年賀交歓の〆切
華光大会が終わったばかりだが、今日は朝から、電話やFAXが続いた。華光誌の年賀交歓の〆切日なのである。久しぶりの方ともお話することもできた。もしお忘れの方は大至急、ご連絡くださいな。詳しくは、前号の華光誌の折り込みをご覧ください。初めての方でもお申し込みいただけます。いまの時点で、文章が未定ならば、とりあえず場所だけは確保しておいてもいいです。
ところで、ぼくも驚いたが、今日からブログの標示が変更になっていた。これまでの全文標示から、「続きを読む」式で本文が畳まれる形式が標準的に標示される。でも、設定変更はできるようだ。まあ、しばらくはこの形式でやっていくつもりだが、もとに戻したほうがいいというのなら、お知らせください。
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コメント
ご無沙汰しております。
このお題には 全然関係のないことで申し訳ないのですが 教えてもらえればありがたいと思い 書き込みました。
伊藤先生の本に らっきょの皮をむくように日々自分の罪悪を見つめてゆくように と ありますが
具体的にはどういうことか教えてください。
よく体も頭も動き 充実したような日には 自分で自分をほめたいような気持はあっても そのことが罪であるというように 思えないのです
罪とは 自分で判断すること いい 悪い と 聞きました。そこを罪だと思えないのです。
こんなことは こういうところで 聞くようなことではないでしょうか?
投稿: たまこ | 2009年11月26日 (木) 22:15
たまこさん、ここはお久しぶりですね。
うまくお伝えできないかもしれませんが、
>よく体も頭も動き、充実したような日には、自分で>自分をほめたいような気持はあっても、そのことが>罪であるというように思えないのです。
そうですね。ぼくも同じなんです。でも、もうこれ自体が、今生事の「楽」を求めている姿ですからね。後生の「ご」の字もない。ぼくたちは轉倒(でんどう)しているんです。ぜんぶ、自分の都合だけ。自分の思いどおりにならないから「人生は苦だ」というけれど、その次ぎには、悦びや楽しみにうつつを抜かす。その頭で、自分の都合で、罪悪も考えてもわからないので、仏様の目からご覧になった姿を見せてもらうしかないですね。
「よかった」と褒めている裏にどんな心があるのか。そして、どんな犠牲があるのか、自分のことしかない時点で、自分中心だと破って聞いていくしかないですね。
別にたまこさんのことだけじゃないですよ。ぼくもまったくそんな程度でしかない。だから、聞かせてもらうしかないということです。
投稿: かりもん | 2009年11月27日 (金) 00:54
>ここはお久しぶりですね
ドキ!気がつかれておりましたか・・・
恥ずかしい・・・
お返事ありがとうございました。
確かに自分のことばかりです。
充実した日は どうだ!とばかりに 大手を振って自信満々で 人と接する 相手はたまったもんではありませんね。その時点で 相手を見下しているかもしれません。逆に 人の中にいる時などは 思う通りにはいかない だから 相手を心の中で罵倒したり自分はなんで社交的ではないのかと落ち込む。
ほんとうに自己中心だとどこまでいっても自分のことしか考えない奴だと思います。
>自分のことしかない時点で、自分中心だと破って聞いていくしかないですね。
自己中心だと破って聞くとは どういう聞き方ですか?
投稿: たまこ | 2009年11月29日 (日) 00:51
>自己中心だと破って聞くとは どういう聞き方ですか?
今生のことと、自分のことを正当化しないで、もう一歩踏み込んで見せてもららうことです。でも、この説明では、ますます言葉に捕らわれるかもしれないー。
投稿: かりもん | 2009年11月29日 (日) 20:40