戸惑いの「修正会」
1月1日。 新年は、修正会法座で始まる。
「修正会」って何に?という質問がよくでるので、重複することは、以下の一昨年の記事をご覧いただくことにしましょう。(昨年と同じパターン)
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_4788.html
いわば、1月1日から「仕事」があるわけですから、一般の方とは違うお正月なのかもしれませんね。梵鐘がないので、除夜会がない分、伝統的な寺院よりは楽かもしれません。しかも早朝ではなく、午後から始まる点が、かなり違います。おかけで、自坊の元旦会をすませてから、こちらにお参りくださる先生もおられます。
大晦日は、少し夜更かししたので、少し遅めに起きて、「修正会」の準備。京都在住の一人暮らしの仏青の諸氏にもお手伝い。今年は、男女3名で簡単な準備をしたあとで、一階の家族と一緒にお屠蘇でお祝いした。すぐに行事があるので、ゆっくり飲むわけにもいかず、どこかあわただしくおせち料理をいただくのも、例年、同様。今年は、 名古屋の義兄の作の「フォアグラ入れミートパイ」と、「ローストビーフ」が、なかなか絶品でおいしかったなー。
で、元旦から少し遅れてスタート。思いのほかお参りが少なくて、拍子抜け。準備したお菓子が半分ぐらいは残った。寒かったので、雪になった地域もあったのか、北陸方面からは参加はなし。それでも、東京(常連)、広島(常連、年末から3連ちゃん)、名古屋(やや常連)と、遠方意外は、京都や滋賀、大阪の同人が中心。年配の方がすくなくなったのと、名古屋方面の方も、顔ぶれ変りましたね。あとは、雪のせいもあってか、やたら遅刻が多かった。中には、終了45分前に来た人もあったほど。
まあ、あとは例年どおりで、昨年も、一昨年も、少々の違いはあっても、同じパターン(法話も似通ってくる)になるところなんだけれど、ちょっと今年は、その意味で予定外の連発。刺激的というより、プチトラブル連続で、戸惑うばかり。
年末に「新しい朱蝋燭は3本あります」と報告があったので購入しなかった蝋燭が見当たらず、アタフタ。結局、いつもの蝋燭で臨んだ。こんなことは始めてかもー。
しかも例年書いてある式次第も、今年は書いてない。昨夜、父に、確認した時には、もう仕事が終わったと言ってたはずなのにと、ここでも慌てる。ただし、二点とも、みんなにはわからないので口頭で説明して、15分遅れでスタート。
例年同様、新年だけはぼくが打つ、行事鐘を終えても、なぜか勤行が始まらない。外から、「終わりましたよ」と合図しても、始まらない。「どうして?」と、脇の席に着座しにいくと、調声(ちょうしょう・導師のようなもの)のはずの父が、ぼくの席に着座していて、「あんたにまかせるわ」。「エー! 打ち合わせとちがうやん。それなら行事鐘打たないよ」と、戸惑いながらも、仕方がない。「段取り違いすぎ」を思いつつ、仕切り直して、正信偈(草譜)と、「現世利益和讃」をゆっくりと皆さんで唱和し、「聖人一流章」を拝読。やっぱり、年頭に皆さんと、勤行するのはいいですね。特に、大声であげる「和讃」は、年々深くしみ入ってきます。まあまあ、ここまでは、聴衆の皆さんにはわからない戸惑い。
ここで振り向くと、ボチボチのお参り(それでも例年の半数かな)。今日は、司会役も兼ねているので、ご講師の紹介。さあ、新年最初のご法話を拝聴しようすると、たった一言。
「おめでとうございます。
『元旦(門松)や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり、めだたくもなし』という、一休さんのお歌でありますが、皆様はどう味わわれますか。今日は、座談形式でこの歌の味わいを、皆様からお聞きするのを法話を代わりにさせていただくきますので、ご法話はこれにて終わらせてもらいます。」
みんな冗談と思って、(笑うところだと)笑っていたら、もう一度、同じ句を読まれて、「終わります」の言葉。えー、みんな、新年早々、肩すかしを食ったように、「本気てすか、先生ー」という、戸惑いの声も。でも、冗談でも、お笑いでもないことがわかり、わずか2分足らずで、新年最初の法話は、あっけなく終わってしまったのでした。
すぐに、母が、ぽくのところに飛んできて、「あんた代わりに法話出来るか」と。このところ味わっている「現世利益和讃」の分なら、すぐにでも出来るのだが、まあ、それもちょっとおかしな話。記念撮影をして、みんなでのろのろと丸くなって、この句を自由に味わうことになった。
まあ、お味わいはそれぞれにおまかせしましょう。信心獲得の身になれば、「めでたくもあり、めでたくもあり」になるわけですが、自性は、一向に、安養の浄土は恋しからずで、死にたくはないのですからね。
少ない人数とはいえ、車座で自由に話し合うにはちょっと多い人数だったこともあり、まとめる様子もなかったので、適当に切り上げて、一言、抱負や味わいを回すことに。これがけっこう有り難かったり、おもしろかったり、それぞれ聞かせてもらいました。やっぱり、皆さんの声を聞かせてもらうことは、いいですね。
ただ、ぼくはみんなの話を聞きながら、前の句や皆さんの味わいを考えていました。
いまや完全にボーダレスの時代ですからね。誰も、晴れ着でおまりなんかしていない。御馳走も、年中食べている。むしろ、子どもにはおせちなんて地味なくらい。大型店も普段とかわらず営業し、ただ年月が勝手に変わっただけで、こんな区切りなど意味がないと感じている人達が増えてきているわけです。つまりは、「ハレ」と「ケ」の区別がどんどん薄れ、特に、戦後生れの世代ほど、正月のもつ「ハレ」や「聖」なる特別感は希薄になっていて、誰もが、「別にめでたくない」という時代になっています。だから、形式的に「おめでとう」というけれど、何か「めでたい」のやらがわからない。でも、少なくても、昭和30年代以前の社会では、少し違ったはず。ひとりひとりの意識が、お正月は特別な「ハレ」の日で、「聖」なる行事でもあったわけでしょう。まあ、これは結婚式でも同じだし、いまや葬式まで、直葬になり、商業化され、「聖」ではなくなりつつある。もし唯一残るボーダがあるとすると、そんな認識が異なる世代間でしょうか。70歳以上の方のお寺とのかかわりと、50代以下の方の意識とは、ハッキリと違いがあるのを、皆さん感じてますから。
それはともかく、近代以前の日本の社会では、いま以上に、正月やお盆のもつ意味は、単なる休暇ではなく、みんなが共有していた「ハレ」の日、「聖」なる日だったはず。そんなときに、髑髏(しゃりこうべ)を竹の先につけ、家々の門口をまわって、「ご用心、ご用心」と触れまったというわけですからね。
事実は、どれだけ時代が変わり、みんなの意識が変化しても、我が身の無常迅速の事実は色あせず、後生に一大事があることも、正月も、平生も、まったく変わらないものね。まさに、「後生の一大事、いのちのあらんかぎり、油断あるまじき事」。でも、私は、正月も、普段も、麻痺してわすれ放し。まさに「おめでたく」生きております。
いろいろな意味で、そんなことを痛感させられる修正会法座でありました。
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コメント
G先生のめでたくもありめでたくもなしのお姿を受けて。
有難くもあり、有難くもなし。
そういうお前の後生はいいのか?と突きつけられます。
投稿: どんべえ | 2010年1月 4日 (月) 10:10
>戦後生れの世代ほど、正月のもつ「ハレ」や「聖」なる特別感は希薄になっていて、誰もが、「別にめでたくない」という時代になっています。だから、形式的に「おめでとう」というけれど、何か「めでたい」のやらがわからない。
本当だ!思い出してみると、私の地域では、昭和40年代までは「ハレ」の雰囲気がありました。雪もたくさん降って独特の雰囲気、まだ火鉢を使って暖を取っていました。かりもん先生のコメントを読むまでそのことを忘れ果てていました。お粗末きわまりないアタマですねーーホント目先のことだけやなぁ
投稿: Moz | 2010年1月 4日 (月) 22:42
どんべえさん、おめでとうごさいます。
まあ、先生のご自身は、完全に「めでたくもあり、めでたくもあり」の尊いご心境なのかもしれませんが、まだまだ周りのものが、それでは困ると思っているのでしょうが。
Mozさん、今年もよろしくお願いします。
ぼくが子どもの時でも、まだ元旦に起きたら、新しい服が用意されてましたね。日頃は、破れたところを縫い、膝や肘を補修した古着を、みんな着てました。おせち料理だって、うれしくして、うれしてくたまらなかった。三が日は完全に商店は休業。旗を立てた初荷の車が走り、初ウリまでに開く店はなかった。正月を、何日も前からずーっと心待ちにしていたのを覚えてます。ところが今ではね、これは単に大人になったからだけじゃないんでしょうね。
投稿: かりもん | 2010年1月 5日 (火) 00:09