就任したばかりの鳩山首相が元気だったころ(遥か昔のようだが)、「二酸化炭素の排出量の25%削減(2020年までに1990年比)」と、威勢よく宣言されていた。その後の、ゴタゴタ続きで、ほとんど主役を奪われてしまったが、いまの日本(世界でも)では、環境問題といえば、地球温暖化と二酸化炭素の問題に固定されているかのようである。
そんな中で、『ブルー・ゴールド』~狙われた水の真実~は、これからの世界で起こるであろう、「石油戦争から、水戦争の時代へ」をテーマにした、いまここにある危機を取り上げたドキュメンタリーだ。この作製のプロセスが、ちょっと面白い。
もともとは、デヴィッド・ボウイ主演の『地球に落ちたきた男』の続編を製作するために、水が無くなった地球を舞台にしたSF映画の企画が進んでいた。その準備を進めるうちに、それがSFのおとぎ話ではなく、差し迫った現実の危機としての大問題だと分かって、シリアスなドキュメンタリー映画へと移行したというのである。監督の言葉。
社会的には、環境問題は二酸化炭素の排出と地球温暖化に絞られているように見える。でも、地球が温暖になっても、人類は生き延びるだろう。地球温暖化は「どうやって」生きるのかの問題が、水危機は「生きられるかどうか」の問題なのだ。だから、私はこの映画を作った。
今後予測される世界人口の増加に、土壌や水質の汚染(これが深刻。地下水や水循環の破壊される)を考えるとき、一番に危惧されるべきものは、水資源の枯渇だというのだ。
ご承知のとおり、地球は、水の惑星だ。ところが、その97%強が海水で、淡水は、たったの3%以下しかない。しかも、そのほとんどが氷河などで固定されていて、実際に人間が使用できる水の量は、地球上の水分全体からみると、たったの0.8%しかない。しかも、手で汲んで飲める安全な水となると、わずか0.001%0にしかないというのである。そのわずかな水を巡って、20世紀が石油をめぐり、大企業が群がり、国と国が戦争して獲得競争に血眼だった(しかし、エネルギー源としては石油の代替は生まれて来るし、co2の削減の問題とも絡んでいる)が、21世紀は、「水」戦争が勃発することが明らかだというのである。「水」がなくては、人間(動物も含めて)は、生きていけないのである。
当然、巨額の利潤、利権が生まれるところには、巨大企業、有力な政治家、超大国が、水資源を巡る利権に群がっている。それにつけても、なんとも恐ろしい話が、危機を煽るように語られていくのだ。援助への見返りに開発途上国の水道事業の民営化を迫る企業。そこでは、コカ・コーラより、うーんと高いボトル・ウォーターが売られ、大企業が巨額の利益むシステムが出来ている。ならば、海水を利用すればいいではないか。今度は、淡水化技術や、水の輸出計画には、投機目的の大投資がうごめいている。そんな、次々と、世界規模でおこっている、水戦争の実態を追跡していく。
世界の国で、水資源が余剰となるのは、大量の氷河のあるロシア、カナダ、そして、アマゾンを抱えるブラジルぐらいだというのである。米国のブッシュのファミリー企業が、石油から、ブラジルの水に乗り換えているという映像も出て来た。
ところで、大方の日本人同様、ぼくも、この映画を見るまでは、「日本は水資源が豊かな国だ」と思っていた。有名どころのペットボトルの水程度の輸入はあっても、ほとんど水は輸入していないと。
ところが、実際は違うというのである。ご承知のとおり、わが国は世界有数の農作物の輸入大国だ。その農産物という形で、他国の水(これを仮想水という)を、実質的に輸入している。そのおかげで、日本人は、水に困らないというのである。その量は、国内で必要な水の半分程度を、買っている計算になるというのである。しかも、輸入される水の問題点は、水循環を起こさないで、浪費されてしまうところにあるのだ。ならば、穀物自給率を上げればいいのか。でも、そうなると、当然、そり相当の農業用水が必要になってくる。作物や家畜だけでない。工業製品をつくるにも(工業用だろうが)、なにをつくるにも、たくさんの水が必要なのことを、ぼくたちはまったくアタマに入っていないのではないか。
そして、もう一つ、当たり前になっている変化に、再確認させれられた。
先日も、ここで、小さな子どもが、水道水をの水を飲もうとしたら、母親が、「そんな、ばっちい(汚い)水を飲まんとき」と叱って、バックからペットボトルの水を出してきたのである。
別に、よくある普通の光景。ぼくも、この映画をみるまでは、何も思わなかった。でも、よく考えると、そんなことは、ぼくの子どものころには、絶対に考えられなかったことだ。公園で遊び、喉が渇くと、みんな、外の公園の水道水を、がぶ飲みしていた。むしろ、水道水がそのまま飲める国というのが、誇りだったぐらいだ。
それが、「汚い」と、いわれるようになった。
いつのまにか、我が家も浄水器をつけ、ペットボトルの水を購入するようになっている。
健康のために、水がいちばん大事だ。いかに水道水が、からだに悪くて、危険かというような情報に踊らされているのではないか。
しかし、この映画の中でも、ネスルへの取材で証言されてしているが、水道水の水と、販売されたボトルドウォーターの安全性や成分上には、なんら代わりがあるとは認められないと。ただ、便利なので、弊社のペットボトル水が利用されるのだと…。
まあ、とにかく、いろいろな問題がある。人間の尊厳に関わる事例、市民暴動や政治の汚職にまで発展する事例、ひとりの男の子が世界を動かしたケース、さらには、企業や結託した政治家に民衆が勝利する場面まで、次々と問題点が明らかになってくる。
ただし、少々、極端な論の勧め方も散見して、ある種、反対意見は、バッサリ切り捨てられていく。まあ、ここまで徹底すると潔くていいのだが、これを、まるまる鵜呑みにするのも、ちょっと怖い感じもする。でも、知らない情報で刺激を受ける。
空気は、だれのものか?
太陽は、だれのものか?
では、水は、だれのものか?
水問題は、最低限、人が人として生きる権利でもあるのだ。