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日曜日の輪読法座

 日曜日の輪読法座。

 いつもとちょっと顔ぶれが異なる。不参加の方もあったが、久しぶりや珍しい方もあって、24名の参加。遠方組が多くて、福岡からも布教所に出講中の先生、広島組、福井組に、今回は東海支部からの参加が多くて、主に東海の人が中心になって展開していった。

 華光誌巻頭言「仏様に向き合え」を読む。ほんとうは、もっと進んでもよかったが、このテーマだけで話し合う。ここを基に、それぞれの味わいや心境を聞きあった。

 要は、仏様の前に立って聞けということなのだか、実は、私ではなく、先手をかけた仏様が、私の前に立ちつくして聞いてくださっていただけのことである。

 その仏様、尽十方無碍光如来なのである。

 私は、障害や碍りだらけで、尽十方の碍りなきお光りを、そのボロボロの自分の中におさめようとやっきになっている。でも、そのボロボロの私の隙間のあちこちから、光明が漏れ始めている。その無碍光のお光りは、ついに、私自身の自力の闇を木っ端みじんにブチ破って飛び出してくださるのだ。

 そんなイメージがアリアリと浮かんできた。

 詳しく書きたいが、今夜はまだ「和讃」校正の仕事がある。

 急いでいるのである。

 今日の分に課したノルマだけは達成しておくと、明日以降が楽だ。

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コメント

かりもん先生、本日は有難うございました。
先生が「阿弥陀仏の別名をご存知ですか?」と尋ねられた時、「正信偈や六首引和讃を拝読していれば、二十近くは出てきます」と言わなくて良かったと思います。
知った覚えた、ではなく、あくまで阿弥陀仏と私の問題なのですね。
最近、親鸞会の講師のブログに「自力とは真実に対する誤解だ」と書かれていたので「阿弥陀仏の本願を理解して救われるのではありません」とコメントしたのですが、
いざ自分の問題になると、どうしても頭で理解しようとしてしまいます。

投稿: 淀川コナン | 2010年2月 1日 (月) 00:13

 淀川コナンさん、ようこそ。
 これまでの経験や蓄積がありますからね。なかなか直道とはいかないのは当然ですが、けっして、〇〇会や△△会や、◆◆寺が救ってくれるんじゃないですよね。結局、この私が、弥陀の本願まこと、「南無阿弥陀仏」と頷かせてもらうしかないけわですから。

投稿: かりもん | 2010年2月 1日 (月) 21:38

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