『人間失格』、『パンドラの匣』と『ヴィヨンの妻』~太宰の映画化~
昨年、太宰治の生誕100年に関連して、彼の小説の映画化が花盛り。さすがに、『斜陽』はパスしたが、『パンドラの匣(はこ)』、『ヴィヨンの妻』、そして、先月観たのが『人間失格』だ。
まずは、「生まれてきてすみません」と始まり、その言葉で終わる、映画『人間失格』。太宰治の代表作の映画化である。
しかし残念ながら、とても平板で退屈な印象しか持てなかった。
津軽では有名な名家、資産家の子息である、大庭葉蔵(生田斗真)は、幼少期から、わざと「道化」として生きていたが、それを同級生のひとりに見抜かれてしまう。
上京後、高等学校にはいるも、画家を目指す葉蔵は、遊び人の画家、堀木(伊勢谷友介)のカモとなり、放蕩生活が始まる。とにかく彼はもてる。次々と女性が近づいて来る。この老若新旧の女優陣が豪華で、見どころ。寺島しのぶ、坂井真紀、小池栄子、石原さとみ、室井滋、大楠道代、そして三田佳子と、ときに老の方々は、鬼気せまる風貌もみせる。結局、女と遊び、酒に溺れ、心中をし、ヤク中毒になり、最後には廃人同様の生活へと破滅の人生を突き進んでいくのである。
しかしである。次々と個性豊かな女が登場するのに、平板なイメージがするのはなぜか。それは、主人公を演じる生田斗真の印象が、薄いからだ。
彼がどんな役者かは知らないが、とにかく男前だ。でも、ほんらい内面に秘めれているだろう、狂気や絶望、悲壮感、体たらくさといった負のエネルギーがまったく感じられないのである。あまりにも爽やかなのだ。
結局、なぜ彼が破滅に向かったのかの内面描写が未消化のまま、次々と個性的な女性が登場しても、常に同じ雰囲気が漂い、平板に見えてくる。ぼくには、むしろ伊勢谷友介が演じる堀木の方が、魅力的に見えてきた。また、原作にはない森田剛が演じる中原中也も、たいせつな役回りで出演する。
あと、最大の不満は、なぜか若い女優との濡れ場はないのに、室井滋と、三田佳子のラブシーンがある。とくに後者の方のそれは、ちょっとゾーッとするほど怖かった。だって、ヤク中の息子との添い寝なんて、まるまる実生活じゃないのかなーと。
対照的に、だめんず夫を支える妻が、魅力的に見えて感心したのが、浅野忠信、松たか子が夫婦役の『ヴィヨンの妻』~桜桃とタンポポ~だ。
こちらは、太宰の後期の秀作小説を下敷きに、他の太宰作品を参照して描かれた、夫婦のとても奇妙(?)な愛の物語だ。
戦後の混乱期。稼いだ金を酒と女に浪費し、借金を重ね、家庭を省みない才能ある小説家・大谷(浅野忠信)。彼の借金を返すため、妻の佐知(松たか子)は、彼が大金を盗んだ飲み屋で働くことになる。最初のシーンはほぼ原作どおりに始まる。美人で気立てのいい彼女は、場末の飲み屋の人気者に。彼女を慕う工員の好青年、かつて想いを寄せていた辣腕弁護士などが現れる。こともあろうか、大谷は、自分の女性関係は棚に上げて、嫉妬に苦しみ、彼女に奇妙な行動をおこして、彼女の本心を確かめては、傷ついていく。あげくには、愛人の一人である、秋子(広末涼子)と心中事件まで起こしてしまうのだ。
それに対して、彼女は、からだを張ってまで、彼を護ろうと奮闘する。
なぜ、ここまで、ダメ夫を護ろうとするのか。
実は、ダメ亭主を支える、献身的な妻の愛を取り上げたようで、実はそれだけではない。この夫婦、正反対に見えて同根の闇を持っている、共依存関係にあるのではないか。お互いに愛し合いながら、それでいて、お互い自分中心で正当化されていくのだ。
酒、女、金、そして家族を泣かせて放蕩三昧、さらには強い破滅願望、そして、自己中心の極み。なのに、なのにですよ。なぜか憎めないという不思議な男を演じる浅野忠信が、素晴らしい。ふとした仕種にみせる繊細さ、また純粋なやさしこさがいいのだ。終盤になればなるほど、こちらまで、そんなダメ男に共感していく。一種の魔力に魅せられて、広末のように破綻していく人達が出るのも、なんとなく納得できるような気になる。
妻の松たか子も、粗末な着物でも艶やかで美しい。一見、献身的な曇りのない姿でありながら、その実、深い内面に闇を抱えた演技が、高く評価されていた(キネマ旬報に、日本アカデミー賞の主演女優賞授賞)。
ラストもなんかいいです。
夫婦が立って並びながら、桜桃を食べる。「非人非でもいいじゃないの。わたしたちは生きてさえいれば」、なんて言えないなー。
前2本が、太宰の生涯を投影した作品なら、この『パンドラの匣(はこ)』は、若き主人公に、希望が垣間見える異色作だ。個人的には、この小説は読んだことはなかったが、一般にも知られていないだろう。
日本敗戦の年。結核療養のため山里の<健康道場>に入った青年・ひばりは鍛錬に励み、恋と友情に悶々としながら、「新しい男」を目指するのである…というのが、簡単な紹介だ。
でも、ぼくは、個人的にびっくりしたのが、この雰囲気が、噂に聞く「国嶋療法」の病院にそっくりだったからだ。回向文「願以此功徳…」がとなれらえ、寒風摩擦に、放送伝道…。ただ、最大の違いは、患者が、絶対安静ではないこと、そしてみんなが、健康体のように動き回り、付き添いや看護婦さんと恋愛をするのだ。第一、患者が、皆が丸まる太っているのである。父の若い時の写真をみたが、ガリガリであった。このあたりは、リアリティーのかけるが、たぶん、一般の方には許容範囲の、どうでもいいことかもしれない。
こちらは、芥川賞作家の川上未映子に、キネマ旬報の新人女優賞がもたらされた。
あと、久しぶりに、窪塚洋介が存在感ある役だった。
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コメント
≫でも、ほんらい内面に秘めれているだろう、狂気や 絶望、悲壮感、体たらくさといった負のエネルギー がまったく感じられないのである。
負のエネルギーなら、僕に任せてください!
この映画は僕が演じれば、まさにハマリ役でしょう。
最近、面白い映画に出会いません。かなりのペースで見ているのですけど、終わってガッカリすることばかりです。映像に対して、ストーリーがしょぼいんですよね。
良かったと思えたのは三宮のシネコンで見た「禅」くらいですね。
投稿: 阿波の庄松 | 2010年6月 3日 (木) 01:52
少し前の記事まで、いろいろと丁寧に読んでくれているんやね。いまでは、このブログで、いちばんのコメンテターだものね。
投稿: かりもん | 2010年6月 4日 (金) 01:30