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2010年4月の31件の記事

45分 

 4月のブログは30日間、ずっと更新を続けることができた。

 ブログを初めたころは、毎月、日数より多い更新もしていた。今月は、初の毎日更新。宿泊の出張法座が、3月と、5月に集中しているので、日帰り法座と、会館での宿泊法座しかなかったからである。おかげで、その分、正像末和讃の作業にも専念できたて、さいわいした。

 さて、今日は、午後から、家庭訪問。

 3時に、ナナホ。4時には、カンロの担任の先生

 おかげで、二人ともいまのところ、大きな問題はない。一時、クラスが荒れていた、カンロも、どうにか慣れてきて、クラスも少し成長してきたこともあって、いまは順調である。外で、遊ぶ機会もふえてきた。

 下の新1年生も、機嫌よく、学校に行ってくれている。ただし、保育園と違って、同じ決められた場所(机の前)に、ジッーと座っているのが、疲れるらしい。それでも、おとなしく授業聞いたり、遊んだり、発言する時は、それなりに動いたりい、発言できて、なかなか初の学校生活の滑り出しは順調なようだ。

 ただ、まだ全般に幼児気分が抜けないという。

 給食も、最後の方は、先生が、お茶碗のゴハンを箸集めて、「アー」としないと、時間内に食べられない子もいる。午後になる、授業の終わりの方で、「先生、おしっこ!」というと、次々と、「ぼくもトイレ」と続いて、事業が中断するこことが多いのだそうだ。なかなか、40~45分をおとなしく、集中して座っているということは、難しいようだなー。

 先日の花祭りでの、ベイちゃんのライブでも、まあよく持って15分というところだったので、これを45分も、動き回らずに、かつ黙っていることができるのは、かなり集中力と、忍耐力がいるんだろう。

 まあ、こうして訓練してもらって、人の話を聞く大勢ができるようになるのであろう。

 もっもと、ご法話に関しては、黙って真剣に聞いているのやら、居眠りしているのやら、一応、からだはおとなしくても、心は別というも多いですからね。

 ジーッと、法話も7席も聴くのも、ある意味、忍耐が必要でして…。ましてや、あの大人数で、2日間過ごすのも、ある種の行かもしれませんなー。

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チケットレス

 法座の移動は、もっぱら新幹線か、車である。

 京都は新幹線利用が便利なので、北海道か、南九州でのご法座でもない限りは、飛行機を利用することが、少ない。だから、プライベートを含めると、年に1、2度程度の利用だ。その場合でも、先方からチケットを送ってもらったり、パックだったりで、自分ではとられない。

 それが、5月の鹿児島行きにチケットをとることになった。鹿児島の興正派別院での研修会に招かれた。航空券や宿は先方が手配してくださるのだが、せっかく、ここまで足を延ばすのだから、鹿児島の同人方とも、たとえ少人数でも家庭法座を持つことが、決まった。それで、帰りを延期したので、ネットでチケットを押さた。

 ここでも、少し前に新幹線のチケットレスの話題にした。とても便利で、安いのだが、さらに安くあげる工夫も、あれこれ試行(思考)したりしている。航空券の場合は、なおさらだ。ある程度の条件さえあえば、GM後なので、かなり格安のものもある。組み合わせ次第で、割安にもなる。でも、数が少なくて、すぐに埋まったり、逆に、満席が空席になったり、妙な割高になったりと、とにかく賢く買おうとすると、まめにチェックする必要があるようだ。

 自宅のパソコンから、座席も指定できるし、領収書も発行できるし、しかも、チケットレスで、URLエンコードを印刷(携帯があれば、それでいいんだけ)したら、もう直接、搭乗手続になる。ETCの高速道路も、列車や新幹線も、そして飛行機も、どんどん便利になっていくのは有り難い。でも、なんなとく複雑な感もあるのは、なぜかなー?

 明朝は、「正像末和讃」の初校渡し。もう少しだけ、見直しがある。それでも、永代経法要まにで渡たせそうだ。法座の準備も、着々と進んでいる。

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建仁寺

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 先週のことだが、国立京都博物館の長谷川等伯展に出かけた。

 混雑は予想していた。以前、別の美術館の伊藤若冲展も大混雑で、開場前から並んだのことがあるので、その覚悟はしていた。それでも、平日の午後、ある程度は大丈夫だと思っていたが、甘かった。会場に入るまでで、100分~120分待ちの標示。もう外から長蛇の列である。その日は、春にしては寒くて、3月中旬並の気温。風もある。それなのに、こちらは、もう春の装いである。こんな寒空で2時Img_0341間も待てないなーと、今日は諦めることにした。

 諦めがいいのは、実は、もう一つ目的があったからだ。だいたい、京博にきたら、ゆうこ展を開催している、マチャプチャレという、オガニックのお店に寄ることにしているのだImg_0342か、その日は違った。ここから、そう遠くない、カフェのミニギャラリーに、自力仲間の友人の書が飾られている、ご案内をもらっていたからだ。テーマは「ねこ」だった。

Img_0343 五条まで歩いて、紅茶倶楽部という紅茶専門店へ。緑の多い外観が、穏やかな雰囲気である。こだわりのご夫婦がゆっくりとお茶をいれてくれた。一口サイズのピーナッツバターとバナナのサンド。雰囲気といい、女性向きのImg_0344お店。

 よく考えると、この界隈に足を向けたことは初めてだ。京都に5つある花街の一つで宮川町。まあ、まったく接点はない。人通りもまばらで、次ぎの予定まで時間があったので、少しブラブラしていると、すぐにお寺が見えてきた。

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 京都五山の一つ、建仁寺だ。

 先日の都をどりでは、祇園側から入ったのだが、拝観はしなかった。近くまで来ても、なかなか中に入ることのないお寺のひとつ。だいたい、京都のお寺は、仏像よりも庭園や伽藍が美しいお寺が多い。鎌倉以降の禅宗、浄土宗、浄土真宗などの大本山もだいたいそうだが、ここも、そのひとつだ。次ぎの予定まで間があったので、あまり期待せImg_0348_2ずに中に入ることにした。

 「ああ」と、瞬間、息をのんだ。ずみずみしい若葉が、美しい。

 Img_0366向こうには、有名な「風神雷神」の屏風が展示されている。

 さいわい、観光客もすくなくて、静寂を楽しむことができた。右は、反対側からの眺め。

 写真は、(一部を覗いて)珍しくフリーだったけど、この国Img_0347宝の屏風は、残念ながら模写。

  下は、法堂(はっとう)で、別名「拈華Img_0360(ねんげどう)」といわれている。お釈迦さまと迦葉尊者との、心と心で、言葉を超えた真実の対話である、拈華微笑(ねんげみしょう)からつけれらているのだろう。だから、御本Img_0357尊も、釈迦如来座像と、脇侍が、迦葉尊者と、阿難尊者だった。天井には、見事な「双龍」が描かれていたが、これは、平成年間のごくごく最近のものだそうだか、迫力があった。

  結局、満員電車のような押し合いのなかで、頭越しに等伯を観るより、この静寂の雰囲気のほうが、ずっとこころが豊かになれた気がした。予定・計画どおりに進まなくても、その流れにのっていくと、おもわぬ拾い物があるんだなーと感じた1日。まあ、人生もそんなもんかも。
Img_0361 ちなみに、等伯展は、土曜日の午後に出かけた知人は、たったの30分待ちだったそうだ。うーん、平日は逆に団体客があるのかな。

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『ブルー・ゴールド』~狙われた水の真実~

 就任したばかりの鳩山首相が元気だったころ(遥か昔のようだが)、「二酸化炭素の排出量の25%削減(2020年までに1990年比)」と、威勢よく宣言されていた。その後の、ゴタゴタ続きで、ほとんど主役を奪われてしまったが、いまの日本(世界でも)では、環境問題といえば、地球温暖化と二酸化炭素の問題に固定されているかのようである。

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 そんな中で、『ブルー・ゴールド』~狙われた水の真実~は、これからの世界で起こるであろう、「石油戦争から、水戦争の時代へ」をテーマにした、いまここにある危機を取り上げたドキュメンタリーだ。この作製のプロセスが、ちょっと面白い。

 もともとは、デヴィッド・ボウイ主演の『地球に落ちたきた男』の続編を製作するために、水が無くなった地球を舞台にしたSF映画の企画が進んでいた。その準備を進めるうちに、それがSFのおとぎ話ではなく、差し迫った現実の危機としての大問題だと分かって、シリアスなドキュメンタリー映画へと移行したというのである。監督の言葉。

 社会的には、環境問題は二酸化炭素の排出と地球温暖化に絞られているように見える。でも、地球が温暖になっても、人類は生き延びるだろう。地球温暖化は「どうやって」生きるのかの問題が、水危機は「生きられるかどうか」の問題なのだ。だから、私はこの映画を作った。

 今後予測される世界人口の増加に、土壌や水質の汚染(これが深刻。地下水や水循環の破壊される)を考えるとき、一番に危惧されるべきものは、水資源の枯渇だというのだ。

 ご承知のとおり、地球は、水の惑星だ。ところが、その97%強が海水で、淡水は、たったの3%以下しかない。しかも、そのほとんどが氷河などで固定されていて、実際に人間が使用できる水の量は、地球上の水分全体からみると、たったの0.8%しかない。しかも、手で汲んで飲める安全な水となると、わずか0.001%0にしかないというのである。そのわずかな水を巡って、20世紀が石油をめぐり、大企業が群がり、国と国が戦争して獲得競争に血眼だった(しかし、エネルギー源としては石油の代替は生まれて来るし、co2の削減の問題とも絡んでいる)が、21世紀は、「水」戦争が勃発することが明らかだというのである。「水」がなくては、人間(動物も含めて)は、生きていけないのである。

 当然、巨額の利潤、利権が生まれるところには、巨大企業、有力な政治家、超大国が、水資源を巡る利権に群がっている。それにつけても、なんとも恐ろしい話が、危機を煽るように語られていくのだ。援助への見返りに開発途上国の水道事業の民営化を迫る企業。そこでは、コカ・コーラより、うーんと高いボトル・ウォーターが売られ、大企業が巨額の利益むシステムが出来ている。ならば、海水を利用すればいいではないか。今度は、淡水化技術や、水の輸出計画には、投機目的の大投資がうごめいている。そんな、次々と、世界規模でおこっている、水戦争の実態を追跡していく。

 世界の国で、水資源が余剰となるのは、大量の氷河のあるロシア、カナダ、そして、アマゾンを抱えるブラジルぐらいだというのである。米国のブッシュのファミリー企業が、石油から、ブラジルの水に乗り換えているという映像も出て来た。

 ところで、大方の日本人同様、ぼくも、この映画を見るまでは、「日本は水資源が豊かな国だ」と思っていた。有名どころのペットボトルの水程度の輸入はあっても、ほとんど水は輸入していないと。

 ところが、実際は違うというのである。ご承知のとおり、わが国は世界有数の農作物の輸入大国だ。その農産物という形で、他国の水(これを仮想水という)を、実質的に輸入している。そのおかげで、日本人は、水に困らないというのである。その量は、国内で必要な水の半分程度を、買っている計算になるというのである。しかも、輸入される水の問題点は、水循環を起こさないで、浪費されてしまうところにあるのだ。ならば、穀物自給率を上げればいいのか。でも、そうなると、当然、そり相当の農業用水が必要になってくる。作物や家畜だけでない。工業製品をつくるにも(工業用だろうが)、なにをつくるにも、たくさんの水が必要なのことを、ぼくたちはまったくアタマに入っていないのではないか。

 そして、もう一つ、当たり前になっている変化に、再確認させれられた。
 先日も、ここで、小さな子どもが、水道水をの水を飲もうとしたら、母親が、「そんな、ばっちい(汚い)水を飲まんとき」と叱って、バックからペットボトルの水を出してきたのである。

 別に、よくある普通の光景。ぼくも、この映画をみるまでは、何も思わなかった。でも、よく考えると、そんなことは、ぼくの子どものころには、絶対に考えられなかったことだ。公園で遊び、喉が渇くと、みんな、外の公園の水道水を、がぶ飲みしていた。むしろ、水道水がそのまま飲める国というのが、誇りだったぐらいだ。

 それが、「汚い」と、いわれるようになった。

 いつのまにか、我が家も浄水器をつけ、ペットボトルの水を購入するようになっている。

 健康のために、水がいちばん大事だ。いかに水道水が、からだに悪くて、危険かというような情報に踊らされているのではないか。

 しかし、この映画の中でも、ネスルへの取材で証言されてしているが、水道水の水と、販売されたボトルドウォーターの安全性や成分上には、なんら代わりがあるとは認められないと。ただ、便利なので、弊社のペットボトル水が利用されるのだと…。

 まあ、とにかく、いろいろな問題がある。人間の尊厳に関わる事例、市民暴動や政治の汚職にまで発展する事例、ひとりの男の子が世界を動かしたケース、さらには、企業や結託した政治家に民衆が勝利する場面まで、次々と問題点が明らかになってくる。

 ただし、少々、極端な論の勧め方も散見して、ある種、反対意見は、バッサリ切り捨てられていく。まあ、ここまで徹底すると潔くていいのだが、これを、まるまる鵜呑みにするのも、ちょっと怖い感じもする。でも、知らない情報で刺激を受ける。

 空気は、だれのものか?

 太陽は、だれのものか?

 では、水は、だれのものか?

 水問題は、最低限、人が人として生きる権利でもあるのだ。

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ブションでの慰労会

 花祭り終了後、年に1度の、先生方の慰労会。

 先生方は、みなボランティアで、それぞれの仕事や学校の合間を縫って、毎月、頑張ってくれている。ベテランが入るので、安心できるが、なかなか、新しい学生世代の新人の先生や、女の先生(やる気があっても、結婚したり、出産したり、帰省したり)が定着しないのが、いまの悩みだ。これは、仏青や子ども大会の先生も同じ。確かに、新人は入るのだが、仏青のメンバーとしての自覚までにいたるには、なかなか時間を要するのだ。

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 4、5年ぶりに、二条寺町(京都市役所の奥)にある、フレンチ(ビストロ)のお店、ブションにいった。普段遣いでの気さくな感じで、ちょっとフランスの街角のビストロで食べているという感じがする。もっとも、フランスには行ったことがないので、あくまで想像でしかないけれど…。Img_0409

 前菜、メーン、そして豪華なデザートをそれぞれチョンスして、夜でも、2,500円。本格的なのに、リーズナブル。だから、客の半数以上が、フランス人という感じのときもあるが、今夜も、外人のカップルが何組かいた。

Img_0412 さて、みんな、それぞれ違うものをチョンスして、少しずつ味見しようということになった。

 ぼくは、本日のおすすめで、「ポタージュスープ」と、「豚バラ肉のレンズ豆煮」という堅実なチョンスをした。だいだい冒険しないなー。でも、若い子は、けっこうチャImg_0417レンジャーで、「ダブリエドセプール」(?)、実は「牛の胃袋のパン粉焼き」とImg_0413か、「レバーのパテ」とか、「アンディーブと鶏胸肉サラダ」とか、「リヨン風クネル」(要はグラタン?)とか、聞いてもわからないどころか、覚えられないものをオーダーしていた。こちらは、ブログに備えて、メニューを写しておいたので、料理オンチでも、紹介Img_0416きるというのである。

 左が、アンディーブという白菜にような野Img_0414菜。下は、オマール海老のテリーヌ。これは、たいへん美味だった。メーンになると、お肉でもかなりの量がでる。これなら若い男性の胃袋も充分に満たしてくれる。まあ、牛の胃袋も食べるんですからね。

Img_0433 最後に、デザート。ガトーオ・ショコラ、クレム・キャラメル、チョコート・ムースと、こちは、みんな テッパンをチョイス。

 多少、お子ちゃまのぼくには、(レバーやImg_0434チーズ系)のくせのあるものは苦手だが、どれもおいしくて、かなりワインやアルコールも飲んだのに、ひとりにすると、3,200円ほどだった。この内容なら、かなりお得感がありで、おすすめだ。あいからず、「お得」の文字には弱い。

 冒頭に書いたが、今回も、先生方は、男性だけ。女性は、連れ合いだけなので、先生というより、お母さん。子どもには女の子が多いので、できれば、女性の先生の助っ人がほしいんだけどなー。 

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花祭り

 華光会館の子どもの花祭り。

 残念なことに、今日は、この地域のお祭りと重なってしまった。ここらは、伏見稲荷大社の氏子(町内単位で世話役がでる)で、その稲荷大社から小学校の向かえにあるお旅所までの巡行があるのだ。その神輿行列と子供のお練りがあって、朝から、先導の太鼓を打ち鳴らした車が走っていた。すると、どこから、遠山の金さんよろしく背中などに華やかなペインティング(ホンモノ)をされた威勢のよい方々も多く現れて、神輿で練り歩き、そのあと、子供たちがついて歩いての巡行。終了後、お菓子をもらうのである。それで、この町内の同級生たちは、ほぼ全滅。参加者がすくいなのが心配されたが、別に関係ない地域の子どもたちもいて、大人、子供と合わせると、34、5名の参加があった。

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 ナナの保育園関係のお友達に声をかけたので、1年生、2年生が多数。もっと小さな幼児もいて、難しい話はできる雰囲気ではない。どうも、10分、15分をすぎると、子供たちの集中力がなくなる。お釈迦様の姿をみて、右手の人指し指で天を指し、左手で地を指して、「天上天下 唯我独尊」と喝破された、お心を窺った。「我独り尊し」なんですよね。そして、花祭りの「花」、華光の「華」について、私の泥田の心に、蓮の華を咲かしてくださる、そのお心について考えてもらうことにした。それにしても、こころとは不思議なもので、外からはみえないし、どこにあるとも言えない。でも、確かにそれが痛んだり、傷ついたり、淀んだり、怒りで塞がったりと、大忙しだから、なんとも不思議だ。日頃は、意識していないくても、いろいろな縁によって、その業が立ち上がってくるとき、それが知れて来るのである。

 大人の分級座談では、ごく最近、お母さんを亡くされた同人方の涙を、皆さんと共有して、分かち合った。それを聞く思いは、人それぞれである。その方が、経験した親や連れ合いとの生前の関係と、その別れ方との違い、経験の違いで、聞き方、とらえ方が千差万別であったところが、やはり面白い。

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 座談会を中断して、予告にもあった、わたなべともえさんのミニライブ。べーちゃん、ありがとう。子どもが騒がしいなかで、しかもマイクなどもないところで、ナマ歌を聞かせてもらった。彼女の雰囲気がなんともいい。声楽的なうまいとか下手とかを超えた、シンプルな飾り気のない雰囲気がいいのである。子ども向けに、童謡なども歌ってくれたけれど、彼女のオリジナルも何曲が入っていたが、『引っ越し』なんてなかなか名曲やなー。

 参加者の中に、以前から、彼女のストロベリー・フラワー時代のヒット曲、「ピグミン 愛のうた」の歌詞が好きだという人がいたが、それがまるで私について下さる菩薩様のようだと言っていた。ふーん。確かに哀愁のある歌ですがね。http://www.youtube.com/watch?v=Pm199r3Kxdc

 たまにはこんな企画もいいけれど、今度こそ、もう少し静かなところで聞きたいなー。

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4月の輪読法座

 華光誌の輪読法座。

 華光誌69号2号。巻頭言の「南無阿弥陀仏の偉力」を輪読し、悟朗先生、85歳の自己内省と、法悦の境地をみんなで味わった。

 冒頭から一部を抜粋する。

「後生の一大事」「自他力廃立」等、求道にとっての肝要な言葉の概念的な理解に止まって、その人間受生の肝要な事実は、つい見逃しがちである。そんな日々を重ねていた時、フト自らの受生の目的であるこの事実の再認識を迫られる時がきた。(略)。
 気がつくと、もう85歳である。人生余すところ、もう幾許もない。足元に無常が迫っているというのも、つい観念的になっている。(略)。こんなことを昿劫以来、繰返て何ともなかった実績だけは充分である。しかも、「われは、既に往生の一大事は解決済み!」との概念だけを積み上げて、傲(ごう)然としてきた。

 私達も、ともすれば正解だけを覚え、それを口に出すだけで満足するような聞法をしてはいないか。何のために人間に生まれてきたのかと問われれば、「人間受生の目的は、仏法を聞くため、後生の一大事を解決だ」と、正解がすぐに口にでる。しかし、それが言葉のうえの概念的な理解で止まっていては、まことに空しい。ほんとうは、どうなのか。ほんとうの私の腹底にある心は、実はまったく違うではないか。正解になっていくのではなく、その違いを知らされることが、すべてである。それは、無常の身ということしかり。85歳の先生をして、差し迫る無常も、つい観念的にしかとられらず、「既に聞いた」という傲慢不遜な思いであるとの自己内省が綴られる。せいぜい、健康や身体に不安を感じることはあっても、ほんとうに無常にこころを寄せて、聞法精進することはないではないか。あくまで、人ごとの無常、遠い世界の死を眺めることで、無常観が終わってる。そんな、ゆるい聞法しか出来ず、観念的にしか聞けない、自己に気付かせてもらえるのはどこでだろうか。

 それは、実は、私にかけられた、他力の働き、如来大悲の働きの出会うほかにはないのである。なぜなら、このとてもとても救いようのない、私の腹底を見そなわしてくださり、出来上がったのが、超世の悲願なのだからである。

 今日の座談で、なかなか信仰座談会で、自分を問題にする、表明する、または、自分の気持ちを感情に巻き込まれて爆発させるのでも、また歪めないで伝えていくことは、とても難しい。それには、やはり法座での長いお育てあってのたまものなので、少し慣れやコツといったものも必要だという話題になった。そのとき、初めて出会った学生世代の青年が、こんな発言をした。「ぼくらは、ネットやテレビゲームで育って、自分の欲しいものがあれば手に入れることができるし、欲望を満たすことばかりで生きてきた。そこでは、他人のことばかり気にしている。あの人はどうか、他人をアラを探して批判したり、そんな人に(自分が)どう見られているのかばかりが気になって、ほんとうに自分ことが見えていない。だから、自己を振り返る、つまり反省することもできないのだ」と。いやいや、若い人だけではない。それは、どんな世代でも同じだし、まったく、ぼくの姿でもある。

 なぜか。いつも私の基準は、私を物差しにしか考えられないからだ。当然、実感のない、罪悪も無常も、そして南無阿弥陀仏も、弥陀の本願も、観念的な神話や物語程度にしか考えられない。それは、当たり前だ。この私が実感できたり、理解できることだけが、真実の世界なのだから。しかも厄介なことに、私達の目は、外側を観察し、または警戒するために、外みるようについている。だらか、いつも外ばかりキョロキョロ見ては、批判し、評論家がうまくなる。と同時に、その他人の目にうつる自分ばかりを気にして、不自由に生きているのが、実態ではないか。それでいて、傲慢な全能感にも包まれているのだから、なんとも厄介である。

 そんな中で、「私を問題にし、具体的に聞け」とお示しくださるのが、仏法である。しかも、そのときの基準が、実は弥陀の本願なのだ。わたしから見たら、ウソでしかない、信じられない、南無阿弥陀仏だけが、この虚仮不実の世にあって、末通る唯一のまこと、それを基準に、もしくはその光に照らされた自分を聞けということである。内省や〇〇観といっても、結局、私の力では絶対にお手上げだいうことなのだ。

 それなのに、まったく不思議なことに、常日頃は自分を中心に人を裁くことにしかない私に、南無阿弥陀仏が至り届くことで、その法の偉力によって、実は地獄行きの私、虚仮不実の末通らない私のほんとうの姿を知らされていく。それは、真実だと思っていた自己が、実は虚仮そのものと知れることであり、ウソだと思っていた南無阿弥陀仏こそが、実は真実なのだという、大転換の世界がある。それが他力回向の世界なのである。

 まことに、仏法聴聞とは不思議なものだな。

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「輪読法座」と「花祭り」

 今日は、時折パラパラくる薄暗い曇天。この時期にしてはかなり肌寒い。昼過ぎ、京博へ長谷川等伯展に出かけた。混雑は予想していた。しかし結局は……で、結局……となって、顛末はまたの機会に。

 さて、永代経法座の前週とあって、週末の法座は、華光会館のみ。両行事とも、ぼくが担当や法話です。共に、参加費はいれません(要賽銭程度)ので、奮ってご参加ください。

1)華光誌輪読法座:24日(土)昼1時30分~5時

内容:華光誌(69号2号=巻頭言と、聖教のこころ)の輪読を中心にした座談会です。わりと少人数(多少、土曜日の時は多いか)なのと、読み物があるので、発言しやすですので、少し座談が苦手の方もどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/04/rindoku2010-4.htm

2)日曜礼拝・花祭り:25日(日)昼1時30分~4時30分

内容:お釈迦さまのお誕生(4月8日)を、みんなでお祝い。仏参のあと、ご法話。そして、きれいに飾られた花御堂のお釈迦さまに、潅仏(甘茶)や散華をして、みんなでお祝いします。大人の分級座談会では、まったく初めてのお母さん方のグループが出来るかも…。子供はゲームのあと、終了前に、ベイちゃんこと、わたなべともえ(渡辺智江)さんhttp://www.mbs.jp/portraits/portraits/2002/back2002.html#2002_4の、ミニライブもありますよ。
 ぼくは、今年、3度目の花祭りだなー。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/04/nitirai2010-4.htm

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参観日

 朝から、『正像末和讃』の作業。調子よく進行して、このペースなら、今月末には、初校が渡せそうだ。のってきたが、昼からは、小学校の参観日へ。

 昨日は、温かくて、いい具合。当然、事務所のあつい(厚い? 熱い?  暑い? そう信心に篤い)御方も、すでに夏仕様。半袖で、事務所は窓全開となった。 ところが、今日は一転、雨になって、ちょっと気温も逆どもりだ。さすがに、朝は、半袖1枚では寒かったのか、ぼくの大きめのシャツを貸し出して、着重ねである。

 出かける時には、雨はかなり強く降っていた。この時期は、気温も、天候も、目まぐるしく変わる。

 一年生の最初の参観日。桜はすっかり落ちたが、若葉が雨に打たれている。

 4月なので、一年生の中には、まだ幼児のような小さな子もいる。体型だけでなく、態度も、園児の気分も抜けない時もある。さんすうの時間。4をおはじきで示して、「1と3、2と2、3と1」に分けることを時間をかけて確認していく。その後は、5が「1と4、2と3、3と2、4と1」に分かれることを、ひとつずつ答えてもらって確認をしながら進み、最後は、ふたりでおはじきを使ったゲーム形式で、数の分かれ方を覚えていく授業だった。ほんとうに、分かっていること、簡単なことから始まり(それでも、間違える)、段階的に進んでくための楽しい工夫がなされていた。易しいほうがいいのだが、あまりに幼稚すぎたり、簡単すぎてもまた飽きるので、このあたりの程度がなかなかうまかったなー。

 それにしても、答え方、仕種、また間違い方も、そして、一生懸命さも、とにかくみんなかわいい。元気よく手を挙げて、先生に当てられると、一様に、親の方を見ては微笑み、誇らしげに前で答えていく。みんなが初々しい。たぶん、いまだけの特権か。 

 途中で抜けて、五年生の授業。体育。雨で体育館でのリレー競爭。見慣れた顔ばかりだが、あらためて躍動する姿をみていると、その成長ぶりに、びっくりさせられた。新一年生を見た後なので、その大きさにも驚いた。そういえば、カンロの一年生の授業参観も、ナナと同じ、おはじきを使った「5」の分け方だった。それが、いまや、親も一緒に考えないといけないような問題を解くようになっている。まだ小学校の間は教えられそうだが、そろそろお手上げになるだろう。
 子供と一緒に歩いて帰って、雨なので、カンロを塾におくった。算数が少し苦手な時があるようで、本人の希望もあって4月から通いだしたが、なかなか習い事だけでも、忙しくなっている。
 学ぶことが、どんどんやってくるが、それがどんどん吸収され、血となり、骨となって、大きくなっていく様子が、よくわかるのだ。

 子供時代には、身体も、知能も、心も、一つ一つ段階的(特に飛躍的)に、成長の軌跡が、手にとるように分かるうちは、まだ楽でいい。すべてのカーブが右肩あがりなのは、見ているほうも、うきうき楽しくなる。しかしである。大人のなると徐々にその角度は弱まり、ついに平行線に近くなる。当然、自分でも、成長の実感や成果もわかりずらくなってくるが、まだ学ぶことは多いし、成長のあともあるだろ。しかである。ある時期からは、身体は衰えだし、アタマも忘れぽくなり、心も硬く、愚痴ぽくなると、成長どころか、後退する実感が強くなってくるかもしれない。それでいて、これまでの経験やプライドには固執して、なかなか厄介な代物と化していくこともあるだろう。

 昨日も、食事のときに、子供が腹が捻じれるほど笑いころげていた。それをみながら、大人になったら、そんな大笑いをすることはメッキリなくなったなと、夫婦で話いた。ニコニコ笑うことはあっても、腹が痛い、死ぬほど大笑いすることは、いつごろあっただろうか。どこかで醒めているというか、何事にも馴れてしまっているのだと思うと、ちょっと寂しい気にもなった。それでも、ぼくにも今日見たような、あの初々しさがあったはずだ。そんな新鮮な、イキイキ感を忘れずいたいものだなーと。

 帰宅してから、夕方までは約束のあった相談を1件。久しぶりの来館だったようだが、ぼくもリラックスして、すこしゆっくりと時間を過ごすことができた。

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真宗カウンセリング研究会の総会

 真宗カウンセリング研究会の総会。

 別に大きな組織でも、営利などの利害関係があるのでもない小さな集まりなので、総会も、月例会同様、参加者は、10名にも満たなかった。

 それで、参加者の居所が聞き会い、あとは昨年の各セッション、集いの振り返りするという感じで進行。

 それでも、参加者の中には、真宗(仏教)と、カウンセリング(心理療法)の接点、出会い、融合や統合を指向しているご縁が、徐々に増えているから、なんとも頼もしい。真宗からカウンセリングに出会った人、カウンセリングから真宗に出会う人もいる。今回、初めての参加者が、 まったく在家(俗人)でありながら、浄土真宗に帰依し、そこからカウンセリングや心理療法に関心をもっていたが、またはその逆に、カウンセリングの専門職から、浄土真宗を目指している在家の人もいった。そんな人達が、引き寄せられるように集ってくるは、まったく不思議だ。これまでの浄土真宗の既製教団、特に世襲の僧侶は、これらか何を目指し、何を伝えていきたいのだろうか。その周りでは、規格品の教えではなく、生きた人にアプローチする、本来の浄土真宗のありように魅力を感じ、自らその道を歩もうとする若い人達もいるのである。そんな人達のニーズを既製の巨大教団はくみ上げられているのかと思うと、はなはだ心もとない。

 昨年のセッションの振り返りのところで、エンウカンターグループ(心理的なカウンセリングの出会いの場)と、真宗カウンセリングWSが続けて報告があった。でも、外から見ただけで、言葉の説明だけでは、両者の違いはわかりずらい。そこにもう一つ、真宗法座(華光のような先日の「真宗法座の集い」のような信仰座談会のみの法座)との違いはどうなのか。カウンセリングの集いと、真宗カウンセリングの集いと、真宗法座の集いの三者の違いといっていい。それを参加してない人に、言葉だげて説明するのはわかりずらいと思ったので、逆に、ぼくからその違いについて質問する形で、尋ねてみた。単なる仏法の話題になるから、真宗法座、カウンセリングでは、仏法の味わいを語れないとか、突っ込めないとか、往々にして、カウンセリング=受容的に聞くことで、侵攻的なアプローチや質問はタブという極端な理解まで含めで、実は、単なる話題の違いや、表明の違いで区別することはできないである。そうなると、ますます三者の境界を明確に示すことは難しいのである。でも、そんなことを質問したおかげで、ぼくの中でハッキリしてきたこともある。

 西光義敞先生が示された、真宗とカウンセリングの二重構造(A型、B型(AからC移行)、C型)という、例の三角形の図表である。それは、話題ではなく、両者の指向しているところであり、また同時に、カウンセラーの立脚している地平、つまり、カウンセラー(もしくはクライエントを)が何に、その根底から支えされらているのか、その超越的な地平にある法、南無阿弥陀仏があり、またその大悲から働きかけによって、究極的には、今生を超えた後生の一大事の解決、信心獲得を目指しているものと、今生の苦の解決や成長を目指すものの違いだといっていい。その意味では、いくら話題や言葉が仏法的であったとても、まったく真宗でも、カウンセリングでもないもの時もあるだろうし、逆に、用語以上に、超越的な世界からの呼びかけに応じ、両者がその呼び声を聞く世界が拡がる可能性もあるということである。

 とにかくいろいろと考えさせられた。

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三帖和讃で味わうこと(1)

 三帖和讃の下巻である、『正像末和讃』の初校の校正作業が、折り返しをすぎた。

 ほんとうは、もう少し刈り込んでからの初校の作業でもよかったのだが、1校以前の、いわば0校という感じで預かることになった。それでも、上巻の『浄土和讃』の初校の作業に比べると、雲泥の差で、整っている。上巻の編集作業中に、何度も、編集者とルールについて打ち合わせをしたので、先方も、ぼくもかなり迷うところが少なくなっている。それに、前回は、途中で、大きく段組が変更されたり、字体が変わったりで、最終的なレイアウトが決またのが、3校目の段階になった。それで、結局、6校正も出せねばならないほど、苦戦した。その点、今回は、この調子なら、普通どおりに3校で校了となりそうだ。

 今回の作業で、いちばんこころに残っているのは、これまで1首、1首の和讃を単独で味わったり、語句の解釈を読んできた和讃を、体系的に全体を窺いながら、その1首、1首の和讃の位置づけが、よく分かるようになったことだ。

 たとえば、『浄土和讃』にある、「現世利益和讃」。「南無阿弥陀仏をとなふれば」で始まる15首。とても有り難いものであるが、ただ、ここだけ味わうと、なにか異質な感じもしていた。しかし、『浄土和讃』全体の構造をみてみると、この和讃の意味がハッキリとしていくる。
 全体の趣旨をあらわす巻頭和讃(2首)につづいて、「讃阿弥陀仏偈和讃」(48首)で弥陀の浄土の依正二報(つまり、浄土の環境と、浄土の主体である、阿弥陀仏と、聖衆方)のすばらしさ、そのお徳をさんざん誉め讃えて、その浄土の教え、その浄土に生まれる正因が説かれる浄土三部経を讃える「三経讃」が続き、その浄土や弥陀を誉めるのは三部経だけてなく、釈尊一代の諸経の代表的なものがそうであると、「諸経和讃」で補強されたあとで、そんな他力念仏の来世での広大な証果を讃嘆しておいてから、その御利益は、ただ来世だけでなく、今生(現世)でも、広大ですよ、と続くプロセスのなかに、「現世利益和讃」がおかれているのである。なるほど、来世の御利益の上に、現世の御利益があることが、これでハッキリするのである。しかも、そのあとも「諸経和讃」の一種ともいうべき「大勢至和讃」をあげられるが、これは「三経讃」の補強すると共に、勢至菩薩は、源空(法然)上人のご本地であると結ばれている。つまりは、それは七高僧すべとに通じることで、その代表として、恩師である智慧の法然上人へとつながることを示して、『浄土和讃』を結びと共に、次ぎの『高僧和讃』を導きだす役割も担っているのである。

 それは、『高僧和讃』に入っても、正信偈のように、龍樹菩薩から始まり法然上人までの七高僧の行跡を讃えると共に、教義上の発揮を示して、褒め讃えられるのだが、中でも法然上人は特別で、行跡、発揮以外に、追讃として臨終のありさまが細かく追加される。そこで述べられることは、「光明」をもって、法然様を褒めたたえることで、師を、阿弥陀如来の智慧門(光明無量)から現れた勢至菩薩のご化身として仰いでおられるところへと、つながってくるのである。まあ、なんともすごい構成力である。

 そんなことを語りだすとキリがないのだが、いまは、『正像末和讃』も、「三時讃」58首や、「疑惑讃」も、ほぼ終わって、明日からは、「皇太子聖徳奉賛」に入る。その「三時讃」の恩徳讃にいたって、これまてさんざんみてきた和讃が、体系的に眺めてると、ますます尊く感じられたことに触れたかったのだが、前置きのところで力尽きてしまった。これは次ぎの機会に。

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『ジャック・メスリーヌ』~ノワール篇~,~ルージュ編~

 今年になって、社会の敵〈パブリック・エネミー〉ナンバーワンと題する映画を、米・仏両国のものを見た。まずは、米国は、ジョニー・デップ主演で、実在のギャング、デリンジャーを描いた『パブリック・エネミーズ』そして、フランスは、ヴァンサン・カッセルが、やはり実在の犯罪王ジャック・メスリーヌを熱演した、『ジャック・メスリーヌ』~part1・ノワール篇~・~part2・ルージュ編~で、こちちは、前・後半合わせて4時間を超える大作。副題は「フランスの社会の敵〈パブリック・エネミー〉No.1と呼ばれた男」だ。

 不思議なのは、社会の敵といわれる凶悪犯ながら、当時から大衆には人気がある悪の英雄で、後世においても、こうしてドラマテックな映画や小説の主人公になることだ。ジョン・デリンジャーが世界恐慌の時代、ジャック・メスリーヌは、60年代から70年代という時代は多少異なるが、両者は、何十回も銀行強盗はする、警察官は殺す、刑務所は脱獄するといった極悪犯で、女好き。末路は路上での銃殺という哀れなものであるに、人はなぜか男を感じ、魅せられてもいく。どこかで自らの平凡な人生に比して、その破天荒な生きざまが魅力的に感じたり、ダークなもの、アウトロー的なはみ出しを恐れながらも、同時にどこかで憧れるという心理があるのだろうか。平凡な堅物の一生を淡々と描いても、ドラマテックな見せ場や盛り上がりもかけるものね。

 で、この両作品。個人的には、確かにジョニー・デップも、セクシーでかっこよかったが、断然、フランス映画の『ジャック・メスリーヌ』が、面白かった。

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 彼が堕落する背景には、アルジェリア戦争で服役と、悲惨な経験があるようだ。近代のフランスにおいて、このアルジャリアの悲劇は、それを正面からとられたものだけでなく、当時の背景としてフランスの国民(植民地も含めて)の心に多彩な影をおとしていることが、映画の格好の材料やスパイスになっている。外国映画を見続けていると、それぞれ国や国民が抱えているアキレス腱やトラウマになった出来事が、繰り返し繰り返し登場してくるがわかる。いまの中国なら文化大革命であり、先のボーランドならカティン事件といったようなものだ。

 ちょっと横道に逸れた。悲惨な経験があったとはいえ、彼には堅実な親がおり、家庭があり、それが最後まで彼を支えるにもかかわらJmpart2_01ず、結局、仕事も家も投げ出し、悪の道に染まる。その後も、大恋愛の末、結婚し、愛妻に、愛娘も生まれ、家庭をもつ。銀行強盗に失敗し、刑務所に収監後、一度は堅気になろうとするのだが、これが抑止力にはならないかった。止める妻に暴力を奮って、また裏街道へ。それでいながら、逮捕覚悟で危篤の父親と号泣の別れをし、両親に養育させている娘とは、心を通わせあうのだから、まったく人は不思議だ。

 また、どこかドキュメンタリー・タッチ風な映像が、ドキドキ感があっていい。彼の結末は最初(冒頭シーン)から分かっている。それでも、破綻へと続く道が、なぜか悲劇には見えない。銀行強盗を32回、脱獄を4回も繰り返した男が、魅力的に見えるのは、その人間味ある、おかしさや複雑さにあるのだろう。一口でいうと、個性的なのである。すぐ頭に血が昇る無鉄砲さや無計画な行き当たりばったりの大胆さ(というより大雑把さ)があるかと思えば、綿密な計画や観察で、脱出不可能といわれた(人権無視の)特殊刑務所を脱獄したりする。それでいて、脱出を手助けした仲間との約束だからと、勝算のないまま刑務所の正面から命懸けの銃撃戦を行なう。そんな大胆な強盗と、へまをして収監されたかと思うと、鮮やかに脱獄し、そしていい女と恋をする。そんな繰り返しのアンチながらヒーローは、親や子供のことを愛し、目立ちたがりやで、ブライドが高く、自己顕示欲も人一倍だ。

 時代が、左翼思想や革命が盛んになると、まったく政治的思想などもないに被れて、自らの悪事も、権力や体制への革命と位置づけたりもする。銀行や億万長者しか襲わないからだ。しかし、強奪した金で、贅沢三昧。愛人と、宝石に、車に、豪華なホテルで遊んでいては、結局は、金持ちや銀行に還元されていくだけだ。それでも、大衆に喝采される自分に酔い、同時に、彼にも、自己の悪事を正当化する必要があったのかもしれない。

 共演も豪華。ジェラール・ドパルデュー、オリヴィエ・グルメ、マチュー・アマルリックなど、フランスの大物男優、そして魅力的な女優たちが、次々と登場しては、彼の元を去っていく。主演のヴァンサン・カッセルが、中年太りの彼を熱演。なんでも、体重を20キロも増やしたそうだが、それでいてアクションもあるので大変だ。

 冒頭に字幕で出された、「一人の人間の全てを描くことは出来ない」というテーマではないが、どんな人も善悪も、性格も、行動も、人生も単純ではないということだなー。

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東海支部法座

 東海支部法座。

 まったくの新人はいなかったが、新しい人が多くて、ここでしか会わない人は、なかなか名前と顔が一致しないほど。参加の1/3以上が、まだ同人ではない方たちだ。

 歎異抄の第九章のお心をいただく。

 かなり丁寧に解説し、そのおこころをお取り次ぎしたつもりだが、全般に、反応はいまひとつの感もあった。もちろん、それもある程度承知のうえで、当然、しっかり聞いてくださる方もあれば、かなり深いところで味わてくださる方もある。相手の心境はどうあれ、お聖教をお取り継ぎしてお伝えするのだがら、手抜きはしない。

 それに、ここでの親鸞様のおこころがいただけるかどうかが、自力と他力のたいへな分かれ目だとも思ったからだ。

 ご聴聞は、ただ理屈でわかるだけでも、気持ちや気分の持ちよう、有り難い感情の問題ではない。

 ともすれば、自分の力の範囲で、つまり自分の頭や感情の範囲で、聖教を理解したり、念仏を有り難かったりしている。

 だから普通は、そこでおこる「問題」で、悩み、それを受容されたらうれしかったり、癒されたり、ほっとしたり、その逆なら落ち込んだりして、一喜一憂しているのだか、ほんとうの聞法とは、そのゴチャゴチャ考えている、思っている、悩んでいる「私」そのものが、仏様の教えによって問われくるのである。

 結局、ゴチャゴチヤ言ったり、泣いたりしているけれど、あなた本性は、どうなのだと。

 だから、なんでもありで、なんでも出て来る、私のこころや思い(これはけっして止まないのだが)、そこに捕らわれて虜になって悩み、問題にしているだけなのか、それとも、そこから一歩出て、その自分に目を向けずに、唯一、変わらない真実である弥陀の本願を頼りの身に、丸まるならせていただけかのか、ここの変わり目が、自力と他力の違いだといっていいのかもしれない。

 その意味では、私達が日頃、使っているような信じる、信じないのレベルや、喜べる、喜べないという感情のレベルで、「弥陀の本願」を信じるのではないのである。

 ほんとうに信じることなどできない、つまりは絶対に救われることのない、私に出会っていくしかないのである。しかし、そこには、その救う手がかりが微塵もない私をめがけて、絶対に仏にしてみせるという弥陀の大悲、大願がかかっているのである。いや、そこにしか願いはないといっていい。

 それにである。私が分かるとか分からんとか、有り難いとかもう嫌だとか、宿善どうたら、聴聞がどうたらと、気持ちや理屈が言えるのも、結局、だれのおかげだというのだろう。

 いままで数々の無数のいのち、仏様のいのちを奪い、そのおかげの上に今日の私の迷いのいのちをながらえせてもらい、さらにその上に、深い深いご因縁があって、いまの真実を聞く場に足を踏み入れさせてもらい、お念仏を教えてくださる知識、同行に出会い、そして、いま「南無阿弥陀仏」称え、聞く身にさせてもらっているのではないか。

 そんな足元も省みずこともなく、何を聞くというのでしょうかね。

 法座終了後、懇親会に出た。これか楽しみだ。華光との縁で、ますます造悪無碍の一道に拍車がかかった同人方と、飮酒(おんじゅ)の罪を犯したので、少し酔っぱらっている。それでも、片づけをすませて、子供を寝かせた。あとは、眠いので、今夜は、はやく寝たいと思っている。ただ、それだけなのである。有り難そうな殊勝なことを書いていても、凡夫の自性は、疲れたら休みたい。ただ自分が楽したい、幸せになりたいと願う、それだけのつまならい物柄でしかない。

 しかしね、その私のこの腐った、地獄を造る口から、「南無阿弥陀仏」と出でくださるのですよね。この南無阿弥陀仏が他力そのもの。南無阿弥陀仏を離れ仏様はおられない。それが、私の口から飛び出してくださてっいる。

 なんと不思議な、勿体ないことじゃないですかね。それで降参ですよね。 

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動物園 

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 ナナホの希望で、お昼前に家族揃って動物園へ。

 京都の岡崎公園まで。案外近くて、ここからだと5、6キロほど。でも、交通渋滞があって、30分ほどかかった。Img_0328_2

 京都市の動物園は、上野動物園についで、日本で2番目に歴史がある。つまりは、古いということ。それに、観光地の真ん中にあるので、アクセスはいいが、狭い。ぼくが子供の時からあるミニ遊園地の遊具も、なかなかレトロで、いいぞ。古くて、狭くて、その分、いまどき珍しい哀愁のある動物園だ。もっとも、これから新構想の動物園に生まれ変わるらしい。そういえば、4月から、大人の料金が100円値上がりして600円に。でも、その分、中学生までが無料。

Img_0297 それに、狭くて小さいというのも、利点ではある。幼児連れや、孫連れのおじいちゃんやおばあゃんには好都合。2時間もあれば、全部見て回れる。

 晴天になって日差しがあるところでは温かだったが、風が強くて、この時期にしてはまだ肌寒い。冬着で出かけて正解だ。

 おかげで、桜もまだ咲いていた。いまは、八Img_0264重桜が、主流だけど、ソメイヨシノでも、遅いものもあった。

 爬虫類。むかし、「こころは蛇蠍(じゃかつ)のごとくなり」という和讃に、「ヘビやさそりがかわいそうやな」と言った人がいたなー。確かになー。昔から、ぼくは、このヘビのクールな感じや文様が、ある意味できれいだと思うこともあって、それほどの嫌悪感はないなー。

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 定番の動物たちをみて、レトロな遊具にも乗て楽しんだ。子どもたちも、うさぎやモルモットのようなネズミを抱かせてもらって、大喜び。Img_0253まあ、こんなところに出かけるのも、子どもが小さいうちだけ。あとは、孫が生まれたときでしょうかね。

 でも、2、3時間ほど、日の当たりいい場所を歩いただけなのに、疲れたなー。もっぱら自転車で移動してるのに。最近、散歩をさぼってるので、ちょっと足腰がなまってるのかなー。運動不足。もっとも心地よい疲れだけど。Img_0242

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 疲れていたけれど、夕方から和讃の作業。なんとかノルマ分を達成して、「三時讃」が終了。これで正像末和讃も折り返し。

 明日は、東海支部法座。今夜は、ちょっとは早寝しないとなー、もう歳ですから。

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今週の法座と、永代経法座の〆切

 京都は、桜のシーズンもほぼ終わったという、今週はほんとうに寒かっですね。風も強く、朝晩は、冬に逆戻り。一度、片づけた冬物のコートが再登場。加えて今日も冷たい雨。おかげで、桜は長持ちしたけれど、それもほぼ終わっり、いまは、遅咲きの御室桜が見頃。予報では、明日からは少しは暖かくなるようなので、子どもサービスをちょこっと。でも、寒暖の差が激しいときは、体調も崩しやすい。どうぞ、皆さんもお気をつけてください。

 さて、今週末の法座予定です。

1)東京支部法座:17日(土)昼1時30分~18日(日)夕5時

会場:全林野会館

内容:年に一度の東京支部での増井悟朗先生のご法話と、信仰座談会。京都から、Tさんも助っ人でお参り。最近、東京の方のお参りが、少し決まって、大人しめのイメージ。古い方も、これを機会に、またどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/04/tokyo2010-4.htm

2)東海支部支部法座:18日(日)昼1時30分~夕5時

会場:勝川駅前ルネック

内容:2月に続いて、ぼくが行きます。歎異抄の9章をあじわいます。時間が少ないで、少しでも座談が深まればいいけどね。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/04/toukai2010-4.htm

 同じ週末、華光会館では、京都支部主催「聞き方・伝え方」の学習会と、仏教青年会です。

3)京都支部学習会:17日(土)昼1時30分~夕5時

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/04/kyoto2010-4.htm

4)仏教青年会:18日(日)昼1時30分~夕5時

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/04/bussei2010-4.htm

内容:仏青は、若い人たちが、映画観賞して、フリー・トークがあるようです。候補の2本は、『動物農場』(アニメ)と、『空を飛ぶ夢』だったかなー。この2本なら、絶対に『空を飛ぶ夢』がお勧め。ぼくの琴線に触れる名作だものー。

★永代経法要法座の〆切迫る!★

 ところで、明日は、永代経法要の宿泊・食事の〆切日。遠方の方には、まだ若干、余裕があるので、お早めにお申し込みください。 意外なほど、いまは少なめ。若手の先生を含めて、(フルではないけど)、6名の先生方が揃います。 迷っている方、申込みを忘れている方も、ぜひどうぞ。

 今回は、仏教青年会の当番。ハリキッてくれているけど、どうも新しいメンバーや若手(学生世代)にバトンが渡らないのが、いまの問題点。こんな機会を利用して、うまくお誘いできればいいのだけどなー。このままなら、子ども大会の先生も、ちょっと心配。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/05/eitaikyo2010-5.htm

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『カティンの森』

 最近の国際情勢で、この映画に触れないわけにはいかない。

 ソ連による、捕虜のポーランド将校の虐殺事件「カチン事件」(以下カティン)から、70年。4月7日、事実を認めた(しかし謝罪はしない)ロシア(当時はソ連)と、ポーランドの両国の首相が、70年ぶりに追悼式典をおこなった。その3日後の4月10日、現地での慰霊式典に向かった、ポーランド政府専用機の墜落事故が起きたのだ。大統領や政府首脳だけでなく、「カティンの森」事件の被害者遺族も多数が犠牲となり、新たな悲劇が生まれたという。

 70年と、一口に言っても、長い。歳月が流れ、政治体制も一新されても、長年にわたる侵攻と強権支配という背景がある、ロシアとポーランドの間での和解は、けっして平坦ではなさそうだ。

 長年にわたり、ポーランドではタブーだった歴史の暗部を、真っ正面から取り上げたのが、映画『カティンの森』である。ポーランドの世界的巨匠、アンジェイ・ワイダ監督には、初期のモノクロの名作、「地下水道」(1956)や「灰とダイヤモンド」(1958)などで知られる共に、知日派としての精力的な活動も、日本では殊に有名だ。数々の名作を世に送り出してきた彼が、82歳を過ぎて造った彼の集大成になるであろう作品だ。

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 戦争によって翻弄された市井の人々-軍人やその家族、一般市民の悲しみや痛みが、リアルに伝わって来る。彼自身が、「永遠に引き離された家族の物語である」と語るように(この言葉も重い)、彼の父親こそがその被害者であり、彼や彼の家族(特に母)こそが、当事者であるからだ。その点では、極めて個人的な意味合いをもつ映画なのだが、時代に翻弄されて生きざるえなかった生身の人間の悩みや悲しみを通して、重厚な余韻が、人類への普遍的なメッセージとして伝わってくるのだ。
 それは、単なる戦争の愚かさや恐ろしさを、ただ表面的になぞったり、単なる史実や数字的な事実を積み重ねた平凡な作品ではなく、戦争に、権力に翻弄され、残された者、待つ者、苦しみの中にうめく者、そして歪められた事実の中で自己を偽り生きねばならない者たちのリアリティある痛みが繊細に描かれ、冷え冷えとした重い映像と共に、普遍性を帯びて、観るもののこころに迫ってくるからだ。

 映画の冒頭、ナチスドイツの侵攻で逃げてきた人々が橋までやってくる。すると反対側の岸からも同じように逃げる人々と交差する。こちら側は、ソ連の侵攻から逃れた来た人々だ。まさに、前門の虎、後門の狼の絶体絶命状態だ。1939年9月1日にドイツから、同17日にはソ連からも侵攻を受ける。

 近代以降も、ポーランドは、常に他国の侵略を受け続けて、分割統治の悲劇が繰り返されてきた。第二次世界大戦では、ヒトラーのナチスドイツと、スターリンのソ連が、ポーランドを分割・占領する(18世紀以降でも、4度目)。赤と白のポーランド国旗を二つに引き裂く場面も登場するのが、象徴的だった。

 そして、ソ連の捕虜となった約2万人近くのポーランド将校が行方不明になったのは、それから間もなくのこと。行方不明者の遺体が、見つかったのは1943年だ。カティンの森で4000体以上の遺体で見つけったのは、ナチスだった。ドイツは、ソ連を糾弾するが、まもなく敗戦。ポーランドは、そのソ連の衛星国として、共産主義体制に組み込まれていくことになるのだ。

 新たな主人であるソ連は、この事件を、ナチスドイツによる劣悪な犯罪であるとでっち上げ、証拠を捏造させ、権力でウソの証言を強いて、半世紀以上に渡って平然とウソがまかり通るようになり、ポーランド国民は、真実を語れず沈黙を強いられることになる…。

 ある種の群像劇で、しかも体制が変わると立場も変わることもあって、登場人物を把握するのが、少し厄介なのが難点ということも、おまけで一言。それでも、味わうこと多々あり。深い悲しみを秘めた重厚な(特に残酷な)映像が、圧倒的に迫って来るのだ。

 

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耳が残る

 昼過ぎ、以前から電話やメールで相談に乗っていた同人のお母様が、お亡くなりになったとの訃報が入ってきた。

 今週の月曜日には、意識が混濁する状態になられた。それまでの電話相談では追いつかずに、どうしても父に会って相談したいといわれたが、法座の翌日ということあって、ぼくが対応することになった。急だったが、うまい具合に、1時間程度なら時間が取れた。

 最愛の人が、目の前で、苦しみながら死の淵にたっている。子には、耐えられなほどの悲しみ、不安、そして苦しみが去来している。その人も、激しく動搖して、ぼくの顔をみるなり、泣き崩れられた。さらにそこには、まだ元気なうちに、せめて意識のあるうちに、なぜ仏法が伝えられるないのかという、深い後悔の念もあった。

 真宗は、平生業成の教えだ。だから、臨終でも間に合う教えでもある。しかし、身体も、心も錯乱した臨終間際では、間に合わないこともある。だが、意識はなくても、まだ人間としてのいのちがつながっているうちには、最後の最後まで、この耳の機能だけは残ると聞いている。お念仏は称える力はなくなっても、「南無阿弥陀仏」の六字の御名を聞くことはできるのではないか。だから、いちばんご縁が深く、そのご恩を受けた子の口を通して、耳元で、「南無阿弥陀仏」と、ひたすらお念仏をすることを勧めた。そして阿弥陀様におまかせする安心の世界のあることを、その大悲の広大さを、最愛の子の口をとおして、易しくシンプルに話すことをお伝えした。苦悩を有情を捨てずにやるせない大悲の親は立ち上がられた。まさに、母と子が、まごころををこめて寄り添う、その姿こそが、南無阿弥陀仏そのものではないか。

 どんなご因縁があってか、この娑婆に、親と子として生まれさせていただいたのある。

 そして、その深い、大きな慈愛のおかげで、私は大きくしていただいた。同時に、成人するとまた、違った複雑な感情や葛藤で相まみえることもあるのが、親子である。その縁は、この世のなかでも、もっとも深く、大きく、厄介で、かつもっとも素晴らしい関係だといっていい。

 たった1日半ほど間だったが、さまざまな周りの懸念や配慮もある中でも、お念仏を伝え、そのお心を言葉にして、最愛の人をお念仏の中でおくることができたというのである。

 いま目の前には、母の死という、子にとってもっとも過酷で辛い、事実が覆い包んでいる。切り裂かれたような悲しみの渦中。しかし、その悲しみに寄り添い、包むように大悲の念仏は生きて働いてくださることも、彼女は感じていた。

 それは、自己中心の私の都合のよい聴聞を破り、聴聞不足の私へのいのちがけのご説法の姿であると同時に、その死を通して残された父親、子供たちには、元気ないまの時にこそ、お念仏の教え、仏様のお心にぜひ出会ってほしいとの願いとして、動きだしていることを、その人の懺悔の言葉を通じ、さらに自信教人信の態度を通じて、ぼくも有難く教えていただいた。

 南無阿弥陀仏

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金魚の死

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 華光会館の3階にいた金魚が、今夜、死んだ。

 町内会の地蔵盆で、金魚すくいがあった。

 カンロが2歳ぐらいの時のこと。金魚は不要なので、金魚すくいにわざと参加しなかったら、ご親切にも、ビニール袋にわざわさ届けてくださったのだ。いや、有難迷惑。でも、ご縁があってここにきたので、飼うことになった。最初は、小さくて、5~6匹いたし、出目金もいた。すぐに2、3匹死んだが、そのあと、水槽をくださる方もあって、三匹ほどが長生きした。一匹が水槽から飛び出して死亡し、あとの2匹はどんどん大きくなって、水槽が手狭になったが、それでも、成長しつづけた。一匹が死んだあと、身体のわりに、狭い、狭い水槽の中で、1匹だけが、運動不足ぎみなのに餌は豊富で、どんどん大きくなって、ちょうど8年たったことになる。

 金魚の世話は、3階に住む、両親の世話で、ぼくはなにもしなかった。でも、水槽に身体を擦りつけたのか、老化か、赤がとれて、白くなった身を、ジッと横たえて、動かない姿を、静かに眺めていると、畜生とはいえ、やはり哀れになってくる。

 どんなご因縁があったのだろう。もしかすると、前生で、ぼくの父だったのか、母だったのか、はたまた子供だったのか、それとも友や仇だったのか…。

 神通力のない身にはさっぱり分からないが、いずれによせ、ご縁があって、8年間も華光会館に住み、法座の度に館内放送でご法話を聞き、お念仏の縁に合っている。

 でも、ほんとうにお念仏か聞こえたのか?

 それは、私たちも同じことだ。

 華光会館に縁があっても、もしお念仏が聞こえないとしたら…。

 こんな空しい、寂しいことはないなー。

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ローフード

 夜に、およばれ。ゆうこのドクター(博士課程)入学を祝って、カンロの幼稚園の縁でつながったお宅にお招きいただいた。ぼくら家族は、ここでカットもしてもらっているし、お店には、彼女の絵も掲げてもらっている。

 赤のボルドーと、10年ものの自家製梅酒などのアルコールを持参。

 そしてバナナを持参したら、なんとバナナの倍返し。

 でも、けっして偶然ではない。

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 彼女もいまはまっている、ローフード(raw food)でのお持てなしなのだ。ローとはraw、つまり生ということ。加工されていない生の食材、野菜、果実やナッツ類などを加熱で失わう前に、酵素、ビタミン、ミネラルなどを摂取しようというわけである。少し前までは、マクロビオティック、正食派だったのに、いまは、ロー派へ転派しつつある。彼女にとって、この変化は大きいらしい。たとえるなら、これまで宿善を積み、財施もし、三願転入と頑張っていたのが、一転、それを捨てるために、土蔵秘事と中傷されるKImg_0222会に電話をするぐらい、最初は、勇気がいったという。おお、分かったような、分からんような…。ある種の捨てる体験があった? まあ、だいたいが極端流が彼女の特色ではあるが、あまり極端な偏ったものではないし、これまで敬遠していた生野菜や果物が出るようになって、偏らないのなら、ぼくも歓迎している。

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 だから、食事の前に、果物ジュースから始まる。ミキサーが大活躍だ。

 そのあとで、金粉入れのシャンパンで乾杯。金粉入れの日本酒を正月に飲むが、シャンパンは初めて。しかも、ドイツのものだった。写真は、残念ながら、うまく取れていない。

 あとは、亭主ご夫婦のおいしいお料理と、お酒で、楽しいひとときを過ごす…。オモシロイネタもあったけど、まあ言わぬが花。

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収穫大の「真宗法座の集い」

 今年の真宗法座の集いも終わった。

 毎年、思うことだが、一度として同じ内容で終わったことはない。

 顔ぶれが変われば、内容も変わる。よく似た顔ぶれで、その時の心境の変化で、また違う味になる。昨年がよかったから…、これまだが〇〇だから…、という固定した見方や期待では、結局、今、ここの私がお留守になってしまう。今年は、今年の、いま、ここでの出会いがあるのである。

 第一、ぼく自身の心境にしても、昨年とはまた異なっている。心境が異なれば、態度も当然変わる。主催者であり、世話人のぼくが、より広く、受容的に接することができるようになって、そのことが、自然と皆さんにも伝播していくと、知らぬまに皆さんも、そんな態度になっておられる。世話人の存在が、透明であると感じてもらった時ほど、皆さんが、自由に、また自分自身で変わっていかれるのだから、有り難くも、不思議である。

 終了後の分かち合い。最初に全員で、車座に座った時と大違い。ぼくも含め、参加の全員の顔つぎがおもしろいほど変わっているのた。最初は、固かったひと、心配顔だったひと、辛そうなひと、不安げなひとなど、みながまだヨロイを着ていた。それが、一応に笑顔になり、やわらかくなり、その中で、それぞれの抱える課題に向かう力をもらったようだ。ことばがなくても、そのひとの中にしみ込んでいった、ご法の躍動を、イキイキと感じることができるのである。

 今回は、最初のぼく自身の参加の意図どおり、最近のぼくが指向している方向性のグループを持たせてもらった。まさに、パーソンセンタード指向の念仏法座(もしかすると、入れ代わることもある。この二重性が特徴だ)といっていい内容で、参加の人達を尊重しながら、出会いがあり、それでいて人間的な出会いを超えた念仏に始まって、念仏に帰っていく場を共有しあう。そんな集いだった。

 そんな穏やかな、温かい雰囲気の中で、各自が、自分自身の課題、聞法上の淀や行き詰まり点が、自然と浮かび上がってくるような集いになっていった。それは、ぼく自身の上でもそうであって、ひとから強制されたわけでも、批判や指摘されたわけでもないのに、皆さんの態度に触発される中で、炙り出しの文字が浮かびように、クッキリと浮かびあがり、それがここしばらく続いてる課題、プロセスがつながっていくという有り難い体験をさせてもらった。

 とにかく、いろいろと気付かせてもらうい、法座での課題に対する解答やヒントや、新たな問題をいただいたり、とにかく収穫が多い集いであった。

 そう、このブログのダイトルどおり、「実践的! 真宗法座論」を、地で行く体験的な法座になったのである。

 それで、ここで気付かせてもらったこと、体験させてもらったこことを述べていきたい。

 それが、これからの真宗法座、もしくは華光会の法座へと、必ず展開していく、「核」になるものだという確信があるからである。

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明日は、真宗法座の集い

  明日から、「真宗法座の集い」である。

 この集いを初めて7年目になるが、今年は初めて定員切れをした。毎年、定員になってキャンセル待ち状態なのに、今回は、たった16名しか申込みがない。電話で、常連参加者に、受付の依頼をしたら、「少ないですね」と一言。確かに。さらに、今日になって、無常による急なキャンセルも出てきて、申込み者は15名になった。なぜか、地元の京都、滋賀、大阪などの近郊の参加がない。

 責任者としては会計的には、定員割れは喜ばしいことではなくて、ちょっと心配。でも、世話人としては、こじんまり、本来の意図がハッキリできるかもしれないと思っている。世話人は4名もいるので、小グループにもなりやすい。

 それに、2月の司会者研修会、3月末の広島真宗カウンセリングWS(真宗カウンセリング研究会主催)と、カウンセリング・マインドが色濃い集いが続いている。その中で、学んだこと、さらに、これまでの取り組みを通じて、ぼくの中でやってみたい、勧めたみたい方向は明確になっている。できれば、8~10名ほどのグループをひとつもって、ときに構成的に、ときに自由に、この2日間をじっくりとかかわってみたい。落ち着いた、普段の自分の態度でいながら、真剣な聞法ができるような援助的な関わりができればと願っている。

 今日は、朝から自力整体で体調を整えたあとで、散髪もして、かなりスッキリしてきた。
 午後からは、明日の準備である。懇親会やおやつの買い出し、名簿や役割表などの作製もして、明日の朝からの打ち合わせに備えたい。

 夕方6時をまわって、『三帖和讃』の正像末和讃の残り分(初校)がやっときた。これは、月曜日から本格的に。5月の連休ごろまでには、なんとかメドをつけたい。さっきまで、少し作業した。毎日、少しでも(たとえ5頁でも)前進するように頑張っていきたいなー。

 参加の皆さん、どうぞ、楽しみにお出かけください。

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円山公園の夜桜

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 青蓮院を後に、ふたたび祇園の花見小路に戻って、お祝いの食事。うーん、だいたい連れ合いのリサーチ力は、100発100中なのだが、珍しく、今回ははずれ。まあ、場所が場所だけに、いたしかたないかなー。

 ちょっと時間が早かったので、円山公園までImg_0187歩いて桜をみる事にした。

 学生時代には、ここはよくここは遊びにきたが、喧騒(とくに酔っぱらい)を嫌って、桜シーズン、とくに夜桜にはいったことがなかった。

 予想以上に賑やかだ。祇園祭の宵山ほどではないが、八坂神社の境内を抜けると、公園中に夜店(お化け屋敷まで)があって、すごい人込みである。

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 最近、ちっとした議論になっている、ブルーシートでの場所取りの問題。景観を損なったり、桜の根への影響、さらには、公共施設でのモラルが問われているのだが、年々、エスカレートしているようだ。とにかく今夜も、花見宴会も盛んだった。

 都をどり、青蓮院と、子どもというより、完全Img_0191に大人向けのコースだったので、子どもたちは、俄然、元気になった。

 有名な円山公園の枝垂れ桜は、喧騒の中でも、やっぱり見事。

 今年は、坂本龍馬の年なので、龍馬と、中岡慎太郎の銅像の前も賑やかだった。

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こうして、濃厚な1日は終わった。

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青蓮院

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 歌舞錬場をあとに、白川の桜を眺めながら、向かったのは、粟田口の青蓮院だ。

 白川沿いの桜も、少しピークをすぎで、ちょっと散り始めたところだったが、陽光に映えてまぶしかった。

 今日は、ナナホの入学祝い、連れ合いの入学祝い、カンロの誕生日。ついでに、桜をみたいという母の要望も兼ねて、兼用できるものはすべて兼用してしまうことで、夫婦の思案は一致。それに、たまたま入学式と、指定チケットの都をどりも同じ日だったので、それなら、この界隈で一気にすませておきましょう。Img_0102
 すると、母が、「青蓮院の桜を見たこない」と言うので、そこで待ち合わせにした。でもね、青蓮院って、桜の名所だったのかなー。確かに、東山の清水寺から円山公園、知恩院と連なっているが、すべて桜の名所Img_0136_2だし、神宮道に入った平安神宮のある岡崎方面も、桜が有名ではある。

「明日ありと、思う心の、あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものか」と、古歌を引用されたのだから、桜はありそうだが、事実は、ここで有名なのは、天然記念物の楠木の巨木である。伝承では、親鸞さまのお手植えといわれるが、実際は違うだろう。

 もちろん、この地は、親鸞聖人の得度の師であり、法然上人の理解者でもあって、慈鎮和尚・慈円の時に隆盛を極めた。浄土教にとっては、たいせつなご旧跡である。

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 観光客じゃないので、まず植髪堂へ。親鸞聖人が得度の折、剃髪した髪の毛を祀る御堂だ。当然、浄土真宗との関係が深い。本願寺の説教もあるようだ。お堂の中には、聖人のご生涯の絵が掲げられている。しかしである。石のお守りが売っていた。それをめざとくカンロが発見。Img_0107_2そして、質問。「仏教にお守りなんかあるの?」。うーん、いくら、浄土真宗とご縁が深いといっても、あくまで天台宗の門跡寺院である。当然、おみくじ も売Img_0133っているし、その元祖である元三大師・良源もまつられているのだ。解説には、法然上人、親鸞聖人の師である源信僧都の師匠であると書かれていた。さらにはこんな大数珠まであるのだが、くぐれば厄除けになるというのだ。

 それなら、ぼくもご利益に預からなくちゃー。この「植髪堂」というのも、いい響きでしょう。当然、ぼくも、よくよく頭を撫ぜておきました。うん、親鸞さま、お願いします。現世のご利益も広大なことでしょうから…。いや、待てよ。むしろ得度=剃髪するということなので、逆効果なのか?

Img_0147 裏庭には、広瀬精一師の発願された、聖人の髪を修める碑があった。熱心に拝観していたら、得度の時につかったといわれている(完全に伝承です)剃刀と桶(ご旧跡巡拜の時も見せてもらった)までで登場してきたが…。

 そうだ、肝心の桜である。

 残念ながら、桜の名所というほどの数Img_0125はないが、右近の桜が満開だった。当然、左近の橘もあった。ここは、御所だったのだ。

 桜は少ないかったが、閉門前だったこともあってか、周りの雑踏に比べると観光客も、かなり少なくて、ゆっりく庭を眺めたり、散策することができた。回遊式の庭園と、小御所としての上品な風格ある雰囲気は、静寂もあって、なかなか心が落ち着く。
 京都の庭は、人出が少ないというのが、狙い目のポイントなんでしょうね。

Img_0154 なぜか桜は、お隣の公共の公園には、立派なものがありました。このあと、祇園の花見小路に戻って会食して、最後は、円山公園へとつづくのだけれど、これは、また明日にでも…。

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カトマンズにポスター

 いろいろと、雑務(仕事)で人に会ったり、電話相談があった一日。実は、電話相談は、教えられることがあって、気付かせてもらうことが大だったが、ちょっと触れられない。

 午前中は、昨年から3年ごしで始まったエアコン工事のための相談。ちょうど、去年の今頃にも打ち合わせをしている。今年は1階部分。業者と一緒に見て回った。工事は、永代経がすぎた5月中旬ごろを計画しているが、まずは、値段の交渉から。1年前にも、見積もりはもらっているが、性能があがり、同時に省エネタイブになっていて、少しやすくなるとのことである。それでも、相当の負担であることにはかわりはない。

 午後からは、インド旅行でお世話になった、トラベルサライのセールス。現在のインドやスリランカなどの様子を窺った。浄土真宗や浄土宗のお寺関係は、大遠忌法要を控えていろいろと物入りでもあり、世間は不景気、それに気兼ねや世間体もあって、ちょっと大規模な仏跡の旅も停滞期だという。うーん、もう一度インドにするのか、それとも、中国の仏跡にするのか。いずれにせよ、今年は計画していないから、もう少し先の話にはなる。

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 その折り、ちょっとだけおもしろい話題に。今年の添乗で、カトマンズ本願寺に参詣されたという。こことは、ほくたちのツアーでは、カトマンズに入れながら、表敬訪問できなかったところだ。自由行動の時間、われらが洗濯王子か率先して、なんとか参詣しようと頑張られたが、まったく無理だった。そこに、今年の別ツアーで参拝したら、そのカトマンズ本願寺に貼られていたポスターに、ぼくが写っていたので、驚いたというである。もちろん、ぼくにはその理由は分かっている。昨年、カトマンズ本願寺の所長であるソナム・ワンディ・ブティヤ師たちと、西光寺でのシンポジウムでご一緒した時のポスターが掲載されているのであろう。すぐに理由はわかったが、まさか、カトマンズ本願寺に、ぼくの顔写真入りのボスターが貼ってあるとは、想像もしていなかったが…。まあ、ついでに、まもなく記念法要と、開所式があるが、ツアーはいかがですかというお話。まあ、それは無理で、西光寺をご紹介することに…。
 ちなみに、その西光寺シンポジウムの様子が、2枚組のDVDになっている。ぼくもけっこう、遠慮なく発言していて、異質と出会うことで、華光の特色がより鮮明になっていて内容的には、おすすめできる。しかし、プロの業者が撮影したものなのに、なぜか、再生時にトラブル続出。ソナム師、外松先生と続いて、いよいよぼくが話すというところで、必ず停まるというのだ。うーん、どうなってるの? もしや、某所からの陰謀で妨害されているのでは?なんて。華光会では、取次ぎだけをしているので、明日は、その業者に来てらもらって、苦情を伝えて、善処してもらわうことになった。ヤレヤレー。うまくいくと、再度、皆さんにお勧めした。

 最後は、白馬社から、続編の下巻-『正像末和讃』の初校が届いた。初校といっても、まだ全部ではない。もともとは、3月中旬の予定だったが、少し遅れていて、とあえず、前半の「正像末」60首の部分のみ。ああ、またやってきました。バラバラ眺めて、いきなり、いやになったけれど、くじけちゃーダメタメ。今夜は、ちょっと肩慣らし程度の作業を始めた。まだ全体が来ていないので、ぼちぼちではあるが、いよいよ再開。
 いまのところ、売れ行きも悪くないそうで、そう聞くと、作業にも力がはいるというもの。まあ、しばらくたいへんですが…。 

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『都をどり』

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 小学校の入学式を終えて、急いで祇園にある歌舞練場へ。
 建仁寺から花見小路にかけて、桜がきれい。ぼんぼりも灯って、いつもにも増して、華やかな雰囲気だ。

 妙なところから、『都をどり』の7名分のチImg_0065ケットをいただいたのだ。日時指定で、今日の昼2時から部。なんとか間に合った。

 先日、華光誌の発送をお手伝いくださって、いつもお世話くださっている同人の方を誘ったら、着物姿で鑑賞に見えていた。

Img_0070  2階の棧敷席からの鑑賞。ぼくは、子どもの時、以来だが、あのときは、何をどりだったのかなー。

 ほんとうに、華麗で、艶やかな世界で、感激した。

 京の四季それぞれの世界、風物や神Img_0076社参拝と重ねて、華麗な舞で、絵巻風に表現されていた。とにかく美しい。艶やかな雰囲気が醸しださす中での、様式美。着物に、小物に、大道具、そして、長唄や演奏、もちろん、艶やかな踊りと、しばし華麗な夢の世界に遊ばせてもらった気がした。

 最初、喜んでいた子ども、30分ほどで飽きて、あとは、居眠りしていたが、まあそれもいいだろう。

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 このポスター通りの雰囲気でした。Img_0083

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入学式

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 連れ合いではなく、子どもの小学校入学式があった。

  これから、何度か入学や卒業を迎えるであろうが、学校生活の最初の式、出発点だ。親にとっては2回目でも、ナナにとっては、最初の緊張の時である。

  桜は、さいわいまだきれいだった。Img_0051満開をすぎて、風にふかれて、散りはじめという感じで、風情があった。 

 春の日差がまぶしい。陽春ということばビッタリの1日だ。

 カンロの時よりも、さらに人数が少なくて、26名の入学。もちろん、単級で、6年間、クラス替がないのは、ちょっと寂しい。

 まだ慣れない緊張からか、式もみんな静かに聞いていた。逆に、お迎えの言葉をのべるために集まった、先輩の2年生は、ズッーと騒がしい。これはかなり気になった。式の雰囲気を損なってImg_0006いたが、たまにしか先生の注意がない。たぶん、もっと式の雰囲気を悪くするという判断なのだろう。正直、そのひどさに、連れ合いも、ぼくも、かなりがっかりした。

 カンロのクラスの先生は、20代の若い先生だが、退職されたようだ。4年間で、担当された3名までが、途中で病気で交代されるか、その年を最後に退職されたりと、小学校の先生も、たいへんなストレスのある職業になっている。Img_0004

 さいわい、担任の先生は、カンロもお世話になったベテラン先生だった。

 明日から長い学校生活がスタートする。

 きょうの天気同様、だれもがピカピカと光って、まぶしく輝いていた。

(右の写真、ポツンと立っているのが娘。向こうから、遅刻しそうで、転車で馳せ参じるのが、母である)

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球場横でのご法座

 広島支部の法座会場は、新広島市民球場(マツダスタジアム)の、すぐ近くだ。もともとは、球場の道を隔てた真横にあるTねこさんたちの実家(正確には祖母のお宅のT家)で、法座を開いてもらっていて、いまは、荒神集会場という場所に移っている。

 今日、気付いたけど、ここ荒神なんですね。西日本には、荒神(あらみたま)信仰が盛んだったようだが、この地も、きっとそのなごりの地名かもしれない。荒神の地で、仏の話を聞く。しかも、内容は、現世利益和讃である。天の神も、地の神も、また善神だけでなく、悪鬼神も、守護し、あるいは畏れて近づかないという、南無阿弥陀仏の偉大な功徳のご利益が、現世でも備わっているという味わいを、音読し、味読した。

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 ところで、今日のご法座は、たまたまディーゲームで、しかも日曜日の巨人戦とかち合った。だいたいがナイターが多くて、法座と重なったのは、始めてのことだ。前日には、広島、巨人に在籍していた、木村拓也コーチがノックの最中に倒れて、「球界のキムタク危篤」と、大きく報道させれたので、法座の休み時間にも、その話題が出ていた。なんでも、T家では、救急車が到着するのが聞こえていたという。

 休憩時間に外を見ていると、ゾクゾクと人がやっていくる。これは、帰りがヤバイなと心配していたら、法座の終了とゲームの終了が、ほぼ同時刻になった。駅までは、いつも車で送迎してもらっている。渋滞がなければ、5、6分程度と近い距離である。でも、今日の帰りは、歩いたほうがいいと思ったいたら、わざわざ「送りましょう」と言ってくださった。ところが、いつもの駅に向かう道は、歩行者専用になって通行止めになっている。仕方ないので、もとの道に戻ることになったが、見るからにたいへんな渋滞だ。もともと歩くつもりだったので、すぐに車を降りることにした。カープが大敗、しかも7連敗ということで、騒いだり、浮かれた様子もなく、諦めムードで大人しいのが幸い。また、早めの大敗だったので、終了を待たずに帰った人も多かったようだ。それでも広島駅まではたいへんな人だ。時間はあったが、用心して小走りで向かった。それが正解。駅構内や改札口も混雑していて、迂回を勧めるアナウンスが流れている。慣れない道を通り、人込みをかき分けて、どうにか間に合った。

 球場に集まったのは、約3万人。

 そのころ、法座会場には20名。

 でも、それがまた尊いなー。人数だけなら、まったく寂しけれど、ひとりでもうれしく、そしてそのひとりひとりが尊いのである。そんな思いにさせてもらえる身は、Img_0016有り難いなー。

(くだらん余談編)
 球場前のT家の路地から、荒神集会場まで歩いたら、こんな看板のお店発見。へえー、こんな副業されていたのかたなーって。わかる人は、ぼくを含めて三人だけという、ピンポイントネタて申し訳ないけど、アップせずにはおれんかったなー。

 

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広島支部「花祭り」

   いつもより少し早く、広島法座へ。定例の支部法座の前、午前中に、広島子供花祭りがあるのだ。

 直前になって、子どもの参加者が支部長のTねこさんの子どもさんしか申込みがないので、大人の法座にしたいと連絡があった。でも、それではせっかくの企画が勿体ない。子どもがゼロでないのだから、支部の皆さんに、さらに声をかけてもらったら、大人だけで20名ほど参加があった。それで、ゲームや分級座談を短縮して、計画どおり「花祭り」として開催することにした。

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 会場につくと、きれいに飾りつけされている。花御堂は、京都の法座に車で参加された同人の方に運んでもらった。今週の法座に合わせて、また華光会館に持ってきてもらう手はずだ。Nさん、お世話さま。ありがとう。

 広島では、日頃しない「子どもの聖典」での勤行。仏教讃歌を歌うだけで、気分が変わる。ご法話も、子どもに話す口調で、2500年前に生まられたお釈迦さまのお誕生を、なぜ、お祝いするのか。なぜ、その誕生日が「おめでとう」なのか。甘露の雨や、七歩歩まれた意義、六道の世界に、迷いを一歩でることをなど含めて、お釈迦様の出世の意義をImg_0018、なるべく平易な言葉でお話した。あとでの感想を聞くと、「子ども向きといわれたけれど、私に向けたお話だった」と、わかりやすいと好評。うーん、日ごろのご法話も、ちょっと考えないといけないかー。

 灌仏や散華もしてもらい、お土産に、ゆうこの花祭りのポストカード入れの、アメを配ったら、これも好評。さらに、ふたつほどゲームをしたら、これが、いちばん受けた。みんな爆笑。十八番の、「もしもしカメよ」と、「カメとカメラ」。みんな単純な動作が、うまくできないもんだがら、休み時間には、熱心に復唱している。おやおや、ご法話や法座を、これだけ熱心に復習されているシーンはみたことはないから、自主的にやっておられる姿がおかしくて、またみんなで、声を出して笑った。

 去年までは、連れ合いが招かれた自主的な集いだったが、今年を契機に、ますます進化していくことを願っている。いろいろな意味で、気分も転換した、いい花祭りでした。

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  昼食は、おこわのおいしいお弁当。おかずは3種類あったが、ぼくは、なぜか(たぶん、年配の方に)人気薄のから揚げになった。
 ちなみに、これで520円は、かなりのお値打ち。おこわが2種類入っていて、おいしかったです。

 午後からは、大人の法座。「三帖和讃講讃」の本の説明から、「現世利益和讃」を声に出していただいた。ここには、HPをたよりにして、わざわざ、四国の松山から参加くださった方もあった。なんでも、悟朗先生の出演したNHK教育TVの「こころの時代」をご覧になって、(14、5年前だなー)、ずっとこころにかけてくださっていたという。やっとご縁がつながったー。なんとも有難く、不思議な縁を思った。Img_0022

 余談編もいろいろあるけれども、今夜はこのあたりで。
 やっぱり、疲れてます。

 ところで、写真の誕生仏は、華光会館創立時の旧仏像で、広島に預かってもらっていたもの。微妙に、指がありえない方向に曲がっておられる姿が、ご愛嬌でして…。
 この写真は、後ろ姿であります。

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『人間失格』、『パンドラの匣』と『ヴィヨンの妻』~太宰の映画化~

 昨年、太宰治の生誕100年に関連して、彼の小説の映画化が花盛り。さすがに、『斜陽』はパスしたが、『パンドラの匣(はこ)』、『ヴィヨンの妻』、そして、先月観たのが『人間失格』だ。

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 まずは、「生まれてきてすみません」と始まり、その言葉で終わる、映画『人間失格』。太宰治の代表作の映画化である。 

 しかし残念ながら、とても平板で退屈な印象しか持てなかった。
 津軽では有名な名家、資産家の子息である、大庭葉蔵(生田斗真)は、幼少期から、わざと「道化」として生きていたが、それを同級生のひとりに見抜かれてしまう。
 上京後、高等学校にはいるも、画家を目指す葉蔵は、遊び人の画家、堀木(伊勢谷友介)のカモとなり、放蕩生活が始まる。とにかく彼はもてる。次々と女性が近づいて来る。この老若新旧の女優陣が豪華で、見どころ。寺島しのぶ、坂井真紀、小池栄子、石原さとみ、室井滋、大楠道代、そして三田佳子と、ときに老の方々は、鬼気せまる風貌もみせる。結局、女と遊び、酒に溺れ、心中をし、ヤク中毒になり、最後には廃人同様の生活へと破滅の人生を突き進んでいくのである。
 しかしである。次々と個性豊かな女が登場するのに、平板なイメージがするのはなぜか。それは、主人公を演じる生田斗真の印象が、薄いからだ。
 彼がどんな役者かは知らないが、とにかく男前だ。でも、ほんらい内面に秘めれているだろう、狂気や絶望、悲壮感、体たらくさといった負のエネルギーがまったく感じられないのである。あまりにも爽やかなのだ。
 結局、なぜ彼が破滅に向かったのかの内面描写が未消化のまま、次々と個性的な女性が登場しても、常に同じ雰囲気が漂い、平板に見えてくる。ぼくには、むしろ伊勢谷友介が演じる堀木の方が、魅力的に見えてきた。また、原作にはない森田剛が演じる中原中也も、たいせつな役回りで出演する。
 あと、最大の不満は、なぜか若い女優との濡れ場はないのに、室井滋と、三田佳子のラブシーンがある。とくに後者の方のそれは、ちょっとゾーッとするほど怖かった。だって、ヤク中の息子との添い寝なんて、まるまる実生活じゃないのかなーと。

Villon500 対照的に、だめんず夫を支える妻が、魅力的に見えて感心したのが、浅野忠信、松たか子が夫婦役の『ヴィヨンの妻』~桜桃とタンポポ~だ。

 こちらは、太宰の後期の秀作小説を下敷きに、他の太宰作品を参照して描かれた、夫婦のとても奇妙(?)な愛の物語だ。
 戦後の混乱期。稼いだ金を酒と女に浪費し、借金を重ね、家庭を省みない才能ある小説家・大谷(浅野忠信)。彼の借金を返すため、妻の佐知(松たか子)は、彼が大金を盗んだ飲み屋で働くことになる。最初のシーンはほぼ原作どおりに始まる。美人で気立てのFile0013いい彼女は、場末の飲み屋の人気者に。彼女を慕う工員の好青年、かつて想いを寄せていた辣腕弁護士などが現れる。こともあろうか、大谷は、自分の女性関係は棚に上げて、嫉妬に苦しみ、彼女に奇妙な行動をおこして、彼女の本心を確かめては、傷ついていく。あげくには、愛人の一人である、秋子(広末涼子)と心中事件まで起こしてしまうのだ。
 それに対して、彼女は、からだを張ってまで、彼を護ろうと奮闘する。
 なぜ、ここまで、ダメ夫を護ろうとするのか。
 実は、ダメ亭主を支える、献身的な妻の愛を取り上げたようで、実はそれだけではない。この夫婦、正反対に見えて同根の闇を持っている、共依存関係にあるのではないか。お互いに愛し合いながら、それでいて、お互い自分中心で正当化されていくのだ。
 酒、女、金、そして家族を泣かせて放蕩三昧、さらには強い破滅願望、そして、自己中心の極み。なのに、なのにですよ。なぜか憎めないという不思議な男を演じる浅野忠信が、素晴らしい。ふとした仕種にみせる繊細さ、また純粋なやさしこさがいいのだ。終盤になればなるほど、こちらまで、そんなダメ男に共感していく。一種の魔力に魅せられて、広末のように破綻していく人達が出るのも、なんとなく納得できるような気になる。
 妻の松たか子も、粗末な着物でも艶やかで美しい。一見、献身的な曇りのない姿でありながら、その実、深い内面に闇を抱えた演技が、高く評価されていた(キネマ旬報に、日本アカデミー賞の主演女優賞授賞)。
 ラストもなんかいいです。
 夫婦が立って並びながら、桜桃を食べる。「非人非でもいいじゃないの。わたしたちは生きてさえいれば」、なんて言えないなー。

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 前2本が、太宰の生涯を投影した作品なら、この『パンドラの匣(はこ)』は、若き主人公に、希望が垣間見える異色作だ。個人的には、この小説は読んだことはなかったが、一般にも知られていないだろう。

 日本敗戦の年。結核療養のため山里の<健康道場>に入った青年・ひばりは鍛錬に励み、恋と友情に悶々としながら、「新しい男」を目指するのである…というのが、簡単な紹介だ。
 でも、ぼくは、個人的にびっくりしたのが、この雰囲気が、噂に聞く「国嶋療法」の病院にそっくりだったからだ。回向文「願以此功徳…」がとなれらえ、寒風摩擦に、放送伝道…。ただ、最大の違いは、患者が、絶対安静ではないこと、そしてみんなが、健康体のように動き回り、付き添いや看護婦さんと恋愛をするのだ。第一、患者が、皆が丸まる太っているのである。父の若い時の写真をみたが、ガリガリであった。このあたりは、リアリティーのかけるが、たぶん、一般の方には許容範囲の、どうでもいいことかもしれない。

 こちらは、芥川賞作家の川上未映子に、キネマ旬報の新人女優賞がもたらされた。
あと、久しぶりに、窪塚洋介が存在感ある役だった。

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サクラと綜芸種智院跡

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  朝、自力整体の後で、コーダル・オンでランチ。昨夜はよく降ったが、今日もまだ天気はハッキリしない。時折、強い風が吹いている。しかも、冷たい風だ。

  帰りに、弘道小学校の前を通ったら、桜が満開だImg_0003。ソメイヨシノの樹だ。

  残念ながら、青空でないので、ちょっと映えない。

  7、8年前ごろに、この桜の下で、NHKのクローズアップ現代の放送があったことを思い出した。たぶん、京都の桜守と、日本画家がゲストだったように記憶している。

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  このあたりは、もともと綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という、弘法大師・空海が、庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、藤原氏の九条邸宅に設置した、日本最初の私立学校の跡地だと言われている。829年のことである。綜芸とは、各種の学芸を綜合するという意味だそうだ。その流れを組む、種智院大学は、長らく東寺の境内にあったが、いまは伏見に移っている。Img_6001

跡地を示す碑は、少し離れた小さな寺院の前に建っているが、正確には、この小学校あたりにあったようだ。

  4月6日が、ナナホの入学式。カンロの時は、満開の桜の下で全体写真を撮ったが、6日は、桜吹雪の下での入学式になるかもしれない。

  帰宅したら、同人のお手伝いで、華光誌(69巻2号)の発送作業をした。明日以降、随時、届く。
  ところで、華光誌の裏広告にもあるが、10日(土)・11日(日)の「真宗法座の集い」(定員20名厳守)に、4、5名の余裕がある。同人を優先していたが、いまは、誌友でも受け付けるので、お早めにお申し込みください。

  今日も、夜に京都シネマで、映画を1本。

  とてもくだらなく、超下品で、最低。でも、ハラハラドキドキして、世間の偽善をあぶりだすクールな1本。『ブルーノ』の公式HPでも、その一端をどうぞ。

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新年度

  4月1日。新年度が始まる。

 3月は、出張法座が続いたので、27日のナナホの涙の規律正しい卒園式にも、また29日のカンロの誕生日も、留守で出席できなかった。カンロは、小学校で「1/2成人式」をしてもらったという。「1/2成人式」と聞いても、すぐには理解できなかったが、要は、10歳になったのである。20歳まであと半分ということだ。それなら、40歳は、「2倍」成人式になるの?

  今日は、連れ合いの入学式だ。博士(後期)課程に進学が決まった。2年前の4月1日にも、修士課程の入学式があったが、そのときは、インターネットで実況生中継を、散髪をしてもらいながら、お店でみせてもらったのが、大昔のようだ。彼女は、博士論文を書く気満々である。

 いま、ネットで調べたら、卒業式の様子も映像があった。あれ、写真もあるぞ。ぼくも撮影した真宗学の生徒さんたちと写した写真がネットに紹介されている。このとき、子どもたちは入りたがらずに、残念だが、連れ合いと仲間たちである。(お暇なら、19枚あるうちの19枚で、写真を18回クリックして、探してくださいなー)↓。http://www.ryukoku.ac.jp/special/livephoto/gra09/photo/daigakuin/index.html

 ぼくは、久々(9日ぶりか)に映画に出かけた。
 1日は映画の日なので、こんな時は、メジャーの映画館に行く。サンドラ・ブロックに、アカデミー主演女優賞にもたらした『しあわせの隠れ場所』など、2本をみた。これは、ハートフルな温かい実話。あるシーンで、ぼくの琴線に触れる台詞があったなー。そこだけ、涙。

 2本目の映画の合間にパークカフェでランチをしていたら、ドイツ人のカップルが隣にすわった。三条寺町にある映画館のあたりは、繁華街は、次々と外国人(白人系に、中国系)の団Img_0002体客が通っている。団体たけでなく、個人や、春休みで子ども連れも多い。どうやら、サラクの観光シーズン真っ盛りのようだ。 

 でも、外に出ると、雨がまだ降っている。

 有名な八百屋の前。竹の子である。

 こんな季節になっている。

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