の書き込みです。
総会の時間、とっても、味わい深いものでした。
私は真宗カウンセリング研究会にも10年間程お世話になっていますが、いまだにA型(血液型はB型ですが・・笑)で和少ないメンバーなのかなと思います。
投稿: とのひろ | 2010年4月29日 (木) 23:23
とのひろさん>わーあい。コメントうれいしいです。
もう10年になるんですか。でも、何型だろうが、ゆっくりと包括していくところが、この研究会のいいところなのだという気がします。案外、とのひろさんだって、大きな力に支えられているんじゃないですね。
ちなみに、ぼくもB型です。
投稿: かりもん | 2010年4月30日 (金) 00:31