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2009年12月の17件の記事

大晦日

 いま日付がかわったところだけれど、さっきまでバタバタとした大晦日の1日。

Img_7843  昨日から和讃の校正を再開し、やっと浄土和讃の3校までを終えて今年は終了。新年は2日から、高僧和讃に入ります。お昼は、年越しソバならぬ、年越しうどんを軽く食べて、お店の支払いに回る。ついでに、子どもと少し出で公園で遊ぶ。それにしても、寒ーい。雪もチラチラ。近所の公園だけれども、椿がきれい。

 早々に戻って、例年のごとく、風呂やトイレなどの水回りの掃除、あとは駐車場や玄関の落ち葉もきれいにひろって、ついさっきまで勉強部屋の掃除ですね。連れ合いは、論文に必死の様子。年明け数日で〆切。この気持ちはわからなくもないですがね。事務所で、ムラ君にも手伝ってもらって、最終稿の作業中。リビングや台所は、大掃除どころか、普通掃除も滞っていて、うーん、ふ・く・ざ・つ。それを見るとね…。大晦日でも、元旦でも、わが心根は、なんにもかわりませんわー。

 夜には、名古屋から姉の一家も合流。子どもたちは、遊んでもらって、ぼくも掃除が捗った。そして、二人は生まれて初めて12時まで起きていて、新年を向かえてたところで、すぐダウン(1分で熟睡)。

 皆様、2009年も、いろいろとお世話になりました。

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大掃除

 年末恒例の大掃除。

 事務所は、一足早く年末年始の休みに入ったけれど、今年は、並行して、急遽、ボンプ工事もあってなかなかたいへん。掃除の間、水が出ないで(もちろん事前に対策していた)いろいろと不便もかけたが、どうにか終了した。朝から暗くなるまで頑張ってくれた人もあった。

 昔の華光会館にあったお盆の衛生掃除のように、「道場の畳をすべて上げて、タンスや家具も全部動かして…」というような超たいへんなたぐいではない。それでも、日頃手の届かない外回りや高いところ、こまごましたことを掃除してもらう。今年も、京都や大阪に住む仏青の有志がお手伝い。仏青の有志の皆さんだけれども、だいたいこういう仕事をお願できる人は、決まってきている。どうやらお手伝いに向き不向きがあるようだ。それでも、昨年からはちょっと顔ぶれが変った。今年からご縁のできた人もいる。ネコちゃん、すなこさん、M君、そしてS君ありがとう。だいだいこのあたりは、わりと新人。そこに加えて、F君も、毎年、毎年、いつもありがとう。ご近所とはいえ、もう十年数年以上になるよね。そして、ムラ君に、前日、窓磨きをしてくれたT君、ありがとう。みんな、「プログ見てますよ」とのことだったので、ここでも御礼申します。

 もしバイトや嘱託を雇うなら、かなりの支出になるところ。宿泊行事の前日だけでなく、こんなところでも若い人たちのおかげがあって、華光会館は支えられているんです。ボンプじゃないけれど、これも目には見えないところでのおかげなんでしょうね。ご苦労さまでした。

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ポンプシステムの交換

  10日ほど前から、水道の出方がおかしくなった。最初は、ザッーと出るが、すぐにチョロチョロとなり、停まったり、弱い勢いになってしまう。最初は、寒くなったので、お湯の出が悪いのかなと思っていたが、水でも同じこと。2~3分その状態が続くと、あとは全開した蛇口から勢いよく水がでるようになる。2、3日そんなことが続いていると、3階では、ほとんど水がでなかったり、空気のせいで、ボコッ、ボコッ、ボコッとすごい音がして、ときには赤茶けた水もでるというだ。どこかで水漏れでもしていたら、たいへんなので目視したり、貯水タンクを調べたが、水道メーターにも異常はない。すぐに業者に連絡して点検してもらったところ、地下室にある貯水槽の水をくみ上げる、ポンプシステム自体の異常が見つかった。修理ではなく、交換せねばならないというのだ。いや、臨時の出費だ。まったく素人ではわからないので、華光同人の設計・管理の先生に交渉をお願いして、中間業者を入れないで、直接、工事をお願いすることにした。うーん、やはり、15年近くになると、あちらこちらで、修理や交換の連続だ。昨日の輪読法座でも、「水が出ません」と言いにに来てくださる方があった。たくさん人が集うと、ますます困ることになる。元旦の修正会や報恩講に間に合うようにと、早急に修理を依頼した。

Img_7828  ポンプを丸ごと変えるのだから、簡単にいくかと思ったが、そうはいかない。結局、4名で、早朝から夕方までかかって、ボンプの交換は終わった。でも、そこにつながるバルブも故障しているそうで、そこは部品が揃う翌日まわしとなった。そして、今日の工事で、どうにか昼過ぎには終了した。おかげで、水もうまくでるようになって、大きな行事にはどうにか間に合った。Img_7829

 と思ったが、水圧に異常はないが、新品になってもまだおかしいというのだ。1号機、2号機が交互運転しているのに、その1号機の動きが悪いのだ。ボンブやバルブだけでなく、地中に埋まっているパイプ自体にも異常が起こっている可能性がある。別の箇所の検査の必要になった。とりあえず、これは新年1月になってからで、万が一、異常があれば、コンクリートを掘り返すことはできないので、別ルートでのパイプを接続することになる。こうなれば、土木工事も必要になって経費がさらにかさむ。なるべくそうならないで済むことを願うばかりだが、管理・設計の先生の話では、検査してみないとわImg_7830 からないそうだ。

 それにしても、水の恩恵はすごいね。この2日間、水回りの工事は、水が止まるのでかなり不便だったけれども、逆に言うと、当たり前のように水を浪費しているのだ。実は、家の水道一つでも、たんへんなものがつながっている。目に見えないところに、縦横に命のもとがつながっているのである。

上の写真をみて、「あ、システム変りましたね」と、気付く方はどれだけおられますか。たぶん、限りなく0%近いと思いますよ(世話人の数名はおられるでしょうが)。以前は、焦げ茶のカバーでした。この手前側のパイプが不調で、再検査。ヤレヤレだなー。

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今年最後の法座(?)

 輪読法座。諸般の都合で、年末の押し迫った今日になった。こんな日にしてお参りされる方あるのかなーと心配していたら、なんのことはない。日曜日ということもあって、輪読法座が始まって以来のお参り(といっても、25名だったが)。東京や広島から、また愛知県からもお参りくださった。

 「今年最後の法座です」と、ぼくも、みんなも言っていた。でも、誰も、(今年ではなく)「これが最後の法座だ」という思いなどはサラサラない。正月も、無事にやってくると信じきっているから、年末の慌ただしさを愚痴っている。ぼくなど、もう1年先、来年の12月の予定まで決まっている。結局、無常と聞いても、口先だけ、頭の中、話の中だけのことだ。罪悪と聞いても、また仏様のご苦労といっても、同様。いくら話は出来ても、身のところは、能天気にしか生きていない。そうすると、今度は、なんとか実感が伴うようにと無駄な努力をしり、また開き治ったり、無視したりするのが、凡夫の轉倒した求道だ。そうではなくて、そのボケたわが身の事実(迷っている、無明の姿)を通じて、阿弥陀様のご苦労、お心を聞かせていただく道が、浄土真宗ではないのだろうか。

 でも、このほんの何ミリかの違いが、自力と他力の天地ほどの大違いである。そんなことは「分かっている」といわないで、そう聞かせてもらっていく。すると、必ず届く、南無阿弥陀仏に出会うのだ。

 本文中にあった、自分から救われたいと歩みだす、釈尊の当時の仏教や上座部仏教、それに対して、多くの日本に入った大乗仏教のように、自分が救われいという思いを持って歩み出しながら、どこかでその中間にでも、仏様に出会っていく教えもある。
 しかし、浄土真宗では、「救われたいと思いをもって歩み出すということがない」というのである。その「自分から歩みことがない」という部分に、引っかかって、質問してくださった、初参加者がおられた。

 一見、そうは言われても、求道心(もしくは願生心というか、菩提心といのうか)は、浅いながらも、今日も自分で救われたいと思ってお参りに来ているのではないか。これも仏様のお働きと聞かせてもらうわないといけないのか、という趣旨だった。正直に、心境を語ってくださるのは、有り難い。ここを飾ってもしかたないものね。そのおかげで、その薄い願いをお育てによって、真剣に、強くしてもらうことを目的にされている、方角の違う方の発言も引き出されていった。

 ここでお聞かせに預かる直道は、虚仮不実の私が、もっと熱心になったり、真剣になる方向ではなくて、まったくその真逆だ。虚仮不実のありのままの私を、真実のかけらも、熱心の微塵もないことを、そのまま教えていただくしかないのである。でも、それでは、聞く心もないのだから、いつまでも真剣にならず、聞けないのではないかと不安が強くなる。それで、少しでもましになろうと、わが心をたよりにする方向に力を入れていかれるのである。しかしである。実は、そのみかけの熱心さこそが、弥陀の本願を妨げている、自力のはからいそのものなのではないか。本願のこころを横において、まったく当てにならない、わが心をあてにし、たよりしていこうとするのだもの。そして、いつかはお育てによって、求道心も育ち、お救い預かるのだと、自分の聞法姿勢を肯定する部分を都合よくつかんでいるのだ。

 そうではない。阿弥陀様のお救いは、私の思いや心境とは、まったく関係のない、私の出来-不出来、喜ぶも、謗ることも関係なく、熱心さも、不燃心も問題にされずに、ただ一方的に成就され、その地獄一定の私をめがけて、大きな、大きな願いをかけ続けておられるのである。そのご本願のおこころを、いま、直ちにお聞かせに預かるしかないのだ。

 重ねていうが、願生心も、菩提心、度衆生心も、煩悩具足で、虚仮不実の私の力では、まったく生まれるはずがない。もし私にあるように思うのなら、それはみかせけの、自分中心の欲得の心から起こっているのにすぎない。それは日常の自分をみればわかる。どんなきれいごと言っても、自分のことしか考えず、自分中心の生き方しかしていないもの。どうして、常に自分のことをさしおいて、他人のために、または生きとし生きるもののことを考える生活など、私は微塵もしていないではないか。いつも、自分のことばかりである。

 でも、そんな我執一杯のわたしが、なぜ、嫌な嫌な仏法を聞こうというのか。そして、まったく私にはない、自利利他円満した「南無阿弥陀仏」を称えることができるのか。そこには、まったく私の力ではなく、すべて、すべてを回向しようという、阿弥陀様のやるせないお働き、力強い増上縁のなせる業なのである。

 そのおこころをお聞かせに預かったならば、その勿体なさ、尊さに、絶対に出るはずのない「南無阿弥陀仏」が、この口を通して、響流十方と響き渡るのだから、不思議というしかないのだ。

 こうしてお念仏を喜ぶ身になって事実が、まったくもって不思議で、有り難いことなのだ。

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69巻1号の発送

 今日は、華光誌の発送である。

 夕方には作業が終わって、随時、業者が集配にくる。

 今回のお手伝いは、女子大生から84歳の方まで、年齢差60歳での作業になった。中には、昔、華光会館に下宿されていた方も、久しぶりに発送のお手伝をしてくださった。

 昔の華光誌作業の話がでた。そう、印刷や製本作業まで、ここで自家製作していたのだ。1階で、先生や仏青の方が、タイプライター(その前は、鉄筆で書いたもの)を打ち、華光にあったオフセット印刷(これがなかなかきれいにできない)して、完成したものが、道場に運ばれて、それをみんなで折り込(もちろん手作業)んでいく。子どものぼくなども、頁をひろいや確認作業を手伝った。ほとんど役に立っていなかっただろう。時には、徹夜での作業になったようだ。最後は、表紙を糊付けし、唯一、裁断だけは、近所の業者に持っていった。部数がすくなっかったとはいえ、いまでは、そんな手間なことは、絶対にできない。人出が集まらないし、ボテンティアとはいえ、人件費だけでも、高くつくだろう。

 それでも、いまは版下まではここで作業している。それを全部、外注すると、少々費用がかかり過ぎるからだ。お手伝いをお願いする発送作業は、3時間足らずで完了した。

 お手許には、月曜日以降になるだろうが、お楽しみに。

 ところで、明日(27日[日]・昼1時30分~5時)は、華光会館での「華光誌・輪読法座」がある。でも、新年号ではなく、68巻4号の誌上法話の2回目。今年の最後のご法座だ。

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充実した1年

 年末を実感した1日。次々と用事があって、慌ただしい。ある意味、「忙しい」1日、そして多忙な1年を象徴していた。今後は、ますますそうなるだろう。でも、この1年は、努めて、「忙しい」という言葉を使わないようにしてきた。「忙」しいということは、字のごとく、「心を亡くす」し、また心を亡くすと、大切なことを「忘」れ去ることにつながる。それに、どうせ仕事をするのなら、「忙しい」と焦って気持ちを急かしたり、文句や不満ばかりいっていても、ますます心が滅びかねない。第一、精神的な不満やクヨクヨは、絶対に、からだに反映されてくる。それに、いろいろとあるということは、それだけ充実している証拠だ。それなら、いま、ここで楽しみながらやるほうが、充実したいい仕事ができるのに決まっている。そう考えると、不思議なもので、いろいろと向こうからやりたいことがやってきたりする。それに、精神的にも、イライラして連れ合いや家族に八つ当たりする回数が、グーンと減ってきている。家族、事務所ともにインフルの嵐の中でも、体調を崩すこともなく過ごすことできた。

 さて、朝、下の子を保育園に送る前に、「濃い濃い」歯医者へ連れて行く。新入学の発育測定で、5本も虫歯を指摘たれたからだ。ところが、逆に、ここの歯医者は、このような学校医の処置に反対。「なんでも、かんでも病人をつくるんや」と、チョイチョイと治療しておしまい。いろいろと濃いところに顔を出すか、この歯医者さんも格別の味。

 戻ってくると、設計士の先生から緊急の電話。ここ数日、急に会館の上・下水の調子が悪くなったのである。日常生活だけならば不便程度で、なんとか対応できるが、多数お参りされる、元旦の修正会や報恩講では、困ったことになるの必定だ。水道の水がでないだけでなく、トイレで水が流れなくなってしまうだろう。すぐに、緊急点検をお願いしたら、ポンプシステムの交換が必要になった。費用がかかるのだが、このまま放置していると、貯水タンクにも影響して、もっとたいへんなことになる可能性もある。2、3度と業者も、下見をして、年末ギリギリで、月曜日に緊急修理、工事をしてもらうことになった。あおりで、年初めてに決まっていた、貯水タンクの定期清掃も、延期の連絡をいれた。

 同時に、出版社との和讃の打ち合わせの連絡が入る。やっと浄土、高僧和讃の通ベージでの体裁が整ったというのである。さっそく、持参いただいて、これからの打ち合わせ。来年1月15日までに、まえがきや凡例をふくめて、3校目を出すことになった。たぶん、そのあともう1校あるだろうが、なんとか2月中には発行できるメドはたった。7月から半年も作業が続いたことになる。なかなかんへんな作業だった。(いや、年末、年始もたいへんだけれど)。もう一息だ。

 まあ少しでもやっておこうと、和讃の校正作業に入ったが、夕方からは、先日、お邪魔したばかりので会計士の先生が年末調整の件で来館。いろいろとご相談させてもらう。

 そのうちに、華光誌も完成してきた。印刷所を変えたが、きっちりした仕事をしてもらった。年賀も、行事表もまずまず完成している。発送は、明日の予定だが、結局、打ち合わせや電話ばかりで、和讃の作業は、中断ばかり。

Img_7827 夜は、楽しみにしていたM先生との飲み会。以前から、いろいろ と話したかかったのだが、なかなか時間があわず、年末になって実現した。店は、どこにしようかと迷ったが、リド飲食街の「じじばば」にした。京都駅七条の警察署の裏通り、路地裏の飲み屋街へ。ちょっとディープな空間。飲食街とあるけれど、10m足らずの長さのビルの1階で、横幅はどの店も、1畳半ほどの空間で、狭I_7829 い、狭い。共同トイレにしても、レトロなタイル張り。なんか雰囲気だけは やたらある。しかも、場末のあやしい感があるのに、洒落たおいしい食べ物や飲み物があって、けっこう知る人ぞ知るというお店。だから、満席のことが多いので、念のため電話しておいた。ここに来たら、まずはこれ。ハモン イベリコ Img_7824 ベジョータ。なんのこっちゃといえば、最高級のイベリタ豚の生ハムを、目の前で切り分けてもらえる。料理も、いろいろと手が加わっていて、おいしかった。密着度も高いので(まあ隣の人ともそうですが)、いろいろと楽しいお話を窺うこともできた。

 と同時に、ずいぶん、積極的に動いてみようする自分がいることに、驚いた。確かに内外ともに観客席はうるさいし、難問もある。その時々の感情や気持ちは揺れることが多い。でも、最後は、実際にプレーするのは自分自身なのだから、いろいろと悩み、考えるのもいいけれど、動いてみたらどうなるのか、いろいろとチャレンジして見るのもいいなという思いがするのである。来年も、個人的としては、やりたいこともあって、いくつかは下準備に入っている。実現できるかどうかはともかく、チャレンジする年でありたい。楽しく、おいしいお酒を飲ませてもらて、上機嫌で家路についた。ご馳走さまでした。

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クリスマスケーキ

 「メリー、クリスマス。今日は、クリスマスイブです」。

 朝、車のエンジンをかけるとカーナビの第一声。最初に車を動かす時に、必ず「今日は何月何日、○○の日です」というのだか、今日は、日時をいわずに、そんなあいさつをしやがった。

 当然だか、わが家には、イブも、クリスマスもない。ぼくの子供の時からそうだが、可哀相だと思ってくれた隣のおばさん(同人です)が、ペコちゃんのクリスマスケーキや、クツ型のお菓子をプレゼントしてもらったことを鮮明に覚えている。7、8歳(もっと小さいかな)の時のことなのに、そのヴィジョンが鮮やかに浮かぶところをみると、子ども心に、わが家にクリスマスはない」と理解しながらも、やはり寂しかったのだろう。だから、うれしかったのが、その時の映像が浮かんで来る。でも、父が、ちょっと怒ったことも記憶にある。まあ、昔は、それでもよかった。その前後におもちつきがあったし、その分、お正月のプレゼントやお年玉が楽しみだった。

 とはいえ、今の世相では、わが子をみていると、ちょっと可哀相だ。年々、派手な一般行事として行なわれているし、子どもが観るアニメはサザエさんも、ドラえもんも、しんちゃんも、たまごっちも、すべてクリスマス特集だ。保育園でも、プレゼントの話題がでる。それなのに、なぜ、我が家ではないのか? 

 七が保育園の送迎中、「お父ちゃん、サンタさんに手紙を書くわ。プレゼントこないもんなー」と、寂しそうにいっていた。「うーん、七ちゃん、住所わかってるの? きっとサンタさんは、困っているお家や、寂しい子のところにプレゼントもっていくので、七ちゃんのところは、お正月になるやろなー」と、お年玉がわりにプレゼントのことを話したが、ピンと来ていない様子。まあ、上の子には、幼稚園時代から、「お寺なのでサンタさんが来なんだって」と、友達に話しているようだが、どこか寂しそう。

 信仰的にも、商業的に、積極的にキャンペーンに乗る気はない。でも、小学校からも電話がかかってきて、「クラスでクリスマス会をしますが、参加されますか」。まあ、そこまで目くじら立てて拒否する気持ちもない。

 それが、ある同人の方(いつもお心遣いありがとうごさいます)が、お歳暮と合わせて、子どもには、クリスマスケーキをプレゼントしてくださった。持って帰宅した時の子どもたちのうれしそうな笑顔。「はじめてやな、お父ちゃん!」と、あきらめているはずの10歳の女の子まで、うれしそうだ。まあ、もらったものは別に食べないということはない。普通に食べるだけだが、それでも喜んでいた。なんのことはない。みんな、クリスマスなんてどうでもよくて、ただそんな雰囲気の中で、ケーキやプレゼントがほしいだけの話。

Img_7823  しかし、慣れないものを食したせいか、二人とも、食べ終わる前に、「気分悪くなってきたなー」と、少し残した。ミルクやクリームにアレルギーがあるのだ。まあ、ほどほどでいいということで…。

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京都家庭法座~念仏の御利益~

 京都支部の家庭法座。毎年、12月23日に、七条のM家で開かれている。もう何年になるのかと思っていたら、家を新築された時からで、18年になるそうだ。8月のお盆と、世間が「天皇誕生日」と祝日にしている日に、家庭法座を開いてくださっている。なんでも、家を新築される時に、「家庭法座を開きたい」との思いで設計されたというのである。襖を外すと和室が2部屋、縦長につながて、その一角に仏壇が置かれているのである。こうすれば、法話も、座談会でも輪になって開くことができる。以前にもお聞きしたことがあったが、あらためて、それを18年間も実効してくださっていることが、それだけでも尊い。

 さらに、ここの奥さん(けっして奥ではなく、主のように振る舞っておられるが、他人の家のときの適切な表現が浮かばなかった)の○○回目のお誕生日をかねている。こちらも恒例。それで、法座のあとで、当家のご好意で、皆さんと会食して、歓談や法談するのだが、別にお祝いなどもっていったことはない。お誕生日をお祝いされる方をして、一年でいちばん忙しいのが今日だそうで、細々としたところにまで心遣いをされて、盛んに、皆さんを接待され、ご馳走くださり、酒を振る舞ってくださる。皆さんも楽しそうに満喫されていた。ああ、これは、もう完全に他力「回向」のこころのようだと、毎年、思わされる。

 京都家庭法座たが、京都のよりも、大阪、滋賀に加えて、東京、広島、福岡からの参加者のほうが多かったかもしれない。

 ご法話は、博多での家庭法座で同様、お念仏のこころをいただいた。特に、現世利益のご和讃、「南無阿弥陀仏をとなふればー」の15首である。これだけをとられると、少々、突飛おしもないように感じるが、浄土和讃の位置づけからみると、讃阿弥陀仏偈和讃で、浄土とその主である阿弥陀如来の広大なお徳を讃嘆され、ついで、浄土に生まれる道を説かれた浄土三部経のお心をお誉めになり、他力の念仏者が来世で広大な證果を得ることを縷々述べられたあとで、その念仏は、現世においても広大であることを示してくださっているのである。

 これは、大きく3段に分かれる。(1)「鎮護国家の益」(2首)、(2)「罪障軽滅の益」(2首)、(3)「衆諸護念の益」(11首)で、特に(3)のところが、①冥衆護持の益で、自力であろうが、他力であろうが、南無阿弥陀仏を称える衆生を、さまざまな神々がお護りくださるという段と、②諸聖護念の益で、他力の真実信心を、諸菩薩、化仏、諸仏が護念くださるという段に分かれている。全体を声にだして称えて、最後に、諸聖護念の3首を、少し丁寧にいただいた。

 ここは、「私は未信なので、②の御利益がいただけないから無関係」だとか、逆に、お護りの利益だけを、「結構なことだ」と能天気に今生事として喜んでいては、せっかくの心が死に物になる。やはり、いまの私の心境、信、未信にかかわらず、なぜ、諸仏が護り、讃えずにおれないのか、その南無阿弥陀仏をなんのために成就くださり、ここまでのご利益を回向されるのかという、阿弥陀様のおこころを聴かせてもらうのである。

Img_44723    ということで、ゴチャゴチャと余所見をばかりしていても仕方がない。「南無阿弥陀仏」を称えましょうと、座談のあとで、「南無阿弥陀仏」を皆さんとご一緒に、一つの輪になって、こころいくまで称えさせていただいた。「私」がご法を伝えていくのではなく、連続無窮の尊いお働きによって、いま私のところに伝わってきているのもが、自然と流れて循環し、次ぎに相続されていく。その伝える、伝わるの区分がまったくなくなっていく姿を味あわせていただいた。皆さんの思いや感想も、またお念仏の声もさまざまだった。号泣される方、懺悔される方、拒否しているのに大願が押し寄せて来る方、ただしらけるという方、冷静に客観視されている方……。まさにそれぞれが、青色青光、白色白光の世界だった。でも、心境はそれぞれあっても、ここに集ってみんなが、この口で南無阿弥陀仏を称え、この耳で聴かせていただいたのである。

 その「南無阿弥陀仏」ひとつが、私の口からとび出してくださるまでのお育てと、その大本にある南無阿弥陀仏のお心をお聞かせいただくと、ただただ勿体ないだけだ。よくぞ、そのお心を喜ぶ身にさせてもらったものよと、「南無阿弥陀仏」。

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『沈黙を破る』

 『台湾人生』に触れる前に、イスラエルの戦争問題を取り上げた映画をもう1本。 『沈黙を破る』だ。

Chinmokuyaburu_01 7月に観たのだが、下書きになったまま残っていた。この『沈黙を破る』も、戦争行為に加担したイスラエル兵士たちの、人間としての声を取り上げた作品だ。20数年に渡って「パレスチナ・イスラエル」を取材しつづけている、日本人監督によるドキュメンタリー。どうも、ぼくたちはイスラエルと聞くだけで、その強硬な姿勢から、ステレオタイプの一元的にしかとらえられない。それはイスラムと聞いたイメージでも同じで、過激な排他的なイメージが先攻してしまうが、実はそうではない。

 実際は、イスラエルにも、左派もいれば、右派もいる。強硬派もいれば、強固な和平派もいるわけである。これは、イスラエル兵として、実際に占領にかかわった元軍人が、占領という不当な行為を実際に経験し、その不法性を声も出して訴えだしたものである。人間的な良心を回復した元将校や軍人たちが、自らの体験した占領という武力=暴力による支配が続く限り、被支配者は当然のことながら、実際に現場で支配する側の兵士たちも(二十歳前後の、ごく普通の青年である)、自らの人間性を破壊し、傷つき、苦悩せねばならないのである。

 つまり、パレスチナ対イスラエルという個別で、特別な問題だけでなく、「暴力(軍事力)による占領という構造的な暴力」の構図が、いかに人間性の上に-弾圧側にも、支配者側の人々にも-悲劇しかもたらさないかを、イスラエルの元将兵や軍人たちの肉声を通し、またはその地域に暮らす人々の生活を通して、人間の普遍的なテーマとして重層的に描き出している。

 占領地で活動していたイスラエルの元兵士や将校たちが、思考を停止せず、立ち止まり、自らの姿を鏡に映し出し、軍隊組織や戦争が、いかに非人間的行為であるかを体験的に語ろうという小さな運動に焦点を当てているわけだ。彼らの話は、現場を知るだけに、単なる理想論ではない。被害者であるパレスチナ人だけでなく、実は、いまの加害行為を止めないかぎり、イスラエルの兵士も、その国やその民自身が傷つていていくのだという内部告白が、小さいながらも起こっているのだ。かすかな希望は、そんな勇気ある自身の告白から始まるかもしれない。彼らの人間の尊厳を回復しようとする動きは、『戦場のワルツ』にリンクする内容だといっていい。

 

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『戦場でワルツを』+『台湾人生』

 今朝も寒い。子どもの保育園にいくと、途中、逆行するようにたくさんの人が歩いている。毎月21日は、東寺-弘法さんの縁日があるのだが、年々観光客もや外国人の姿も多くなって、普段でも、十数万人の人出がある。それが、12月は「終い弘法」と呼ばれて、さらに多くの人出があるそうで、とても賑やかだ。おかけで、夕方まで、あたりは車も渋滞している。年末の風物詩に、今年も、あと10日間になったと、その早さを実感する。

 昼をすませて、京都シネマへ。久しぶりに映画を2本。『戦場でワルツを』『台湾人生』だ。共に社会派のドキュメンタリー映画。でも、その手法やテーマは異なっているのだが、かなりインパクトの強い作品だった。安心して見ているこちらがわまで、揺さぶるような勢いがあった。

Waltzwo_01  まずは、イスラエルの作品で『戦場でワルツを』(原題:WALTZ WITH BASHIR)』)。アニメーションだ。でも、アニメといっても、少し動きがぎこちない。それでいて、時に実写のようにも見える。色調も、黄色と黒が主体で、陰影が強かったり、デフォルメされていて、かなり特色がある。

  しかし、本編が終わる時、強烈な印象が残り、エンディングロールから目が離せずにいた。それは、この映画をご覧になれば、よくわかる。たぶん、ラストで、いつも目を逸らしているか、もしくは映像として眺め傍観していたシーンが、私の現実のものとして迫ってきたからである。その目を逸らさせずに見せる手法がすごい。もし、この衝撃シーンが、冒頭や途中に挿入されていたなら、または何度も同じシーンがでてきたなら、見て見ぬふりもできただろうが、それが、まるで監督自身が追体験した思いを、観るものにも持たせるかのような作品だったのである。その意味では、斬新な問題作、衝撃作だといっていい。アカデミー賞の外国語映画賞の有力作だと言われていたが、結果は、『おくりびと』が授賞した。このあたりは、イスラエルの非人道的な戦争責任にも言及する作品なので、政治的な思惑に左右されたということもあったのか?

  本作は、監督自らの経験を基にしたものである。2006年のイスラエル。監督自身である、主人公アリは、戦友から、毎晩、26匹の凶暴な野犬に追われる悪夢に悩まされていると、相談を受ける。その夢は若い頃に従軍した、レバノン侵攻の後遺症だった。しかし、不思議なことに、アリには、なぜかその時の記憶が、まったく欠落しているのである。思い出そうしても思い出せない。悩んだ彼は、友人の心理学者に相談し、そして失われた記憶を取り戻すため、世界中に散らばる戦友たちに会いに行くことを決意する。

  結局、彼がたどりついたのは、1982年にレバノンの難民キャンプでおこった「サブラ・シャティーラ大虐殺」のかかわりであった。それは、レバノンのキリスト教右派の民兵組織、ファランヘ党が、親イスラエルのバシール大統領(原題にある、BASHIRがその人)の暗殺の報復として、なんの罪もないバレスチナ難民の老若男女を大量虐殺した事件だ。イスラエル政府は、事前に計画を知りながら故意に見過ごし、傍観する立場でいた。いや、傍観ではなく、後方から応援し、支援していたのだ。途中、監督自身の両親が、ポーランドで、ナチスによって虐殺され被害者だったことを語るシーンがある。ホロコーストでの被害者としてナチスを糾弾.してきたイスラエルが、自衛のためと称して、パレスチナ人の大虐殺の正当性を主張する国家となっているのだ。被害者側のユダヤ人が、パレスチナ相手に加害者となる、残虐行為を容認する事実、個人の記憶を埋める旅を通して告発しているといっていい。

  つまり、アニメーションという手法をとって、戦友への訪問やインタビューを重ねて語られていく内容やその心情を描きながら、監督自身の忘却され、封印された過去が蘇ると共に、戦争の悲惨さ、残酷さ、非人間的な暴力の実態、しかも、正義という名で繰り広げられていく暴力の連鎖のおざましさを、彼の記憶と共に蘇り、私達も追体験させられるのである。

 それにしも、人間の記憶(悩の働き)というのは、なんとも不思議で、謎めいているものだろう。次ぎに観た『台湾人生』で、「日本人」としての皇民教育を受け、戦後、日本に捨てられた「台湾人」の古老たちの記憶に残る日本統治時代を語るシーンでも、同様に感じたのである。都合よく消し去ったり、歪められたり、取捨されたり、もしくは過去がドンドン変化しし、また無意識にも、また意図的にも捏造もされていく。またこの監督のように、あまりにも自己に都合の悪い衝撃的の事実は、自己防衛のために忘却していく能力まで備えているのである。また、途中で、アマチュアカメラマンが、戦争の惨状をファインダー越しに覗くとき、カメラ越しのフィクションとして眺められ、むしろ新たな、非日常的な体験を高揚感をもち、ワクワクしながら体験していたのが、突然、そのカメラが壊れて、現実に迫られるというたとえ話がでてくるのも、興味深かった。どんな悲惨な現実でも、私達は、人ごととして客観視したり、精神を麻痺させる能力も有しているということである。それは、現に、いま、遠い国で起こっている戦争や虐待行為に対する私達の姿勢そのものである。麻痺していることにも気付かないことほど、おそろしいことはない。

  しかし、たとえ記憶は消せても、決して忘れてはならないこともある。また、いくら人ごととして客観化していても、逃れられない事実もあるのだ。そして、たとえ自己の上に記憶はなくても、私が成してきた「業」は消し去ることはなく、これからの私を形成していくタネになり、憎しみや悲しみの連鎖は果てることなく続いていくのである。まったくもっておそろしい話だ。

   

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九州家庭法座~触光柔軟のごとし~

 小雪まじりの博多での法座。Y先生の自宅での家庭法座である。ちょうど3年前の東京講演会のおり、20年以上にわたり、会の経理・税務を担当くださっていたN先生が健康上の都合で引退されることになり、担当者が不在になり困っていたときに、思い切ってお声をかけすることになった。有り難いことに、とてもこころよく引き受けてくださることになった。しかも、N先生が会計事務所やご自宅で長年にわたり家庭法座を開いてくださり、職員や親戚の方にご縁を結ぼうと勤めて下さっていたのと同様に、Y先生も、外護者としてその役割を担ってくださるのだから、まったく不思議な巡り合わせである。

 7月は事務所での法座であったが、今回は自宅での家庭法座だった。ご夫婦はもちろん、少しだけお子さんたちも出席して、ご聴聞くださった。九州支部の皆さんも、ご一緒されたが、参加者は10名足らずと少なかった。しかし、今回は、むしろ、そのほうがいいと思っていた。皆さんの声をじっくり聞くことができたし、Y先生ご夫婦とも、ゆっくり杯を重ねて、さまざまなお話を聴かせてもらえたからだ。やはり、少ないのは少ないなりのメリットがある。4座ともご法話をしたが、だいたい1時間以内と短めにして、あとは座談やお念仏の機会をタップリととった。

  特に、2日目には、今月の始めに、このブログでも紹介した、同人だったご母堂様のお導きで、わざわざ会館までお尋ねくださった女性が、Y家を探し、飛び込みで参加くださったのだ。あらためてお話を窺うと、よくよくのご因縁である。

  朝は、「仏恩」について具体的にご法話を聴聞していただいた。座談会では、時間を大幅にオーバーするほど、各自がお念仏に出会うまでの種々の善巧方便について、具体的に語り会ったのが、有り難かった。みな一筋縄にはいかない苦難や予期せぬ死別、もしくは父や母のご養育、幼き日からの仏縁、もしくは、不倫や事件や事故といって逆縁もふくめて、それぞれがありのままを語りあい、その年齢も(80歳から25歳まで)バラバラの人達が、いま、ここで、一つ輪をつくり向き合い、座りあっている。昼座では、「現世和讃」のおこころを頂き、「南無阿弥陀仏をとなふれば、十方無量の諸仏は、百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり」を地で行くために、みんなで(「百重千重」もしくは「連続無窮」と名付けている)お念仏のレリーを行った。お念仏の声が響きあい、重なりなう。ひとりひとり、背景も、生まれも異なる皆さんから、大切に、大切に受け継がれ、伝えられてきたお念仏が、このわたしのところにまで届くことを体感的に味あわせていただく。日頃は、当たり前に粗末にしているが、その周り回っていただいたお念仏はあまりにも尊く、おもわず押しいただいて、称えさせていただいき、お隣の方にもお分けした。最後に、あらためて、おとなりの方、向かえの方、そして皆さんのお顔をじっくりと見合わせると、そのひとりひとりが、光り輝くように、いとおしく大切に感じられる瞬間があった。

  すると、父親からの不思議なご因縁で聴聞されている年配の男性-華光とのご縁は、まだ1年ほどで、とても真面目に勉強するかのように、法話も座談も、メモをとりながら聞かれている。しかし、心境をお尋ねすると、かなりポイントがズレている。「一度、京都でもご聴聞にお出でだくさい」というと、「まだまだ勉強不足なので、もう少し力を付けてたら参加します」といったような返事が帰ってくる。それでも、強いお勧めで、お念仏をされたこともあったようだが、聞法の焦点、力の入れようが違っている。仏様は脇において、自分の力を頼りに聞いておられるのである。まるで引けば開くドアを、力まかせに押すような真逆の聞法だ。それが、前日の座談会で、初めてその方向違いの指摘を聞くことができた。「方向違いでした」と、その大事なノートをとることを、自らやめられた。そして、最後には、「かげのごとく身にそってくださる無数の仏さまが、わたしの背中をおしてくださいます。前は、お念仏のおいわれがわからずに、称えていましたが、初めて、その功徳の尊いことをお聞かせに預かりました」と、からだを震わせ、涙と共に語ってくだされたのである。法話は、お念仏のおいわれというより、現世で受ける念仏者の得益についての話だったが、彼には、それがあまりにも尊かったのであろう。まさに、すすめざれども自然にでの、心境の変化である。

  人数が少なかったこと、家庭法座であったこと、さらには参加者の中に、明るく自分をオープンにしてかかわる方がおられたこと、そしてY先生ご夫婦の変化、当然、ぼく自身の姿勢や態度でも、かなり法座の雰囲気は変わっることがわかる。その意味では、少人数の法座では、どんな態度、どんな雰囲気をめざしていけばいいのか、一つ指針になったことは確かだ。特に、今回は、「みんなでお念仏をさせてもらう」「皆さんにかけられた種々の善巧方便の尊さを聴かせてもらう」というテーマを掲げていたが、ある程度、狙いどおりの法座になったのではないだろうか。

 お別れの時には、皆さん(ぼく自身も)のお顔がやわらかく、温かくなっているのが有り難かった。まさに、寂しく、頑な凡夫のこころが、大悲のおこころによって温めら、開かれ、自然と変わっていく、まさに「触光柔軟」を地で行くような集いにだったと、南無阿弥陀仏。 有り難うございました。

Img_78122  余談編:

 名古屋→京都間が、雪のために新幹線が遅れた。待合室にはいると、「変身」ではない、ホンモノの舞子さんが…。 

 

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明日から博多

きれいな青空だ。空の色だけみると気持ちよさそうだが、外はかなり寒かった。

 朝、自力整体に行く。からだの末端が冷えているのが、実感できる。どんなに着込んでも、もしくは自前の脂肪(たくさんためるというわざもある)があろうが、やはり筋肉、そして流れのいい、温かいからだづくりが大切なようだとは、わかりつつも、なかなか難しい。最低限、1週間に1回、90分だけでも、自分のからだを見つめる時間を大切にしたい。これは聞法も同じことだよね。他になにもせず、集中して向き合うというのは、いま、いちばんの贅沢の気がする。

 お昼は食べずに急いで京都シネマへ。キューバ映画を1本観る。『苺とチョコレート』 。見たかったので、ラッキー。

 哀愁感のある音楽で始まる。体制に批判的で、外国の文化にも開かされ、自由な芸術表現を求めているホモセクシャルの男性(ラテン系のおかまキャラが、最初はおかしいけれど、なんかどんどん素敵に見えて来る)と、失恋して落ち込む、体制に従順な真面目な文学青年との出会いを描いたもの。静かだけれも、なかなかい映画。今年は、1月にキューバを題材にして作品(『チェ~28歳の革命~』『~39歳別れの手紙』)を見たなー。これも、なにげない町の風景や雰囲気から、当時の社会体制の雰囲気が滲み出る。共産党一党支配のキューバ社会事情の風刺や体制批判でもあるけれど、青春映画としても楽しめる。でも、疲れているのか、途中、何度か寝たけどね。

Img_7811 マノアマノによって、カルボナーラを食べて、ほんのちょこーとだけ和讃の作業。明日の車中も持ち込むが、早く仕上げたい。そのあとで近くのギャリーを覗く。烏 丸五条の一筋入ったところに、こんなスペースあるのを知らなかったなー。数日前に、熊本のはんぺいゆさんから招待状。いま、博多で、習い事をしているポストカードの作品展。手作りポストカードの展示&販売展で、彼女の作品は、5枚あった。「ああ、なんかはんぺいゆさんらしいな」と、妙に感心した。

 夕方までに戻って、すぐ明日の法座準備。博多の家庭法座だ。急に決まったこともあるし、年末とあって参加者は少なめ。むしろ、それでいいと思う。家庭法座はそのほうが意味がある。一方的な法話をするだけではないので、じっりくかかわりがもて、一体感が生まれるという点では、少人数のメリットは大きい。不特定やマスのコミニケーションが幅を聞かすなかで、「あなたひとりに」という、超・ピンポインとの教えなのだがら、ひとりひとりが自分に聴くチャンスなのだ。これもまた贅沢な話。ただ、年齢層はかなり幅がある。70をとうに超えた高齢の方から、20代、いや10代のお嬢さま方まで、聴聞歴もかなり幅がある。このあたりは、法話をするものとしては、なかなか教案が難しいところ。しかたがないので、夕食のとき、予備勉強で、今回の施主がレギャラーで主演している、FMラジオ番組の「マネー・ファイト!」のCDを聞いた。うーん、勉強になった。はんぺいゆさんのボストカードとあわせて、これで準備はOKだ! かな? さてさて、どのあたりをテーマにしようか、いまからほんの少しだけね。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/12/kyusyu2009-12.htm

 ちなみに、12月20日(日)は、東海や京都でも、法座や学習会があります。

2)東海支部法座

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/12/tokai2009-12.htm

3)京都支部学習会(会場は、華光会館)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/12/kyoto2009-12.20.htm

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聞こえない壁

 急に、冬らしくなりましたね。12月なのに、ずっと暖冬だったのが、ここ数日は、本格的な冬。明日も寒くなりそうで、京都でも氷点下と、雪マークの予報。まあ、これが普通なんでしょうがね。

 今日の午後、『華光誌』の付録部分(『年賀交歓』と『年間行事表』)が印刷所に渡りました。やれやれ、間に合った! 昨晩の真宗カウンセリング研究会も欠席して、作業。細々したところで躓きながらも、なんとか1時間前には完成。事務所のスタッフのおかげです。お疲れさまでした。一人で作業していたころに比べると、断然、楽になったけれど、その分、短期間で仕上げようとするから、時間に追われます。でも、そうじゃないと、ダラダラとしか仕事しないから、これはこれでいいかもね。〆切かあるっていうことは、有り難いことです。年賀と行事だけは、ぼくが版下作成をするのだけれど、かなり慣れてきたけど、最後の方で変更があると、バタバタしてしまいます。今回は、試験的に印刷所を変更。以前のところは、下請け業者に出されていたので、こまかなところで不満がうまく吸い上げられなかったけれど、今回は、直接印刷所をもっているので、値段も少し安くできます。仕上がりは25日。26日(土)に発送予定なので、年内には皆さんのお手許に届きそうです。

 今回も、法話や体験記、随想、聞法旅行の感想記があるけれど、20、30代の若い人のものが(4つあるのかな)、どれもおもしろかったですね。型にはまらないおもしろさや、その人の生きた味わいが出ていて、いいです。このブログにも触れている記事もあったしね。その中でも、特に新婚の若夫婦の仏青大会参加記を読んでいて、お念仏。実に尊い。二人とも、まだ華光とは、1年少しのご縁。ちょうど9月末の大阪支部の法座でした。それが、昨年の11月の華光大会で二人が知り合って、あとは、今生も、仏法も、急ピッチですすんでいかれました。まあ、生活のことはともかくも、仏法のところは、最後のところが聞こえてこない。どんなに願われても、たのまれても、聞こえないものは聞こえない。その関門にぶちあたって、始めてほんとうの聞法になるわけですよね。

 そんな、石、瓦、礫のような、無機質な心しかない私をおめあてに、そのものを「黄金」に変えようというご本願でしょう。(第3願にも「悉皆金色」とあるぐらいですからね)。その石のようなわたしには、頭を下げて、願いをかけてくださる阿弥陀様のおこころは聞こえない。それを、なんとか聴いてもらいたい、わたし一人に聴かせたいと、みんなが総掛かりとなり、あの手、この手の「大芝居」があるわけですよ。それでも、聞こえない。どんなに真剣に、本気になっても聞こえない。実は、仏法は、この壁からがほんとうに有り難いですね。「こうしていこう」という方法論とか、「もっと真剣に聞こう」という決意表明をしているうちは、まだ人ごとですよ。いつか聞けるがあるものね。でも、絶対に、聞こえないとなるとどうなるのか。そこまでの経緯が、ご夫婦の角度からそれぞれ書かれていて、これはかなり新鮮。あとはお楽しみにしてもらいましょうか。

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もう一息だ

11月に入ってから、急にブログの更新速度が落ちてきた。それが、12月になると、完全に停滞。今夜もこのまま休業かと思ったが、一言だけでも書いておかないと、ほんとうにこのまま終わってしまいそうな予感もする。

 華光大会の前日まで、「和讃」の作業に集中したあおりで、華光誌の作業が遅れていた。しかも、12月に入って寺院布教と高山支部と法座が続いて、日曜日の成道会と後の慰労会に顔だした以外は、この10日間は集中して華光誌の作業。事務所のメンバーもかなり頑張ってくれたので、華光誌本体は、どうにか明日の夕方に渡せるところまでこぎつけた。今日は、年賀作業の合間に、やっと「聖教のこころ」を書き、巻頭言もさきほど仕上げた。

 残りは、年賀広告と、年間行事の作業。これだけは、ぼくがまだ版下を作成している。原稿も各人、ほんとうに自由でさまざまな上に、使用しているソフトが、絵画や横文字を得意としているので、日本語の縦書きには、かなり不自由なのが難点だ。それでも、使用するうちに慣れてきて、作業は速くなって、ほぼ形になってきた。こちらは17日に渡す予定なので、メドは立ってきて、かなり安心というところ。でも、どうも、いつものようなスッキリ感がない。なぜかなーと考えていたら、和讃の校正を脇においているからだ。年末まで法座もあるので、こちらは年越しになるかもしれんなー。

Img_7780  まあ、そんなことを愚痴っても仕方ないので、閑話休題。

 高山法座の車中で、虹を見た。名古屋に向かう新幹線の車窓から、かなりクッキリと見えた。でも、逆側に座席の人には見えない。ほとんどの人が気付いていない様子だった。ぼくも、教案を調べているうちは、まったく気付いていない。たまたま顔をあげて、窓の外を眺めた時に、目に飛び込んできたのだ。うれしくなって、写真をとった。車窓からだから仕方がいなが、それでもぼんやり映っている。数分後には、薄くなり、次ぎに見たときには、もう消えていた。きっと同じ時に、この虹を眺めていた人もいたことだろう。

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師走の八日は

 高山法座も終わり、月曜からの10日間は、和讃校正も、布教も一休みして、華光誌の作業である。年賀交歓もあるので、かなりエンジンがかかっている。早くメドをつけて安心したいと、カレンダーで日時を数え、〆切日から逆算しながらの作業が続く。そうか、今日は12月8日だ。お釈迦様が仏様になられた成道会(じょうどうえ)だ。

 手元にある日常聖典や子ども用の聖典にもないのだが、Img_5117 ぼくが成道会といえば、この歌を思い出す。江崎小秋氏作詞の「成道会の歌」。しんみりというより、歌詞といい、曲といい、かなりウキウキする感じがある。「蓮華の子ども」と聞くと、花祭りの歌を想像しなくもない。でも、人間に生まれた(人身を獲た)ことの喜びは、実は、仏に成る(真宗でいえば、仏に成る約束が定まる)ってこそ、ほんとうの「おめでとう」の意味が生まれるのだから、歓喜踊躍も、当然。

Img_47851「♪師走の八日はお釈迦様
仏に成られた
成道会、成道会
蓮華の子どもよ、跳ね、跳ね、踊れ
蓮華の子どもよ、跳ね、跳ね、跳ね、踊れ♪」

このあとも、♪小鳥も歌え 大人も踊れ 天地もひびけと、妙に威勢がいい。

 華光日曜礼拝でも、12月13日(日)(11時~15時)に「成道会子Img_4869_2 ども会」で、お祝いする。ご法話や分級座談もあるが、昼は、お釈迦さまのインドにちなんで、カレーライスを食べるのが恒例。もちろん日本風です。また毎年、アトラクションも楽しみだが、今年は、子どもたちに念珠づくりをしてもらうことになった。どんなものが出来ますか、お楽しみに。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/12/nitirai2009-12.htm

①の写真は、降魔成道図。
②の写真は、ブッタガヤの成道の釈尊。
③は、前正覚山の洞窟にある、苦行像。釈尊の御影が映っているそうだが…。

 お釈迦さま、長々とご苦労をおかけしております。

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一言だけのつもりが

 明日(もう今日か)の高山法座。このところ法座への楽しみ感は増している。でも、午前中は、下の子の保育園の最後のお遊戯会に行ってから、高山に向かうことになる。よろしく。

 今夜はブログ休むつもりだけれども、同人ブログの2、3にコメントを書いたら、その勢いでここも書いてしまった。

 まず、昨日までの寺院布教もいろいろ味わい深かったですね。初めてのところだったので、反応を見ながらの話になったけれど、最後に、ちょっと質疑的な座談をもったら、予想以上の反応。一言ずつでも味わいが聞け、それを分かち合うと、一方的な法話での手応えのなさや空しさではなくつながりを感じられて、明らかにぼくの中でも変化が起こるのがわかる。同時に、義理参りに近い一般の方に向けてのご法話への工夫などの課題も感じましたね。この反応のよさは、ご住職の聞法に対する姿勢でしょう。ここも、やはり最前列のど真ん中(ぼくの目の前)に、ご住職が3席とも、座られて聴聞。分かち合いも、いちばんに挙手されて話される。その隣には、隣寺のご住職、その横にも同じ組のお寺さんや坊守さんが座られる。檀家さんに「聞け、聞け」「前にすわれ」で、自分がお留守ではなく、まず自分が自分の問題として聞かれる姿勢こそが、まさに浄土真宗でしょう。先月のシンポジウムの話題もあったので、おかげでメンバーでの懇親会は盛り上がって、(0時30分終了という声がないのもの考えもの)、例によって3時半ごろでしたか。朝は朝で坊守さんと話し込んで、内職の和讃は進まずじまいだった。課題や宿題も感じつつも、また次ぎのご縁へとつながっていきそうです。

 今朝も有り難いご縁での来館者。彼女のご母堂が、50年前からの華光同人。でも、亡くなられた後でご縁は途切れて、ずっとその篤い信仰のこと、華光のことを知りたくて、いろいろと尋ねるも手がかりがなし。まず先生を招かれたいた北九州のお寺がどこかと探されたようですね。ところが、灯台もと暗し。偶然の話から、手次ぎの寺のご住職がぼくと大学院の同級生で、真宗カウンセリングでもお仲間。華光誌も送っている間柄で、一気に解決。それどころか、近所にも、田舎にも関係の方がおられることが分かってきた。つながてるんだなー。今日は、念願かなって初めて来館。京都のお友達に、どこか行きたいところがあるのなら連れて行ってあげるようといわれて、いの一番にここに寄ってくださいました。いまやネットで簡単に情報が手に入る時代だからこそ、ほんとうに尊いお話。勤行のために道場にご案内。でも、お友達はかなり遠慮さている。まあ、ご自由にお待ちくださいといってたら、結局、一緒に手を合わせられることになった。さてさて、お帰り直前、ぼくの耳元で、お友達の女性を称して一言、「実はね、彼女、ある会にいってられるんです。○○会って、ご存じですか」とポツリ。あ、そうですか。そりゃ、お仏壇に手をあわせずらいわなー。しかも、その方が、わざわざ調べて華光会館まて連れてきてくださるなんてね。ご親切にありがとうごさいました。この親切は、きっと宿善になりますなー。

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もう師走

   午後5時、七のお迎えのために外にでると、もう暗くなっている。カレンダーは、今日から、師走だ。

 昨日、「高僧和讃」の再校を出版社に渡した。当然、次ぎの「浄土和讃」の段組された3校目がきた。先方も夏から忙しくて、かなり作業が遅れているが、やっと発行のメドがたってきた。11月の予定が延びて、年内になったが、それもちょっと無理。今度は、残念ながら、ぼくのほうが一旦、仕事をストップして、布教と華光誌にとりかかるからだ。

1:明日12月2日(水)~3日(木)の2日間は、初めてのお寺での寺院布教。様子がわからないので、ネット等では紹介していない。初めてといっても、今年の春には、組内の連研の会所(いわゆる会場ですね)で、講師としてお招きいただいているし、毎年窺う隣寺のお寺では、ここのご住職ともお仲間なので、気心はしれている。ただし、一般のご門徒さんとは大方が初対面だろうから、聞法の要点をお伝えできればと思っている。

2:高山支部法座=5日(土)~6日(日)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/12/takayama2009-12.htm

 1日おいて、今週末は、高山法座が入っている。これは例年の行事で、報恩講だ。年中行事、楽しみしている。すでにお宿は一杯になっているようだが、お参りだけなら若干の参加できるだろう(でも、連絡してくださいなー)。先日の華光大会ではお当番をしてくださりいまご法に燃えておられる。もともとお念仏の土徳があるところで、先達の行き届いたご教化があるので、ご法話もとてもしやすい。しっかりお念仏をさせてもらうご縁をつくっていきたいと、いろいろと考案中。

3:聖典講座:6日(日)昼1時30分~5時

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2009/details/12/seiten2009-12.htm

 日曜日は、華光会館での「聖典講座」。増井先生の正信偈講座の4回目。

 奮ってご参加くださいなー

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