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2010年2月の28件の記事

東海支部法座~いのちの大切さ~

   夕方からの披露宴だったので二次会は涙を呑んで帰宅。東海支部の準備し、連れ合いは、緊急での広島の里帰りが決まっていた。

Img_8257 ほぼ同時刻に京都を出発する。でも、ぼくは東京方面、連れ合いと子どもたちは、博多方面。列車は3分違いだが、偶然、号車も同じ。ぼくが並んだ向かえのホームで子どもたちも並んでいる。ぼくにとって司会者研修会からの1週間は(おおげさでなく)怒濤の1週間だったが、彼女にとっても、博士課程の入試に、合格!と、たいへんな1週間。締めくくりが、この広島行き。お互いお気をつけておでかけくださいである。

  久しぶりの東海支部法座。

  ずいぶん見慣れぬ人が増えていた。噂では聞いていたが人数も多い。ただ、今回は京都支部や別の会やらと重なったらしくて、多少は分散しているようだ。

  まずは行商だ。「三帖和讃講讃」(上)を持参したが、けっこう重くて冊数が限られていて、即完売。30冊は持参してもよかったなー。

 法話は、つとめてわかりやすい内容で。ネットで見つけた「いのちの大切さに関する調査」に基づいたご法話。
 余命1ケ月と宣告されたら、何をしたいか。ひとりひとりの本音の気持ち。さらに調査結果のびっくりするような結果を披露。世間の人が考える堂々第1位の「親孝行をする」!の親孝行について。さらには、「いのち」の大切という正しすぎるスローガンのおそろしさをテーマにした。

 余命1ケ月の質問には、この支部の皆さんは、とても聞法に真剣であると思った。口々に「後生の一大事の解決をする」とか、「仕事をやめて聴聞する」とか、「京都に移って華光で聞く」と、真面目に言われた。その真面目さに好感はもったが、その正解に酔わないでほしい。なぜなら、この時点で、ほんとうの意味での無常が分かっていない証拠だもの。余命1ケ月は、まだ1ケ月も先があるのだ。大無常は、今宵も知れぬいのちを問題にしている。だから、いまこの瞬間しか、聴聞の時はないのであって、京都に引っ越すことを考えている時点で、有後心そのものである。しかも、なぜ、聞きたいかのといえば、自分の後生の責任を取りたくないだけのことである。恐ろしいものは、如来様にでも引き受けてもらいたい。そして、大安心の境地で死にたいだけのことである。ほんとうのことをいうと、身も蓋もないが、これが凡夫の真剣な求道の中味である。ほんとうの意味で、まったくゾーッとするような自分の罪業が問題になっていないことに、気付かせてもらわねばならないなー。

 結局、後生の一大事にしても、親孝行にしても、「いのちの大切さ」にしても、みんな分かりすぎているほど分かっているつもりだ。しかし、実際は、何をするのが親孝行を突き詰めると、こんな難しいものはない。旅行や食事に連れて行くことでも、同居することでもいなのだ。「いのちの大切さ」も同様。簡単に、いのちは大切だというけれど、ほんとうだろうか。実に、世間の90%以上の人が、毎日の日常生活でいのちの大切さを認識して、考えているそうだが、そんなのは大嘘ではないか。ほんとうは、いのちなんか大切にしていない私がいる。よくよく詰めてみればわかることで、誰のいのちが大切かといえば、私のいのちが大切なのである。その場合の大切も、いただいたいのちを大切に生きているという意味ではなく、自分のいのちに執着しているだけであって、そのために、自分以外のいのちを犠牲にしなければ、私の自分のいのちを生き長らえることはできない。いくら、共生、共生といっても、まず「私」ありきなのである。なのに、この調査でも、その題名から「いのちの大切さに関する調査」と名付けられている。この時点で、「おかしいなー」と感じる人はほとんどいないのではないか。たぶん、ほんとうは何も分かっていないのに、「いのちは大切」という刷り込まれた情報を鵜呑みにして、この時点で正しいことだと思って思考停止しているだけではないだろうか。

 ほんとうは、限りあるわたしのいのちは、おぞましいものであり、おそろしいものであり、不浄で、厭うべきものだというのが、浄土教の考え方だったはずだが、いつの前にか、浄土真宗でも、「いのち」の大切が、南無阿弥陀仏の悟りのいのちとゴチャゴチャになって、最後の拠り所になっているのではないだろうか。

 もしほんとうに尊いいのちがあるとしたら、それは悟りのいのちである。唯一、仏、菩薩という存在だけが、自らの自分のいのちを犠牲にして、他の生きとし生きるあらゆる迷いのいのちを分け隔てることなく、すべてのもののに対して、まごころをこめて願い続けてくださている。虚仮不実で、醜い迷いのいのちを、真実、清浄の悟りのいのちにそのままかえてやろうという誓いを、自分の正覚(仏の座)を捨てて願ってくださっているのである。それを実現できるのが、無量寿(いのち)をもった南無阿弥陀仏さまだけである。だから、この迷いのいのちを「大命」(無量寿経・五悪段)と言われている。他力からのいただきもののいのちだというのである。不誠実で、不浄で、虚仮不実の迷いのいのちをために、誠実そのもの、清浄そのものの、真実そのものの御方が、いのちを投げ捨て、すべてを捨てきり、その泥のような不浄の世界へ、怒りの炎で燃え盛る世界へ飛び込んできてくださっているのである。

 わたしの都合や思いにお構いなく、一方的に飛び込み働きかけくださる、そのお働き、お力を阿弥陀と名付けてくださった。迷いのいのち、限りあるいのちとは、無慈悲そののも、無明そのものである。だから、悟りのいのち、無量のいのち、慈悲そのもの、智慧そのものが逃げるものを追い掛け、修めとるという摂取不捨という形でしか、けっしてお救いは実現しないのである。

 わたしは、逃げているのだ。昿劫以来、逃げまくっているのだ。

 逃げたければ逃げよ。しかし、けっして逃がしはしないぞという執念の塊が、阿弥陀様なんだろうなー。

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華燭の典

 挙式、披露宴当日。

 連れ合いの着替えの時間の都合で、親族紹介のかなり前に到着した。

 ぼくたちはこんな時、とても便利。導師などではない参列の場合は、冠婚葬祭が黒い布袍ひとつですむ。でも、今回は、媒酌なので、黒衣、輪袈裟、桐袴という指定があった。一応、指定の時間になったが、まだ早いので着替部屋でゆっくり準備していた。係の方が、新郎の名前を呼んで探してられる。ぼくのところにきて、「新郎にお会いになられましたか?」と尋ねられた。今日はまだ会っていない。「そうですか。セットの時間なんですがね」「2時といってられましたよ」という、「そうなんですよ。もう少し探してみます」とちょっと焦っておられる様子で、「私は館内放送を頼みに行きます」と言っている。迷子の呼び出しならぬ、「新郎のお呼び出し」の放送が響く。おお、いきなり目立っている。

 スタバーでお茶?。新郎の名誉のために一言。もちろん遅刻ではないのだ。ギリギリまで挙式の準備や打ち合わせに余念がなかったのである。設営、進行を自分たちでやらねばならないので、たいへんである。

Img_8166 その後、バタバタとご両家に挨拶をして、親族紹介や記念写真も、無事にすんで、いよいよ挙式本番へ。

 準備や打ち合わせは、昨日、華光会館にて念入りにおこなっているから、心配はない。

 立派な荘厳である。

 金の蝋燭に赤々と炎が揺れている。なにより、この日のために書Img_8172かれた悟朗先生の「南無阿弥陀仏」が真ん中で光り輝いてる。

 さすがは、O師も落ち着いて、進行・司会をされている。司婚者のM先生の表白、勤行があり、ご法話にも熱がこもる。その中でも触れられたが、先生には、学生時代から新婦にかかわりがあり、華光への導き手として、その後も丁寧に関わっておられただけに、浅からざるご因縁がある。感慨もひとしおのご様子は、愛娘を嫁がす心境ではなかったか。なにより、新郎・新婦の「誓いの言葉」、ああ、しっかりご聴聞されている、成長されたなーと感慨深い。特に、お互いが、相方でも食いころしかねない心の闇をしっかりと見据え、五〇〇生の仇同志(悟朗先生の恒例の贈る言葉-ほんまになー。夫婦って、生まれ死ぬを繰り返す間に仇となり殺し合ってきた間柄だということは、結婚生活の実感である。でも、それがこの度、南無阿弥陀仏に出会うことで、迷いの打ち止めがなされたなら、初めて「おめでとう」ということになるのだ)の二人だが、それを転じて念仏申すための、聴聞のための結婚生活であることを、自分たちの言葉で誓われた。あらかじめ署名を求められていたので、事前に一読していたが、厳粛な雰囲気の中で、二人が声を揃えて読まれると、まったく違ったように聞こえてきて、感動的であった。

 すぐに、披露宴会場に移り、来客の皆さんをお迎えする。

Img_8197

 披露宴の冒頭で、挨拶とお二人の紹介である。ご法話ならあがらないが、この手のものは苦手で、緊張した。それでも、やはり、お二人の学生時代からの華光とのご縁。お互いが「何故生きるのか」「死んだらどこへ行くのか」という人生の実存的な問いかけをきっかけに、浄土真宗に出会い、しかも、その中で華光とのご縁が生まれ、南無阿弥陀仏の真実をわが身ひとりと喜ぶところまで求めれた。ぼくとお二人とは学生時代からのつきあいである。比較的短いが、10年近くになる。それがすばらしい「誓いの言葉」を語るまでに成長されたのである。その間、切磋琢磨し合う仲間に恵まれ、辛い時は励まし合い、時にケンカしたり、悔しい思いで涙したりしながら求めあってきた、まさに御同朋、御同行のおふたり。それが夫婦の契りを結ばれると思うと、グーッと熱いものが込み上げてきた。お互いがお念仏で結ばれ、心の暗き闇を聞きあい、尊重しあい、成長しよという念仏者同士が夫婦になられるのである。ほんとうに阿弥陀様は、喜んでくたさっているんだろうなーと思うと、涙となってしまった。

 このあと、主賓のT先生のご挨拶も、乾杯のM先生のご挨拶も、Img_8222ちょっとひと連なりのご法話のようで、有り難かったし、なにより、両先生のお話は、面白かった。「すぐ簡単に別れるのだが、別れちゃーいかん。信心が問われます」って…。

 その後のスピーチや余興も、新郎の新妻への手紙、新婦の親御さんへのお手紙も、温かく、かつ仏法の縁が感じられる有り難いものが多くて、とても心温まる式だった。

 感受性豊かな感性と、創造性の溢れる表現力をもったお二人である。お互いの長所がいっそう発揮されるご夫婦になられることを願ってやまない。あらためて、おめでとうございます。

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リハーサル篇

  明日は、華光仏青で出会った同人同志の挙式が行なわれる。このところ、1年に1~2組のペースで続いている。今回は、ご縁があって、初めて媒酌の大役を仰せつかった。

 挙式は、仏式で行なわれるが、会場には仏式の施設がないので、仏壇の一式を持ち込んで対応する。ただし、当日は前に挙式(神道)が入っているので、短時間にセッテングせねばならないし、当然、リハーサルをする余地もない。

 それで、今日の夕方から、華光会館でリハーサルが行なわれた。

 結婚式の会場は新大阪だが、前日のリハーサルも無理だというのだ。それに、新郎、新婦と大阪なのだが、司婚のM先生や、進行・司会のO先生も、媒酌人のぼくも、京都の方が便利というのもある。「設営の手順やリハーサルをおこないたいので、5時~7時ごろまで、華光会館を使わせください」という申し出でがあったので、「では、3階研修場でおこないましょう」ということに決まった。

 新郎のOさん、早めに到着して荷物を運ばれる。本格的な五具足に、大鋆、内敷きに、お供物、そして悟朗先生の「南無阿弥陀仏」と、なかなかたの量である。汗だくになりながら、支度されている。時間になってM先生も到着。ところが、進行・司会役が遅れている。彼がいないとすすめるわけにはいかない。

 携帯に連絡。

 「いま、新大阪の会場にいるけどれ、三階の研修場ってどこなの?」

 えー。あのねー。京都を通り越して、あなた早くも会場に到着しているのね。

 「ホテルにも、華光会館のように3階研修場があるんやなー」って、なんでやねん。

 せっかくなので会場の下見をし、1時間ほど遅れて到着された。ご苦労さまであります。

 当日のミスでないから大笑いしてすませられた。もし、当日ならたいへんなこと。逆に、華光会館に来ても事務方も全員、列席中で空っぽだもなー。あとは、結構なブログネタになった。ごっつあんです

  さてさて、「3階研修場」は伝わっているけれど、その前の「華光会館」が抜けいるのは、伝え手の伝達不足? それとも聞き方の聞き間違い?

 夜は、媒酌の言葉に頭を捻った。うーん、結構慣れないと難しい。大学生時代からのおつきあいでがら、もう10年近くになるわけだ。少しでも、お人柄の一端にでも増えるような紹介になればいいのだけどね。

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『ゴールデンスランバー』

 ゴールデンスランバー』は、最近、次々と映画化されている伊坂幸太郎の小説を、人気の堺雅人主演で描く、サスペンス風味の友愛映画?だ。行きつけのカフェに、伊坂幸太郎の小説が並んでいるので、たまにパラパラみるが、まだ読了したものはない。それでも、映画化されるものは見てしまう。少し前に、『アヒルと鴨のコインロッカー』を、昨年は4月に『フィッシュストーリー』(同じく中村監督)、6月に『重力ピエロ』と続いた。正直、いま一つというものもあったが、原作を知らないので、どちらに軍配を挙げればいいのかは分からない。

Img_8150

 要は、仕組まれた首相暗殺の容疑をかけられた宅配ドライバー(堺雅人)の仙台を舞台にした逃亡劇だが、そのことをきっかけに、学生時代の4人の友情と絆が蘇り、周りの大人たちへの信頼と、温かなつながりが生まれる、まさに「友愛」青春ムービーと名付けたい。

  しかし、リアリティーの面では、ツッコミどころ満載。せっかく、敵役に香川照之を使っているのに、巨大権力の陰謀の迫力や得体のしれなさ、その背景にも迫ることがなくて、その意味でのドキドキ感が期待薄。伏線もあまりに臭いくらいわかりやすくて、その点は、ちょっと白ける。ラストもね、エー、これで終わりという物足りなさが残るかも。でも、肩の凝らない娯楽作として見るのなら飽きることなく楽しめる。

 すごく個人的な好みだけれど、犯人の父(伊東四郎)に、マスコミが押し寄せるシーンでの彼のセリフが良かった。(イメージとしてこんな感じに聞こえた)

 「息子さんを信じたい気持ちはわかりますが…」

 「信じているんじゃない。よく知っているんだ。(リポーターに向かって)お前は誰なんだ。おれの息子のことをどれだけ知っているんだ? 俺は、産まれた時から、おしめを替えて育ててきた。あいつのことはよく知っているんだ。……逃げのびろよ…」

 そうなんだなー。信じる、信じないじゃないんだ。そう、知られているんだなーと。それも、頭の先からお尻の穴の隅々、いや見えないと思っている心のなかのなかまで、知り尽くされていんだ。その上で、信じきってくだされる。なのに、「どうせ分かってもらえない…」といじけているなーと、ぼくなりに親心に触れて、ちょっぴりセンチに…。

 ところで、タイトルの「ゴールデンスランバー」の意味は、黄金(心地よい)の微睡み(まどろみ)という意味がある、ビートルズの最後の作品群のひとつ。 みんながバラバラになったメンバーの心をつなぎ止めようとしたポール・マッカートニーの願いが、映画では、4人のセンチメンタルな友情へとつながってく。

  帰宅し、ビートルズ最後のアルバム『アビイロード』を聞き返す。ラストの楽曲のひとつである、「ゴールデンスランバー」からの終焉への流れ。こんな構成になっていたんだなー。特に最後の4曲がひとつつながりの曲になって、ビートルズの「ジ・エンド」を迎えるんだーと思って、もう一度、この歌詞を見る……(;が滲むなー。

  かつて そこには、懐かしい故郷へと続く道があった
  かつて そこには、懐かしい家へと続く道があった
  おやすみ、愛しい人よ、泣いてはいけない
  僕が子守歌を歌ってあげよう
  心地よいまどろみが、君の瞳を満たす
  微笑みを浮かべて、君はめざめる
  おやすみ、愛しい人よ、泣いてはいけない
  僕が子守歌を歌ってあげよう

  そして、曲は途切れるとこなく、「キャリー・ザット・ウェイト」への続くのだか、このあたりの詳細は、Beatlesを語ると止まらん、manu.さんのページ参照に。

http://manu.moe-nifty.com/manu/2004/12/the_end_of_beat.html

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一瞬の悲劇

 わが家の画伯が、注文を受けた絵を搬入に出かけた。

Img_8004

 大阪府枚方市にある幼稚園の校舎正面に飾る作品の注文だ。

 大きなもので、大作は3作品目になるか。

 修士論文と口述試験、そして博士課程の試験の合間に、書き上げたものに、立派な額が入ってきたのだ。これに、タイトルのプレートがついて、なかなか大したもの。

Img_8131  その幼稚園で、「子どもさんにと」ケーキをもらってきて、冷蔵庫へ。夕食の後で食べることになった。食事が終わり、しばらくナナを膝に短い絵本を読んで、「はい、おわり」。さて、と思った数秒後のことである。台所から、ナナの「アアアアア」の絶叫と、「エエエエエ、なにしてんの!」という、ゆうこの声が…。

 「どうした?」。さっきまで一緒にいたナナがどうして、冷蔵庫の前に? どう考えても、悪い予感しかよぎらない。カンロも、ぼくも現場に急行。

 そして、そこで見たものは…… 

 「アアアアアー」と、家族中の落胆の叫びが、台所にこだまする。Img_8135

 わが家の一大事に、すぐにデジカメをもって取材。もちろん、今夜のブログネタである。

 ものの見事にひっくり返ったケーキを、慎重に起してみると、おお、部屋の隅のゴキブリ退治用のエサ(右上の白いプラ)が、飾りに付けているぞ。Img_8137

 もう絶望的だ。

 彼女にしたら、お手伝いして、早く食べたかったのだろうが、誰も頼みもしていないのに、勝手に冷蔵庫から取り出して、この結果を迎えたのだった。

 さあ、これからたいへんだ。おこられるわ、悲しいわ、びっくりしたわで、彼女も泣く、泣く、泣くの号泣大会。

 それでも、わが家は、不屈の精神。こんなことでは負けないぞー。

 きれいなところだけ取って、一口ずつ食べたことはいうまでもない。

 しかも、けっこうおいしかった。

 あんなに泣いていたナナも、すっかり機嫌が直り、すぐにはしゃぎ回って、悪さをしている。「ちょっとは反省しなさい」と言いたいところだが、ここが彼女のいいところ。覆水盆に返らずで、もう済んだことをいくら嘆き、悲しんでも、戻らないもの。それより、過去に囚われるより、いまを生きたほうがいい。子どものほうが生きる知恵がある。それに引き換え、ぼくたち大人はどうか。過ぎ去った出来事を嘆き続けて、淀みまくっているのなー。なんか教えられる。

 それにしても、無常は一瞬だなとも実感。

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易い、易い救い

 久しぶりの平日に開催。それなりにお参りがあって有り難い。平日だから参加できたという人もいる。「火曜日だから参加できました」という方もあれば、「火曜日は困る」という人もいる。「水曜日にしてくれ」「水曜日はダメ」「木曜日がいい」…と、それぞれ事情が違ってくる。それで、今月は火曜日だが、来月は木曜日という具合に、いろいろと試してみることにしている。

 週末のWSと気分転換の効果で、すごく穏やかで落ち着いた気分で座れているぼくがいた。日頃、ちょっと苦手なタイプの方にも、笑顔で、やさしく接することができる。場の雰囲気も、冬なのに、春の陽気のように今日の天気のように、厳しい話が穏やかに進んでいくように思えた。

 前回のアドバイスで生活の中で、自分が見えてくるようになったという方が、具体的なところで、自分中心に聞法している姿を、正直に話てくださる。確かに、そのとおりだ。お育てにあっておられる。しかし、話の最後に、「次は、どうして行ったらいいのでしょうか」と。

 残念なから、次のステップなどないのである。ただ仏様が知って下さっている自分を聞かせてもらうだけである。仏様からわたしの現在地を教えられる、知ることでだけで、すべてが満ちる教えだといっていい。

 でも、それが続かないという。だから、続けるために仏書を読み、テープ聴聞すると、忘れていたとお念仏に帰っていくのだと。でも、そんな方向に仏様がおられるだろうか。今日は、30分だけ法悦があり、自分を知る時間があったので、明日は1時間、明後日は1時間30分…。それで、一歩、一歩、仏様に近づいたと自惚れるが、そんな方向に願いはない。ほんとうの私は、常に忘れ放しなのだ。忘れ放しどころか、逃げ通しである。もし、ご法に触れてずっと覚えていたいといわれるなら、常に首から仏書を開いたままぶら下げて、24時間ヘッドホンからお念仏や法話を流しておいたらいいかもしれませんよ、とアドバスした。それでも、寝るときは無理やナーと。もちろん冗談。

 しかし、忘れ放しの私が、より忘れないようになり、喜ぶようになることが、本願に相応することではないのだ。他力の本願に相応するのは、まったくその真逆の世界である。

 仏様は、すべてを見抜かれている。すべてを知ってくださっているのである。わたしが地獄で泣いていがるのを、一目ご覧になられたのが、すべての不憫の始まりなのである。そして、昿劫という始めも分からないほどの大昔から今、今も、24時間、365日のあいだ、ずっと休むことなく、一瞬たりとも途切れることなく、ずっと、ずっとわたしひとりをみそなわし、願いをかけて、頼んでくださっているのである。

 私が忘れているときも、寝ているとてきも、惚けているときも、怒っているときも、念仏しているときも、仏様の私に、仏にせずにはおられないという願いは、ずっと、ずっとかかり続けているのである。忘れ放しの私を見抜いて、絶対に忘れないぞという本願が立てられたのである。

 だから、私の仕事は、少しでも忘れようにすることでも、法悦が続くようにすることでも、有り難い気持ちになることでもない。いくら聞いても聞いても、いくら聞いても聞いても、何年聞いても、どんなに真剣に聞いても、頭燃を払うごとくに聞法しても、自分の力ではけっして、本願に相応する身にはなれない、私自身を聞かせてもらうだけである。それが、他力の本願にかなうことだと言っていい。そんな私を見抜いて立てられた本願なのだから。

 ところが、そんな話をしていたら、向こうから「自分が方向違いをしていることが分かったので、どうしたら軌道修正ができるでしょうか。アドバイスをください」という質問がでた。

 残念ながら、その質問こそが方向違いだったと知らされるしかないと申し上げた。自分でコントロールできるような軌道修正など、他力のご本願の前では意味をなさないのだと。ただただ、本願の前に、方向違いのとんだトンチンカンを教えてもらうだけである。しかも、そんな私だと腹の底のそこまでお見通しになっておられいるのである。すべてが見抜かれているにもかかわらず、自分だけが頭隠して尻隠さずで、ボロの上にボロを幾重にも重ね着して、きれいに隠している、いいかっこだと自惚れているのである。その大間抜けの姿をお聞かせに預かるだけでいいのになー。

 弥勒菩薩には、たった一つ、阿弥陀様に頭をさげることができずに、自分でやり抜こうという、おれがの元品の無明のために、五十六億七千万年もあいだ、ご修行をされねぱならないという。しかし、弥勒菩薩は、自力で次ぎに仏さまにお成りになる御方である。

 この私は、自力の修行どころか、善もつめない、仏になることもできない身でありながら、おそろしいことに、自力のこころだけは、有り余るほどもっている。身の程も知らずにも、絶対に頭をさげない奴がいるではないか。絶対に、手放さない、まかせない奴がいるのだ。だから、「次はどうしたらいいのか」とか、「どう方向転換したらハッキリするのか」と、自分がお留守になっていく。

 ただひとつ、「どうかお聞かせください」と、私の頭ひとつを下げるだけであるのに、それがうぬぼれでできない私。では、そんな私に、仏様はお叱りになっておられるのか。そうではない。「そうか、また辛い目をさせてきたなー。どうか、お前のために造ったこの南無阿弥陀仏、このひとつで仏になっておくれ。どうかまかせておくれ」と、なんと阿弥陀様の方が先に頭を下げて、私を頼んでくださっているのである。それが、南無のこころなのだ。

 「どうかまかせておくれ」と頼んでくださっている南無阿弥陀仏さま。なんの遠慮も、躊躇もいらない。ぜったいに役立たない自力などにかまわないで、大きな親の懐に思い切り甘えていけばいいのである。そこには、どうしたらも、次ぎも、方向転換もないである。ただ、それだけの易い教えなのである。

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自力整体でバランス

  冬支度で自転車を漕いでいたら、汗ばんできた。朝から春の陽気だ。

 自力整体。

 週末の司会者研修会でのフォーカシング(志向の)エンカウンターのワークショップ(WS)では、かなり個としての自分を開いて、泣いたり、甘えたり、自由だったりしたが、その分、号泣疲れ、ちょっぴり統合されていた自我(というより自画像程度)を揺さぶった(おおげさか)ので、かなりお疲れモードになっていた。まだ、なにかお腹のあたりが落ち着かなかったり、ソワソワしたり、ちょっと不安定だったりしている。

 こんな時は、自力整体でからだを揺すって整えるのが、いちばん。

 しかも温かいとからだがなめらかに動く。声をだしてため息をついたり、息を長めに呼吸するだけでも、ずいぶん、気分が代わって落ち着いてきた。

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 教室には、ご主人の仕事の都合で四国に赴任されていた自力仲間が、2年ぶりに復活。そのマダムとパスタでランチ。たまには年上の大人の女性もいい? お孫さんの話題がでたので、ぼくも子どもネタと、かなりネタが固まっている連れ合いのほんとうにあったおそろし(?)おもろい生活ネタをしたら、盛り上がった。お股コースのフロネタ、掃除のコメ粒固まりネタ、ドライきゅうりネタ、高級財布の15円ネタなど…サザエさんよりサザエさんで、マンガみたい実話ばかりだもんなー。わが家は、自由奔放な芸術肌の連れ合いと、、几帳面な変人のぼくの組み合わせで、かみ合う時は最強なんだけどなー…。かみ合わないと、サイコーのストレスとなる?

 おかげでいい気分転換になって、週末のワークショップとのバランスもとれてきて、ちょっと平静に気分が落ち着いた気分で、午後からの輪読法座に臨んだ。

 

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『三帖和讃』講讃(上)完成

Img_8128  保育園を経由して、土江先生をお迎えにいき、少し打ち合わせをして帰宅したら、出版社から、『三帖和讃』講讃(上)が届いてた。おお、やっとてきましたか。やっはり、ゲラ校正から、書籍になってくると、立派になってかえってきたわが子のようで、かなりうれしい。2段組の303頁もあって、ずっしり重い。中味も、違って見えるから、不思議だー。

  最後の校正から、完成まではかなり早く出来てきた。当初は、華光大会が目標だったが、作業を始めて、それはすぐに無理だと分かって、年頭の報恩講をめざしていた。それでもいろいろと難問が多くて遅れたが、なんとか2月中に完成させることができた。

  オビの文面は、出版社に任させたが、かなり大げさwな文字が踊って、ちょっんと恥ずかしい。実は、専門的に詳しいもは、2~3あるのだが、あまりにも学術的になってしまうので、その意味では、専門性もあり、かつ華光悟朗節の味わいもあって、浄土和讃118首、 高僧和讃119首の心が十分に味わえるものだと思っている。ただし、もともと講義用のテキストが元なので、本来はかなり口頭で補われていたので、解説が中途半端な点が多い。書籍化に際して、かなりぼくが補った部分もあるが、それでもふ不十分。もし合わせImg_8126て講義テープを活用くださると、完璧だろう。

タイトル 『三帖和讃』講讃(上)(浄土和讃・高僧和讃)

著 者    増井悟朗

出版社  白馬社

価格    2,520円 (内税)
別途送料が、340円

  3月までに、仏教書店や仏教系の大学生協などにも並ぶし、アマゾンでの購入できるようになるようだ。

  もちろん、華光会を通じて購入いただくこともありがたい。今度は、販売を頑張らないと、次ぎの発行計画にもいい影響を残したい。

  この1年、「ぼくがいちばん頑張ったこと」は、文句なく、この1冊だー。

 

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絵画展

  週末は、楽しみにしていた、司会者研修会。主催者だが、講師でも、世話人でもなく、一参加者として参加できるので、ワクワクしつつ、ちょっと緊張もしていた。

Img_8097

 その前に、午前中はナナホの保育園に絵画展へ。この保育園は、年中さんから、2年間、すごく力を入れて、鼓笛隊やチアーリーダーの訓練があって、わが子は、何度も当園拒否になるほど、厳しい指導があるのだけれど、肝心の運動会でのお披露目も、肝心の京都市のフェスターでの演奏会も、法座行事で、2年間ともビデオ鑑賞。その上、卒園式もダメと、彼女には申し訳ないが、トホホ状態。まあ、せめてこれだけでも…。

Img_8099_2 やっぱり、アール・ブリュットじゃないけれど、子どもの絵はすごい。世間的なうまい、下手でも、技法でも、頭で考えるのでもなく、自分が見たまま、表現できるまま、感じたままが表されているといっていい。

 上のサクラなんて、ゆうこの絵より好きかもなー。燃えるようだー。Img_8100

 そして、トラ、トラ トラ。おー、なかなこわいぞー。ぼくはトラ年だけど、どうも腹の奥の方に、トラのような奴がいる気配を、なんとなく感じている。食い殺してやるってかー。

 みんなのトラもなかなか面白くて、すごいやー。

Img_8105

 外には、「ぼく、わたしが、いちばんがんぱったこと」。ナナホはこれだー。なるほど。でも、これが残念ながら見れなかったなImg_8102_2

 じゃ、皆さんはどうかなー。「この1年で、いちばん頑張ったことは?」。

ほかにも、こんなすばらしい絵があっImg_8107たので、ちょんと紹介。いいよね。

 ところで、新校舎建設のために、この1年間は、仮住まい。東寺から、西寺(さいじ)の近くにある、昔、保育園を開いていた西山派のお寺の建物を使わせてもらった。それが、蓮華寺さん。詳しくは→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-be08.html

 それで感謝をこめて、タイミングがいいなー。使わせてもいます。Img_8119

Img_8120

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司会者研修会

 明日から、司会者研修会だ。司会者といっても、会話術を学ぶのでも、安っぽいhow toを学ぶのもでもない。まあ、以下のような案内文を出したので、紹介しておこう。

「司会者研修会と言っても、一般的な司会のノウハウや技術を学ぶためではなく、どこまでも、いま、ここの自分をテキストに学んでまいります。特に、新人の法座参加が増加する中で、華光同人ひとりひとりの信仰のありようが問われる(信心の沙汰)と共に、講師や司会者、支部法座にかかわる私達の、さらなる実力が求められています。それは、華光会のご法座だけで通じる限定的なものではなく、ひとりひとりが個別の課題と取組み、あらゆる場面で普遍的に通じる、真の力をつける時期が来たのではないでしょうか。そこで、初めて外部講師による研鑽の機会を計画しました。11月の華光大会で信仰座談会にも参加し検証してくださった、松江市の土江正司先生をお招きして、グループでの態度や姿勢を学び、また限られたメンバーと造る、安心・安全の場で、自分自身の抱える問題や(ことばになる以前の)未消化の課題にじっくり取組む機会になればと願っております。
 そこで、これまでの法座経験の実績や僧俗の区別なく、虚心に学ぶ同朋を求めます。もちろん、カウンセリング等の経験は一切問いません。ただ、意欲的に学びたいと願う方のご参加をお待ちしています」

 ファシリテーター(促進者)としての対人的な態度や姿勢と、安心、安全の場を提供する責任が、華光の司会者や講師にはあるといっていい。また、傾聴の姿勢もからだのレベルで、徹底的に身につけておく必要がある。

 法座から、カウンセリングをかじりかけた方が、たまに勘違いされるが、華光の法座=真宗カウンセリングではないと、ぼくは認識している。あくまで、カウンセリングにはカウンセリングの歴史や世界があり、真宗の目指すものは違っている。たとえば、ロジャーズの「十分に機能する人間」を読めば分かることだ。当然、弥陀の本願を一つで、仏になることを目指す、真宗の教えからみれば、いくらでも批判的な受け止めも成り立つ。

 しかしながら、歴史も、背景も違う両者を、そんな外のレベルで批判しても、非生産的なだけで、なんら有益な意味はない。むしろ、違うからこそ、虚心坦懐に学ぶ姿勢が必要だ。援助的な姿勢、対人的態度、また傷ついたり、心を痛め、閉ざしている人に接する姿勢こそ、先進的なカウンセリングから学ばねばならないとの思うのだ。しかもそれは単純な技法の導入やノウハウを学ぶことではない。真宗は真宗としてとりあえず脇にいておてい、謙虚にカウンセリングそののもを学ぶ姿勢こそが、学びの第一である。ここにも、真宗者や僧侶が陥りやすい隘路がある。すぐ、真宗念仏以外のものを、虚仮不実として、批判し貶めるのである。または、すぐに伝道や教化のために利用しようと、学ぶべき自己がお留守になる。

 真宗念仏に生きている私が抱えている課題や弱点と、安心、安全の、温かい場で、私自身が、自己と向き合って、じっくり取り組んで行きたい。個人が待っている課題や弱点をどこまで受け止め、取り組んだけいるのか。ぼくには、ぼくの弱点もある。ぼくの場合なら、攻撃や批判に弱い(あんまり強い人も聞かないが)。そこには、ぼくの心理的な課題がある。親や華光の大人から、常にきっちり真面目にやらねばならないという強迫観念的な性格があって、批判やいい訳に、すぐに防衛的になったり攻撃的になってしまって、批判や攻撃せずにおれない相手の弱さや甘えをなかなか受けられないという傾向がある。どこかで、そんなことで「傷つくのは弱いからダメだ」という思いがあるんでしょうね。まあ、そんなところを課題に取り組めればと願っている。

 今日の午後は、名簿や買い出し、世話人の打ち合わせが中心。 明朝は、ナナホの保育園の最後の絵画展を見学して、土江先生を迎えて、最終の打ち合わせ。とにかく、楽しみだなー。

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梅林を走り抜ける

   朝、自力整体の前に、カンロの持久走大会を応援に行く。

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梅小路公園の中を周回するコースで、時間内(30分以内)にどれだけ走れるかである。

 保育園に出かけるナナホに、「これからお姉ちゃんの応援に公園に行ってくるわなー」というと、「お父ちゃん、いいな、いいな」と、羨ましがっている。別に、公園に遊びに行くわけではないけどなー。「な、なー、ビデオ撮ってきてなー。そしたら見れるし」。といっても、たまにわが子が走ってくるだけなのだか、ナナホの強いリクエストで、急遽、ビデオも撮影することにした。

 応援は4、5名。しかもPTAの役員さんばかりで、どうやら暇人はImg_8074_2ぼくだけのようだ。そのうえ、ビデオカメラを構えての親馬鹿ぶり。

 でも、頑張って走っているわが子を応援するのも悪くない。1、2年生のうちは、欠席したり、途中放棄していたのが、だんだんと体力もついて、自信も生まれてきたようだ。結局、8周以上も回ったというから、4~5㎞は走ったことになる。

  隣でお母さん同志が話している。「こんなに朝から頑張って、あとの授業出来るのかなー」。確かに。

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 紅白の梅がきれいだ。

 日差しも膨らむような温かさで、梅一輪ずつ春が近づいている。

 もともとこのあたりは、平安末期に平清盛の西八條の宮が造営されていたという。この広い芝生の一角に、オリックス系の水族館建設計画が具体的に進んでいる。海のない京都市内に果たして必要なのか。確かに、京都駅から近い。東寺や西本願寺も徒歩の距離だし、動態状態で保存される蒸気機関車に乗車もできるSL館とも隣接しているので、確実に観光客の取入れはうまくいくだろう。しかし、環境問題や共生の観点からみると、明らかに時代を逆行している。それに内陸型としては最大級とはいえ、やはり大規模ものは無理で、中途半端な印象も残る。地元住民からは、反対意見も多い。

 まだ途中だったが、自力整体の教室へ。

 最初、ちょっとしたアンケートがあって、自力整体を始めた年数の欄があった。ウーン、ちょっどゆうこが骨折した後で、リハビリをかねて始めたので、まだカンロが2歳前の2月のこと。すると、まる8年が経過したことになる。その1年前にヨガを始めていた。同時に、この年の5月から、映画を観るようになった。日記を紐解くと、月に3本のペースだと書いていた。しかし年々ハイペースになって、3、4年前から、週に3~4本、月にすると15本前後で続いている。

 ちょうど40歳になって、いろいろと新しいことが始まったということだ。

 さて、この先の可能性は? 

 良しも悪しきも、おもわぬ展開になる予感も、若干だがある。小さな私の枠を出たいなー。

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自由と決定論

 1年ぶりに、真カ研の月例会の担当を引き受けた。

 引き受けたものの、いろいろと用事が立て込んで、レジュメの作業が、前日の夜になった。明日は、半日入学もあるし、パンフレット発送の作業の下準備もある。テキパキこなせねばと思っていたが、さっと読んだだけでは、まったく意味が理解できない。仕方ないので、頭が冴えいる翌朝に、再チャレンジ。短い箇所だが、でもやっぱり難しい。まあ最後のところなので、全体を俯瞰的にながめて、これまで要旨をまとめて、今回のところの位置づけをしてたら、なんとなく趣旨は理解できるようになった。それでも、いま一つ、中味は腑に落ちない。結局、午前中だけでは無理で、半日入学を終わって急いで帰宅して、なんとか間に合った。こういう時は、時間がないという切羽詰まった後のない気持ちが、集中力も増してくれる。

 今夜は、早めに出かけて、来年度の真宗カウンセリング研究会のパンフレットの発送作業。学生さんを中心に、5名も助っ人たのみ、かつ下準備もしておいたので、あっさりと30分ほどで完了した。

 詳しくは、華光会館にもパンフレットがあるし、また以下の真宗カウンセリング研究会のHPから、2010年度の活動プログラムを知ることができるので、ご参照ください。

http://dbpca.web.fc2.com/

 さて、頭を悩ました担当分は、「十分に機能している人間」という、セラピィの極限を純粋に記述することの意義は、それが臨床経験に根ざしたものであると同時に、臨床的にも、科学的も、また哲学的にも重要な意義をもつとして、A~Gをあげて、その意義について語られているうちの最終回で、「G、自由と決定論の問題に関して」というところ。だいたいの要旨を簡単に述べると以下のようになるのかなー。

 重要な哲学的課題である、「自由・自由意志」と「決定論」は、心理学的立場(サイコセラピィ)でも、生きたパラドックスである。つまり、治療関係においてもっとも強く感じる主体的な経験は、クライエントが自分自身の中に、生の選択の力を感じ取ること。つまり、彼は「自由」である。同時に、客観的な研究方法、他分野の科学者同様に、彼の考え、感情、行動は、すべて先行するものによって決定されるという、完全な「決定論」にもくみするというのである。この主観と客観、主体的な現実をみる理論と科学的な礎石である理論、つまり自由と決定論が、パーソナリティ理論の一つの概念である、究極のセラピィの成功例、理想像である「十分に機能する人間」という純粋な提示によって、意外な角度から接近することができるとしている。そこでロジャーズは、両観点にそれぞれに長所があるとみ、決定論は科学的探求を行なうのに有用な視点を提供するし、自由と自由意思は、より十分に機能するようになる過程の不可欠な構成要因なのある。

 恥ずかしながら、これだけでは分かったようで、分からなかったというのが、正直な感想。

 でも、最初に俯瞰的に読んだことで、この論文を通して気付いたこと、学んだことは大きかったか、これは、来月のまとめの機会にでも…。

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半日入学

 午後から、ナナホの半日入学。

 忙しいママに代わり、健康診断に続き、パパの登場。保育園の記念撮影の日だったので、どちらも休むわけにいかず、ちょっと遅刻した。またまた黒一点と思ったら、今日は、黒二点。いちばん後ろに座ったが、横は同じ保育園のお父さんと判明した。

 すでに、校長先生の話。あれ、この方は…。数年前に、別の小学校の夏休みの教員の研修会に招かれて、カウンセリング研修会を行なった時の、その学校の教頭先生だった人だ。たぶん、先方は忘れているだろうが、ぼくは覚えていたので、ちょっとビックリした。残念ながら、話す機会はなかったが、チャンスがあれば、一度声をかけよう。

 1年生の担任から、生活上の注意。規則正しい生活は、早寝、早起き、朝御飯。テレビ(携帯やネットでも)の視聴時間の約束。そして、しっかりあいさつ。「こんにちは」「さよなら」「ありかとう」。また、人の話をよく聞き、出来る限り、正確に自分の気持ちを伝えること。1、2年生の内は、自分のことが聞いてもらいたいだけなので、人の話は聞けませんとのこと。それと、「察してほしい」、または親が困ったら先に手を出して助けるので、なかなか自分の思いを伝えることもできないとのこと。さらに給食のこと。日常的なおばんざいが食べられない子どもが多いという。おからにびっくりしたり、煮魚を前にずっと待って、誰も骨がとれない。好き、嫌いをなくして、しっかり食べましょうと。

 そんなことを聞いているうちに、なんか、自分のことのようで恥ずかしくなってきた。これゃ、1年生の子ども用じゃないてく、大人がみんな守れていないことじゃないか。前の若い母親は、話の間もずっと携帯メール中だ。ぼくは、テレビも見ないし携帯もないが、それでも、今夜もPCで遅くなって、遅寝、遅起きで、あいさつもそこそこだ。人の話を聞くより、自分のことが話したいなー。めんどくさい自分の気持ちを伝えるより、相手に察してほしていと甘える。時には、それを歪め、避け、防衛し、イライライしてしまう。それでいて、責任を相手に押しつける。そして、好きなものだけを食べて、飲んで、まあ好き放題。あれれ、これは、ぼくのことであり、あなたのことであり、みんなの姿。これゃ、一年生からみんなやり直しやなー。

 養護の先生、PTA会長と続いて、婦警さんの交通安全の話。どうせ分かっていると、軽く思っていたが、この人の話がいちばん感心した。

 (大声で)「こんにちは」。みんな、バラバラと、小声で「こんにちは」。もう一度、「こんにちは」。少しおおきくなって「こんにちは」。「子どもはね、口で言われてもやりませんが、親のやることはしっかり真似てます」。「最近、子どもたちあいさつしないです。皆さんは、あいさつされてますか」ってね。参りました。これは図星。

 「初めて1年生になれるお母さんは、挙手をお願いします」。だいたい2/3ぐらい。「皆さん、緊張されるでしょう。いろいろと心配なこともある。じゃ、2人、3人目の方は、どうですか。かなり慣れて、余裕があるでしょう」。確かにその通り。学校の事情も知っている。だから、うちもママではなく、パパが派遣されている。「でもね。親が何度でも、どの子どもさんも、初めての体験にドキドキしてるんです。その気持ちを、ママは、分かってあげてくださいね」。最初の子どもと違って、二番目の子どもは、いつもそんな扱いをしているなー。でも、本人にとっては、いつもドキトキ体験。親が分かっているつもりでも、子どもの目線になると、いつも初めての体験なんだなー。

 そのあと、みんなで、一斉にジャイケンゲーム。最初は、普通に。次は、後出しで、勝つジャイケン。最後は、後出しで、負けるジャイケン。これが、摩訶不思議。難しい。すぐに、勝とうとする。だって、いつもどうすれば勝てるかしか考えていないから。体が無意識にすぐ反応して勝つほうを選ぶ。頭では分かっていても、できないという好例。こうして、勝つことばかり、前にいくことばかりの反応で、事故がおこるのだという。ふーん、さっそく心のネタ帳にメモして、夜のカウンセリング研究会でも試験。案の定、皆さん、戸惑ってました。これ、またご法座でお披露目する日も近いなーと。

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日校同窓会

 幸せそうなお二人を見送ったあとで、すぐ次の来客の約束。

 5月16日(日)にある華光日曜学校と、仏教青年会の同窓会の打ち合わせだ。同窓会といっても、ぼくより年配の先輩方が主に対象にしたものある。華光とのご縁をもちながら、ちょっと足が遠のいたり、完全に疎遠になっている、50代、60代、70代のOB、OGの方々の消息が知りたいのである。

 ほとんどがぼくの先輩方だが、名簿を観るだけで懐かしい気分になる。さすがに知らない方もあるが、だいたい覚えがあるのは、いろいろな人に、ずいぶん可愛がってもらったからだ。いまの仏青の人達に、わが子が遊んでもらうようなものである。

 今回の発端は、不思議というか、必然というのか、自主的に音頭をとってくださるMさんのご縁も、ほんとうに尊いものだ。これは、昨年の華光大会の信仰体験発表を聞いてくださるとよくわかる。華光会館に間借りして住まわれ、ご法の上でも活躍し、華光会館で結婚式まで挙げながら、出産を機に長年<疎遠になっておられたのだ。それが、東京公開講演会があって復帰のきっかけとなり、昨年のインド旅行もご一緒して、急接近されることになったのだ。新しい人のご縁を願った講演会が、こんなところで花を開く事になる。そのMさんの念願で今回のことも動きだしたのた。

 昔(35年~40年)の名簿を見ながら、住所がわかる方を確認する。残念ながら、40年以上の歳月は、かなり厳しいものがある。今日も、Mさんが、会館の近所に住んでおられた方々のお家を探されたという。しかし、道路拡張や区画整理で、まったく手がかりはなかったようだ。名簿と同じく、昭和40年ごろの日校の写真も出てきた。このあたりの様子もずいぶん違う。大人には、物故者になられた懐かしい顔ぶれもあるが、みんな若くて、びっくりした。ぼくはまだ幼児で、七より小さい。

 ふと、名簿のある人の名前に目止まった。ここに下宿しながら、近くの税務署でも、宿直のバイト(華光会館に下宿する人に継がれる定番の仕事)されていた方だ。もう何十年もお会いしていない。もともとは、龍大の宗育部からの派遣で先生をされていたのであろう。ぼくが、幼稚園時代、6歳になったばかりの時に、動物園に連れて行ってもらった。なぜ、それを覚えているのかというと、近鉄に乗るとき、初めて小人用の切符を買ってもらったからだ。おばあちゃんが、「幼児は切符いらんのにー。勿体ない」などと言っていたが、「まあ、まあ」と笑っていた。ぼくは、誇らしげに、切符に鋏をいれてもらったが、初めて、一人前扱いされたようで、よほどうれしかったのだろうー。動物園の中味は、まったく何も覚えていないが、京都駅の階段の手すりを跨いで滑らさせてもらったことと合わせて、記憶は見事に残っている。この先生のことは、この時のことしかないが、この場面は、鮮明だ。記憶というやつも、厄介で、また不思議なものだ。

 さて、同窓会当日。残念ながら、当日、ぼくは北陸で全日程の参加は無理だ。でも、終了までには、顔を出すことはてきるだろう。準備はこれからだろうが、懐かしい顔ぶれが募るとありがたいなー。

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媒酌人

 大急ぎで印刷所から戻り、午後いちばんで、今月末の結婚式の打ち合わせ。媒酌人の大役を引き受けることになったので、おふたりのことを尋ねた。これまで、主賓や司婚者のお役はあるが、媒酌人は初めてで、正直、こんな大役が回ってくるとは驚いてた。というのは、ここ数年、出席する結婚式は、仲人や媒酌人がいないスタイルだからだ。どうやら、形式的なスタイルより、純粋に結婚するふたりを祝福する形が、今日の主流になっているのかもしれない。

 その意味でも、かなり自由闊達な精神をもったこのお二人から、大役を仰せつかるとは、まったく想像もしていなかった。お二人とは、大学卒業後からのご縁で、長い人生においては、ほんの短い一部にしか関わっていない。そこで、知らない過去のエピソードを新鮮に聞かせてもらい、ぼくからも、幼少期のことや学生時代の趣味、お二人の人となり、そして出会いのエピソードを、具体的に根掘り葉掘り尋ねた。なんとなく今日の二人のベースが浮かび上がるようで面白かったし、みんなで大笑いもした。残念ながら、公式な堅苦しい場では、その楽しいエピソードをすべて使うわけにもいかないだろうが、それだけでも、お二人の人柄がよくわかる。そして、おつきあいの年数は少なくても、新郎新婦のお二人とは、その後、密度の濃い時間を過ごさせてもらっていると実感している。映画、音楽、書物、芸術と、かなり近い感性を共有しているかもしれない。もちろん、信仰のことでのつながが大きい。それで、お二人の人となり、そして華光同人の念仏者同志が、今後どのような活動、どのような家庭をめざされるかも、以心伝心でよくわかることが、なんとも尊い。

 式まで、2週間を切って、いろいろと準備はたいへんだろうが、体調にも留意して本番を迎えてもらいたなー

 

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成人から後期高齢者へ

 数日前から同人会ニュースの作製を始めた。ほとんどが総会と、報恩講時の役員会での報告や案内である。ネットなどをやらない人には、これでも大切な情報源になる。読み物は、伊藤康善先生の華光誌の記事を載せている。といっても、法話というより、軽快なエッセイに近い。アメリカ布教の時の四方山話だが、それも今回で終了する。

 掲載されていた華光誌は、第20巻1号、昭和36年である。この年の前後だけ、なぜか年6回も発行されいてる。いまからみるとかなりページが薄い。後記には、「華光誌も、今年20歳、成人を迎えた」と高らかに述べられている。そして、華光会館完成から、やっと5年目に入る、つまり5歳てある。それが、いまやまもなく70歳を迎え、華光会館も50年以上たって、すでに2代目。その再建からでも、そろそろ15年になろうとしているのだから、歳月とはおそろしいものだ。それこそ人間の成長なら、円熟をこして後期高齢者に入るころであるが、それは個別の人間とは異なって、連続無窮の働きによって、次々と新たなバトンが渡り、法統連綿とつながるところが、とても尊い。

 その華光誌の巻末にある年賀交歓の顔ぶれをみると、今日ではびっくりするような方が名をつられておられる。お寺の住職も多いし、ある宗派を代表するような方もある。中には、華光会とは縁もゆかりないと主張されているはずの富山伏木の方の名もあった。このころまでは、交流があったということなのだろう。といっても、まだぼくの誕生前のことである。

 お昼過ぎには完成させて、急いで印刷所に届けにいったので、今週中に完成する。

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手作りチョコ

 2月14日。バレンタイン・デー。別に、クリスマスも初詣もない我が家で、なぜか、チョコレートだけはいただきます。

 チョコをくださる方もモール状態で、ここ数年でもクルクル回って、少しずつ代わってきてます。今年も予想していない方からいただきました。ちょっと愛妻弁当のような美しい花の包まれて、愛情たっぷり。素直に、うれしいものですね。ありがとう。

 東京から帰宅は遅かったので、翌朝になって、

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 「お父さん、いつもありがとう」と、娘たちからもチョコのブレゼント。

 例によって、お友達も交えて、友達と手作りで作ったというのだ。

 なんか、すごいなーと感心した。ナナのものは、見た目はいま一つだが、どうして、これがほどよい甘さで、とてもおいしかったー。ちょっと

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途中下車

 いま、途中下車中である。

  昨日は広島で、明日から東京の法座だ。新幹線を利用する時の、京都、特に、華光会館は、とても交通の便がよい。

 昨秋から山陽新幹線へとチケットレスの区間が拡がったの機会に、EX-ICに切り替えたが、すこぶる便利である。結構、華光会館にお参りされている方も利用されているようだ。ただ、ぼくの場合は、あいかわらず携帯を持たないので、自宅のパソコンでしか変更が出来ないが、それでも、自宅でいつでも手続きや変更ができ、しかも切符を受け取にいく必要がない。そのうえに安いのも魅力だ。休日の博多など、3日前予約を利用すると、相当、割安になった。ただ、今回のように、途中下車する時や在来線によっては、e特急券の方が割安になるので、比較し考えないといけないが、それでも手続きや受取りは簡単だ。一時、「立ち止まらない人になろう」と、構内でも大きく宣伝されていたが、このコピーには、どうも引っかかった。ますますモタモタしたり、グズグズすることが悪といわんばかりに、得体の知れないものに追い立てられる圧迫感が嫌なのだ。といっても、実際の便利さや安さには、あいかわらず弱くて、それを喜ぶぼくもいるのだから、つくづく矛盾だらけの生き物のだなとー。

 で、朝は、自力整体に行って、からだをほぐした。ずっと和讃作業と行事が続いたので、右側の凝りがよくわかる。そのわりには風邪もひかず、元気に過ごせてもらっているのだから、有り難い。

 午後いちばんで、会計士のY先生と、10月から1月までの4ケ月分の実績と比較を行なった。個々の行事に関しても、昨年と細かな項目まで比較して、いろいろな問題点や無駄がないか細かく検討していく。参加費になった分、行事懇志は減って、結局、ほぼ同程度の実績になっている。なかなかうまい話はないとうことか。それでも、いろいろと細かな点で節約が進んでいて、計画よりも微増だがプラスになっている。こうして、まず、実態をよく見、比較することで、どこに問題点があり、今後の対策を講じればいいのかをアドバイスくたさるのだ。さすがに、専門家である。

 夕方は予約していたカットに出かける。ほんとはもう少し前に行きたかったが、機会がなかった。今度は、少し先の方がよくなったのだが、また機会を逸すると困る。連れ合いの話題がでる。彼女の外出先で、随分、ぼくの知らないことまでご存じの様子。まあ、古びた亭主と食事しても仕方ないというところかな。博士課程の受験を控えて、もし合格したら手料理でご馳走し、シャンパンでお祝いしてくれるという。でも、「落ちた奴には食わせるものはねえー」と言われたが、なかなかの難関であることは、ぼくがよく分かっている。「あれ、自力整体に行ったわりに、凝ってますよ」と、肩をマッサージしてもらった。わかる人には、やっぱり分かるんやー。

 夜は、東京の法話の教案。1、2月の広島の流れで、二つは決めていてた。あと1座は、仏青研修会での「機無、円成、回施」でもいいのだが、これは三心一心の流れで、2座に分けてでも、じっくり話したいところ。5、6年前にもとあえげているのでこれはやめて、ちょうど、コピーの用意があった「回心」というテーマにした。このごろは、法話をせよといわれれば、いろいろと話すことができるのだが、逆に、聴聞する人の身にあって、コンパクトにすることが、ぼくのテーマ。 

 初めてお会いする方もおられるようなので、楽しみである。どうぞ、よろしく!

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不信か、不審か

 雨の広島支部法座。

 1月の親鸞聖人報恩講法要でのこと。例年、『御伝抄』か、最近は、『御俗抄』の拝読が常であるが、今年は、若手の講師方から、「3名で、親鸞様の伝記を寸劇でやりたい」との申し出があった。時間や設定の打ち合わせはしたが、内容に関しては、お任せしておいたら、歎異抄の第9章の、聖人と唯円房の対話を元に、いまの自分のところでの心境や味わいを交えた(ある種のサイコドラマ的要素)ものとなって、なかなか感慨深く、評判もよかった。

 感想や質疑に入って、最後に、ぼくから、「唯円房は、不審なのですか。それとも、不信ではないのですか。不信のまま念仏しているのではなく、ほんとうに、「弥陀の本願」がたのもしい身になってお念仏されたのですか」と、問うた。

 それは、皆さんへの問いかけでもあって、後日、そのことを味わいをくださる方もあったが、大方は、なんとも思わず、ただ、「よかった」だの、「面白かった」だので終わったようだ。それで、今度の広島支部では、そこをご法話しますと、約束していたのである。

 90分ほどの法話だったが、ほんとにう簡単にだけ触れておくと、だいたいこんなことである。

 ご存じのように、第9章は、「念仏(この場合は他力)を申しているにもかかわらず、(1)歓喜心が疎かであるのはどういうことか、(2)願生心、つまり急ぎ浄土に生まれたいと願えないのはなぜなのか」という、唯円さんが、わが「心」についておこった不審を、聖人に問うところから始まっている。

 それに対する、親鸞聖人の対人的態度が援助的であり、すばらしい。

 まず、自身のことを、親鸞となのり、弟子である唯円を「唯円房」と敬意を込めて呼びかけておられる。しかも、「私にもこの不審がかっては(「つる」は過去形)あったと述べ、唯円房も同じ心もちであったのだなー(最後の「けり」は、気付きがあった時に発する感動や詠嘆の「けり」)と、共感されているのだ。

 そして、そこから、しかしそれは過去のことであったが、いまはこう喜んでおられるという2つの問いに対する応えが展開されていくのだが、その2つの構成は、だいたい同じで、対句的になっている。

 結論だけ書けば、そんな頼りない、不純な、わが煩悩具足の「心」であるにつけても、それをお目当てにと立ち上がられた「他力の悲願」「大悲・大願」は、私のためのものであったと、ますます頼もしく覚え、いよいよ往生は一定(決定)だと、わが「心」を眺め、問題にするではなく、その頼りない心を通じて、ますます弥陀の本願を頼りとして、念仏申されているのである。

 しかし、この章は、サラッと読んだら、自力建立の信を正当化する罠がいろいろとある。まず、冒頭の「念仏申し候へども」の、念仏が、自力なのか、他力なのかで、これは大きく違う。しかも、煩悩具足の凡夫なのだから、「喜びなどなくていいのだよ」などとは、おっしゃっていないにもかかわらず、そう都合よく取りかねない箇所にも見える。

 報恩講の寸劇でも感じたか、あのとき親鸞役を演じた、K先生の言葉は、そんなあてたよりにならない、わが「心」を問題にせずに、その「心」ならばこそという、弥陀の本願、つまり弘誓の仏地の上に心を樹てていく喜びが感じられて、あらためて尊かったのである。

 では、O先生が演じた唯円房はいかがだったのか。親鸞様のお念仏の促しに、そこを握ってはいかなかったか。頼りにならないわが「心」にきっぱりと見切りをつけて、弥陀の本願を「たのむ」身になられたのかどうかを、問いただしたかったわけである。

 つまり、これは、不信なのか、それとも不審なのかは、自力か、他力かの雲泥の差であり、もっとも心してお聞かせに預かるべきところだといっていい。

 さてさて、各々方は、いかがでありましょうか。

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48歳

 2月10日。

 今日が、48歳の誕生日。セルフながら、おめでとう。寅年なので、Img_8030ちょうど年男。ということは、次ぎの寅年は、還暦ですか! もし生きていたですがね。なんかおそろしいわー。昨年は、カトマンズで迎えたけれど、今年は、家族が、かわいく祝ってくれました。

Img_8026_3

 頂き物のボルドーの赤をあけました。シャトー・コート・ド・ロルの2006年。値打ちはわからないけれど、ずいぶん辛口の大人の味。日頃飲むワインよりは、豊潤な高級品だということはわかります。

 子どもたちは、連れ合いと共に、イチゴのショートケーキを作ってくれました。

 う~ん、とってもおいしかったなー。Img_8043

 プレゼントももらって、連れ合いからは、アニエス・ベーの財布。ワンポイトの赤がなんともお洒落。写真ではみれないけれど、小さな赤い星もありますね。何より、柔らかくて感触がいい。カンロは、何かを作りもの作成中。でも、夕方から始めたので、間に合わず、これは明Img_8001_2日になりますね。楽しみだなー。

 なんか年齢を重なるごとに、このところ、ウImg_8033キウキすることが多くなってますね。

 ちょうど、昨夏、仏青の会員さん同志で結婚されたご夫妻から、長女誕生のお知らせメール。おめでとう。誕生日は数日違いだけれど、2月生れですね。きっと美人の仏の子どもになりますよ。名前にも、「華」が入Img_8034っている。うれしいね。おめでとう。

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平日、友引、お通夜前

 連れ合いが口述諮問だったので、子どもを保育園に送ってから、約束していた来客を向かえた。連れ合いの学友のご縁で、興正派の鹿児島教区寺院研修会への出講させてもらうことになり、その要請と打ち合わせだ。真宗カウンセリングの講演と研修だが、興正派とのご縁は、やはりうれしい。伊藤康善先生のことや華光のことも話す機会をもてそうなので、それも楽しみだし、鹿児島の同人方にも、参加してもらえるようなので、こちらもうれしいことだ。

 日程の相談をする。平日で、しかも友引でとのこと。ヘエー、どうして? 週末は、年忌や法事があって、平日というのはわかる。ぼくも週末は法座で完全に詰まっているので、平日は好都合だ。でも、友引などとは思ってもみなかった。友を引いて、たくさん真宗カウンセリングに関心をもってもらえるにこしたことはないがな。もちろん、そんな迷信の理由ではない。真宗は、日の善し悪しを言わないのだ。実は、火葬場が友引を休業日としているので、葬儀が出来ないからだ。いくら浄土真宗で日を選ばないと気張ってみても、火葬場が休みではいかんもしがたい。そして、開始時間は、午後いちだが、交通の都合で、多少の融通が利くといわれだが、「終了時刻は、4時30分で厳守してください」とのこと。そのあとで、懇親会があるからだと思っていたら、そうではない。もしお通夜が入っても、その時間なら間に合うというのである。なーるほどね。葬儀や法事中心の実態がここにもあるわけだ。

 それでも、まだ浄土真宗の寺院は徹底している。たぶん、友引も火葬場が空いているのなら、葬儀をするだろう。因果の道理に外れた、占いやまじない、祈祷、日や時の善し悪しなどをまったく問題にしないからだ。しかし、それ以外の仏教では違うのである。先日も、京都仏教会の会報が送られてきたが、なんと、「京都仏教会」の名前入れの「開運歴」が付録である。方位や方角、それに九曜、六曜などの日時の吉凶、今年の運勢について書かれている。これもまた、今日の仏教の現実なのかと思うと、かなり悲しくなる。真宗以外の寺院がそうである以上、火葬場も休みになるわなー。

 それはともかく、今回の研修会でまた少しで拡がりがあればと願っている。地方の寺院での地域コミニケーションとしての役割やメリットも窺ったが、同時に、過疎化、高齢化という難題も抱えている。なんらかの形で、真宗カウンセリングの理念が、これからの伝道や布教、ご門徒とのかかわりへ何がしかの影響を与えることになればいいのだけどね。

 さてさて、今週は、祝日を挟むので、ぼくは、広島支部と、東京支部と法座が続く。華光会館でも、日曜礼拝(11日・祝)と、聖典講座(14日・日)があるが、13日には、京都支部の聞き方学習会もある。なかなか行事も目白押しだ。

1)2月11日(祝・木)昼1時~5時 広島支部法座

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/02/hirosima2010-2.htm

2)2月11日(祝・木)昼1時30分~5時 日曜礼拝(華光会館)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/02/nitirai2010-2.htm

3)2月13日(土)昼1時~14日(日)夕方4時30分 東京支部法座

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/02/tokyo2010-2.htm

4)2月14日(日)昼1時30分~5時 聖典講座(華光会館)悟朗先生

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2010/details/02/seiten2010-2.htm

5)2月13日(土)昼1時30分~5時 京都支部学習会(華光会館)

http://homepage1.nifty.com/MANU/others/2010-02.pdf

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口述諮問

 今日は、連れ合いの修士論文の口述諮問。物おじしない本番に強いタイプなのだが、けっこうその前は、緊張するようで、今朝も、かなり緊張気味で出かけていった。「親鸞と證空における入信の構造とその表現」という題目で、100枚(4万字)の論文である。雑誌に掲載される学術論文は、だいたい20、30枚程度だと思うので、修士論文はかなりの量が書けるが、下手をするとテーマが散発的、総花的にになるおそれがある。審査する先生も、専門外のテーマもあろうから、なかなかたいへんなことだ。

 ぼくも、ずっと和讃の仕事を抱えていたので、なかなか論文を読めなかったが、昨夜、やっと目を通した。まったく専門外で、たった2年でこれだけまとめるにはなかなかのたんへんなことだったろうと、連れ合いながら感心した。現代の求道問題、獲信へのプロセス、門徒への対応にも言及するので、テーマが散漫になる印象は確かにある。それに前提になるテーマ自体から、突っ込まれる問題点も多いと思ったが、とにかく、親鸞聖人はもちろん、證空上人のものをかなり読まねばならないだけに、たんへんだったと思う。通例として、浄土真宗では、両者の相違点が語られることが多く、證空に対しても他力信心の未徹底として批判的にとらわれることが多い。それは、両者の立場が似通っていることの裏返しでもある。学術論文である以上、後の教学史的(覚如や蓮如、江戸教学)な座標軸による視点を混同して語ることは許されない。しかし、その間に真宗内での受容と批判があったわけで、その視点(心情的にも)が多少の影響を及ぼしかねないだろうから、この点はなかなか難しい。

 しかも、聖覚や隆寛など同門の書物を真宗門徒に紹介し、自ら註釈書も表している聖人だが、同世代で、流罪まで6年間も共に法然上人の門下だった證空上人のものには、まったく触れておられない。また、多くの法然門下の高弟たちが、聖道自力の門を捨てて念仏門に入ったのに対して、證空だけは、その出発から法然の室に入って、法然一筋の生涯を送っている。

 その両者の獲信体験、つまり親鸞聖人の三願転入による獲信と、證空上人の「行門、観門、弘願」という『観経』における他力領解について、その相違点を強調する立場からではなく、両者の一致点や共通点に注目して、現代の私達にも、なんらかの獲信のプロセスを言及できないかという試みである。

 もちろん、両者の『三経』理解にもかなりの隔たりがあるし、親鸞の立ち得た信心獲得の世界と、證空の他力領解の世界は、必ずしも、同じものだとはは軽々にいい難いが、證空が積極的に、その領解への道程を語っているだけに、このあたりの考察は、なかなかユニークだとは思える。課題も多いけれど、逆に言うと、それだけ研究の余地があるともいえる。
 とにかく、お疲れさまでした。

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『おとうと』

 山田洋次の『おとうと』を観る。想像以上によくて泣けた。ただし人が泣くところとは、少しぼくのツボは違うのは、自分でよく分かっているが…。自力整体のお友達にも紹介したら、途中から涙が止まらなかったという。

Ototo

 吉永小百合が、賢くてきれいな(還暦すぎてるのにね)お姉さん役。鶴瓶が、困った弟(哲郎役)。お姉さんは、まさに清く、正しく、美しく…。早くに夫と死別し、ひとり娘の小春(蒼井憂)を立派に育て、ちょっと認知が入りかけている姑の面倒を観ながら、夫の残して小さな薬局を切り盛りしている。いつも頑張り続けているのだが、女手ひとつ、たいへんな苦労があったであろうに、まったく所帯疲れせずに気品があるのは、夢のある映画の中ですから…。まあそれはいいです。

 しかも彼女には、母代わりとして、小さなときから迷惑しかかけないバカ者、困りもの弟がいる。社会の規格に収まらない自由人だ。自由人といえば、聞こえがいいが、まさにフーテンもの、与太者、人生の落伍者だ。でも、寅さんは、他人には迷惑をかけない善人だが、この人は違う。仕事のない大衆演劇で夢みながら、酒に、博打に、ときに詐欺まがいりで金を踏み倒す。それでいて、子どものような童心さをもち、いちびりで、能天気で、五十を過ぎてもフラフラしているのだ。

 こんな人が目立つのは、親戚が集う、冠婚葬祭の席だ。ぼくも仕事柄、葬儀や法事、結婚式などの出席の機会が多いが、非日常の儀式では、なぜかこんな人の行動が浮き立つ。そして、親戚中が眉をひそめるようなKYの行動をとっては、場が凍る場面をしばしば目撃してきた。多少の大小はあるのでが、親戚に一人、二人は、こんなトラブルメーカが必ずいるものだ。でも、みんなの中では、いなかったこととして切り捨ててられている。

 やはり、この弟も、姉の夫の法事でも、酒を飲んで大あばれして音信不通になっていたが、一人娘の披露宴に突然現れて、騒動はおこる。結婚相手は、大学病院勤務のエリート医との玉の輿結婚。先方には、社会的な地位や権威的な人達が集っている。そんな中でおこっ、酒での醜態。

 でもね。この姉だけは、いつまでも成長もしない、学習もしない、それどころかますますはた迷惑な行動ばかりする困ったさんに、最後まで慈愛注いでいく。いたるところで頭をさげ、借金の肩代わりし、尻拭いをしている。

 それには、それなりの深い思いがあるんですね。ネタばれするので言わないけれど、ここでいちばん泣かされた。そんな厄介者、はみだしものが、なぜ、まっとうに生きる夫婦の子どもの名付け親になっているのか。そこには、深い慈愛の心が隠されている。それゆえに、これが単なるお涙頂戴の人情物ではおわらないところだ。いまの日本人が切り捨ている、規格外の困ったさんに、暖かい眼差しが向けられていく。この延長には、大切な場面には、子ども扱いで除け者にされている、ちょっと認知気味の年老いた義母もいたと、知られる。

 今日のぼく達は、お行儀よく、賢く振る舞い、上品に、場の空気を読みながら生きている。その中で、浮いた発言、行動を極力畏れている。ましてや、そんな存在の人は、いなかったものにしたいし、そんな行動はなかったことにしたいのだ。そんな哲郎的ものを排除した結果が、今日の成果や効率だけを求め、他者の失敗を許さず、ユーモアもなく、敗者や弱者にも冷たい、息詰まる社会を作っているといっていいのだ。

 その背景には、自分のどこかでも、自分の中の哲郎的(鶴瓶)をものを排除して、別物として扱っているからではないか。そんなKYを畏れるのも、単に和を見出し、社会からはみ出すことを畏れているだけではない。実は、社会からはみ出した哲郎的ものがもつ、うわべだけのきれいごとを破って、物事の本質を見抜く力をどこかでを畏れている、人間の虚栄の心なの現れなのかもしれないのだ。

 映画は、深いきょうだい愛や慈愛のこころだけでなく、社会制度としても、そんな社会から弾き出された人達に手を差し伸べているNPOの活動にも言及されいる。誰もが、人間として生まれた以上、人間として尊厳ある死を向かえる社会こそ、真に豊かな社会であり、実は、それが私達の(今生での)幸せへの道でもあるのだろうなー。でも、これが難しい。

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本願相応

 仏青研修会での悟朗先生のご法話。

 その冒頭、「仏法はなぜ難しいのか。それは、お経の言葉や用語が難しいというだけではない。私の願い(欲望)と、仏様の願い(本願)、つまり、私が日頃求めてるものと、仏様が私にあげようとおっしゃるものが、あまりにも違いすぎるからです」と。

 私か求めるものはなにか。それは、私の、いまの幸せだ。私の延長に、妻や子どもや家族がある。広げて親戚や親友の幸せも少し考える時ある。でも、あくまで私は、私のことしか考えていない。その徹底ぶりや見事である。しかし、現実は、その私の思い通りにはなることはない。一瞬、ほしい物が手に入り願いがかなった気がするが、次ぎの瞬間には、その手に入ったものが苦しみのタネになっていくのである。だから、毎日、自分の幸せをもとめて、一喜一憂し、押し寄せる悩みや苦しみと格闘しているのである。その不幸の代表的な姿が、「貧・病・争」だ。それが、自分の力でどうにもならない時に、神仏に願って、この「貧・病・争」の解決を求める。「商売繁盛」を願い、「健康で、長生きできまように」「病気が治りますように」と病気平癒を願い、良縁を求め、安産を願い、「家内円満」を祈っていく。それが解決すると、「幸せ」になれると生きているのである。

 つまり、四夫人のたとえではないが、お金(財産)と、体(健康、若さ、長寿)、家族(恋人、連れ合い、子どもだったり)を求めて、必死になって、そのために罪づくりをしていることを知らないのである。

 しかし、仏法は、私の目先の「貧・病・争」の解決をめざしているのではない。そのために必死になって作り上げた罪業を抱えていく、私のいのちそのもの(誤解を招く表現だが、あえて「業魂」とでもいうべき)のお救いを説いてくださる。いわば、火の粉をはらうことではなく、その火の元の解決といっていい。

 仏法を聴くとは、これまで一遍も問題にしたことのない、この私の業魂の発見することだといっていい。逆に言うと、最初から、後生の一大事が問題になっている人など稀だということだ。

 では、それを覗く窓がどこにあるのかというと、実はそれが、私が解決のためにと躍起になっている「貧・病・争」にあるわけ。そこから、私の正体を教えてもらえる。「無明業障の恐ろしい病を抱えた私」に始めて出会うわけである。

 実は、これが話の緒で、このあと、三得(会得、修得、体得)、三ガエル(水にいて、水を欲しがる蛙かな)とか、「機無、円成、回施」などの話に展開していた。いろいろと盛り沢山だったりので、翌日に、ぼくが担当したご法話は、この線を材料しながら、もう少しポイントを絞って深めていった。「私の欲望(新・人生ゲームDX) と、「仏様の願い」について、法義釈の至心釈「機無、円成、回施」でお取り次ぎさせてもらった。信心、信心といっても、それは、「願」よりを生まれて来るのであるから、その仏願、本願のおこころをお聞かせに預からないかぎり、私の闇は破られないのである。まあ、それを次ぎの和讃のおこころでお話したわけだが、そのところに行くまでに、今夜は力尽きた。取り敢えずは、ここまでで。

「無碍光如来の名号と
 かの光明智相とは
 無明長夜の闇を破し
 衆生の志願を満てたまふ」(高僧和讃、曇鸞讃)

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完了!

 午前中、出版社に『三帖和讃』講讃(上)浄土・高僧和讃の第6校目を渡した。

 長かったなー。

 最初に、第1校の作業を始めたのは6月末。盛夏、子ども大会の最中にも作業した。その途中で、2ケ月ほど空白期間もあったが、その後、1段組から2段組へと変更になったり、表組みを変更したり、文字の大きさが変更になったりと、さまざまな編集過程で変更もあり、結局、この寒い時期まで作業がつづいて、特に、12月から2月上旬まで、集中して時間をかけた。

  今回でも細かな点での修正を50ヶ所以上見つけた。正直、見つかったよかったという気持ちと、これまで、何を見ていたのかなーという自己嫌悪もあって、ちょっと疲れた。間違いもあるが、大方が統一や修正の問題である。だから、サッーと読むだけなら問題はないのだ。準拠する聖典(もともとは、最初が明治書院、途中から本願寺出版社の「聖典」、いまは第2版)これだけでも随分違う。それに、漢数字とアラビア数字の使い分け、ルビの使い分け、表現や聖教の統一。たとえば、「うたがひ」とするところを「うたがい」としていたり、「無碍光」を「無礙光」にする。5歳はアラビア数字、三段目は漢数字、『往生要集』3巻はアラビア数字だが、引文の『歎異抄』七通は漢数字と、使い方でも変わるので、一括で変換するわけにはいかない。16年間もの続く講義で、しかも出版を目的にしていないで、その毎回、毎回のところでは統一がとれていても、通算の番号の使い方、和讃の構成の分け方、その番号表記も、その都度、その都度だけのせので、第一テキストなので、多少の加筆して意味を補う部分も多かった。

 まあ、そんなこんなで、甚だ不完全ながら(たとばえ、左訓も「讃阿弥陀仏偈」までの48首で終わるが、そのまま採用)、原則、テキストに沿う形で出版するができた。

 同時に契約もすませて、今月末には完成する運びとなった。仏教書店や大学生協にしか並ばないが、上巻は、2段組の300ページで、2,520円(税込)になる。華光会でも、アマゾンでも購入できるようになる。

上巻が出版されたら、来月からは、1ヶ月半ほどかけて、下巻の作業が始まる。今回は、最初が、かなりの難作業になる。でも、だいたい要領はわかった。準拠する『聖典』も、方針も決まったので、最初からその線ですすめていけばいい。

   午後からは、仏青研修会が始まった。このところの仏青では珍しく、少なめ。顔ぶれも、ちょっと変わってきた。子ども大会組の学生さんも、グッーと若くなって、ぼくより若い世代のお父さん、お母さんのお子さんも出席されている。

  それにしても、寒い。いま、京都は珍しく雪が、うっすら積もっている。

   これから懇親会だが、ちょっと明日の法話のことも考えないとなー。

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節分

 子どもを保育園にお迎え。
 「今日は、節分の豆まきに参加したので、おさがりと、豆をもって帰ってください」といわれた。

 「『鬼は外、福は内』っといいながら、豆まきしてきたんやー」と、尋ねたら、

 「そうやで。ほんでな、明日から春になるんやって」。

 まあ、すぐに春にはなるわけではなが、明日は立春だ。暦の上では、これから春にはいっていく。でも、今夜や冷え込むようだが、徐々に、春の気が立ってくることになる。お迎えの帰りも、少し日が長くなってきて、まだ明るかった。

「すぐには春にはならないけど、だんだん春らしくなってくるんやで」というと、

「そうなんや。じゃ、よんげつ(4月)になったら春やな」。

「そうやな。4月は春やな。そしたら、ナナちゃんも、ピカピカ一年生やなー」

 もうそんな季節になってきたと思うと、ちょっと感慨深い。

Img_8014 子どもがお面も作ってきたので、形だけ豆まきをした。

 怖い鬼がきたが、豆でおいやられて逃げるシーンを自ら演出。下のImg_8015写真は、足早に逃げるシーンだ。

 大人だけで暮らしている忘れがちな年中行事も、子どもが小さいうちは、保育園の行事として教えてもらえる。 

 ブログを始めて4回目の節分。でも、バックナンバーを調べたら、なぜか初登場。昨年はインド、一昨年は沖縄に旅行中で、この時期は留守にしていたようだ。

 夜8時前になって、火曜日に渡した『三帖和讃講讃』上巻の第6校がやってきた。

 出版社社長が、「これはたいへんだったですね」と、おもわず労をねぎらわれた難作業も、これが終われば、やっと校了になる。

 もちろん、上巻だけなので、これからは下巻の作業が一から始まる。ただし、こちらは、組や構成にしても、引用ルールにしても、お互いに要領が分かっているので、校正の段取りも多少は楽になるだろ。その前に、まずは上巻の出版だ。

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『親殺し』

  「あなたは、子どもを殺してはいませんか?」

 「親殺しには、子殺しが先行しているのです」

 という、かなりセンセーショナルなオビのキャッチがついて、タイトルも、『親殺し』 。

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もし、著者が、親鸞思想との関係で発言もする芹沢俊介氏でなければ、手にとることはなかったろうが、中味をみて驚いた。信巻の逆謗摂取釈に長々引用される王舎城の悲劇を、今日の日本で実際に起こり、みんなの記憶にも残っている青少年による親殺しや無差別殺人と結びつけて、「親殺しには、(精神的な)子殺しが先行している」という、著者の持論が展開されていくからである。

 取り上げられる事件は、本来親殺しになったはずが、無差別殺人へと展開した秋葉原事件や、奈良の田原本での医者の家族での事件など、大きな社会問題になった事件がほとんどだ。正直、殺しの手口などの詳細を読むと、猟奇的な殺人(または未遂)もあって、目を背けてくなるものもある。でも、それが猟奇的であればあるほど、親子関係の複雑さによる屈折した心理が現れだと思えてくる。

 当たり前の話だが、子どもの時代は、親子関係(もしくはそれに変わる関係)が、社会関係のすべてであり、絶対的なものである。たとえ成人し、さまざまな人間関係が拡がったとしても、幼児期の親子関係こそが、その人の人格形成に多大な影響を及ぼすことは歪めない。そのときの未消化だったり、不十分だったり、未熟だったり、もしくは本分と逸脱した不適切なものであった場合、その後の人格形成のみならず、(本人が意識しようが、封印しようが)心理的影響、対人関係に大きな影を落とすことになるのである。

 本書では、実際に起こった最近の親殺し(未遂もふくむ)を、親が(精神的に)子ども殺す四つの要因として

 「教育家族」という要因
 「離婚」という要因
 「対人関係」という要因
 「挫折とコンプレックス」という要因

を上げて、事件の詳細な経過と共に、その家庭環境(特に親子関係)を、独自の視点から分析している。多少、強引(こじつけ)と思える分析も(分類)あるが、結局のところ、「親殺しには、子殺しが先行している」という点に収斂されていく。

 ぼくには、教育家族なので、いい子を演じる子が、自分のなにかを殺していくプロセスがなんともせつなかった。結局、殺すべき自分が枯渇したときに起こる悲劇が、自己に向くのか、親(社会)に向くのか。教育家族も、離婚も、対人関係のスキルの未熟さも、どこにでもある話。それが悲劇に向かうのは、「さるべき業縁催さばいかなる振る舞いもすべき」身のおそろしさであろうか。

 最後に、本書では、ウィニコットの「子どもはだれかといっしょにいるとき一人になれる」という命題を引用し  「隣(とな)る人」(菅原哲男氏の造語) を心に持つことで、人は安心して一人(自立した自分自身)となると述べている。

 それを阿闍世の場合での、ギバ大臣の役割に注目している。これはなかなかの卓見で、『涅槃経』では、五逆・法謗・闡提の三病は難治の機で、声聞、縁覚、菩薩では絶対に救われないが、ただ仏のみ救うことができると示している。(これは親鸞聖人にとっても、自身の救いに投影される最重要なテーマで、信巻末の大半は、これに裂かれる)

 親鸞聖人、当面では、弥陀の救済以外に難治の三機は救われないというのであるが、でも、いきなり仏の救済のみが飛出しているのではない。実、そのみ仏への救済の道を開くものこそが、善友の働きであると、ギバ大臣と阿闍世とのかかわりが詳細に述べられるのである。いま、それを略するが、信巻のこの関係を読むと、いまの私達の獲信への契機となんらかわりないことに、感銘させられる。実際、釈尊の阿闍世への働きは、常にそれに先駆けるギバのすすめがあり、それに呼応して、「月愛三昧」で阿闍世の体を救い、それでもまだ躊躇する阿闍世に仏に会う事を促し、無間地獄に落ちと震える阿闍世に応えて、同じ象にのって、釈尊のもとに向かうのであるが、もうすでにこの一方の踏み出しで、勝負があったといっていい。

 そこで、釈尊が語られることは、阿闍世の業魂の救済であると共に、宿命通という神通力をもった聖者のみが語れる、過去に遡り、彼が親殺しをせねばならなっかった父王やイダイケ夫人による子殺しの因縁である。つまり、前世においって(仙人であったとき)に二度、そして子どもと生まれた直後に1度、つまり三度も親に殺された阿闍世の因縁話を説かれるのである。

 確かに、親殺しの前に、子殺しが先攻しているのである。

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冷たい雨

 『和讃』作業がつづく。

 5校目となると、かなり作業にもなれてきたが、いまだに課題がある。普通の書物とは違って、表組み、横組、図表、文字の大小など、いろいろと変化があって、少し動かしただけで、前校まで問題がなかったところまでおかしくなる。行間が狭くなってきたり、横組が少しズレたり、罫線がはみ出したり…。頭が揃っていないところ、句読点が揃っていないところ、これで責了にするには、ちょっと無理なようだ。

 気分転換に、1本だけ映画。1日(1000円の日なので)、大手の映画館へ。山田洋次の『おとうと』を観る。これが泣けた。競爭社会に破れたはみ出しもの、困りもののおとうとへの、母親のような姉の慈愛がすこぶる温かい。

 自転車で出かけのに、劇場を出ると細かな雨になっていた。すぐに帰る予定だったが、雨宿りをかねて、カフェでランチをすることにした。京都三条にあるパーク・カフェに入る。だいImg_8005たい、MOVIXのときは、ここかコチ・カフェにする。ここのワンプレートのパスタはなかなかいける。アフターに飲むillyのコーヒーも好みだ。珍しく他に客もなかったので、本を読んだり、日記を書いたりしたけれど、雨はやみそうにない。それどころか、逆に強くふっている。今日の和讃のノルマもあるので、雨中を自転車で走ることにした。天気予報で、あらかじめレイコートの用意はしていたが、雪国なら雪になっているだろう。ずいぶん、冷たい、大粒の雨が叩きつけて、すっかり手足は冷えきった。モタモタ走ると30分ほどかかるので、自転車を急がす。五条通りで信号待ち。青信号に変わり即横断。すると止まっている車の横から、猛スピードで車が飛び出してきて、ぼくの目の前を横切った。完全な信号無視だ。レイコートで視界が悪かったので、かなり驚いた。こんなときは、しばらくしてからドキドキしてくる。これまででも、いちばん危なかったかったかしれない。事故に遭うにしても、命を落とすときも、ほんの紙一重。こっちの都合なんてお構いなしだと思うと、ゾッーとする。でも、すぐにまた忘れて能天気に暮らしだけだ。

 でも、不思議と、寒かったり、怖かったりしたわりに心までは寒くない。

  仕事も捗って、この調子なら、約束通り、明日の昼には渡せそうだ。

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