『沈黙を破る』
『台湾人生』に触れる前に、イスラエルの戦争問題を取り上げた映画をもう1本。 『沈黙を破る』だ。
7月に観たのだが、下書きになったまま残っていた。この『沈黙を破る』も、戦争行為に加担したイスラエル兵士たちの、人間としての声を取り上げた作品だ。20数年に渡って「パレスチナ・イスラエル」を取材しつづけている、日本人監督によるドキュメンタリー。どうも、ぼくたちはイスラエルと聞くだけで、その強硬な姿勢から、ステレオタイプの一元的にしかとらえられない。それはイスラムと聞いたイメージでも同じで、過激な排他的なイメージが先攻してしまうが、実はそうではない。
実際は、イスラエルにも、左派もいれば、右派もいる。強硬派もいれば、強固な和平派もいるわけである。これは、イスラエル兵として、実際に占領にかかわった元軍人が、占領という不当な行為を実際に経験し、その不法性を声も出して訴えだしたものである。人間的な良心を回復した元将校や軍人たちが、自らの体験した占領という武力=暴力による支配が続く限り、被支配者は当然のことながら、実際に現場で支配する側の兵士たちも(二十歳前後の、ごく普通の青年である)、自らの人間性を破壊し、傷つき、苦悩せねばならないのである。
つまり、パレスチナ対イスラエルという個別で、特別な問題だけでなく、「暴力(軍事力)による占領という構造的な暴力」の構図が、いかに人間性の上に-弾圧側にも、支配者側の人々にも-悲劇しかもたらさないかを、イスラエルの元将兵や軍人たちの肉声を通し、またはその地域に暮らす人々の生活を通して、人間の普遍的なテーマとして重層的に描き出している。
占領地で活動していたイスラエルの元兵士や将校たちが、思考を停止せず、立ち止まり、自らの姿を鏡に映し出し、軍隊組織や戦争が、いかに非人間的行為であるかを体験的に語ろうという小さな運動に焦点を当てているわけだ。彼らの話は、現場を知るだけに、単なる理想論ではない。被害者であるパレスチナ人だけでなく、実は、いまの加害行為を止めないかぎり、イスラエルの兵士も、その国やその民自身が傷つていていくのだという内部告白が、小さいながらも起こっているのだ。かすかな希望は、そんな勇気ある自身の告白から始まるかもしれない。彼らの人間の尊厳を回復しようとする動きは、『戦場のワルツ』にリンクする内容だといっていい。
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コメント
遅くなりましたが、華光大会様では御世話になりました。
ここでの主題とは離れますが、イスラームについてのステレオタイプな偏見のお話に触発されて毎度のことながら遅いコメント失礼します。
といいますのも最近、井筒俊彦先生の『イスラーム思想史』(中公文庫)、H・コルバン先生の『イスラーム哲学史』(岩波書店)を読了したばかりですので。
井筒先生は言わずと知れた日本最後の?碩学とも言うべき大学者で、佛教(特に、唯識・如来蔵系)にも精通された御方です。イスラーム教学(イスラームにおける「哲学」と「神学」との関係は、西洋ともインドともまた事情が異なり非常にややこしいようですので、ここではこう総称します)とインド哲学(佛教の「説一切有部」やジャイナ教、正統六派の「ヴァイシェーシカ学派」)との影響関係については、中村元先生の『 インドとギリシャの思想交流』(春秋社)はじめ色々考察されたきましたが、井筒先生は、スーフィーを通じた、「サーンキヤ学派」や「ヴェーダンタ学派」との影響関係についても言及なさっていて頷かされます。両学派とも、佛教系の「唯識思想」や「如来蔵思想」との相互影響が強いとされる学派です。
宮元啓一先生が『インド哲学七つの難問』(講談社)の中でも書かれておりますが、近年でも、印哲専門でも佛教系の僧籍を御持ちの先生方の中には、未だ井上円了先生時代の「外道哲学」の認識のままの先生もおられるようです。外教についても、なるべく偏見を排して接したいと思いますが、自分のこととなるとなかなか難しいです。そういうわけで、現在、藤永伸先生の『ジャイナ教の一切知者論』(平楽寺書店)と、三友健容先生の『アビダルマディーパの研究』(平楽寺書店を拝読している最中です。前者については、菩薩思想の起源とジャイナとの関係(菩薩思想はジャイナと共通の部分もありますが、細かい所では佛教との相違点もあり興味深いです)とか、佛教との関係などの歴史的な部分も興味をそそられます。全く根拠の無い私見ですが、御釈迦様の無師独悟前の御師匠様のウドゥラカ・ラーマプトラは、ジャイナ教の御祖師(開祖または、中興の祖とも)のマハーヴィーラ(ヴァルダマーナ)の御師匠様とは法兄ではないかと推察しています。マハーヴィーラは、『観無量寿経』でもおなじみのビンビサーラ王とは親戚だったみたいですね。
後者は、最近、日本印度佛教学会鈴木学術財団特別賞を受賞された御著書です。日本佛教の伝統では「倶舎」系統に偏っている有部のオーソドキシーを学ぶうえでは、大変勉強になると思いますが、非常に難解で難儀しております。著者の三友先生は、アビダルマが御専門の立正大学の先生(おそらく日蓮宗の御僧侶)ですが、日蓮系と親鸞系双方のカルト(笑)ではおなじみの『無量義経』中国撰述説を論駁されてインド撰述説を唱える論文を書かれているのでも有名です。
木村盛世氏『厚労省と新型インフルエンザ』(講談社) 最後になりますが(本当はこれが言いたかったのですが)、組織というもの持つ怖さ、佛教で言う共業、何より私自身の日夜つくり通しの罪悪について深く考えさせられる本です。身近な問題であり廉価ですので皆様に御勧めいたします。
長々と失礼致しました。報恩講様も御参りさせていただきたいと思います。宜しくお願い致します。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
投稿: 縄文ボーイ | 2009年12月27日 (日) 12:33
最後に、縄文ボーイ・ワールドを、お聞かせに預かりました。ありがとう。
『厚労省と新型インフルエンザ』おもしろそうですね。さっそく読んでみます。
投稿: かりもん | 2009年12月28日 (月) 00:28