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四十九日法要

 華光誌や布教と続くので、大会直後のこの週末は予定を入れなかったが、10月に葬儀があったので、ちょうど満中陰の四十九日法要があった。仏青大会から50日。早いようで、ものすごーく以前の気がする。このスピード感はなんだろう。

 午前中、長女の小学校の学芸会。題目は、Yes! We CAN。劇仕立てに、歌やリコーダーをまじえて、最後は、ボディー・パーカッションで締めくくるというもの。この一年でずいぶん成長を感じたなー。クラスもどうやら落ちいてきた模様で、ちょっと安心。切符の手配などで、混雑する京都駅で所要をすませて帰宅すると、事務所でプリンターの設置中。ご苦労さまです。ながらく不具合が続いていたので、なんとか次号の華光誌に間に合った。早急に対応してもらって、大助かりだ。それでも、ぼくはすぐに法要の準備をして出かける。

Img_7734 ご自宅での法要。やはり古い同人なので、いろいろと華光ゆかりの懐かしいものがあった。この書も、かなりいまの書体とは感じが違う。例によって、心を合わせて念仏や読経をしてもらう。お墓もあるので、ご法話は短め。「人身受け難し」やご恩徳とがテーマか。そこから「仏法聞き難し」に展開するまでにはご縁が必要だ。

 霊園に向い納骨。紅葉が美しく、眺めがいい。そして、誰もがほんとうに最後は、(この世の肉体だった一部は)もろImg_7738 い白骨となり、暗い穴の中に治められていく。いろいろとお墓のことを聞かれたが知っていることはほんのわずか。すみませんね。実は、わが家には墓がないし、もう用事もない身になったので、(先祖の)墓参りには行ったことがない。これがほんとうの門徒物知らずだ。たぶん、大谷さんへの祖檀納骨になるのだろう。

 伏見の料亭に移動して法事の会席。清和荘ですか。病院や助産院に通っていた近くだが、こんなところにこんな場所あったんですね。ちょっと一筋入っただけで、静寂の庭が拡がっている。日頃、高級料亭とは無縁なので、まったく眼中になかった。今回も、なかなか温かい雰囲気の法要になったので、席上、「これで母も天国で…」と言われる方があった。間髪いれず、「先生のブログに、天国とはいわないとあったよ」とのするどいつっこみが…。あ、教えてなっかったのに、偶然見つけてプリントアウトまでして読んでくださったそうなんですね。前回の葬儀の記事、まずいことをかかずによかったなー。でも、急に言われるとちょっと冷汗。まあ、それなら話が早い。仏教、浄土真宗では、天国はまだ天上界で迷いの世界。ほんとうの安心・安楽の世界は、極楽とか、お浄土という悟りの世界。しかもそれは、死んでから行き先が決まるのではなく、元気なうちに聴聞し、仏様のおこころを聞かせていたき、南無阿弥陀仏を疑Img_7741 いなく心の底から称える身になった時にハッキリと約束されることが知れるわけですね。故人はそこをしっかり聞き開いてくださっていました。このあたりは、次回の座での話題にしましょうか。

 ご馳走の合間に、ちょっこちょこ写真をとっていると、「ブログですね」と言われた。そうなんです。これは少々まImg_7742 めさが必要なようで…。

 送迎もあったので、心地よく飲ませていただいて帰宅。御馳走になりました。

 でも夜は、和讃の作業。酔いも覚める。明日も頑張って、月曜日は、高僧和讃の再校を渡し。

 追伸:ご親族に陶芸をされているご夫婦があって、いろいろと話を聞いていると連れ合いと大学は異なるが同級生。いろいろと接点もありそうだったので、帰宅して尋ねてみると、やはり連れ合いが世話になっていた先生のお嬢さんで、お兄さんも知り合い。それどころか、大勢で面識まだはなかったけれど、ある時の大学の交流で、彼女と同じ席の飲み会にも出たこともあるとのことでした。Kさん、もしご覧になったら伝言しておいてね。

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