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建仁寺

Img_0340

 先週のことだが、国立京都博物館の長谷川等伯展に出かけた。

 混雑は予想していた。以前、別の美術館の伊藤若冲展も大混雑で、開場前から並んだのことがあるので、その覚悟はしていた。それでも、平日の午後、ある程度は大丈夫だと思っていたが、甘かった。会場に入るまでで、100分~120分待ちの標示。もう外から長蛇の列である。その日は、春にしては寒くて、3月中旬並の気温。風もある。それなのに、こちらは、もう春の装いである。こんな寒空で2時Img_0341間も待てないなーと、今日は諦めることにした。

 諦めがいいのは、実は、もう一つ目的があったからだ。だいたい、京博にきたら、ゆうこ展を開催している、マチャプチャレという、オガニックのお店に寄ることにしているのだImg_0342か、その日は違った。ここから、そう遠くない、カフェのミニギャラリーに、自力仲間の友人の書が飾られている、ご案内をもらっていたからだ。テーマは「ねこ」だった。

Img_0343 五条まで歩いて、紅茶倶楽部という紅茶専門店へ。緑の多い外観が、穏やかな雰囲気である。こだわりのご夫婦がゆっくりとお茶をいれてくれた。一口サイズのピーナッツバターとバナナのサンド。雰囲気といい、女性向きのImg_0344お店。

 よく考えると、この界隈に足を向けたことは初めてだ。京都に5つある花街の一つで宮川町。まあ、まったく接点はない。人通りもまばらで、次ぎの予定まで時間があったので、少しブラブラしていると、すぐにお寺が見えてきた。

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 京都五山の一つ、建仁寺だ。

 先日の都をどりでは、祇園側から入ったのだが、拝観はしなかった。近くまで来ても、なかなか中に入ることのないお寺のひとつ。だいたい、京都のお寺は、仏像よりも庭園や伽藍が美しいお寺が多い。鎌倉以降の禅宗、浄土宗、浄土真宗などの大本山もだいたいそうだが、ここも、そのひとつだ。次ぎの予定まで間があったので、あまり期待せImg_0348_2ずに中に入ることにした。

 「ああ」と、瞬間、息をのんだ。ずみずみしい若葉が、美しい。

 Img_0366向こうには、有名な「風神雷神」の屏風が展示されている。

 さいわい、観光客もすくなくて、静寂を楽しむことができた。右は、反対側からの眺め。

 写真は、(一部を覗いて)珍しくフリーだったけど、この国Img_0347宝の屏風は、残念ながら模写。

  下は、法堂(はっとう)で、別名「拈華Img_0360(ねんげどう)」といわれている。お釈迦さまと迦葉尊者との、心と心で、言葉を超えた真実の対話である、拈華微笑(ねんげみしょう)からつけれらているのだろう。だから、御本Img_0357尊も、釈迦如来座像と、脇侍が、迦葉尊者と、阿難尊者だった。天井には、見事な「双龍」が描かれていたが、これは、平成年間のごくごく最近のものだそうだか、迫力があった。

  結局、満員電車のような押し合いのなかで、頭越しに等伯を観るより、この静寂の雰囲気のほうが、ずっとこころが豊かになれた気がした。予定・計画どおりに進まなくても、その流れにのっていくと、おもわぬ拾い物があるんだなーと感じた1日。まあ、人生もそんなもんかも。
Img_0361 ちなみに、等伯展は、土曜日の午後に出かけた知人は、たったの30分待ちだったそうだ。うーん、平日は逆に団体客があるのかな。

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京都」カテゴリの記事

コメント

「永代経」さま宜しくお願い申し上げます。

長谷川等伯と言えば、「歴史ヒストリア」でも観ましたが、狩野永徳一門とは色々あったようですね。どちらも法華宗ですね。当時、京都の町衆の多くは法華衆で、京都法華二十一箇本山(山門徒等による天文法難により後には十六箇本山となり今日に至っています)に経済力有る町衆が多く寄進されていたことから、町衆は「檀那衆」と呼ばれるようになり、「檀那」(旦那)は転じて商家の主人一般を意味するようになり、更に転じて一家の主人を意味するようになりました。

「鎌倉(新)佛教」の呼称や、枠づけには今日批判もあります。松尾剛次先生のように、叡尊菩薩等の西大寺派の活動も新佛教と位置付ける方もおられるし、所謂、鎌倉佛教の御祖師方は、時代も結構かけ離れ、教義的思想的な相違点も大きいこと。更には、今日、思想的な面でも、現実的な「教団規模」の面でも影響力の大きい、親鸞、道元、日蓮の三聖の宗派が現実的な社会的影響力を持つようになったのは室町時代以降です(一宗としての独立や教団化については、祖師方の意を汲むことか否かはそれぞれで問題おおありですが)。それまでは、道元禅師は、『新古今和歌集』の撰者である久我通具の子とされ、同時代から名が知られていたようですが、親鸞、日蓮の二師は、同時代は無名でした。親鸞聖人に至っては、近代には史的実在を疑われた時もあり(結果的に西本願寺蔵中で見つかった『恵信尼公文書』が実在を証明した形となりましたが、「肉食妻帯」なさったことが、良くも悪しくも?「教団」を残し、「実在」を証明したのは皮肉です)、日蓮聖人については、同時代の真言宗の(重如)日蓮上人(こちらの方が当時は有名)との異同について今日まで学者泣かせの問題を提供しています。

しかし先日、朝日新聞の文化面に平雅行先生が寄稿なさっておられましたが、院政期ごろから、文献研究などの佛教の学問は精緻を極め、大変発達しており、例えば宝池房証真上人のような大変な学僧は出られていましたが、そういう爛熟期に思想家として佛教を究められたのが、鎌倉の御祖師方等であるという内容のことを仰っておられます。

確かにその通りだと思います。そして「同時代性」というのも感じます。室町時代には、禅宗系に一休禅師が出られ、浄土真宗系に蓮如上人がでられ、日蓮宗系に“鍋冠”日親上人が出られています。一休禅師と蓮如上人の有力檀那は共に、琵琶湖の堅田衆でした。日親上人の有力檀那は上記の京都町衆で(足利義教に弾圧されての)獄中で本阿弥家の当主との知遇が、後の光悦に至る本阿弥家の入信につながりました。

日清~日露期(丁度、今話題の『坂の上の雲』の時代)には、禅宗系からは、鈴木大拙先生が出られ、浄土真宗系からは、清沢満之先生が出られ、日蓮宗系からは、田中智学先生が出られています。

こうした。「時代性」にも、様々な「御因縁」を味あわせていただくとともに、時代を超えた祖師方の「思想性」も味あわせていただいています。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。繰り返し宜しくお願い申し上げます。

投稿: 縄文ボーイ | 2010年4月29日 (木) 12:32

例によって追伸

また、あわててカキコして、全くまとまりのない意味不明の文になり申し訳ございません。

結論としては、「鎌倉新仏教」の枠づけは、私としては有効だと思うし、その理由の根本は、御祖師方の思想性が、それぞれの時代や、教義や思想の微妙な相違点(共通点も多いですが)を超えて、後の室町期や明治期の「同時代性」に繋がる「生きた佛教」であると思うということでした。

天台本覚思想と鎌倉新仏教との関係(御祖師方とそのエピゴーネンについては分ける必要がありますが)とか、室町時代の「下剋上」の基盤ともなる新興勢力の台東と新佛教教団の確立、発展がどう関連するかといった問題とか触れたい問題は山積みですがまとまらないので・・・。

最近、インド哲学やアビダルマ等についての諸先生方の御著書を拝読させていただいていると(御蔭で、大乗の系譜の中では云わば「神格化」「絶対化」されている、ナーガールジュナやヴァスバンドゥも大分「相対化」出来ましたが)、こんな煩瑣な教義解釈の問題が「私の御救い」とどう繋がるのだろうかとか思えてきて、仏様は、こんな重箱の隅をつつくような「けちなこと」問題になさらずに、横へ放下されて、今すぐ真っ直ぐに私の中に飛び込んで下さっている、私一人の為にと御味わいさせていただき、関連して各宗の江戸教学(宗乗、余乗とも)と近代佛教学との逆説的な関係とかまた、問題点が一杯出てきますが、取りあえず先の平先生の御文の触発されて今思うことをカキコさせていただきました。

投稿: 縄文ボーイ | 2010年4月29日 (木) 14:08

最後に一つ

建仁寺と言えば、最近読んだ栄西禅師についての本に、禅師は、博多の聖福寺時代は、弥陀教(浄土教)を中心の御教化されていたというのを読んで興味を引かれました。道元禅師に、栄西禅師に師事することを勧められた三井寺の公胤上人は、初めは専修念仏を批判されながら、後には法然上人に帰依なさった御方だし、栄西禅師は、元々、天台浄土教の母体とも言うべき台密の巨匠だし、そういうこともあるだろうと思いました。北九州の地から浄土宗二祖の鎮西(弁長)上人がお出ましになられたのもそういう環境というか、御因縁もあるのかな~と思わされました。余談でした。

投稿: 縄文ボーイ | 2010年4月29日 (木) 14:19

縄文ボーイさん、あいからずの博識ぶり、恐れ入りやす。
「歴史ヒストリア」は、ちょっぴり再放送みました。
でも、まだ等伯展には行けてません。
鎌倉新仏教は、なるほどね。確かに、枠組みは、ほとんど後世のものだろうし、ご本人方は、そんな意識はなかったはずですからね。何事も、一定の範疇に修められないほどの、熱気や個性があったとも思いますね。でも、なにか時代のうねりというのか、旧仏教を継承しつつも、新しい方向性があったのは確かで、その純粋性や専一性が、大衆性を獲得するのは後世になてからだとはいえ、その萌芽がすでにこの時代にあったと、ぼくも思っています。
 また教えてください。
 永代経近づいてきましたね。お気をつけて。
楽しみにしています。

投稿: かりもん | 2010年4月30日 (金) 00:23

「建仁寺」お参りさせていただいたことがあります。
何年か前の華光大会のときに、、、(なんでじゃー!)
お庭の石がまぶしいくらい美しかったのを覚えています。4月の「三帖和讃」についてのご法話を先日、支部の方々と聞き合いました。丁寧に説いてくださっていて、
いかに丁寧に細かに詳しく書かれてあるのかということを知りました。
それにしても、聞きなおしてみて、いかに私が
ご法座で大事なところを聞いてないか!
つくづく、、、。
たとえ話にすぐ飛びついて、、、、、。
おそまつです。

投稿: Tねこ | 2010年4月30日 (金) 09:31

Tねこさん、お世話になってます。
まあ、反応がいいのが取柄でもあるわけですから。
三帖和讃は、下巻の作業が始まってます。もともとは一冊だったのが、550頁を超えるので、分冊となったもの。7月中にはなんとかね。またよろしくお願いします。会館は、いよいよ永代経法要の3日間が始まりますよ。
へえ、わりと穴場を拝観されたんですね。

投稿: かりもん | 2010年4月30日 (金) 17:26

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