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2009年11月10日 (火)

伝道研究会

 夜は、伝道研究会。

 『心身の革命』が終わって、全体の振り返り。

 やはり具体的に、より具体的に、日常の「私」自身のありのままの姿と離れないで聞いていく。先生の罪悪観のおおすめには、学ぶ点が多い。特に、観念的な聴き方や、教義を覚えていくような聞法、グルグルと方法論をこねまますような聴き方をする人が増えてきている。仏法は、現世や自己を否定的に捉えていく法門だと思うが、いまは、自分を肯定したり、自我を肥大させたりすることを是とする風潮が根強くなった。当然、聞法以前にも、否定的な人生観を持つ、自己を内省するということが難しい世の中になってきた。その意味でも、ますます罪悪観や無常観を通して自己を聞いていくことが大切になってくるように思える。

 自分自身の姿を、きわめて具体的に聞くことを勧めると、よく「罪悪観を深めたらその先はどうなりますか」と、まだ聞く前にその先を心配されたり、「自分の罪悪は分かっています」と、簡単に決めつけている方も多い。ではもう一度、その「分かっている」といわれる部分を言葉にしてもらとう、あやふやだったり、今生的なレベルで留まっていることが多いのだ。知ってるつもでだけなのである。ならば、もう一度、具体的に自分の机の引出しを開けてみて、中のものをひとつひとつ確かめてほしいのである。分かっていると決めつけているだけで、結局、いままでの自分の経験や学びの眼でしか内省していないことが大方ではないか。「獲信、獲信」「ハッキリする」と、自分側の変化や確証を追い掛けたり、また獲信の方法論として考えるのではなく、急がば回れである。

 ほんとうに自分自身の姿を聞かせてもらう。

 自分を知ることがないと、いくら聴聞を重ねても、知識や理屈ばかりが増えるだけで、肝心の地獄一定の「私」を哀れと立ち上がられた如来の大慈悲心が他人事に終わってしまいかねない。

 そうはいっても、やはり長年、固着した聞法者の中には、「そんなことは分かっていますよ。その先が聴きたいんです」とおっしゃる方も多い。こちらも、負けずに、もう一度重ねて、最初のボタンがほんとうにしっかりかかっているのか、分かっている中味を、具体的に尋ねて、先輩同行の前に出してみることをお勧めしたいのだ。自分で決めつけているだけで、如来様の眼からご覧になった罪悪とは、まったく違ってはいないか。実は、何も分かっていないことに気付くことだってあるだろう。これまでも、自分の心の変化ばかりを問題にしても埒があかなかったのだから、如来様の仏眼にうつる我が姿-実相を、具体的に、自分自身に即しながら、自分の言葉で聴いてみればいいのである。

 ところで、今夜は、終了時刻10時を回ってから、さらに1時間以上の延長。先日のシンポやさまざまなところでの布教や交流を通して見えてきた華光のあり方や、伝道の態度についてお伝えする機会をえた。いま、目に見えている部分での出来事だけでなく、むしろそこから派生してくる潜在的な可能性を考えると、華光という組織を広めるという、いわば自我(組織)肥大の方向ではなく、もっと門戸を開き、これまで先輩同人が蓄積してきてくださった財産、その精神を宣布していく道が、ぼんやりと立ち上がってきた気がしているのである。いま、いろいろな人にそのあたりを聞いてもらい、具体的に動き出したことも2、3ある。まだまだ、ぼく個人のところであるが、もう少しまとまったら、ここでも披露していきたい。

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