« 『ユキとニナ』+『不完全なふたり』 | トップページ | 講習会の〆切ですが…。 »

高山支部法座~響流十方~

  高山支部法座。

 12月と、3月の寒い時期が、ぼくの担当である。

Img_8311

 共に、華光誌の発送時期に重なるが、今年は、ノートパソコンを持ち込んで、車中で作業をした。下呂温泉や高山という有数の観光地に向かう特急列車は、車内放送まで沿線の名所の案内がある。高山の街も、小京都の風情があって美しい。しかし、皆さんの華光会館行きと同じで、京都に来ても京都駅と十条駅を往復するだけなのと同じで、別に高山観光をするわけではない。それでも、車窓からも旅情が味わえて、気分はいい。いや、Img_8316いいはずだった。実は、名古屋から岐阜までは座席と進行方向が反対だし、高山線にはいると川沿いの山道を走るので列車はよく揺れて、パソコンをジッとみている内に、ちょっと気分が悪くなってきた。それなりに作業は進んだけど…。

 この時期にしては、随分、温かい。途中の雪も、平野部ではほとんど消えていた。

 東海から4名、京都から3名の宿泊があった。いつもと比べると、ちょっと少なめ。各地法座のある影響か。今回は、大学生を含めて若手の仏青メンバーが5名。うち2名が初めてであるが、あとは常連。その中のひとりのS子ちゃんが、郷里に帰省するのを機に、自ら「さよなら、S子、高山聞法ツアー」と称して、みんなに呼びかけた。彼女たちは、8年前の学生時代から、このF家でお世話になり、ずいぶんの育ててをいただいている。年齢も、性別、地域を超えたご法のつながりは、温かいなー。ちょっと親の家に帰って来た気分である。懇親会も夜が更けて来ると、ここ14、5年前からの仏青メンバーの変遷をたどる数々の写真が登場した。おお、ぼくによく似た弟さんが写っている。ずいぶん、肥えていたなー。ずいぶんフサフサしていたなーと。このあたりから、ご苦労が絶えず、おヤセになられたんだーと。みんなも、写真をみては、あること、あること(全部あるんかいー)を言い合った。同時に、その間に、お浄土に帰っていかれた同人の姿が、妙に懐かしい。また、娑婆にあっても、「いまはなき」の方も多いなと。〇〇さんどうしたのだろう。××子はいまいずこ。ご縁といえばそれまでだが、ご法の縁ほど不思議なものはない。その間にもいろいろなことがあったなと振り返ると、ぼくもちょっと感慨深くなってきたが、昔話になってきたので、居残lり組より、少し早めに休むことにした。

Img_8324

 朝、目を覚ますと、窓の外は一面の雪景色だ。

 いつから雪になったのだろうか。

 川は、台風の洪水被害の影響で護岸工事が少しずつ進み、風景が少し変わってきたが、冷たい雪解け水で、水嵩をました川面に、キラキラ、ガラスのように光る雪が、幻想的に映っている。
 でも、地元の人には、この程度の雪は雪ではないようだ。「ベタ雪で積もる心配ないですよ」と言われたが、昼になっても、夕方になっても止まずに、車で来たS子ちゃんたちは、高速がチエーImg_8319ン規制になって、地道をいのちがけでもどることになって、それはそれで、たいへんなような、楽しいようなエピソードがあったようだ。これもまた青春だね。 

 そうだ、肝心の法座だ。法話は3座。歎異抄の9章、「三帖和讃」講讃(上)の解説に、現世利益和讃を唱和していただき、最後は、念仏者の現世の過ごし方と聞法生活がテーマだった。ばらばらのようで、そこにはつながりがあったように思う。

 実は、最後の座談会で、ご縁のある方が現れて、とても有り難かった。ご近所の方が、別に、華光でも、S会でもなく、本や普通のお寺参りだけで、自分のこととして、罪悪を見つめ、阿弥陀様のご本願を聞いておられる。詳しくは控えるが、彼の「私こそが人間失格です。人間ではありません」という内省と、自ら、二河喩の弥陀の招喚を、自分ひとりに聞いておられる姿に、一同、感動した。いきなり、こんな人に出会うことは、ぼくの経験でも千中一人である。

 また、S子に「パァー」と拉致されて初高山の禅僧が、盛んに「バァー」という発言が、ぼくのこころに響いてきた。ここまでのご縁が「パァー」という他力なら、ここでのご縁もそうである。そのままここでも、それを実現してもらいしましょうと、クネクネと悩む彼はそのまままに、座布団にすわったまま、バアーッとみんなで如来様の前に連れてきて、皆さんに、パァーと励まされてお念仏される。その姿が尊いと、S子もデュエットで念仏にきた。一段落すると、モゾモゾを始めた彼を、そのままの姿勢でまたパァーと戻ってもらった。

 その姿が、なんとも愉快で、尊かった。みんな笑いながら、大念仏である。

 ぽくたちの思いは、ほんとうにちっぽけだなー。

 でも、そのちっぽけで、浅さかな思いに、思い切り固執せねばならない浅はかさ。

 他人にも認めさせたい。相手を変えたい、分からせたい、理解してほしいの思いだけで、ぜんぜん弥陀の本願なんか聞いていない。そして、ますますこころは淀み、そこにいやらしいゴミが溜まっていくだけだ。

 しかし、そんな小さな淀みなどお構いなしなんだ。

 F家の前を清流が滔々と流れているように、お念仏の真実、清浄の響きが、滔々と流れいく。

 まさに響流十方だ。 

|

« 『ユキとニナ』+『不完全なふたり』 | トップページ | 講習会の〆切ですが…。 »

法座と聞法」カテゴリの記事

コメント

先生、(コメントでは)はじめまして。
仏青懐かしいですね~。今どうしているかしら?の会話の中にも登場できない程、時が経ってしまいました。

響流十方…美しい言葉ですね。長男の名前に「響」の字を貰っておきながら、そういう意味だったのか~、と今更ながらいい名前だな~(って、そっち!?)。

「そのちっぽけで、浅さかな思いに、思い切り固執せねばならない浅はかさ。

 他人にも認めさせたい。相手を変えたい、分からせたい、理解してほしいの思いだけで、ぜんぜん弥陀の本願なんて聞いていない。そして、ますますこころは淀み、そこにいやらしいゴミが溜まっていくだけだ。
 しかし、そんな小さな淀みなどお構いなし」

ほんとにその通り。
先日、久しぶりに華光の方とお話しする機会があったのですが、「少しでも法に触れる時間を!」といきがってみたものの、結局残ったのは、人によく思われたい・仏法聞いてるような顔をしたいだけの自分でした。ほんとに情けないし、清浄などかけらもない。でも、仏様はそんな小さな淀みなどお構いなし!そうでした。手を変え品を変え、私に合わせてのご催促でした。
もちろんオマケ(私にとってはメイン)の美味しいお茶とお菓子、楽しい時間を頂いて帰りました。
「年齢も、性別、地域を超えたご法のつながりは、温かいなー。」こちらもほんとにその通り~!

投稿: わらわら | 2010年3月10日 (水) 07:23

わらわらさん>ようこそ!うれしいなー。元気でしたか。在アメリカ同人のコメントは、三人目。
うん、確かに、わらわらさんの若かりしころ姿の写真もあったよ。でも、「懐かしいー」というほどじゃなかったので、ご安心を?
「響」-私の中味が空っぽなんで、おかげて「南無阿弥陀仏」が響いてくださるんですね。
機会があれば、またゆっくりとお話したいです。

投稿: かりもん | 2010年3月10日 (水) 11:49

先生!高山ではありがとうございました!
性別も地域も年齢も越えていく、温かいつながり、本当に嬉しく思います。
かと言って、仏法を聞いていても所詮は凡夫。命ある限りと思ってはいても、縁が催せば、私もいつご縁がなくなってもおかしくないですものね!だからこそ、今、こうして聞かせていただけることを喜ばせてもらい、あの時も、zn君を構わず、私が大声でお念仏させてもらう以外なかったです!

南無阿弥陀仏!!!!!

投稿: かーぷ | 2010年3月10日 (水) 19:49

かーぷさん、ようこそ。ほんとうに、ここでも育てもらったね。
 そうそう、何をたよりに喜ぶかですよね。悲しことや辛いことがあれば、私の喜びなんかすくに消えていく。そんなところに用事はないし、しっかりした信心なってない。それを予てよりご存じの大悲大願が頼もしいというわけですからね。
 あいかわらず、いいお念仏でした。

投稿: かりもん | 2010年3月10日 (水) 23:26

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高山支部法座~響流十方~:

« 『ユキとニナ』+『不完全なふたり』 | トップページ | 講習会の〆切ですが…。 »