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祥月命日のお参り

 華光会館には、世間のお寺のような檀家制度はない。

 ただ1軒だけ、年1度だけ祥月命日にお参りするお家がある。そう、今日は、年に一度、たった一度の月忌参りだ。でも、なかなか次ぎの一歩のご縁が結べない。子供の時は、ここに書道も習いにこられていた。『親指のふし』や『仏敵』を勧めてみても、難しいようだ。やはり、亡くなった方(仏さん)の供養のためでしかないのだ。

 それでも、今年は、一緒に声に出して読経してもらえた。特に、子どもさんは大きな声でついてきてくれるので、少しゆっくりとあげた。最後に、「足が痛い、痛い。お母さんは、何ページ目で足がしびれた?」と、かわいく言っていた。「一緒に、お念仏申しましょう」と、声にだしての称名も勧めるが、こちらは、どういうわけか声が小さくなる。

 お断りしてしまうのは簡単だが、せっかくご因縁がついたのだから、何かが伝えられないかと考えているが、世間話をし、ちょっとお味わいを語り、明日の報恩講をお勧めるぐらいだ。1年に、1、2度の短時間では無理なのもわかる。でも、世間のお寺さんでは当たり前のことでも、聞法の焦点が定まった(実は定まってない人も多いが)、ある種の聞法エリート集団(皮肉ではない)の華光にあって、このようなごく普通の儀礼中心、供養中心の信仰をされている人と接する機会は、ぼくには貴重でもある。いろいろと教えられるからだ。

 明日は、いよいろ報恩講法要だ。

 正直、歯がないので、少し話づらくて不自由ではあるが、まあ、おおむね楽しみかなー。今日は、昼、夜と、掃除に、準備。すでに、前泊者もある。月忌参り以外は、会議や提出用の書類づくりと、会議と進行の打ち合わせに時間を費やしたが、まだ少し残った。でも、いまから、本格的に法話の検討に入る。テーマはぼんやりとはある。

 ではお気をつけておでかけください。

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コメント

報恩講さまのご縁、ほんとうにありがとうございました。すごくしあわせです!(かりもん先生はじめ、諸先生、お世話さま方、そして仏法相談の空間をともにさせていただいた多くのお同行さま方、横着ながらこの場をお借りして、ありがとうございましたと御礼もうしあげます)

>それでも、今年は、一緒に声に出して読経してもらえた。特に、子どもさんは大きな声でついてきてくれるので、少しゆっくりとあげた。最後に、「足が痛い、痛い。お母さんは、何ページ目で足がしびれた?」と、かわいく言っていた。

わー、情景が目に見えるようです。
なんか、生活感覚を共有していただけたような嬉しさに、ビリビリします
またいろいろとお話したいですねー

投稿: | 2010年1月12日 (火) 22:21

すみません、上の投稿は私です。

投稿: Moz | 2010年1月12日 (火) 22:22

「報恩講」のご縁、ありがとうございました。
分級の最後の最後でまたしてもやらかしてしまい
ちょっと落ち込んだ結果となりましたが、まぁ
生地がそのまま出ただけの事。クヨクヨするのは
やめときます(笑)
帰りに挨拶出来なかったので、この場を借りて
お礼をと思いまして・・・。
本当にありがとうございました。

投稿: 蓮華 | 2010年1月12日 (火) 23:04

Mozさん、こちらこそありがとうございました。吉兵衛さんのご法話、とても面白かったですね。このかたの法脈は、最近まで堺に活きていたはずで、昔、華光にもその流れをくんでおられたお同行さんがおられました。ぼくの法話とも(聞いておられなかったのに)呼応するところがあったと感想を述べてくださるかたもありました。

蓮華さん、どうもどうも。そうなですか。なんとなく、他のブログで、最後の様子を読んでいましたが…。いろいろな経験を積ませてもらえますよね。
 ところで、閉会式前から、1時間ほど、老婆の生活上相談を受けていたので、皆さんとはお別れでできませんでした。申し訳ない。それにしても「551」おいしですね。
 拙ブログにも、ちょくちょくコメントくださいね。

投稿: かりもん | 2010年1月13日 (水) 00:31

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