華光誌終わり、ピアノおさらい会があり、研究会へ。
華光誌(69巻2号)が、やっと印刷所に渡った。最後まで残っていた「聖教のこころ」は、歎異抄の第9章にした。「二つの問いと一つの答え」と題したもので、この問題はここでもいろいろと書いてきた。要は、あてたよりにならないわが「心」を見つめるのか、同じ心をもちながらも、弥陀の本願をたよりにするのかであろう。前者を自力といい、後者を他力というのだ。 あとは、3月末の完成を待つだけで、発送の準備があって、発送は4月2日を予定。
ナナを迎えに行ったあと、年に1度のピアノのおさらい会。発表会というより、普段着で、1年の成果を報告するもの。新しい顔ぶれが増えて、ちょっと賑やか。4歳児から、中学生まで。小学校の知り合えたのお母さんも多くて、少しだけ賑やかになっていた。わが子は、緊張の極致。でも、1年で、ずいぶんうまくなっていて、感心した。なんでも、継続は力だなーと。確かに、目に見えて、成長や成果があるとモチベーションが高くなるし、楽しい。でも、だんだんうまくなればなるほど、急激な成長ではなくなるし、また壁もある。そのあたりで、「うちの子はピアノの才能がないので」と、止めてしまうことが多いそうだ。どうやら、わが子ものその手前まで来ているようで、ここから、逆に繰り返しの練習となる。
浄土真宗の聞法が難しいのは、ここだなー。確かに、お育ての力というのがある。分からなくても、繰り返し、繰り返して、嫌になっても、同行に励まされて育ててもらう。しかし、世間的な常識とはまったく違うところもある。なぜなら、まった虚仮不実の自分とお聞かせ預かるのだから、聞き始めもスカンタなら、いまもまたスカンタな聞き方しか出来ていない。その意味でも、わが心ほどあてたよりにならないものはないのに、どこかでそれをたよりに聴聞をしてしまう。だから、自力の心は捨てろというお示しに出会う。ただ重ねれば、いつかはとは違う。最初から、最後まで間違っているのであるから。
ちょっと横道にそれた。
すぐに、「真宗カウンセリング研究会」のために龍谷大学へ。M先生が欠席で、部屋を開けるために10分早めに到着。初めてお会いするカウンセラー養成講座の講師のカウンセラー。浄土真宗に強く関心もっておられて、僧侶を目指しておられるという。真宗(仏教)とカウンセリングの出会いなり、統合なりに関心をもったり、体験されている方が、少しずつ拡がっていることが、うれしい。
一年間、輪読してきた「十分に機能する人間」のまとめ。途中までを通読したが、ぼくなりにいろいろと気付かせもらった。自分のところもいろいろと話した。この場を利用して、ちょっとわだかまっているあたりも聞いてもちえた。いろいろと書きたいこともあるが、疲れている。
明日は、華光誌輪読法座が、昼1時30分から5時まで。平日。木曜日だから参加できる方もあるだろう。人数が少なくても、しっかり聞き合いたい。元気だったら、終了後に、映画を見に行きたいなーと。
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